カリソメの独立
特区の結界破砕と、帝国師団の壊滅。
その衝撃的な知らせは瞬く間に大陸全土を駆け巡り、仮初の平穏を貪っていた諸国に激震を走らせた。
事態を重く見た帝国、共和国、そして大陸に点在する小国連合は、かつてない危機感のもと、歴史上類を見ない速度で「緊急最高会議」を招集した。
「もはや、あれは『個』の反乱ではないのではないか。空を制する軍隊だ……!」
円卓の端、共和国の大統領が苦々しく口を開いた。卓上の資料には、消し炭となった師団の無残な空撮写真が並んでいる。
「あんな空飛ぶ予測不能な脅威を野放しにすれば、我々の国境線など紙切れも同然だ。……いかにして奴らを地上へ繋ぎ止め、飼い慣らすか。それが、文明社会が生き残る唯一の道だ」
「……殺し尽くすには、少々膨れ上がりすぎたか」
帝国の老練な宰相が、深い皺を刻んだ顔で冷酷に付け加える。その瞳には、かつて「道具」として扱ってきた魔術師への、隠しきれない嫌悪と恐怖が混じっていた。
「ならば、慈悲をくれてやろうではないか。……誰も欲しがらぬ、あの石ころだらけの荒野をな」
怒号と陰謀が渦巻く長き審議の末、老獪な政治家たちは、慈悲を装った一つの狡猾な罠を打ち出した。
それは、帝国と共和国の国境線上に位置し、数百年にわたる泥沼の紛争によって草木一本生えぬ不毛の地となった係争地――「黄昏の断崖」と呼ばれているそこを、魔術師たちの自治領として明け渡すという提案だった。
「あそこなら、面積だけは無駄に広い。魔術師どもには『聖域』の開拓と飢えを凌ぐことに全霊を注がせ、我々に牙を向く余裕など奪ってやるのだ」
だが、ただ土地を与えるだけでは不十分だ。彼らはさらに、その心臓部に「管理」という名の毒を流し込むことを決めた。
「自治を認めると同時に、帝国と共和国からそれぞれ貴族を一人ずつ、領主として送り込む。名目は、未熟な彼らの政治を助けるための顧問……実態は、彼らの喉元を常に締め上げるための『飼い主』だ。これで実質的な支配は盤石となる」
「名案ですな。同時に、我々両国が『治安維持』を大義名分として軍を周囲に駐留させる。……飛ぼうとすれば、四方から撃ち落とせる距離にな」
列強諸国が導き出した答え。
それは魔術師たちに自由を与えたふりをして、国家という枠組みの中に閉じ込め、常に四方から銃口を向け、内側からは貴族の鎖で縛り続ける――――特区と形を変えただけの、巨大な牢獄だった。
「……ただ、少々、これは邪魔ですな」
共和国の大統領が、ある一枚の報告書を指先で叩いた。そこには、戦場の中央で異彩を放つ一人の少女の姿が記されている。
「『これ』とは?」
「ラヴィアンジュの少女です。魔術師たちの象徴らしいが……。なんとかあれが退場してくれると、奴らの勢いも削げると言うものの」
帝国の宰相は、薄汚い笑みを浮かべ、ワイングラスの赤い液体を揺らした。
「試してみましょうか。毒には毒を。……『聖域』には、生贄が必要ですから」
かつて「黄昏の断崖」と呼ばれた不毛の地。
そこには今、光の国として連日連夜、絶えることのない魔術の光が明滅している。
土を捏ね、岩を削り、空間を編む――。魔術師たちの総力を挙げた突貫工事により、わずか半年で、荒野には整然とした石造りの街並みが、その骨格を露わにしつつあった。
「ロティ!」
喧騒の中、懐かしい声に呼び止められて振り返る。そこにいたのは、半年で見違えるほど精悍な顔つきになった少年、ミルヒオールだった。
「ミルヒ! お勉強はどう? 順調かしら」
「……アカデミー、卒業したぁ」
「えっ?」
ぶいっとピースサインを見せつけるミルヒオール。
私は思わず耳を疑った。
アカデミー。特区にいたころから、次世代を担う魔術師の育成のために設立されたその学び舎は、どれほど優秀な者でも平均で二、三年は在籍する計算で作られている。
「だって、まだ半年しか経ってないじゃない」
「ロティがあまりに俺のことを弱い者扱いするからぁ、悔しくて。寝る間も惜しんで術式を詰め込んだんだぁ。……だからこれからは、俺も仲間ハズレにしないでね」
照れ隠しに鼻をこする彼を、傍らにいたユーティオティアスが、細められた碧眼で見つめる。
「驚いた……。確かに、荒削りながら魔力が完全に制御されている」
「へへん。……ところで、ロティとユーティオティアス様は何してんのぉ? やけに綺麗な格好だけど」
ユーティオティアスは皮肉げに唇を歪めると、視線を街の入り口へと向けた。そこには、復興途中の泥臭い荒野には不釣り合いなほど、過剰な装飾を施された帝国の馬車が居座っている。
