嗚呼、これが太陽
特区の中央広場。
かつて、あの事故の日。
無惨な殺戮に成り果てたその場所を、今は数多の魔術師たちが静まり返って取り囲んでいる。
皆一様に、遥か頭上の漆黒の天井を見つめていた。
厚い岩盤に遮られた常冬の牢獄。そこへ響くのはローブを纏った者たちが各々に捧げる、女神への誓いの呪文。
ある者は、古びた聖書に震える唇で口付けを贈り。
ある者は、復讐と希望を研ぎ澄ませた剣を天井へと掲げ。
またある者は、緻密な計算式を淡い光で描き出しながら。
すべての熱狂が、祈りが、私の合図を待っている。
「シャーロット。頼みましたよ」
ヴェリアルの横に控えたユーティオティアスは、射抜くような視線でまっすぐに私を見つめていた。
託された運命の重みが静かに、けれど痛いほどその視線には宿っている。
――――――ついにその瞬間は訪れた。
「ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ……ル・ヴェルディ・ラヴィアンジュ……! 女神ルウェル様、魔術師たちの祈りを、どうかお聞き届け下さい」
私の震える声が広場に落とされた瞬間、数千の同胞たちの唱和が、地鳴りのような轟音となって爆発する。
「――ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ!」
幾千もの青白い魔術光線が、束ねられた槍となって天井を貫く。
そしてその直後、空間そのものを噛み砕くような衝撃音と共に、閉ざされたこの牢獄を強烈な白光が塗りつぶした。
かつてキキを失った日に見た、あの恐怖を覚えるほどまの眩しさ。けれど不思議と、今はそれがこの世の何よりも美しく、慈愛に満ちたものに感じられた。
崩落する天井の向こう側から本物の陽光が、祝福の雨のように降り注ぐ。
呆然と空を仰いだ私の視界の端で、ベルの頬を一筋の光が伝ったように見えた。
ヴェリアル・クレミア・ルーファス。
彼は稀代の反逆者、あるいは救世主と呼ばれるであろう。
結局、ヴェリアルの本質など誰にも理解は出来ない。決して優しいだけの男ではないのだ。
それでも一つだけ確かなのは、彼はいつだって誰よりも早く、たった一人で、私たちの行く先を塞ぐ絶望を切り拓こうとしてきたということ。
「シャーロット! ……陽の光の感想は?」
天地を揺るがす轟音と共に、私たちの空だった忌まわしい天井は、強固な結界ごと粉々に破砕される。
あまりにも美しく、あまりにも凶暴な世界の夜明け。
砕け散った岩盤の破片が陽光を反射し、宝石の雨となって降り注ぐ様に見惚れていた私を、ベルの鋭い声が現実へと繋ぎ止めた。
私は震える指先を天にかざす。
青白い肌が、生まれて初めて触れる黄金色の粒子に、じわりと熱を帯びていく。
「……知らなかった。世界って、こんなに祝福に満ちていたのね」
私の呟きを拾ったベルは、眩しさに目を伏せることもなく、天からまっさかさまに降り注ぐ光を、正面から睨みつけるように仰いだ。
「祝福などではないよ、シャーロット。これは僕たちが奪い取った勝利だ。……空も、光も、これからは僕たちの意志で、望むままに塗り替えていけばいい」
彼はどこか遠くを見つめるような、乾いた笑みをこぼした。そして、そのまま砂埃の舞い上がる瓦礫の上を指差す。
「感傷に浸るのは後だ。気配が追えるだろう? 宮廷魔術師たちと帝国騎士団が、もうそこまで来ている」
「……凄まじい数ね。彼らの存在自体で空が塗り潰されていくみたい……」
「魔術師たちの方が早く到着する。手筈通り、まずは彼らに最初の挨拶を交わそう。そしてそれが終わり次第――我々はこの忌々しい地獄から、永遠に旅立つ」
ベルは私の隣に歩み寄り、確かな期待の熱を込めて告げた。
「――シャーロット、君の言葉で彼らを説得してごらん。君が今その瞳に焼き付けた祝福を、心のままに伝えるんだ」
「……もし、私の言葉が届かなかったら?」
私の震える問いに、ヴェリアルはどこか清々しいまでの微笑を湛えて答えた。
「その時は騎士団共々、一人残らず塵に還そう。我々の歩む道を阻むというのなら……たとえそれが神であろうと、例外なく踏み潰すしかない」
取り戻したばかりの太陽の光が砕け散った結界の破片に反射し、広場全体を眩いまでの白銀の世界に塗り替えていた。そしてその輝きを切り裂くようにして、空の向こうから黒い影が急降下してくる。
帝国軍の軍服を死装束のように翻した魔術師たち。
彼らの瞳に宿っているのは、骨の髄まで染み付いた恐怖という名の呪縛だった。
「何故、天井を破った……! 魔術師が皆殺しにされてしまうかもしれない……そんな事もわからないのか……!」
「地下で息を潜めて、死んだように幸せに暮らしてくれていればそれでよかったのよ……!」
「同じ魔術師同士で、どうして平穏を掻き乱す! これではまた我々の地位が下がる……! 騎士団に今度はどんな目に遭わされるか……!」
