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天災になる覚悟



 


「ヴィクトリア!」


 

 屋敷に戻るやいなや、背後から突き刺さるような冷え切った怒声。

 闇の中から現れたリチャード・リットンは、不快そうに顔を歪め、吐き気を催すような酒の匂いを撒き散らしていた。


 

「……目が覚めてみれば、こんな所で何を。卑しい魔術師共と付き合って、自分の身分まで落とすつもりか。お前は私の『所有物』であることを忘れるな」


 

 リチャードはヴィクトリアの手首を、乱暴に掴んだ。言葉通り彼女を「物」のように地面を引きずる勢いで連れ去っていく。

 

 彼女は一度だけ、千切れんばかりの悲痛な視線を私に送ったが、抗う術もなく夜の帳へと消えていった。



 

「ジュ・アテ……」


「しー……ストップ」



 

 怒り。

 

 この感情を表すとしたら、その一言につきる。

 

 彼らの後ろ姿を見つめていた私が無意識にぽろりと溢れ出た呪文は、薄暗い廊下の中で口を塞がれて遮られた。


 振り返るとそこにいたのは、今日留守にしてきたヴェリアルだ。

 

 口元を覆うのは冷たい手のひら。

 今帰ってきたのだろう。


 ヴェリアルの瞳は感情を剥き出しにする私を映しだす。



「ベル、お帰りなさい」


「殺したいのなら好きにすればいいけれど……ただ、無策は良くないね」

 


 夜の冷気を孕んだローブを、ヴェリアルは流れるような動作で脱ぎ捨て、自らの腕にかけた。

 

 論点が明らかに間違っている話をしながらいたずらっぽく笑う極悪人の顔を見ていると、不思議と少し気持ちが落ち着いてくる。


 ヴェリアルは促すように、私を執務室へと連れていった。

 



 重厚な扉を開けると、そこには既にユーティオティアスが控えていた。

 

 傍らにはミルヒオール。

 

 自由奔放を体現したようなミルヒと、生真面目の塊であるティティ。

 およそ相性が良いとは思えない組み合わせだがユーティオティアスは一旦、あらゆる才を兼ね備えたミルヒオールを副官として傍に置く道を選んだようだ。


  

「ヴェリアル様。お帰りなさいませ。……帝国はいかがでしたか?」

 

 

 ユーティオティアスが音もなく立ち上がり、恭しくヴェリアルからローブを受け取った。

 

 ヴェリアルの留守の理由。それは、この地区の完全なる自治を王宮へ認めさせるための交渉だ。

 

 だが、報告を待つまでもない。

 

 ヴェリアルの薄い唇に刻まれた嘲笑の色を見れば、帝国が差し出した回答がどんなものだったか想像がついた。



 

「リットン辺境伯はこの土地の永久支配権を――()()()()で結んだらしい。一度結ばれた契約は魂に刻まれ、決して破棄できない。……となると、彼には『改心』してもらうか、『退場』してもらうか……どちらかしか道はなくなるね」

 

   

 

 魔術契約。

 

 それは単なる書面上の約束とは一線を画す、絶対的な呪縛だ。

 リットンがそのことわりをもって領主の座に就いているのだとすれば、リットン家による支配は、血が絶えぬ限り未来永劫続くことを意味する。

 

 

 それでは、以前の地下生活と何ら変わりはない。頭上に太陽があるかないか、その程度の差でしかないのだ。


 

 リットンをこちらの陣営――――魔術師側に引き入れる。

 そうでなければ、私たちが切望する真の自由が訪れることはない。


 

 

「あの男は、魔術師どころか平民であれば人間とすら思っていません。貴族以外は石ころも同然。慈悲の心など欠片も持ち得ない彼が、改心する可能性など万に一つもありません」

 

「えー、よくわかんないけど……殺しちゃうのが一番手っ取り早いと思うけどなぁ。それかぁ、……精神干渉魔術で、中身を都合よく書き換えてみるとか?」

 


ミルヒオールの軽薄な提案を、ユーティオティアスが静かに、しかし断固として遮った。


 

「これがリットン家の家系図だ。分家を含めても、先の流行病で生き残っている者はそれほど多くはない」


 

 ヴェリアルが広げた家系図には、死を意味する斜線がいくつも引かれている。その余白の少なさが、リットン家の血の薄さと、彼らが執着する「正統性」の危うさを物語っていた。

 

