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嗚呼、なんて無力


ヒメノス宮殿の中庭は、春先特有の乾いた風が吹き抜けていた。

 

 大勢の貴族達と挨拶をしていると、体力のない私はすっかりフラフラしてしまった。

 なんなら熱がぶり返したように身体がだるいのだ。

 うーん、やっぱり、あまりにも病弱な身体ね。

 

 私は父・エセルリード公爵に「少し風に当たってきます」と告げ、宮殿の外へと逃げ出した。

 父は心配そうに眉を下げたが、ルチアとエセルリード公爵に大勢が挨拶待ちをしている状況で、アデライン()に割く時間はこれっぽっちもないのは明白だった。

 


「待ちなさい、アデライン。……誰か娘に付き添いを……いや、男は駄目だ………。仕方ない、ではあの少女に」


 

 

 父が渋々承知する条件として付けたのは、案内役を兼ねた宮廷魔術師の少女だった。


 

「よろしくお願いいたします、お嬢様」 


 

 緊張に肩を強張らせた少女が、私の数歩後ろに控える。くるりと振り返り、若草色の瞳とばっちりと目が合った。フワフワのくせ毛の、10歳前後の少女だ。

 

 

「よろしくね。私はアデライン。お名前を聞いても?」

 

「私の……名前、でしょうか?」


 

 少女は信じられないものを見たかのように、瞬きを繰り返した。

 

 

「そうよ。あ……なにか、おかしかった?」

 

「いいえ! 滅相もございません! ただ……初めて、貴族様に名前を聞かれたので。……私、メリーアンです」


「メリーアン、よろしくね。小さいのに、こんな立派な場所で働いているのね」

 

「お嬢様と同じ歳くらいのはずです。お嬢様こそあのような貴族様がたくさんいる場所で、凄く堂々とされていて……まるでお姫様みたいだな、とこっそり見ていました」


 

 えへへ、と頬を掻きながら笑う小さな少女は、この世の優しさだけを集めて作られたかのような、純粋な笑顔を浮かべた。

 

 久々に一切の緊張感なく心の底から話せる相手に出会った私は、少し浮かれていたのかもしれない。

 ────彼女との出会いがきっかけで、あんな大変なことに巻き込まれるなんて、この時は想像もつかなかったのだ。

 



 

「メリーアン、このお城で一番静かな場所はどこかしら。少し疲れてしまったの」

 

「私のとっておきの場所にご案内します……!こちらです、お嬢様!」


 

 メリーアンの足取りが、目に見えて軽やかになった。

 

 彼女は時折、振り返っては私の歩調を確認し、段差があれば「お気をつけください」と小さな手を差し出した。

 ヒールかつ虚弱な私を気遣ってくれて、いつもより確実にゆっくり歩いてくれたに違いない。

 そうしてゆっくり歩くこと10分。

 


「ここ、なんです……」

 

 

 メリーアンは、慣れない手つきで生い茂る低木をかき分け、私を温室の裏手へと導いた。そこは、色とりどりの大輪が並ぶ表の庭園とは違い、手入れの行き届かない白薔薇が、野生の逞しさで絡み合う静かな場所だった。


 

「私、訓練の合間にこっそりここに来るんです。……あ、お嬢様、石が滑りますから、私の肩を掴んでください!」


 

 メリーアンが差し出した小さな肩。そこには宮廷魔術師としての薄い制服越しに、日々の過酷な訓練で鍛えられた硬い筋肉の感触があった。


 

「ありがとう、メリーアン。あなたは……本当に頑張り屋さんなのね」

 

「そんな……! 私なんて。……でも、お嬢様にそう言って貰えるのは、 なんだか照れくさいけれど、心が暖かくなります。実は、さっきお嬢様に名前を聞かれた時……嬉しくて、少し涙が出てしまったんです、えへへ」


 

 彼女は照れくさそうに、けれど誇らしげに鼻を鳴らした。

 私のシャーロットとしてのかつての記憶、そしてアデラインとして学んだ記憶を合算しても、最悪な事に帝国における魔術師の扱いは全く改善していない。

 

 魔術師は「記号」で呼ばれる家畜に等しい。

 名前で呼ばれる。そんな当たり前の事を幸せに感じるくらい、彼らは孤独に生きている。


 ────ああ、私がシャーロットなら、また頑張れるのに。この小さな少女の為に。

 


 

「お嬢様、見てください。この蕾、真珠みたいで…!」


 

 メリーアンが指し示したその時、静寂を切り裂くような硬い靴音が石畳を叩いた。


 耳を打つ、上品に整えられた嘲笑。私は足を止め、ゆっくりと振り返った。そこには数名の令嬢が、宝石を散りばめた扇で口元を隠して立っていた。

 

 

「あら、こんな汚らしい場所に、エセルリード家の可愛らしい『お人形さん』が迷い込んでいるわ」

 


中央に立つのは燃えるような赤髪を高く結い上げた少女──シュシュ・アインストゥアイン。


 

 彼女はルチアと同じ歳の侯爵令嬢だ。家格は公爵に劣るが、歴史のある名家であるアインストゥアイン家の彼女は自らに大いなる自信を持っている。そして時折、姉主催のお茶会にやってきては、慇懃無礼な態度でルチアに嫌味を言っているのを、 ()()()()()の記憶ははっきりと覚えている。

