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ユリウス・ティリスに出会いましたが、何やら不穏です



 宮殿の華やかな喧騒から切り離された、石造りの冷たい魔術師の詰所。

 

 そこは魔術の輝きとは無縁の、消毒液の鼻をつく匂いと膨大な報告書が積み上がった、事務的で無骨な部屋のようだった。


 

「お師様……」


 

 メリーアンの消えるような小さな声に、青年が顔を上げた。

 

 整った顔立ち。だがその瞳には、二十代前半とは思えないほど深く、暗い「諦念」がドロドロと沈んでいるようだ。

 

 夜の帳を溶かしたような漆黒の髪に、氷河の底を思わせる冷ややかな青い瞳。

 

軍装に身を包んでいなければ、どこか儚げな貴婦人と見紛うほどの美貌だ。しかしその表情には常に何かに耐え忍ぶような硬い緊張が刻まれていた。

 

 そしてその美貌を台無しにするように、不眠と過酷な職務を物語る濃いクマがべったりと張り付いている。


 

「メリーアン……。それと、そちらは」


 

 青年が私を見た瞬間、そのペン先がぴたりと止まった。

 

 

「麗しき貴族のお嬢様。……この娘が何か過ちを犯したのならその咎は私、魔術師団長ユリウス・ティリスが請け負います。どうか、それ以上の処罰はお控えください」


「違います、お師様!お嬢様は私を助けてくれて……」


 

 ユリウスは椅子から立ち上がり、私に向かって完璧な、けれど血の通わない礼をした。その動作はあまりに円滑で、彼がこれまでにどれほど多くの「貴族」に頭を下げ、プライドを削り取ってきたかを物語っていた。

 

 

(ユリウス。……ユリウス・ティリス)

 


 目の前の男から放たれるのは、帝国の魔術師を束ねる者としての圧倒的な威圧感、そして桁違いに莫大な魔力だった。


 

「……ティリス、とおっしゃいましたね。失礼ですが、ティリス子爵家の方では?」


「よくご存知で。元は帝国貴族ですが、魔術を持って生まれた出来損ないです」

 

 

 私の問いに、彼は形の良い唇をわずかに綻ばせた。自嘲とも、あるいは懐かしんでいるとも取れる、曖昧な笑み。

 

─────魔術師団長。


 そしてそれは、かつて私の父────今は亡きベルの師匠が持っていた肩書き。

 帝国の魔術における頂の称号だ。

 

 だが、 気になるのはその称号よりも他のところ。

 この青い瞳、そしてミルヒオール並……いや、彼を凌駕する可能性すらあるこの化け物じみた魔力……。記憶の海に沈んでいた光景が、鮮明に色づき始める。

 

 エルステラがひとつの「国」として産声を上げたあの年。


 反乱軍はヴィクトリアの正式な爵位授与のため、ヒメノス宮殿へと向かった。本来なら飛んで一日の距離を、あえて一週間かけて進んだ。凱旋パレードという名の、泥臭い()()()()のために。

 

 その道中はそれなりに過酷だった。魔術を忌む者たちは石を投げ、あるいは怯えて扉を閉ざした。

 魔術師が人間にどう思われているのかをまじまじと見せつけられた。

 

 その一方で、行き場を失った魔力保持者たちは、縋るように街道へと集まり、私たちの行進の後ろに長い列を作っていった。

 圧倒的な敵意、もしくは無関心、或いは救い。

 

 色々な感情の渦巻く道中で唯一、ヴェリアルが自ら足を止めた相手がいた。


 

「ああ……馬車を止めてくれるかな」


 

静かな、けれど有無を言わさぬヴェリアルの声。


 

「どうしたの?」

 

「君もおいで、シャーロット」


 

ベルにふわりと抱き上げられ、歓声の渦巻く地面へと降り立つ。

この街は魔術師への偏見が薄いのか、凱旋パレードに対しても、お祭り騒ぎのような熱気に包まれていた。

だが、ベルが視線を向けたその先にいたのは、歓喜とは無縁の顔をした一人の少年だった。


 

「名前は?」

 

