5 約束 ふたつ
飲み物用の瓶2本と適当な缶詰を3個ほどをバックパックに詰め込み、部屋を出ようとした時だった。
不意にミランダは口元に指を当てた。
「シッ! 静かに……」
首を傾け、耳を澄ます。
どこからか微かに音がした。
くぐもった声のようだった。
ミランダとクレアは無言で部屋を見回し、音の出どころを探す。やがて、棚と棚の間の床から音がすることを突き止めた。
「これ、床下の収納庫よね」
ミランダが小さな声で囁き、そっと床に耳をつける。
それは人の声だった。
何を言っているのかは分からなかった。或いは意味のない唸り声なのかもしれない。
ミランダは立ち上がり、無言で外へ出るようにクレアに指示する。
その指示にクレアは驚く。
「このまま行くんですか?
中に人がいるのでしょう。助けなくちゃ」
「中にいるのが人がゾンビか分からないわ。危険すぎる。
開けたとたんゾンビに出てこられたら、たまらないわ。
このまま行きましょう」
「ま、待ってください。
もしも怪我をして困っているなら助けないと」
「だから言ったでしょう。人かどうか分からないって」
「人かどうか分かれば良いんすよね?」
クレアはそう言うと、収納庫の床を2回叩き、大声で叫んだ。
「聞こえますか?
助けが必要なら2回叩いてください。
もう一度言います。わたくしたちは人です。
助けが必要なら床を2回叩いてください。こうです!」
ドンドンとクレアはもう一度床を2回叩き、耳を澄ました。
少し間があき、トントンと反応が返ってきた。
「人です。中にいるのは人です。ミランダ様、開けますよ」
クレアは優しい、とミランダは思う。
そして、聖女として常に正しい行いをしようと努力している。
その純真さは敬意に値する。
日常ならそれは好ましいのだけど、今はこの純真さがクレアを殺すのではないかと、ミランダは心配になった。
それは自分がクレアを好きになってきた裏返しなんだろうと、ミランダは小さくため息をついた。
「よいわよ。でも、慎重にね」
クレアはこくりと頷くと収納庫の床を開けた。
収納庫には、互い抱き合い、狭い空間に身体を押し込んだメイドが2人、怯えた瞳でミランダたちを見あげていた。
「も、申し訳ありません。
お許しください、お許しください……」
メイドの1人がうわ言のように繰り返す。
おそらくなにが起こっているのかも理解できないまま、ゾンビに追い立てられ、ここに逃げ込んでずっと怯えていたのだろう、とミランダは思った。
もしかした、部屋に入ってきた私たちをゾンビと勘違いして震えていたのかもしれない。
「大丈夫です。さっ、こちらへ上がってきてください」
クレアは優しく手を差し伸べ2人を収納庫から引き上げ。
「喉とか渇いていませんか?
え? 乾いている。 でもコルクも缶詰も道具がなくて開けられなかった?
あーそれはですね」
クレアは先ほど教えてもらったコルクの開け方を2人に披露してみせた。
「ね、すごいでしょう。これ、ミランダ様に教えていただいたんですよ。
後ですね、缶詰も道具がなくても開けられるんです!」
嬉しそうに2人を世話しようとするクレアは聖女と呼ぶに相応しかった。
ミランダの口元が自然と微笑みで綻ぶ。
なぜかほっとした。
棚から缶詰を一つとるとミランダは言った。
「缶詰は私がやるわ。慣れてないと手を切るから」
「ありがとうございます」
クレアは礼を言うと再び2人のメイドに対して甲斐甲斐しく世話を続けた。
「そうなんですか。あなたたちも突然襲われたんですね」
「は、はい。生徒さんが狂ったようにメイド長さんに噛みついてきたのです。
怖くて怖くて。男の方が止めようとしたんですが、今度はその人が襲われて。
私はシアと、ああ、この子と2人でメイド長さんを医務室に連れて行こうとしたんですが、今度はメイド長さんが暴れ始めて、なにがなんだか分からなくて……」
ああ、ゾンビ被害の典型だな、と思いつつミランダは缶詰を、ごりごりと削り続けた。
「それは大変でしたね。
それであなた、お名前は?」
「あっ! 大変失礼いたしました。私はメリッサと申します。こっちはシアです。クレア様」
「あら、わたくしをご存知なのですか?」
「も、勿論です! この学園で働く者で聖女様のお顔とお名前を知らない者はおりません。
ミランダ様もです。
ですよね、シア」
メリッサと名乗るメイドは緊張から解放されたのとクレアを間近に見ることでかなりテンションが上がっているようだった。
一方、もう1人のシアという名のメイドは黙り込んだままだった。
「シアさん、調子が悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「この子、逃げる途中で怪我をしまして、それがさっきから痛むらしいのです」
シアの代わりにメリッサが答えた。
「まあ、それは大変です。見せてください。魔法で治しますわ。
どこですか?」
「そんな。クレア様のお手を煩わすわけには……」
「なにを言っているのですか。傷ついている人、困っている人を助けるのが聖女の務めです。
さあ、さあ、見せてください」
「は、はい。右足のふくらはぎのところです」
メリッサはシアのスカートをめくって見せた。
「まあ、赤くなってますね。でも大丈夫。このぐらいの傷なら治癒ですぐに治ります……
…………あれ、おかしいな。
なかなか効果が出ない。これ、なんの傷なんですか?」
「はい、メイド長から逃げる時に噛まれたのです」
ミランダの動きが止まる。
治療中のクレア、そしてシアの傷へ視線を向ける。ふくらはぎは赤く腫れ上がっていた。
「は、離れなさい!
