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初めての夜会はハードモードです


「すごく可愛いよ、私の天使たち!」

 


 馬車に乗り込むなり、目の前に飛び込んできたのは、ばっと両腕を広げた男の姿だった。

 

 エセルリード公爵。

 この身体の父親────そして、私にとっては『仇』に選んだ男。

 

 

 有無を言わさず、ぎゅっと力強く抱きしめられる。

 混濁する記憶の中でも、この男が子煩悩だった事は容易に思い出せた。

 


 アデライン(わたし)を産んですぐに妻を亡くした彼は、それ以来、男手一つで娘たちを育ててきたという。

 まさに、目に入れても痛くないほど愛しい我が子。

 

 その腕の温もりに、胸の奥がチクリと痛む。



 

「……お父さま」


 

 かつての私が、あれほど焦がれ、会いたかった存在。

 初めて口にするはずのその単語は、不思議なほど私の身体に馴染み、滑らかに唇から零れ落ちた。


 

「アデライン、体調はどうだい?熱は下がったとは聞いたけれど」

 

「はい。問題ありません、お父様」

 

「そうか、良かった。今日は無理をしなくていいからね。皇太子殿下への挨拶さえ終わったら、あとはお父様と一緒に別室でゆっくり過ごそう」


 

 そんな過保護な提案に、隣の席に乗り込んだルチアがピクリと眉を跳ね上げた。

 彼女はエセルリードをキッと睨みつけ、怒りを露わにする。


 

「お父様、いけません。アデラインはただでさえ身体が弱く、社交の経験も浅いのです。このような機会でもなければ、人脈を築くことすらできませんわ」

 

「ルチア。いつも言っているだろう?そんな風に、うちの家格を上げようと躍起にならなくていいんだ」

 

「っ……理解できません!」


 

 憤るルチアを宥めるように、エセルリードは酷く穏やかな声を出す。

 

 

「心配することはない。お前の嫁ぎ先だって、私が責任を持って素晴らしい相手を見つける。お前たちが苦労することなど、絶対にさせないからね」

 

「そういうことを言っているのではありません! お父様はあの『シャーロット』を討った救国の英雄なのです。それなのに、なぜ公爵家として相応しい扱いを求めようとしないのですか!」

 

「────英雄などではない」


 

 ルチアの詰め寄る言葉を、エセルリードは静かに遮った。

 その顔に、ひどく困ったような、そしてどこか悲痛な影が落ちる。

 

 

「私はただ、お前たち二人が幸せでいてくれたら、それ以上は何も求めない。それだけなんだ」


 

 ふと、彼の目元に深く刻まれた皺が目に入った。

 

 私にとっては、あの死の瞬間からアデラインとして目覚めるまでの、ほんの一瞬の出来事。

 けれど彼にとっては、私を殺してから今日に至るまでの『十年の歳月』が流れているのだ。

 

 彼がどれほどの苦労を背負ってきたか、その刻まれた皺が無言で物語っていた。

 

 

「……二人とも、よく聞きなさい。今日の夜会、皇太子殿下にあまり近づきすぎてはいけないよ」


 

 その言葉に、私の思考が跳ねる。


 

「お父様の……お知り合い、ですよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「どんな方なのですか?」


 

 探るように尋ねると、エセルリードは少しの間を置いて、重々しく口を開いた。


 

「……我が国の利益を、最善に考えているお方だ。それ以外に、私が殿下を表現する方法はない」


 

 それは、ただの賛辞ではない。

 国のためなら何でもするという、警告を含んだニュアンス。

 

 

「わかったね、ルチア、アデライン」

 

「はい、お父様」


 

 私が素直な子供のように笑顔で返事をすると、エセルリードは安心したように緊張を解いた。

 返事をしないルチアに苦笑し、彼は優しく愛娘の頭を撫でる。

 

 

 馬車の窓の外を静かに眺める。


 

 首都ということも勿論あるのだろう。それを加味しても、10年前のエルステラよりも華やかで活気に満ちた街並み。

 見たこともないような街路灯。通り過ぎる人は誰も彼もかつての流行とは違う形のドレスなんかを着て。


 10年。

 