「全員殺したところで、王宮が他家に自治権を委ねるだけ。ならば、私たちがリットン家そのものを掌握し、内側から支配する必要があるわ」

 

「さて、誰を据えようか……」


 

 ヴェリアルは楽しげに、手元のチェスの駒――真っ白なポーンを指先で弾いた。カラン、と乾いた音を立てて倒れた駒を見つめる彼の瞳には、既に誰を盤上に立たせるべきかの答えが見えているようだった。

 

 

「リットンを殺すのは待って。一度、確かめたいことがあるの」

 

「協力が必要かな、お姫様?」

 

「いいえ、私一人で充分。……少しだけ、彼と二人で話をさせて」


 

 震えそうになる指先を、ドレスの影で強く握りしめる。


 

 リチャード・リットンのあの冷酷な瞳、暴力的なまでの傲慢さ。それを思い出すだけで心臓が軋む。けれど、ヴィクトリアが見せたあの悲痛な視線を、なかったことにはできなかった。


 

「リットン卿、少しよろしいかしら」

 

「お前か……」


 

 翌日、私がリチャードの私室を訪れると、そこには見る影もない領主の姿があった。

 

 ひどい二日酔いなのだろう。


 着崩したシャツに、鳥の巣のようにぼさぼさの髪。


 彼は忌々しげに顔をしかめ、自身のこめかみを指先で強く押さえた。


 

「お話がありますの」

 

「こちらもある。この屋敷の管理体制……特に酒蔵の警備についてだ。あんなガバガバな鍵では——」

 

「ついてきて欲しい場所があります。今、すぐに」


 

 有無を言わせぬ私の声音に、リチャードは溜め息をつき、重い腰を上げた。

 

 連れていったのは、屋敷の屋上。朝日に照らされ、黄金色に輝くエルステラの街を一望できる特等席だ。

 

 けれど、私が指をさしたのは、その輝きの外側——最も開発から取り残された、影の差す区画だった。


 

「貴方はこの光景を見て……何を感じる?」


 

 視線の先にあるのは、配給も行き届かず腐敗した物資の山と、泥にまみれ、希望を失った瞳で蹲る領民たちの姿。

 

 遅々として進まない領地改革。助けを求める手が届く前に、指の間からこぼれ落ちていく命。

 

 この無力感を、もし、彼が少しでも共有してくれるのなら。ほんのわずかでも、彼の中に眠る「領主」としての矜持に火が灯るのなら……。



 

 淡い期待を胸に横顔を盗み見る。しかし。


 

 

「朝から気分の悪いものを見せるな……」


 

 リチャードは吐き捨てるように言い、腐敗臭を嫌うように鼻を覆った。


 

「なぜこんなゴミ溜めを見せるために私を連れ出した? この光景だと? 欠片も興味がないな。そんなことより、私の貴重な時間を空費させた損失をどう補填するつもりだ」


 

「……そう。よく分かったわ」


 

「おい!魔術……いや、シャーロット……!」


 

 冷え切った声が自分の口から出た。


 彼に背を向けた私の足取りに、もう、一筋の迷いも残っていない。

 背後で騒ぎ立てる彼を置き去りにし、自らの部屋に戻る。


 そうして数時間考えたあと――――――。


 出した結論から、私は城の奥まった一室へと向かった。そこには、怯えたように佇む一人の少女がいた。


 

「ヴィクトリア」

 

「……はい……シャーロット」



 カーテンの閉じ切った部屋。

 彼女の表情は、陰かかったように見えない。

 近づくに連れて鮮明になる彼女の美しいかんばせ。

 しかしその頬には、痛々しい傷があった。


 まるで豪華な指輪のついた手で平手打ちをしたかのような、そんな傷。

 

 

 私は静かに唇を動かし、古の言葉を紡ぐ。


 

「ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ」


 

 柔らかな光が彼女の手を包み込み、刻まれた傷跡を淡く消し去っていく。

 驚きに目を見開くヴィクトリア。


 

 彼女は、私の……いや、私たちの決断をどう受け止めるだろうか。

 

 平穏を奪い、戦火の中へと誘う私を、天災と罵るだろうか。

 

 どのような答えが返ってこようとも、彼女を激動の渦に巻き込んでしまう事実に変わりはない。

 

 せめて、この手の温もりが消える瞬間までは、彼女の幸せを願わずにはいられなかった。

 

 私は逃げ場をなくすように、震える声を絞り出す。


 

「貴女に、大事な話があるの」

 

 


 

 

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