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聖域の化け物たち




 ミルヒオールを仲間たちに紹介すべく、私は彼を連れて大聖堂の中を歩くことに決めた。

 

 かつてここが神への祈りと静寂に包まれていた場所だったとは、今や誰も信じないだろう。

 ステンドグラスから差し込む七色の光は、磨き上げられた魔導具の金属光沢を反射し、回廊には祈りの言葉ではなく、革命を誓う者たちの足音と熱気が満ちている。

 

 ここは、()()()()()の心臓部なのだ。


 

「ロティ!」


 

 高く、弾けるような声が石造りの回廊に反響した。

 駆け寄ってきたのは、数日前までスラムの片隅で泥にまみれていた少年、サルタスだ。

 彼の頬には赤みが差し、以前のような死を待つ者の陰りはない。

 

 

「こんにちは、サルタス。エイミーの調子はどう?」

 

「妹の体調、すっかり治りました! ……でも、本当にいいんですか? エイミーも此処にいて。あいつ、魔術なんて使えない……ただの人間なのに」

 

 

 不安げに瞳を揺らす彼に、私は精一杯の微笑みを向けた。


 

「駄目な訳がないでしょう。ここは『光の国(エルステラ)』になる場所よ。ね、エイミーが起きたら挨拶させてね。……元気になった姿を見せてくれたら、それが一番

嬉しいわ」

 

「っ、はい! ありがとうございます……!」


 

 深々と頭を下げて去っていく彼の背中を見送りながら、私は小さく息をつく。ここには種族の壁なんて、最初から作らせない。たとえ世界がそれを「異常」と呼んでも。

 

 

「ロティ、口開けて。あーん」

 

 

 唐突に、目の前に黒い塊が差し出された。

甘ったるい香りと、鼻腔を突くツンとした薬品の臭い。

 

 

「……何これ」

 

「新作。魔力増強剤『プロトタイプ・セブン』。



 差し出したのは、研究部班長のフィギーだ。寝不足を隠そうともしない隈だらけの顔に、不敵な笑みを浮かべている。私は怪しみながらも、彼の手に乗ったその塊を口に含んだ。

 濃厚なカカオの甘みが広がった直後、舌を焼くような魔力の奔流が喉を突き抜ける。

 

 

「……っげほ! ただのチョコレートボンボンかと思ったじゃない。刺激が強すぎるわよ」

 

「あはは! フィギー、また失敗してらあ!」


 

 横から茶化したのは、すっかりこの場に馴染んだ1番街の孤児、ルリだ。

 彼女は回廊の手すりに座り、器用にリンゴを齧っている。

 ルリの笑い声をいなしながら、フィギーはふと目を丸くして、私の隣で眉をひそめているミルヒオールを凝視した。

 

 

「……ちょっと、誰この子? 魔力量がやばすぎるんだけど……近くにいるだけで魔力酔いしそう」

 

「ミルヒオール。みんなの新しい仲間よ」


「へー、凄いや。よろしく、オレはフィギー。変な薬作るのが仕事な。実験台、興味ある?」

 

「……ミルヒオール。興味ないねえ。あんた、薬より先に寝た方がいいよぉ、顔が死んでる」


 

 ミルヒオールが気だるげに視線を逸らした時、背後から書類の山を抱えたユーティオティアスが現れた。

 眼鏡の奥の瞳は、相変わらず事務的な冷徹さを湛え、一分の隙もない。

 

 

 

「ああ、いい所に。シャーロット、第3通りの徴収案件についてですが、一部の商人が難色を示しておりまして……」

 

「ティティ、仕事の話の前にちょっといい?」


 

 私は彼の言葉を遮り、ミルヒオールの背を軽く叩いた。


 

「この子、ミルヒオール。魔術師の卵なんだけど、とんでもない天才よ。無詠唱、しかも計算式なしで転移術を使いこなすの。誰の下に付けたら一番伸びるかしら?」

 

「は? ……有り得ません。術式という定義も無しに空間を跳ぶなど、物理法則への冒涜です」

 

「なに、疑うわけぇ?オニーサン、頭固いねぇ」


 

 生意気な口を叩く少年を、ティティは値踏みするようにまじまじと観察した。やがて、その膨大な魔力量の質を察したのか、深くて重い溜息をつく。


 

