sideエルステラ 動き出した時計
数週間前。
帝国と共和国の国境付近。
かつて銅山として栄えた都市────今は風が吹き抜けるだけの廃村に、一人の青年が立っていた。
崩れた石造りの建物、錆びた滑車、沈黙した坑道の口。かつての喧騒は跡形もなく、ただ死んだ土の匂いが漂うばかり。
黒のウェーブヘアを無造作に結ったその青年、ミルヒオールは、普段の軍服姿からは想像もつかない泥だらけの作業服に身を包んでいた。袖を捲り、ぬかるみに足を沈めながら、彼は退屈そうに軽く肩を回した。
そして、何気ない動作で空へ手をかざす。
詠唱はない。魔法陣も展開しない。
それでも、空間が絹を裂くように静かに歪み、目の前の虚空にエルステラの司令室が、まるで鮮明な絵画のように映し出された。
無詠唱。それは、魔術の極地。
けれどもヴェリアルを遥かに凌駕し、単純な量だけで言えばエルステラ一の魔力の持ち主である彼には、朝飯前である。
この世の魔力そのものが彼に従い、彼に媚びている。
一言で言えば、ミルヒオールは規格外の天才なのである。
「こちらミルヒオールでぇす。ヴィクトリア、聞こえるー?」
間延びした声が、人気のない廃村に響く。
空間に浮かぶ映像の中、司令室の主────ヴィクトリア・リットンが立っていた。
長身で、冬の月のように冷ややかな美貌を持つ魔術師の国・エルステラの領主。魔力を持たない人間の中で、唯一エルステラ内部で高い地位を与えられた人間だ。
しかしどういう訳か、彼女は魔術を使い、廃村にいるミルヒオールへと通信を繋げた。
「うへぇ、泥だらけ。本当にこんな所に三つ目、あるのー?」
ミルヒオールは、汚れを嫌う猫のような仕草で足元を見下ろしながらぼやく。
「嫉妬のターコイズねえ……あれぇ、ターコイズって何色?黄色?赤?」
しかし画面越しのヴィクトリアは、いつもの厳しい叱咤も返さず、ただ彫像のように沈黙していた。
「……ない」
「えっ、なにそれ? ヴィクトリアがあるって言ったから、わざわざこんなゴミ溜めまで来たんじゃん!丸一日飛び続けたんですけど?!」
ヴィクトリアの肩が、微かに震えていた。
強靭な彼女が、恐怖か、あるいは混乱か、言葉を選びあぐねている。
「ないんです。シャーロットの中から、孤独のダイヤモンドが消えています」
「えっと……それ、何て言えばいいのぉ……? 誰かがロティのお腹を捌いて、盗んでいったってこと……?」
「そんな訳ないでしょう!そんな暴挙をヴェリアル様が許すはずがない……いえ、万が一、億が一ヴェリアル様が許しても、この私が許しません」
ヴィクトリアの瞳に、冷徹な殺気が宿る。
かつてシャーロット・ラヴィアンジュが死の間際飲み込み、その心臓と融合した秘宝・孤独のダイヤモンド。
彼女が亡くなったあとも光り輝き続けるそれは、まるで何かのきっかけさえあればシャーロットが生き返ってくれるんじゃないかと予感させた。
革命は大成功と言っても過言では無い経過を辿っている。
共和国の半分はエルステラの手に落ち、魔術師と人間の地位が逆転した世界がそこにはあった。
最早この勢いがあれば、かつての宝石王の遺物など集めなくともこの世界を手にする事は出来ると、全ての魔術師が理解している。
それでも宝石を集め続けているのはひとえにシャーロットを目覚めさせる為だった。
奇跡の力があれば、もしかしたら、大好きな彼女が生き返るかもしれない。
その気持ちから研究チームをヴィクトリア自ら立ち上げ、ヴェリアルにエルステラの全権を預けられ、宝石王の童話の中からヒントを探しては大陸中を駆け回っていた。
それなのに。
ずっとこのエルステラにあったはずの孤独のダイヤモンドが。つまりシャーロットの心臓が、突然消え去ったのである。
誰かが盗んだ?あるいは、何か理由があって消えた?
ヴィクトリアは震える手で、孤独のダイヤモンド、そしてシャーロットを管理していた部屋へと通信を繋げる。
シャーロットはいる。いつも通り、そこに眠っているみたいに。
────けれど、やはり、ないのだ。
「落ち着いてヴィクトリア。つまり、どおゆうことなの?」
「……全方向から、魔導反応が消滅しています」
「ダイヤモンドはロティが飲み込んだ直後に、それごと心臓に等しくなったわけじゃん。……でぇ、ロティはそこにいる。ロティに無体を働くやつなんて、此処にいるはずがない……なら測定装置が壊れたんじゃないの?」
「そんなはずはありません! この装置はヴェリアル様の魔術で動かしています。エルステラの今の最高の技術の結晶なんです……!あの御方が、シャーロットに関わるこんな大切な器具で、致命的なミスを犯すはずがない……。……申し訳ありませんが、調査は中止。即刻、戻ってきて貰えますか?」
「は?!」
「……どうして……なぜ消えるの……。すぐにユーティオティアス様に相談を……それにしても、意味が分かりません……。この世界からまるで、シャーロットが消えたみたいに……」
ブツッ。
通信は一方的に断たれた。
「はぁ〜〜〜?!?!」
ミルヒオールの叫びが、虚しく廃村に木霊する。
こうなったヴィクトリアがもう止まらないという事を10年の付き合いになるミルヒオールはよく知っていた。
あの日、シャーロットの心臓が止まってからも尚輝き続けていた孤独のダイヤモンド。
光り輝くそれは、まるでシャーロットが目覚める為の希望の光のように皆感じていた。
その期待に応えることはなく、10年も経ってしまったのだが。
けれど10年間、一切の動きのなかったそれが今、何らかの動きを見せた。
ミルヒオールは不機嫌そうに頭を掻き、今一度、空を飛び始めた。その唇は弧を描き、手はかすかに武者震いのように震えていた。
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