 

そして彼女は身体が弱く、内向的なアデラインのことをお人形さんと揶揄していた。



 

「……シュシュ様。ご機嫌よう」


「挨拶など結構よ。それよりアデライン様、お耳が汚れていなくて? そんな『家畜』と親しげに喋るなんて」


 

 シュシュは、指先で弄んでいた短い杖──先端に鋭い骨片が嵌め込まれた、魔術師への「懲罰用」の杖をくるくると回した。


 こんな隠れた場所を見つけられるとは考えにくい。恐らく、私とシュシュの後を追いかけてきたのだろう。少なくとも、それが好意からの行動でないことだけは確かだ。



 

「……彼女は私の案内役です。家畜などという呼び方は控えてください」

 

「あら、怖い。でも 、教育は必要よ。……そこの二級魔術師。貴族階級の令嬢をこんな場所に連れ回すなんて、どんな教育を受けてきたのかしら?」


「は、はい!あの……っ」


「頭が高いのではなくて?」


 

 メリーアンの肩が、びくりと跳ねた。彼女は即座に膝をつき、頭を垂れる。


 

「申し訳ございません、お嬢様……! 全ては私の独断で」


「あら汚い。髪が靴に触れてしまったじゃない」


 

 ────ぱしんっ!!


 

 乾いた、嫌な音が響いた。

 シュシュが振り抜いた杖の先端が、メリーアンの左頬を斜めに切り裂く。

 細い悲鳴さえ上げず、メリーアンは衝撃で地面に突っ伏した。白い肌に、一筋の鮮血が噴き出し、白薔薇の葉を赤く染める。


 

 理解が追いつかない。

 

 笑ってしまうくらいのくだらない理由。いや、理由など後付けだろう。 


 彼女は今、自分よりも幼い少女に何をした?


 

「何の真似?」

 

 

 その声は、自分でも驚くほど冷たく、静かだった。


 

 

「単なる躾ですわ。……あら、アデライン様? そんなに怖い顔をなさるなんて。まさか、この魔術師を心配していらっしゃるの?」



 

 シュシュはクスクスと、鈴を転がすような声で笑い続けた。

 

 

「ふふっ、父親は天災を殺した英雄なのに娘は魔術師を守ろうとするなんて、エセルリード公爵はお可哀想ね。所詮は騎士の娘。教育が行き届いてなくたって、仕方がないわよね」


「全くその通りですわ」


「生まれを考えれば、皇太子妃に相応しいのはエセルリード家ではなく、アインストゥアイン家のシュシュ様なのは間違いありませんのに、殿下ったら……ねえ?」


 周りの取り巻き達はシュシュの機嫌を取るように、次々に彼女に賛同していく。

  

 成程、これはルチアに対する嫉妬なのか。

 (ルチアを選ぶとは、帝国の皇太子は見る目がある。こんな女達を妃になどしたら、なんの利益も生み出さないもの。)


 

 私はシュシュ達を無視し、泥にまみれたメリーアンを抱き寄せた。


 

「痛いわよね。可哀想に」

 

「お嬢様……!離れて、くださいっ……土で、いやっ、血でお召し物が、汚れて……」


 

 メリーアンは傷口を押さえながら、尚も私のドレスを気にしていた。メリーアンの手の上からそっと頬に触れると、その指の間から溢れる赤が私の手をじわりと濡らす。


 

(……このままだと、跡が残るかもしれない)


 

 

 私はメリーアンの頬に両手を添え、必死に目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、かつて何万回と発動させた治癒の術式。魔力を集め、細胞を繋ぎ、時間を巻き戻すように再生させる光。

 だが。

 指先からは、何の光も漏れなかった。

 魔力は、凪いだ水面のようにピクリとも動かない。

 聞こえてくるのは、風の音と、シュシュたちの下卑た笑い声だけ。


 

(そっか。祈ったって、もう女神様は返事をしてくれない。この身体はもう……魔術師ではないのね)

 

 

「……アデライン様? まさか、祈っていらっしゃるの? 滑稽ですわ。魔術師の怪我なんて、男神様も見て見ぬふりをなさるのに!」


 

 シュシュの言葉が、杭のように胸に刺さる。

 私は今、ただの人間の子供なのだ。

 かつて守らなきゃいけない弱者として、自分自ら彼らの可能性を切り捨ててきた。

 

 そして今、触れれば首が飛びかねない爆弾として扱われていたはずの魔術師が、私の腕の中でただの怯えた少女として震えている。


 

「早く治さないとね。……貴女の師匠のところまで、連れて行ってくださる?」


 

 私はメリーアンの血がついた手を隠しもせず、立ち上がった。

 


「……な、なによ。その目。気味が悪いわ……!」

 

「シュシュ様。……貴女に構っている時間はないの」


 

  道を開けるよう、私は彼女を静かに見つめると、シュシュは一瞬言葉に詰まり蛇に睨まれた蛙のように後退りした。

 彼女の脳裏に本能的な警鐘が鳴った 。目の前にいるのは、単なる病弱な令嬢ではない。彼女に逆らってはいけない、と。

 


「……今、あの子の瞳……光っていなかった?」


「……シュシュ様ったら、面白い冗談ですわ」

 

「そうよね……?」



 

残された彼女達が、そんな会話をしてたとは露知らず。



 

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