「……もし、それが事実で、彼が式の理論を理解したとしたら。……『化け物』になるでしょうね。我々の手には負えなくなる」

 

「あんたもそうやって、俺を否定するんだね。結局、みんな一緒だ。最初はチヤホヤするのに、力が過ぎれば次は恐怖か」



 少年の声は鋭く、凍てつくようだった。

 

 一触即発の空気。ミルヒオールの指先に微かな魔力が集い、周囲の空間が微細に震え、歪み始める。拒絶される前に相手を威圧しようとする、野良犬のような防衛本能。

 

 けれど、私はそれが、たまらなくおかしくて、愛おしかった。

 

「……っふ、あは、あはは!」


 

 静寂を切り裂いて声を上げて笑った私を、ミルヒオールは毒気を抜かれたような、呆然とした顔で見つめた。


 

「何笑ってんのぉ、ロティ。空気読みなよ。今、俺、こいつを飛ばしてやろうかと思ってたのに」


「いや、ごめん……っ。だってティティ、あなたこの前、金の取り立てで『徴収の悪魔』って恐れられていたじゃない。フィギーは街の噂じゃ『マッドサイエンティスト』。……ねえ、私は? 私にも何か怖くて強そうな名前をつけてほしいわ」

 

「笑い事ではありませんよ。今後、革命が終わって独立した際、その物騒なイメージが統治の足枷になるんですから」

 

「無理よ。ティティはそのしかめっ面が治らない限り、一生悪魔のままね」


 

 私は周囲を見渡した。かつてはママと二人きりだった。けれど今、私の周りには奇妙で、歪で、愛すべき仲間たちが溢れている。


 

「ミルヒ、大丈夫。ここには仲間がたくさんいるわ。人間から見れば、私たちは皆『化け物』かもしれないけれど……ここではそれが普通なのよ」

 


「……あんた、なんで非魔術師まで此処で囲ってんのぉ」

 

 

 ふと、ミルヒオールが冷めた声で問いかけてきた。

 

 その赤い瞳の奥には、弱者を切り捨ててきたスラムでの常識と、この場所への拭いきれない不信感が混ざり合っている。

 

 

「ミルヒ。その呼び方は控えなさい。彼らは()()よ。彼らだって、太陽の下を取り戻そうとしている時点で、私たちの仲間なんだから」


 

 私は彼の目線に合わせて、ふわりと膝を折って腰を落とした。

 少年の瞳が、私の顔を真っ直ぐに射抜く。

 


「ここで生きる方法を教えましょうか?」


「……ドーゾ。どうせ、死ぬ気で魔法を磨けとか、敵を一人でも多く殺せとかでしょぉ」

 

「三食しっかり食べて、よく寝て、よく学ぶこと。それが何より一番大事」

 

「……は? 戦力になれって事じゃないの?帝国と戦争するんでしょ?俺の力が欲しいから拾ったんでしょ?」

 

「君みたいな子供に頼り切らないと負けるような、脆弱な革命軍じゃないよ。君の力は、君が幸せになるために使いなさい。そのための教育なんだから」

 

「……っ、はぁ?」



 面を食らったようなミルヒオールの顔が、ようやく年相応の子供らしく見えて、私は口元を綻ばせた。


 毒気を抜かれた彼は、小さな口を半開きにしたまま、呆然と私を見つめている。

 

 

「まあ、それほどまでの魔力。一度、ヴェリアル様に拝謁していただくのが筋でしょう」

 

 

 ユーティオティアスのアドバイスに従い、私たちは大聖堂の最奥、最も高い尖塔の直下にある部屋へ向かった。

 

 そこには外の喧騒が嘘のように静まり返り、肌を刺すような冷たい魔力が霧のように漂っている。

 

 

「ベル、新しい仲間を紹介したいの」


 

 重厚な扉に向かって、私は穏やかに声をかけた。

 

 ギィ、と古びた音を立てて扉が開く。そこから溢れ出したのは、底知れない魔力を含んだ冷気だった。

 

 部屋の中央、大きな窓を背にして座っていた銀髪の青年――ヴェリアルがゆっくりと顔を上げた。彼を見た瞬間、ミルヒオールが野性的な本能で全身の毛を逆立てるように身構えた。

 

 

「……ああ、まだこんな掘り出し物がスラムに残っていたのか」


 

ヴェリアルの瞳は、新しい玩具を見つけた子供のように無機質で、残酷なまでの純粋さに満ちている。


 

