皇太子殿下って怖い方なの?
「アデラインお嬢様、締めますよ……!」
「まって、こんな子供にコルセットなんて……!っぐ!」
「うちのお嬢様方が美しいことを存分に見てもらわなければ……ねっ!行きますよ、せーの!」
「いーっ、……!」
肺の中の空気を全部持っていかれた。
視界の端で火花が散る。今の「せーの」は絶対、親の仇かなにかを取る時の気合だった。違いない。
背後にいるのは、乳母代わりのメイドのマーゴット。
目覚めた私の熱が下がってる事を確認し喜んだ彼女は、あれよあれよとルンルンで、私の身支度を始めた。
正直、今の私にはドレスどころではない。
目覚めてからというもの、アデラインとして生きた十年の月日と、前世────『シャーロット』としての記憶が混ざり合い、脳内は未だに大嵐だ。
けれど、幸いにもアデラインは病弱で引きこもりがちな少女だった。多少の混乱も、世間に疎い「病上がりの子供」という言い訳が使えるだろう。
抵抗を諦めた私は、あえて「無知で甘えん坊な妹」の皮を被って情報を引き出すことにした。
「ねえマーゴット……。そもそも、まだデビュタントもしてない私が、どうして皇太子殿下の誕生会なんて行かなきゃいけないの?」
「あら、お忘れですか? 今回は皇太子殿下のご意向で、殿下の戦友である高位貴族は『一族全員』で出席せよとのお達しがあったのですよ。病弱なアデラインお嬢様を、殿下もずっと案じておられたとか」
「……へぇ」
没落しかけの我が家に、わざわざそんな温情を?
疑念を抱きつつ、私は核心に触れた。
「でも、王子様ってどんな方なの?怖い方?」
「皇太子ルキウス殿下は、帝国の『剣』と謳われる御方。御年十八にして騎士団エルステラの総長を務められる、正真正銘の英雄ですわ」
─────帝国の剣。18歳。最年少で総長。皇太子。
そんな選ばれし者に、婚約者がいないなんてこと、ある?
違和感に、私の心の中の警鐘がけたたましく鳴り響く。
「……不思議ね。そんなに立派な殿下なのに、どうして婚約者がいないの?」
「以前はいらっしゃいましたよ。けれと、お亡くなりになったのです」
「まあ、そうだったの。最近?」
何気なさを装って畳みかける。だが、マーゴットの手が一瞬、止まった。
「いいえ、5年前のことです」
「……ん?」
王族の婚約者が5年空白?
そんなこと……いや、前線に出ていたのなら、あり得るの?
違和感が胸をかすめたが、マーゴットはそれ以上の追及を許さなかった。仕上げとばかりに、彼女は背中のリボンを力いっぱい引き絞る。
「さあ、完成です! 春の陽だまりから抜け出した妖精さんのようですわ!」
「えっ、ちょ、苦し……」
「ルチアお嬢様ー! アデラインお嬢様の準備が整いましたわ!」
鏡の中には、私の困惑を置き去りにしたまま、完璧に可憐な令嬢が立っていた。
ルチアのぱたぱたと走る音が聞こえて廊下をちらりとみる。
エセルリード公爵家が没落寸前というのは、どうやら事実らしい。
屋敷の中は、笑えるほどにがらんとしていた。人の気配が全然しない。今やこの屋敷の住人は、数人のメイドと執事、それから頑固そうな料理人だけだという。
広さだけは一丁前だが、中身が伴っていないお屋敷。贅を尽くした調度品は姿を消し、あとに残されたのは静寂だけだった。
「アディ、とっても可愛いわ!とても素敵なレディね」
「……ありがとうございます、お姉様」
部屋に飛び込んできたルチアが、満足そうに何度も頷いた。
目の保養になるほど美しいお姉様の笑顔だが、その瞳の奥には切実なまでの「家を背負う覚悟」が透けて見える気がする。
「さあ、行くわよ。……今夜は『狩り』の時間よ」
ルチアの言葉には、社交界という名の戦場に乗り込む戦士のような響きがあった。私はその背中を追いながら、気になっていたことを尋ねる。
「あの、お姉様。お姉様は皇太子殿下にお会いになったことはありますか?」
「いいえ、一度もないわ」
「えっ……?」
意外な答えに、私は思わず足を止めた。これほどの美貌を持つルチアなら、一度くらい接点があってもおかしくないはずだ。
18の光り輝く王族と、16の美しい公爵令嬢。組み合わせとしては抜群なのに。
「今回参加する令嬢の中に、殿下と面識がある人はいないはずよ。あの方はずっと最前線で戦争に行かれていたんですもの」
「それがどうして、今になって帰還を……?」
「皇帝陛下はもう、病で公の場には出られない。それに加えて、今までの皇太子候補が皆、亡くなってしまったでしょう?」
「え?」
「アディ。いくら世間知らずと言ったって……」
小言を言おうとするルチアを、曖昧な笑みで制止する。
記憶が混濁している今の私には、その「当たり前」が一番難しいのだ。
「……いえ、わかっています。でも、かなり大勢、いらっしゃいましたよね?」
脳内の情報を整理すると、現皇太子であるルキウス殿下は、ヴェリアルの異母弟にあたるだろう。
けれど、ここで一つの疑問が浮かぶ。
本来であれば、ルキウス殿下の父親世代――つまり、私の前世でエルステラを陥れようと画策していたあの中年連中の誰かが皇太子になるのが順序だ。
それなのに、なぜ二世代も飛び越えて、十八歳の若者が『剣』としてその座に就いているのか。
「……ねえ、お姉様。お父様方の世代の方々は、どうなさったの?」
「……皆、死んだわ。あるいは再起不能の病に倒れたか。残ったのは、シャーロットの呪いを恐れて領地に引きこもった臆病者だけよ」
お姉様の声が少しだけ低くなる。
なるほど。つまり、本来の継承権を持つ大人たちが『一掃』された結果、消去法で、あるいは最前線で武功を立て続けた実力行使によって、ルキウス殿下に順番が回ってきたというわけか。
…………呪いなわけがない。だって、ここにいる本人が呪っていないんだもの。
順番待ちの列が、前のほうからごっそり削り取られている。
そこには確実に、血の匂いがする『意志』が介在しているはずだ。
「ルキウス様は徹底した『反魔術師派』。魔術師を嫌うお父様とも戦場を共にした仲だというし、これまでの軟弱な王族たちとは格が違う。……私たちの味方になってくれる可能性は高いわ」
反魔術師。その言葉が、元魔術師である私の胸にちくりと刺さる。
改めて、虎の穴に向かうわけだ。
ドキドキと心臓が早鐘を鳴らす。
シャーロットだとバレる訳はない。けれど、もし何かの拍子にバレたら?
魔術も持たない、身体も弱い少女など、一瞬で死ぬだろう。
「さあ、お父様が待っているわ」
こうして私は、エセルリードとしての矜持とコルセットの苦しさを胸に、ルチアに馬車へとエスコートされた。