「……ヴェリアル様が不在のタイミングを正確に突いてくるとは。臆病な割に鼻は利くようだ。ミルヒオール、君も私の後ろに控えなさい。――来ましたよ」
「うわ、凄い金だけ掛かってそうな服。だぁれ、あれ」
「リチャード・リットン伯爵令息……いや、今は辺境伯ですね。中央の権力争いに敗れた、いわば『お払い箱』のぼんくら貴族ですよ」
「帝国も共和国も……どういうつもりかしら。そんな人を送り込んでくるなんて。もう少し、頭の回る相手が来ると踏んでいたのだけれど」
「魔術師達の巣窟になど、死を恐れぬ狂人か、地位に目が眩んだ小物のどちらかしか来ませんよ」
「ふーん、じゃあ僕は何かあったらアイツを殺せばいいのねぇ?」
「バカ犬。合図を待ちなさい。……今はまだ」
砂塵を巻き上げ、銀めっきの甲冑に身を包んだ護衛を引き連れた男が、作戦本部として使っている完成直近の屋敷の門を、土足で踏み荒らすようにくぐってきた。
「初めまして、魔術師殿」
男――リットン卿は、磨き上げられた靴についた砂を不快そうに払う仕草をしながら、私の顔を値踏みするような目で見つめた。
「ご機嫌よう、辺境伯様。……本日こちらにいらっしゃるというお話は、公式な書状では届いておりませんでしたけれど」
「おかしなことを。ここは私に与えられた領地なのだ。主がいつ自らの庭を歩こうと、君のような平民……失礼、魔術師風情には関係のないことだろう」
嘲笑を隠そうともしないその態度に、周囲の空気は一変した。
作業に当たっていた魔術師たち、そして何より後ろに控えるミルヒオールの放つ殺気が、氷点下の密度でリットン卿の周囲を包囲する。
「卿。……一つ、忠告しておきますわ」
私は一歩踏み出し、静かに、けれど逃げ場のない魔圧を込めて彼を射抜いた。
「今この土地にいる者の殆どが、指先一つで貴方をこの世の塵に変えてしまえる魔術師ですの。『魔術師殿』という呼び方では、一体誰を指しているのか、こちらには判別がつきかねますわ。……当然、貴方の身の安全を保証できる者もここにはおりません」
一瞬、リットン卿の顔が引きつり、喉を鳴らした。私は冷徹な微笑を浮かべ、ユーティオティアス仕込みの貴族仕草で優雅に一礼する。
「御挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。わたくしはシャーロット・ラヴィアンジュ。以後、お見知り置きを」
「……ふん、リチャード・リットンだ。これは婚約者のヴィクトリア」
「ヴィクトリア・アテロアにございます……」
リットン卿の後ろに控えて立っていたのは、紫色の髪をはためかせた、深い憂いを湛えた瞳の美女だった。彼女だけは俯きながら、周囲の魔術師たちの怒りに怯えるように肩を震わせている。
「ヴィクトリアに領土を案内して回ろうと思ってな。こな屋敷に彼女の部屋の準備は出来ているか? ――まさか、このような無骨な石の造りではないだろうな」
「残念ながらこの革命軍本部は華美さよりも、機能性を重視して作っていますので……辺境伯のお眼鏡には叶わないかと」
「ああ……君は確か帝国の貴族だったな」
「……ユーティオティアス・ソフリファスと申します」
「ソフリファス侯爵の……!可哀想に、魔術師として生まれたばっかりにこんなところで泥に塗れて生活しているとはなぁ」
男の無神経な言葉が、現場の空気をさらに凍らせる。
「まあいい。あと一月で結婚式だ。そうなれば、ここは正式に私の城になる。今のうちに内装の不備を指摘しておくから、早急に修繕したまえ」
不満げに鼻を鳴らし、勝手知ったる体で本部へと踏み込んでいく彼を見送りながら、私は深く重い溜息をついた。
(今がどれほど資源を削り、命を掛けて街を作っている時期か……この男には、想像もつかないのね)
「恐れながらリットン卿。今後もエルステラに常駐されるおつもりで?」
「当然だ。犯罪者共に政治など出来まい。私の高貴な助言がなければ、この領地はすぐに泥に還るだろうからな」
「せっかくの御来訪ですもの。……ええ、精一杯の『もてなし』を準備させますわ」
「……ロティ、良い?」
隣でミルヒオールの指先から、パチバチと火花のような魔力が漏れ出す。
「……駄目。まだ早いわ」
結局、私たちは建設の手を止めてまで、この救いようのない厄介者の相手を強いられることになった。
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