「……ユリウス。ユリウス・ティリス」

 

 

 震える声で答えた少年の瞳を、私は片時も忘れた事はなかった。

 

 

「良い名前だね、ユリウス。エルステラに来ないかい?」

 

 

 その子は、明らかに異質だった。

 幼い体から溢れ出す魔力量は、当時の私を優に凌駕していた。天賦の才。磨けば世界を揺るがす原石。

 けれど、彼は差し出された救いの手を、冷たく振り払ったのだ。


 

『僕は、行かない』


 

 濁りのない青い瞳には、燃えるような拒絶と、鋼のような意志が宿っていた。


 

「シャーロット様! 俺を、俺を連れて行ってください!」

 

「私、お役に立てます! お願いです!」



 ユリウスを突き飛ばすようにして、他の魔術師たちが私に群がってくる。


 

「ええ、勿論。望む者は魔術師でも人間でも、全員ついてきて。……他に、行きたい人は?」


 

 湧き上がる歓声。希望を見出した者たちの笑顔。

 その喧騒の真ん中で、ユリウスだけが一人、険しい顔で立ち尽くしていた。私は彼に歩み寄り、精一杯の言葉を贈った。


 

「ユリウス、私はあなたの敵じゃない。魔術師が人間と手を取り合える世界を、私は作りたいの」


 

 その言葉が、彼を深く傷つけたのだと知ったのは、直後のことだった。

 

 

『……うそつき』


 

 吐き捨てられた言葉は、硝子のように胸に突き刺さった。


 

『お前たちが反乱なんて起こしたから、父様は牢獄に入れられたんだ。妹だって……石を投げられてる。あの子は魔力なんてない、ただの人間なのに!』


 

 慟哭に近い叫び。

 

 私は、何も言い返せなかった。正義の裏側で、誰かの日常が壊れている現実を突きつけられた。


 

『返せよ……!俺の人生を、返せよ……!』


 

今にも術を放ちそうな程冷たい視線で見つめるヴェリアルを横目に、私はユリウスの手に静かに触れた。


 

「……ごめんなさい。私の力が、まだ足りていないから、全員を幸せにすることが出来なくて……。でも、もし……あなたが本当に助けを必要とした時は、いつでもエルステラを訪ねてきて」


『そんな日は来ない』


「なら、それでもいいから……笑うことを諦めないで」

 


 そう言い残して私たちは馬車へと戻っていった。

 魔力の声。

 そう言ったのは、彼が魔術師として生きる事を完全に拒んでしまっているから。

 少しでも彼の人生が豊かになる事を祈って、私は彼に向かって小さく手を振った。

 

 

─────あの時、泥にまみれて私を睨んでいた子供が今、帝国で最も高貴な衣を纏い、堂々と私の前に立っている。

 かつての「敵」の最高戦力として。

 

 青い瞳が、じっと私を射抜いていた。



「ティリス団長。メリーアンが怪我をしているの。すぐに、治療をしてあげて頂戴」


 

 私の言葉に、ユリウスはメリーアンの頬に走る生々しい裂傷を一瞥した。

 

 一瞬、その瞳に痛ましげな色が過ったのを私は見逃さなかった。だが、彼はすぐに石の彫像のように表情を消し、冷淡に言い放った。


 

「……恐れながら、エセルリード公爵令嬢。我ら帝国魔術師団の、許可のない魔術使用は禁止されております」

 

「許可? 自分の弟子が目の前で血を流しているのに、まだそんなことを言っているの?」

 

「我々は帝国の資産です。魔術利用計画書に沿った使用しか認められていない。……そして、この子の負傷は訓練中でも作戦中でもない。計画外の事象に魔力を割くことは、国家資源の私的流用に当たります」

 

 私的流用。

 ユリウスの口から出たその単語が、あまりにも歪で、私の吐き気を催させた。

 それはあまりにも、血の通わぬ発言だった。


 

「……こんなに血が出ているのに? 放っておけば傷跡が残るでしょう。それでも、あなたは『許可』という名の紙切れを待つの?」

 

「はい。それが、我々が呼吸を許されるための、唯一の契約ですから」

 