悲痛な叫びが、冷たい風となって広場を吹き抜ける。
それは、長い年月をかけて魂に刻み込まれた家畜としての安寧を守ろうとする、あまりにも惨めな拒絶だった。
私は一歩、また一歩と、突き刺さるような非難の刃の中を踏み出した。
特区の魔術師たちは祈るような沈黙を保ちながら、神が海を割るように私の道を開けていく。
その中央を歩む私の影だけが、瓦礫の山の上に長く、鋭く伸びていた。
崩落した天井の真下。巻き上がる砂埃の向こう側に、私は空を駆けてきた魔術師たちと、手を伸ばせば指先が触れそうな距離で対峙した。
「その、髪……。まさか、ラヴィアンジュの……」
「アルカ様と同じだ……。なんて、綺麗な……」
ざわり、と空気が波打つ。
今しがた限界まで魔力を練り上げたばかりの私の髪は、あの日、無力にも大聖堂の炎を消そうと魔力を振り絞った時と同じ――黄金色の光を放っていた。
私は眩しさに目を細める彼らを見上げ、静かに微笑んだ。
「初めまして、同胞の皆様。私はシャーロット・ラヴィアンジュ。私の父も母も魔術師です。私は生まれた瞬間から、この冷たい特区の闇の中にいます。……ほんの少し声を上げただけで太陽を奪われ、命令に従い続けたとしても差別から逃れることが出来ない……そんな、命が命として扱われない終わりのない呪縛を、終わらせるために。私はあなたたちと話がしたい」
さっきまで騒がしかった空間が不自然な程静まり返る。
「力を貸して欲しいの。魔術師だけの国をつくる。魔術師が、誰の顔色を伺うこともなく、自由に胸を張って、笑顔で明日を待てる場所を」
「……そんな夢物語、叶うはずがない……っ!」
一人の魔術師が、震える拳を握りしめ、吐き捨てるように叫んだ。彼の瞳には、絶望に慣れすぎてしまったがゆえの、変化への底知れぬ恐怖が張り付いている。
「どうして?」
私の問いは純粋なほどに鋭く、逃げ場のない矢となって彼らの胸を射抜いた。
「どうして、だと……? 反抗すれば、人間たちに袋叩きにされる! 数に、暴力に、法に……!押し切られ、惨めに殺されるのがオチだ!」
「どうして、そう決めつけているの?」
「……え?」
「考えてみて。彼らは私たちのように空を飛べなければ、病を癒やす術も知らない。指先から炎を灯すことも、孤独な夜に氷の星を降らせることさえできないわ」
空中の魔術師たちは虚を突かれたように言葉を失う。
私はゆっくりと、陽光を透かす自分の掌を掲げた。そこには目に見えぬ魔力の渦が、命の拍動と共に脈打っている。
「……女神ルウェル様に愛され、掌に世界の真理を宿す事を許された私たちが、永遠に膝を折らなければならない理由なんて……どこにあるのかしら」
その言葉は、冷たい氷水を浴びせるような、それでいて熱烈な抱擁のような響きを持って彼らの鼓膜を震わせた。
数百年かけて帝国が塗り固めてきた「魔術師は卑しき道具である」という刷り込みが、黄金の光に当てられて、音を立てて剥落していく。
空に浮かぶ魔術師たちの瞳から、濁った諦めが消え、代わりに宿ったのは、自らも知らなかった激しい動揺と、生まれて初めて自覚する己の強さへの驚愕だった。
その言葉は、彼らの洗脳を根底から引き剥がすのに、十分だった。
――――同時刻、帝国。
「陛下……!特区の結界が、やはり内側から完全に消失しており……中の魔術師並びに人間たちが、地上に降り立ってしまったとのこと……!」
「ええい、首謀者は誰かわかったのか!」
玉座に鎮座する皇帝の怒声が、静まり返った広間に無慈悲な重圧となって響く。報告に駆けつけた伝令兵は、その威圧感に膝を震わせながら、掠れた声を絞り出した。
「ラヴィアンジュの生き残りとされる少女、そして……その隣に、ヴェリアル殿下が……!」
「……ヴェリアルだと。あの出来損ないの、呪われた末子が……」
皇帝の眉間に深い溝が刻まれる。その刹那、さらに別の急使が、扉を蹴破るような勢いで転がり込んできた。
「お伝えします……っ! 急報にございます!」
「何事だ、騒々しい!」
「特区の上空に展開していた宮廷魔術師共が、次々と寝返りました! 奴ら、あろうことか帝国の軍服を脱ぎ捨て、あの少女に跪いて……! そして、特区制圧に差し向けた第三、第四師団が……その……」
「何だ、はっきり言え!」
皇帝が玉座の肘掛けを叩き割らんばかりの力で握りしめる。伝令兵は絶望に顔を歪め、呻くように最悪の報告を口にした。
「――壊滅した、と……。生存者の報告によれば、我々の知る魔術のレベルを遥かに凌駕しているとの事…………」
謁見の間を、凍りつくような沈黙が支配した。
数千の精鋭。帝国の誇る「盾」と「剣」が、奴隷に等しい魔術師の指先一つで消し飛ばされたという現実。
「……馬鹿な。あり得ん。奴ら、帝国に弓を引こうというのか」
皇帝の呟きに応えるかのように、窓の外、晴天のはずの空から一筋の雷鳴が轟いた。
それは、地下に閉じ込められていた魔術師たちの解放の産声のようであった。




