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革命の灯火



 夜。

 

 

 『エルステラ』――――革命軍の本拠地、かつては名もなき荒野だった城は、今はただ静謐な闇に包まれていた。

 

 私は寝付けぬまま、磨き抜かれた大理石の廊下を歩いていた。規則的な足音だけが、高い天井に吸い込まれていく。ふと、前方の暗がりにわずかな気配を感じ、私は足を止めた。


 

「……アテロア嬢?」


 

 名を呼ぶと、窓から差し込む青白い月光に縁取られた人影が、びくりと肩を揺らした。

 

 ヴィクトリア・アテロア。政略結婚という名の人身御供としてこの地に送られてきた少女だ。昼間の光の下で見た時よりも、その姿はどこか儚げで、今にも夜の闇に溶けてしまいそうな危うさを孕んでいた。


 

「あ……も、申し訳ありません! 決して、何かを企んでいる訳では……っ!」


 

 彼女は弾かれたように振り返り、必死に弁解の言葉を紡いだ。その瞳には、恐怖と困惑が混ざり合っている。


 

「大丈夫。本当に企んでいる人は、企んでいるとは言いませんよ。どうなさいましたか? 屋敷が広すぎて、道に迷われたの?」

  

「いいえ、その……。えっと……」


 

 必死に視線を泳がせ、言葉を探す彼女を、私は静かに見守った。

 

 かつての自分がフラッシュバックする。追い詰められ、行き場を失っていたあの頃。そんな時、キキなら何も言わずにただ言葉が出てくるまでじっと待ってくれていた。


 

「……眠れなくて。少し、このお屋敷を見ておりました。お許しも得ず、勝手な真似をして…………申し訳ありません」

 

 

 彼女はうなだれ、震える指先で寝衣の裾を握りしめた。その姿は、この石造りの屋敷という籠に閉じ込められた、小さな小鳥のようだ。


 

「…………可愛い人ね。私の許可を取らずとも、この屋敷はいずれ貴女の所有物になるというのに」


 

 私はふっと自嘲気味に微笑み、彼女のそばへ歩み寄った。そして、冷たく強張った彼女の手を、温もりに満ちた掌で優しく包み込む。


 

「夜の空気は、考え込みすぎる頭を冷やすのに丁度いいわ。眠れないのなら、少し外の散歩に付き合ってくれないかしら?」

 

「散歩……ですか?……っ、是非、ご一緒させてください!」


 

 ヴィクトリアは驚いたように顔を上げた。その瞳には、私に対する得体の知れない恐怖の中に、小さな好奇心が混ざり始めていた。




 

 私はヴィクトリアを連れ出し、革命軍本部の重厚な門をくぐった。

 

 夜の街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。


 舗装された道はすぐに途切れ、足元は瓦礫や泥の混じる未整備の路地へと変わる。建物の隙間を切り裂くような冷たい風が吹き抜け、彼女は小さく肩をすくめた。


 

「ここは、まだ灯りも乏しいわ。復興はまだまだ追いついていないから…………」


 

 大通りに出ると、昼間は華やかだったはずの店舗も、今は夜の底に沈んでいる。そんな暗闇の中、道端に寄り添うようにしてうずくまる、小さな二つの影を見つけた。


 

「大丈夫?」


 

 声を掛けると、そこには汚れにまみれた服を着た、私と同じくらいの年齢の少女がいた。彼女の膝の上では、さらに幼い少年がぐったりと横たわっている。


 

「……弟が、熱が高くて。もう、呼びかけても返事をしてくれないんです……っ」


 

 少女は声を震わせ、涙で目を潤ませていた。私は膝をつき、少年の様子を伺う。呼吸は荒く、吐息は炎のように熱い。


 

「本当……ひどい熱ね」


 

 このままだと命に関わる――――。


 

 私は空間を指でなぞった。

 集中すると、指先から金色の魔力の脈動が空へと流れ込む。なぞった空間は淡い燐光を放ち始め、私の意思を『エルステラ』の拠点へと中継する通信媒体へと変質した。


 

「聞こえるかしら。私よ……3番通り、旧広場の北。至急、担架と冷却用の魔具、それから栄養剤を持ってきて。医術師を最低二名、こちらへ」


 

 空へ囁く私の姿を、少女は呆然と見つめていた。


 

「……助けてくれるの……?」


 

 彼女は縋るような瞳で私を見上げた。ボロボロになった袖をぎゅっと握りしめ、必死に弟の小さな身体を支えている。

 

「心配いらないわ。エルステラの医術師は、大陸で一番優秀よ。私が保証する」

 

「ありがとう……ありがとうございます……!」

 

「二人はどこから来たの?」

 

「共和国から……。母が……帝国に、いるのです……」

 

「二人きりで歩いてきたのね……それは、随分と果てしない道のりだったでしょう。よく、ここまで頑張ったわ。もう大丈夫よ」


 

 私は瓦礫の上に膝をつき、泥汚れのついた少年の額に、そっと手を添えた。

 

 わたしは最近、人間達から()()と呼ばれているそうだ。革命の為に空を割き、地を揺らすこの力。けれど今は、一人の子供を救うための()()として紡ぎたい。


 

「――ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ」

 

 

 私の唇から漏れた古い言葉が、空気に溶ける。

 

 直後、淡く透き通った真珠色のような光が、私の手から波紋となって広がった。光の粒が少年の毛穴から吸い込まれるように入り込み、彼の痩せた身体を優しく包み込んでいく。


 

「……っ、ああ……」


 