 

 ユリウスはそう言うと、棚から古びた救急箱を取り出した。

 彼は魔術を使わず、震える手で布を濡らし、メリーアンの頬の血を拭い始めた。

 かつての彼なら、指先をかざすだけでこの傷を消し去り、メリーアンを笑顔にできたはずなのに。今の彼は、まるで壊れた人形を繕う職人のように、ただ無言で手を動かす。

 

「……どうして貴方はこんなに名誉を奪われてまで、帝国に力を貸すの? エルステラにいけば、自由を得られるのに。……あそこには、貴方の魔力を正当に評価し、貴方を一人の人間として扱う仲間が大勢いるはずよ」

 

 私の問いに、ユリウスの手が止まった。

 彼は顔を上げず、絞り出すような声で囁いた。

 

 

「……家族がいます。彼らは、魔力を持たない、善良な『帝国臣民』です。私が自由を選べば、彼らは反逆者として、明日の朝には地下牢へ送られるでしょう」

 

「人間の住居区もあるはずでしょう。エルステラなら彼らを守れる」


「お嬢様は随分古い教科書で勉強なさったようですね。シャーロットが死んでから、あいつらのそんな建前は無くなったのですよ」


「……っ」


「……我々にとって、エルステラは『敵』です。理想という砂糖で包んだ、この国を壊すための猛毒。……シャーロット・ラヴィアンジュがそうだったように!」


 

 ユリウスが初めて声を荒げた。

 彼は、メリーアンの頬に無骨な絆創膏を貼り、立ち上がった。その瞳には、かつて私に向けた反抗心すら消え失せ、ただ厚い、厚い「諦念」という名の壁が築かれていた。


 

「お嬢様。……これ以上、この子に『希望』を与えないでください。それは、いつかこの子を殺す刃になります。帝国で生きる魔術師に必要なのは、愛ではない。服従だけです」

  

「……そう」

 


 何を言っても響かない。

 

 そう判断した私はユリウスの机の上に乗せられていたペーパーナイフを手に取った。

 どこが良いか。わかりやすく、手のひらが良いだろう。

 一瞬の沈黙。そして見開かれるユリウスの瞳。

 私は自らの手を引き裂いた。 

 数秒後訪れる痛みの信号。そして熱さ。


 

「では、エセルリード公爵家の次女が怪我をしてしまったようなの。そのくだらない魔術使用計画に書いてもらって構わないから、傷の一つも残らないように治してくださる?」


「なに、を馬鹿な……!」


「よく言われるわ。さあお願い」


 

 ちなみに馬鹿、だなんてアデラインの記憶にない。よく言ってきたのは紛れもない、ユーティオティアスである。

 

 そうして私はメリーアンの頬に触れた。

 

 彼女の頬と私の手。ここまで接近すれば、魔術行使の範囲としては全く問題無いはず。


 

「お嬢様、どうしてここまでしてくれるのですか?」


「メリーアン……貴女に笑うことを諦めないで欲しいから」

 


 ガタン、と。

 ユリウスは立ち上がった。その顔は真っ青だった。

 彼は無言で私達に近づくと、無詠唱で手を翳しただけで、あっという間に痛みが消えた。


 

「もうすぐ夜会も終わります。……メリーアン、送って差し上げなさい」

 

 

 半ば追い出されるような形で詰所を後にしたわたしは、思ったよりも時間が経ってしまっている事に気がついて、焦って大広間へ向かった。

 

 エセルリード公爵になんと言い訳しようか、そのことばかりで頭がいっぱいで。

 

 窓の外からユリウスがこちらを見つめている、そんな事すら気がつけなかったのだ。


 

(なんなんだ、あの子は……。なぜ、貴族のご令嬢が魔術師を庇う……? なぜ、あの日の彼女と同じことを言う……?あれじゃ、まるで…………)


 

 

 ユリウスの脳裏に、かつて自分に「笑うことを諦めるな」と告げたの魔女の姿が、鮮烈に蘇っていた。


 

二重で文を載せてしまっていたので訂正しました!すみません( ; ; )

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