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女神への祈り、あるいは天災のはじまり


 鬨の声が遠くで轟き、本来は静寂しか存在しないはずの大聖堂の地下深くを、不気味な地鳴りのように震わせている。

 

 わたしはキキが永遠の眠りにつく棺の上で、その冷たい大理石の感触に身を寄せるように伏せっていた。

 

 慣れ親しんだ豪奢なドレスを脱ぎ捨て、初めて袖を通した軍服は、驚くほど軽くて冷たかった。生地が肌に触れるたび、自分がもはや守られるだけの存在ではないことを突きつけられる。

 

 この服を手渡してくれた時、ユーティオティアスはどんな顔をしていたっけ。

 あの強張った、けれど覚悟を決めたような瞳。絶望の中で立ち止まり、ただ泣きじゃくっていたあの日から、随分と遠い場所まで歩いてきてしまった。


 

(ついに始まるよ、キキ。見ていて)


 

 目を閉じれば、キキの最期の顔が今も鮮明に、呪いのようにフラッシュバックした。


 

「シャーロット」 

 

 

 ギィ、と古びた蝶番が悲鳴を上げ、重たい石の扉が開けられた。背後から響くのは、聞き慣れた、けれど底知れない深淵を感じさせる彼の声だ。


 ここへ足を踏み入れるのは、私かヴェリアルだけだった。


 軍の仲間たちは皆、私に過剰なまでの配慮をしているらしい。私がこの暗がりに潜ると、聖域を侵すのを恐れるように、誰も呼びに来ることができないのだという。

 

 結局いつも、困り果てた仲間たちが彼に泣きつき、ヴェリアルが私を地上へと連れ戻しに来るのが常だった。




「上はもう準備が終わっている。あまりに長くここにいるものだから、皆心配しているよ」

 

「ごめんなさい。……ぼうっとしていたら、少しだけ昔を思い出してしまったの。……皆に余計な気を遣わせてしまったわね」

 

「気にする事はないよ。……心の準備はできた?」

 

「うん……いよいよね」

 

 ゆっくりと立ち上がり、彼の方を振り返る。

 

 ベルの瞳に映る私の顔には、もはや庇護を待つだけの幼さはなかった。さっきまでの頬を伝う涙は、すでに乾いている。

 

 この革命の心臓であり、氷のように冷静な(ひと)


 ヴェリアルはそんな私の変化を、値踏みするようにただ真っ直ぐに見つめている。

 

 

「革命は、成功するわね」

 

 

 確信を込めた私の問いかけに、ベルは僅かに眉を動かし、不敵な笑みを浮かべた。


 

「成功するよ。僕がそう決めた。どんなに運命が悪い方向へ転ぼうと、最後には僕らが勝つ。……分かっている割には、暗い顔をしている」


 

彼に隠し事は出来ない。

いつだって彼に嘘は通用しないのだ。

 

 

(キキ)のことなら心配いらない。氷の使い手を複数人で守護に付けてあるから、この世のどこよりも安全だ」

 

「ありがとう。」

 

「……まだ顔が晴れない。なら、ミルヒオールのことかな。彼を前線には出さないよ。君のいう通り、彼がいなくたって革命は成功する。君がああまで言うのなら、願い通りに――――」



 彼の口から歌うように紡がれる、淀みなく紡がれる最適解。

 しかし他の人には感じない程の、小さな、けれど決定的な綻びを感じてしまう。

それはまるで、自らを燃料にして燃え上がる、最期の灯火を見ているようだった。


 

「ベルは、大丈夫なの?」

 

「僕?」


 

まさか自分が心配されているなんて。彼は心底驚いたように目を見開いた。


 

「君に心配されるほど、僕は頼りなかったかな?」


 

 冗談を笑うかのように、くすくすと肩を揺らして微笑む完璧な青年。

 

 あまりにも、彼が笑うと美しいから。

 あまりにも、彼の語る理想が真実味を帯びて聞こえてしまうから。

 

 皆、彼の内側に巣食う空洞に気づくことさえできず、ただ彼を盲信してついていってしまうのだ。

 

 

「頼りなくなんてないわ。あなたは強い……だから皆はあなたを信じて進める。けれど、あなたが弱音を吐いたり、誰かに寄りかかったりするところを、私は一度も見たことがないから……。このままじゃ、誰もベルの悩みに寄り添えないんじゃないかって、それが怖い……かしら」


 

 ベルは一瞬だけ、真っ白な仮面が剥がれ落ちたような顔で虚を突かれた。それから、噛み締めるように自嘲気味な笑みを浮かべた。


 

「弱音か。生まれてこの方、吐いたことはないよ。それが許される立場にいなかったし、何より、吐いたところでこの醜い世界が少しでも美しく変わるわけでもないからね」

 

「……じゃあ、今だけは特別。女神の末裔である私が、あなたの独り言を全部聞いてあげる」


「ふ、言うようになった」


 

 精一杯の強がりを混ぜた私の言葉に、ベルはふっと憑き物が落ちたように表情を緩めた。その瞳には、一瞬だけ年相応の少年の面影が宿った気がした。

 

 彼は視線を棺の向こう、厚い岩盤の先にあるはずの空へと投げた。


 

「僕は、世界を良くしたい。魔術師が陽の光の下で胸を張って呼吸できる世界を、アルカの願いを、叶えてあげたい。けれど……その道はあまりにも長く、果てしない、孤独の道なのだと、歩み始めてからようやく気がついたよ」


 

 その声には微笑みの仮面の裏に隠された、一人の17歳の青年としての彼の姿が滲んでいた。

 

 私は迷わず、彼の大きな手に触れ、そのまま引き寄せるように彼を抱きしめた。冷たいはずの軍服越しに、トク、トクと、彼の確かな鼓動が伝わってくる。

 

 ただ純粋に、彼を繋ぎ止めておきたいと思った。

 

 魔術師数千の命を背負って、前を向くことしか許されない彼の微笑みが、あまりにも儚く、いまにも消えてしまいそうに見えたから。


 

「あなたが歩むのは、あまりにも重い責任が伴う道。あなたの判断一つで、大勢の運命が決まってしまう」

 

「そうだね。だから、足を止めるわけにはいかない」

 

「でも……!でもね、ベル。決して一人で歩いているわけじゃない。ティティだって、いつもあなたのことばかり案じている。革命軍の皆だって、生きる意味を与えてくれたあなたに、心から感謝しているのよ」

 

「……はは、買い被りだよ」

 

「それに、私も。あなたを絶対に一人にはさせない。もし道の途中であなたが迷うなら、私が隣で、何度でもあなたの名前を呼ぶわ」

 


 ヴェリアルは一瞬だけ目を見開き、そしてゆっくりと彼の瞳は動きを止めた。


 私の顔の輪郭、髪の一本一本までを記憶に刻みつけようとするかのように、その視線は執拗で、酷く濃密に感じた。

 

 やがて、彼は磁石に吸い寄せられるように、私の手に触れていた自分の手に力を込める。指先が白くなるほどの強さで、けれど壊れ物を扱うような慎重さで、私の掌を己の額へと押し当てた。

 

 それはまるで、声なき信奉の儀式のようだった。


 

「シャーロット。……君は、僕の……」

 


 続く声は、風に溶けるほど小さくて聞き取れなかった。


 彼は何かを断ち切るように息を吐き、もう一度、静かに私を見つめた。


 

「……始めようか。上で、僕達の魔術師(仲間)達が待っている」

 

「ええ、行きましょう。太陽を、取り戻しに……!」


 

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