今直ぐその子から離れて!」
ミランダは立ち上がると叫んだ。
突然過ぎてクレアとメリッサも逆に固まって動けない。そして、シアは……
シアは小刻みに震えていた。
「言ったでしょう! ゾンビに噛まれたらゾンビになるって、早く離れて!」
クレアはミランダの言葉にハッとなる。
「そうなのですね。大丈夫です。解呪を使えばきっと!」
光を放っていたシアの手のひらの色が淡い緑色から紫色に変わる。
キュアからリムーブカースに切り替わったのが分かった。
だがシアの震えは止まらない。ガクンガクンとエビのように跳ね、口から苦悶の呻き声が漏れる。
「シア、シア! どうしたの?! しっかりして!」
暴れ出すシアをメリッサは懸命に抑えようとする。
「馬鹿! 離れてって言ってるで……」
「うがぁ」
「きゃあ!」
ミランダがクレア、メリッサに手を伸ばしたのと、シアがメリッサの首筋に噛みついたのは、ほとんど同時だった。
「ああ、大変、大変。止めて止めて止めて」
メリッサに食らいつくシアを止めようとするクレアをミランダは渾身の力で引き寄せた。
そして出口へ向かう。
「もう駄目よ。あの子たちはもう助けられない」
バタン
強引にクレアを引きずり倉庫を出ると扉を閉めた。
「ミランダ様、駄目です。シアさんとメリッサさんを助けないと」
もう一度倉庫へ入ろうとするクレアをミランダは全力で止めた。
「だめよ。もう駄目なの。シアもメリッサも、もう助けられない」
「だって、だって、そんなの。まだ二人は生きているんです。リムーブカースをかければ……」
「だから駄目だって言っているでしょう。キュアもリムーブカースも効かなかったじゃないの」
「それは、それはもうすこし、時間をかければ、きっと、きっと……」
そこまで言うと、クレアはがっくりと膝をつくと大声で泣きだした。
「わたくしが、わたくしがもっとしっかりしていたら、二人は、うううう、二人を助けられたのに。
聖女なのに、聖女なのになにもできないなんて、ううわああ、もう、聖女失格です」
泣きじゃくるクレアをミランダはぐっと抱きしめた。
「あなたは聖女よ。
役に立つとか立たないとかそんなのはどうでもいいの。その優しさこそが聖女の証。
あなたは何も悪くない。これは仕方のないことなの。だから、そんなに自分を責めないで」
どれくらい経ったろうか、ようやく泣くのをやめたクレアに向かってミランダはゆっくりと噛みしめるように言う。
「ね、約束をして。今後、どちらかがゾンビに噛まれたら、噛まれた人を助けようとしない。
私が噛まれたら、私を見捨てなさい。
あなたが噛まれたら、私もあなたを見捨てる。
絶対に無理に助けようとしない。いいわね」
「そ、そんなこと……」
反論しようとするクレアにミランダは小指を差し出す。そして、もう一度、はっきりと言った。
「約束して。でないと、私たちはこの先一歩も進めないわ」
しばらく思い悩んでいたが、ついにクレアも自分の小指をミランダの指に合わせ、指切りをした。
「分かりました。約束します。その代わり、わたくしもひとつ約束をさせてください。
絶対ゾンビにならないと約束してください」
「……、そんな約束はできないわ」
「約束してください……」
クレアは絡めた指を外そうとせず、じっとミランダを見つめた。
ミランダは、あきらめたように息を吐いた。
「……いいわ。
ゾンビにならないとは約束できないけど、最善を尽くすわ。
ゾンビにならないことを最後まであきらめない。それでどう?」
ミランダの答えに、クレアはこくりと頷いた。