「あ?」

 

「ヴェリアル様への無礼は控えなさい」


 

ユーティオティアスが氷のような声でミルヒオールを制す。ヴェリアルはゆっくりと歩み寄り、少年の顔を覗き込んだ。


 

「君、名前は?」

 

「ミルヒオール」

 

「いい名前だ。……三日後に『天井』を潰す。その時、軍の兵隊が押し寄せてくるだろう。ミルヒオール、君をその先頭に置きたい。君の『力』なら、面白いように人が弾けるだろうね」

 

「却下よ」


 

 私はベルの前に割り込み、その視線を遮った。


 

「君の意見は聞いていないよ、シャーロット」


 

 しかしベルは私の言葉を霧のように無視し、少年の赤い瞳の深淵を覗き込む。


 

「ミルヒオール、君はどこで生まれた?」

 

「さあねぇ、特区のどっかであることは間違いないけど」

 

「なら、君は抑圧を知る『狂える魔術師』だ。我々の悲願に協力を」

 

「別に……俺は、なんでもいいよ」



 不意に、少年の乾いた声が響いた。

 それは絶望でも、やる気でもない。ただ、自分の価値を破壊にしか見出せない者の、空虚な諦めだった。

 

 

「飯さえ食わせてくれるなら、何だってやってやるよ。殺せって言うなら、殺すだけだし。それがここでの対価なんでしょお。さっきのロティの綺麗事より、こっちの言い分の方がしっくりくるしね」


「ベル。計画通りにいけば、次の作戦は私たちの圧勝でしょう。ユーティオティアスによるシミュレーションも、フィギーの魔導具の準備も完璧。これ以上の戦力上積みは不要よ」

 

 

 私は、冷徹な計算式だけを見つめるベルの瞳を真っ直ぐに射抜いた。


 

「……ミルヒオールは、出さない。彼はまだ魔力の基礎的なコントロールさえ出来ていない。ただ暴発を待つだけの爆弾を最前線に置くなんて、指揮官として愚策だわ。何より彼は、私たちが()()()()エルステラの民よ。戦う道具じゃなくて、これからのこの国を健やかに生きるべき子供なの」

 

「……シャーロット。感情論は戦場では不純物だ。不確定要素を排除し、より勝率の高い、確実な選択肢に賭けるべきじゃないか? 彼の魔力は、その不確定要素を利点に変えるだけの出力がある」


 

 ベルの声は、どこまでも平坦で、体温を感じさせない。


 

「なら、その出力が暴走した時のリスクは? ミルヒオールが力をただの破壊衝動として放出することで考えられる、味方――革命軍への被害は? この子はまだ、己の力と向き合う精神的な準備も、技術的な訓練も、何一つ出来ていない。ただの肉塊として、帝国の兵士と一緒に吹き飛ばすつもり?」


 

 私の言葉に、ベルは微かに眉をひそめたが、反論はしなかった。ただ、無機質な視線を、私の後ろで縮こまっている少年へと向け続ける。


 

「……勝手に決めんなよぉ、あんたら……」


 

 不意に、ミルヒオールが低く、唸るような声を上げた。その体は恐怖と、己への無力感、そして大人たちへの反発で激しく震えている。


 

「俺は……飯さえ食えれば、なんだっていいって、言ったでしょ……。道具でも、爆弾でも……使えよ……!」


 

 少年の、自暴自棄な叫び。それは、これまで彼がどれほど「力」だけで評価され、利用されてきたかを物語っていた。


 

「……ダメよ」


 

 私はベルの冷たい手を、迷いなく跳ね除けた。そして、震える少年の小さな肩を、壊れ物を扱うように、けれど決して離さないという意志を込めて、強く抱き寄せた。


 

「ミルヒ。あなたは道具じゃない。あなたは、ミルヒオールという、一人の男の子よ。私が、そう決めたの」


 

 私の腕の中で、少年の体が微かに固まった。

 

 見かけによらず細く、薄い背中。けれどそこからは、生きようとする、煮えたぎるような熱が伝わってき。

 

 美しき「光の国」へと至る道。

 

その足元には、ベルが理想のために積み上げようとする合理的な屍の山と、私が必死に抱きしめ、守り抜こうとする、この小さな命の灯火が、危うい均衡の上で、激しく揺れていた。

 

 

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