 若かったエセルリードに白髪が生える。それだけの時間。

 あの時、自分が死んだことは最善だった。

 それは間違いないけれど……。

 あの子たちは、あの人は……今頃何をして、何を感じているのだろう。

 月を見上げる。

 ひょっとしたら、貴方達も眺めているかもしれないと思った。

 


 ───ヒメノス宮殿。王都の中央にあるそれは、帝国の威光そのものだった。

 

 視界のすべてが、眩しいほどの光に包まれる。

 金糸で精緻な刺繍が施された天蓋。磨き抜かれた白大理石の階段。

 見上げるほど高い天井から吊るされたシャンデリアには、夜空の星々よりも強く煌めく最高級の魔石が埋め込まれていた。

 

 帝国は、まるで衰えていない。


 それどころか、私が命を賭して向き合っていたあの頃と、何一つ変わらぬ栄華を誇っている。


 

 私はドレスの裾を持ち上げ、小さな靴で一歩一歩、階段を降りていく。

 その間も、胸の奥で静かに、そして本能的に周囲の気配を張り巡らせていた。


 

(対魔術障壁が、三層。……いや、四層ね。結界術式は古典式、なるほど随分手間が掛かっている……。配置されている警備兵の装備は、対魔導銃……)

 

 

 どうやってあの警備を破り、どこから侵入すれば中枢に届くか───そこまで考えて、思考を止めた。


 

(破る、だなんて。私はもう、シャーロットではないのに)


 

 自嘲気味に息を吐き出す。今の私は、ただの病弱な公爵令嬢アデラインなのだ。

 

 

「アディー、緊張しているのね?」


 

 私の溜息を聞いたルチアが、私の手をそっと握り、柔らかく微笑んだ。

 けれどその琥珀色の美しい瞳の奥には、どこか悲壮なまでの「覚悟」が滲んでいるようにみえた。

 

 

「大丈夫よ、お姉様。お姉様と一緒にいれば、私、何も怖くありません」


 

 そう言って握り返した、一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ、ルチアの指先がかすかに震えたのを、私の感覚は見逃さなかった。




 

 きらびやかな広間に一歩足を踏み入れると、周囲の貴族たちのひそひそ話が波のように耳に届く。

 

 

『皇太子殿下は、一体どんなお方かしら』

 

『この世のものではない位美しいだと耳にしたことがあるわ』

 

『いや、実際のところは、戦場を駆ける魔獣のように醜悪だと聞くが……』

 

『対魔術師剣術の、凄まじい達人らしい』


 

 ざわめきが、波紋のように広がっていく。

 皇太子。死にゆく皇帝の次に、いや、実質的にこの帝国で一番の権力を持つ男。

 王家の椅子取りゲームから降りていたはずなのに、突然現れた異色の存在。

 誰もがその男の真実の顔を見破ろうと、躍起になっていた。

 

 そしてその時は突然訪れる。

 広間の奥が一気に静まり返ると、モーゼの十戒のごとく人々が左右に分かれ、一つの道を作る。


 

 現れたのは、黒と金を基調とした、厳格な軍服を纏った男だった。

 年若くして帝国の実権を握る男――皇太子ルキウス・アリュール・ルーファス。

 

 

 高らかに響いていたオーケストラの演奏さえ、彼の進む『カツ、カツ』という冷徹な革靴の音にかき消されてしまうような、圧倒的な存在感。

 

 

 思わず、息が止まる。

 

 

 彫刻のように整った顔立ちだが、その双眸――冷徹な灰色の瞳が、酷く印象的だった。

 黒い軍服と相まったその漆黒の髪は、まるで鴉のような不気味さを醸し出す。

 

 

『帝国の剣』


 

 まさしくその異名の通り、彼がただ歩くだけで、周囲の空気がじっとりと汗ばむようなプレッシャーに支配されていく。


 

(……あ)

 

 