 少年の呼吸が、目に見えて穏やかになっていく。苦痛に歪んでいた眉間の皺が解け、深い眠りへと落ちていくのがわかった。


 

「今、身体の奥の炎症を抑えたわ。勿論医術師の方が治癒に関しては優れているから、必ず彼らに診てもらう必要はあるけれど……苦しみは少しは減るはず。…………そんな薄着では貴女まで風邪をひいてしまうわね。何か羽織るものを――」


「ラヴィアンジュ様! それなら、こちらを!」


 

 背後から弾んだ声が響いた。ずっと私の後ろで彼らを見つめていたエリザベスが、自分の肩から上質な、銀糸を織り込んだショールを外して差し出していた。

 

 

「いいの……? アテロア嬢」

 

「構いませんわ。服や布なんて、またいくらでも手に入ります。ですが、この子たちの命は代えが効きませんもの」


 

 エリザベスは屈託のない笑みを浮かべ、震える少女の肩を優しく抱いた。

 

 直後、夜空を切り裂くようにして、飛行魔術を用いた医術師たちが舞い降りた。


 

「シャーロット様、お待たせいたしました! 医療班、到着です!」

 

「よろしく頼むわね。この子たちのケアと、暖かい食事を。……貴女たちの行く道に、これからは幸せが訪れますように」


 

 担架に乗せられ、運ばれていく姉弟。少女は何度も振り返り、頭を下げていた。少年の頬には仄かな赤みが戻り、穏やかな寝息が静かな通りに響いていた。

 



 

 それを見届けてから、私たちは再び、月光に照らされた街を歩き出した。

 

 隣を歩くヴィクトリアは、先ほどの光景を胸に刻むように、何度も何度も私の横顔を盗み見ている。


 

「……ラヴィアンジュ様」


 

 彼女が、静寂を破るようにぽつりと口を開いた。


 

「いつも……こうやって、街を見て歩いているのですか? 貴女のような地位にある方が、自ら夜の街を?」


「まだまだ、この街では多くの人が苦しんでいるから。……私が知らないところで、誰かが冷たい地面の上で息を引き取っているかもしれない。そう思うと、私は一人で温かい布団の中で眠ってなんていられないのよ」

 

「……でも、あの子は『人間』でした。あなたの民……魔術師ではないのに、どうしてそこまでされるのですか? 人間は、魔術師をずっと虐げてきたはずなのに」


 

 ヴィクトリアの問いは、鋭く、そして純粋だった。


 

「そんなの関係ないわ。魔術師だろうと人間だろうと、私の視界に入った人全員を、私は助けたい。……ふふ、これは、ある大切な人の受け売りなのだけれどね」

 

 キキの穏やかな顔が脳裏に浮かぶ。私は微かな微笑みを浮かべた。しかし、ヴィクトリアはさらに踏み込んだ、核心を突く問いを投げかけた。


 

「……貴女はこの土地を、この世界を、どうされるおつもりなのですか?」


 

 その声はわずかに震えていた。

 

 それは単なる政治的な疑問ではない。政略結婚という逃れられぬ鎖に繋がれ、道具として消費される運命にある彼女自身の「明日」が、私の作る世界に存在するのかどうかを、必死に問うているようだった。


 

「一言で伝えるのは難しいけれど……」


 

 私は足を止め、彼女の隣に並んで、闇の向こうに広がる街並みを見つめた。

 

 路地のあちこちで、ぱらぱらと小さな、けれど温かなオレンジ色の明かりが灯りがともっている。それはまるで泥の中に咲く睡蓮のような、か細くも確かな希望の光に見えた。


 

「魔術師は、人間と何が違うと思う?同じように喜び、同じように悲しみを感じ、愛する人を想って涙を流す。そんな同じ生き物が、どうして忌み嫌われ、隠れて生きなければならないのか。…………私には、もう帰るべき家族がいないわ。血の繋がった者は、誰もいない」

 

 

 私は静かに、けれど強く、彼女の目を見つめた。


 

「だから、ここにいる皆を本当の家族だと思っているの。家族が、ただ笑って暮らせる世界を作りたい。明日の朝、目が覚めることを怖れなくていい世界。……それだけなのよ」

 

「私……っ、私は……」


 

 ヴィクトリアの瞳に、大きな涙の粒が溜まり、こぼれ落ちた。それは恐怖からではなく、魂の震えから来る涙だった。


 

「私も、今はまだ何もできないけれど……誰かを助けたい!……良かったです。この街を治める人が、貴女のような素敵な女性で。……ありがとう、ラヴィアンジュ様」

 

「私も、この街を守る仲間にヴィクトリア……アテロア嬢が加わってくれて、本当に心強く思っていますよ」


 

 私が彼女の名を呼ぶと、彼女は顔を赤らめ、意を決したように唇を噛んだ。


 

「よ、よければ……ヴィクトリアと呼んでくださらない? お友達になれると……嬉しい……。も、勿論、私のような者がおこがましいのは承知しておりますけれど……っ!」


 

 私はその様子がおかしくて、思わず声を上げて笑ってしまった。


 

「勿論、ヴィクトリア。……なら私の事もシャーロットと呼んでくれなきゃ、嫌よ」

 

「ええ……シャーロット……!」


 

 初めて名前を呼び捨てにされたその瞬間、冷たかったはずの夜風が、私たちの間を祝福するように、穏やかに吹き抜けた。

 

 月光の下、二人の少女の影は、一つに重なり合うように伸びていた。それは、新しい時代の始まりを予感させる、静かで力強い一歩だった。



 

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