 誰もが息をすることさえ許されないような沈黙の中。

 気配を消し、カーテシーをしながら、視線だけで目立たぬよう盗み見ていたはずだった。それなのに、その灰色の瞳がまっすぐにこちらを捉えた。

 

 ゾワリ、と背中を冷たい汗が伝う。

 

 これほどの緊張感を味わったのは、いつ以来だろう。……ひょっとしたらあの特区の天井をぶち抜いた時以来かもしれない。

 


 正面の壇上には、二つの王座がある。

 

 

 かつて私がシャーロットだった時代、そこには壮年の皇帝ヒューランとその高慢な妃が座っていた。

 そして現在、そこはルキウスの席となっていた。

 ただの皇太子には重すぎるはずのその椅子に、彼は何一つ躊躇うことなく、当然のように腰を下ろす。その様子だけで、彼の権力が一皇子の枠を遥かに超えていることが容易に理解できた。

 

 

「面を上げよ」

 

 

 低く、だが驚くほどよく通る声が広間に響く。

 貴族たちが、一斉に顔を上げた。


 

 ルキウスは玉座に深く背を預けたまま、灰色の瞳で会場をゆっくりと見渡していく。

 その視線が、ほんの一瞬だけ────再び、私の上で止まった。

 心臓がドクン、と跳ねる。だが、彼は何事もなかったかのように視線を外した。


 

「今日は、私の誕生を祝う日……そして、皇太子としての初めての夜会に集まってくれて感謝する」

 

 

 ルキウスは言葉を続ける。


 

「そして、私と共に過酷な戦場を駆け抜けてくれた者たちの一族にも、今日は日頃の労を忘れ、大いに楽しんでいっていただきたい」


 

 思いのほか、声音に含まれた響きは優しかった。それだけで、会場を支配していた張り詰めた圧が、ふっと和らぐ。


 

「私はこの帝国を、世界で最も美しく、強固な国にすることを誓おう」

 

 

 わっと、割れんばかりの拍手が沸き起こる。

 けれど、私はその拍手の中で、冷や汗が止まらなかった。


 

(あ……この空気、知っている─────)


 

 かつて、あの特区で。絶対的なカリスマとして君臨していた『ヴェリアル』が醸し出していた、狂信的なまでのあの雰囲気と、酷くよく似ているのだ。

 冷酷さの中に混じった一粒の親しみやすさは、多くの者達にとっては劇薬になる。よくも、悪くも。

 


 

「それでは、最初のダンスを」

 

 

 ルキウスが立ち上がり、壇上を降りてくる。

 カツ、カツ、と近づいてくる足音。そして、信じられないことに、彼は私たちの目の前でピタリと足を止めた。


 

「踊っていただけるかな? 美しい人」

 

 

 ルキウスが端正な笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べたのは――私の隣にいる、ルチアだった。

 ルチアの手が、目に見えて小さく震える。けれど彼女は覚悟を決めたように、その手を取った。

 

 ────その後の展開は、ある意味で予想通りだった。

 皇太子直々にファーストダンスの相手に選ばれたルチアに、周囲の貴族たちは興味津々だった。誰もが、次の皇太子妃は彼女になるのだろうと確信し、取り入ろうと躍起になって挨拶を求めてくる。

 

 おかげで、私は完全なおまけだった。

 あの最初、ルキウスに値踏みするように見つめられた瞬間を除けば、私は誰に目を付けられることもなく、自由に会場を歩き回ることができた。

 

 そして、壁の花として貴族たちの会話に聞き耳を立て、歩き回って知ったこと。

 

 帝国は、まだ『エルステラ』と戦争を続けているということ。

 そのエルステラは、すでに共和国の領土の半分を奪い取っているということ。

 そして、もし共和国が完全に堕ちてしまえば、次は帝国の番だということ。

 

 すべてを繋ぎ合わせ、私は理解した。

 あの新しい皇太子ルキウスは、恐ろしく頭が切れる。

 だからこそ、彼はこの国を挙げて、本格的な大戦争へ向かおうとしているのだ。

 

 その矛先は、エルステラ。

 かつての私たちが理想郷である。

 




 

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