愛を知る聖獣
「ふぅ……。お腹いっぱいです、ごちそうさまでした」
「ふふ、満足していただけたみたいで良かった。体も、ポカポカ温まって来ましたか?」
内側がつやつやと輝く大きなお鍋と、湿り気を帯びた小さな茶碗。
宿泊の許可を出してくれたおばあさんの元で食事を終えた私は、かつての記憶が蘇ってくるのを感じながら、片づけの手伝いを申し出ることにした。
遠慮はされてしまったものの、せめて台所に持っていくだけでも、せめて水に漬けるだけでもと小さく提案を続けていくことで、自身が使った物を洗うという妥協点にたどり着く。
食器を洗い、水切りカゴへと移動させる。
たったこれだけの作業だが、かつてステリア村で暮らしていた時に、この工程を踏むことはほとんどなかった。
冷たい水に触れるのが嫌、手伝いをするよりも早く遊びに行きたい。
なんとも子どもらしい理由で、食事を終えると同時に家を飛び出してしまったものだ。
「……孫が遊びに来るとはこのような感覚なんでしょうね。こうしてあなたと食器洗いをしていると、そう思いますよ」
「ということは、あなたにお孫さんは……」
「孫どころか、夫もいませんよ。いまでこそ賑やかになり始めたステリア村ですが、一時期は存続も危ぶまれる事態に陥ったこともありましたからねぇ。何とか村を盛り起こそうと動き回っていたら、結婚などする歳をとうに過ぎてしまいましたから」
唇を固く閉めながら、手に持つ食器の洗浄を再開する。
遥か過去のもしもの話など考える意味は微塵もなく、仮にそのもしもが実現していたとしても、この村が隆盛を誇っていたとは限らず、おばあさんが家族に恵まれるとはならないのだが、どうしても考えてしまう。
私が天災の破壊に失敗せず、巨大大陸の分割をせずに済んでいたら、ステリア村はもっと賑やかだったのでは――と。
「あなたにご家族はおられますか?」
「……はい、いますよ。おじいちゃんとおばあちゃん。私を育ててくれた人たちが」
私にも親はいるが、私が聖獣であるように、親もまた聖獣である。
当時は人と聖獣との距離が非常に近く、各地からやって来る人々との会談や、交流が怒涛の如く行われており、私と交流ができる時間は微塵も存在しなかった。
私と話をするために首の向きを変えようとしても、それよりも早く人々は質問をし、食事の準備をするために動き出そうとしても、さらに多くの人がやって来る。
生まれたばかりの記憶なので、おぼろげどころか全くと言っていいほど覚えていないが、アヴァおじいちゃんとグーラおばあちゃんからは、そのように話を聞かせてもらった。
親らしいことをしようとしても、立場と時間がそれを許してくれず、辛そうにしている時が多分にあったと。
おじいちゃんとおばあちゃんがそれを見かねて私を引き取ったことで、人との交流に集中できるようになったものの、様子を見に行くたびに私のことは元気か? 何をして遊んでいる? などと、ひっきりなしに質問をされたそうだ。
そういうわけで、私には親の記憶はほとんどないが、愛されていたことは分かっている。
逆に親は、私が愛していたと理解してくれていたのだろうか。
「……私は、多くの人に愛されていることは知っています。でも、私が多くの人たちを愛していることを、その人たちは知っているんでしょうか?」
「……難しいお話ですね。人の心を読み取るのは簡単なことではありませんし、愛した人のために取った行動が、相手の嫌がることである可能性もありますからね」
おばあさんが言う意味では、多くの人に私の愛が伝わっていないのだろう。
見守り続けてきた世界を改変しようとしたことは、いわば愛してくれた人たちへの裏切りに等しく、自ら愛を捨て去ったと言ってもいい。
そんな私が、多くの人たちにどのようにして愛を伝えていけばいいのだろうか。
いや、どうすればいいのかなど、既に分かっている。
だがそれを成しただけで、私の愛は伝わってくれるのだろうか。
「洗い物が終わりましたら、外に出ましょうか。お伝えしたい物語がありますので」
「あ、はい……。分かりました」
洗い物を終え、濡れた手を入念に拭いた後に家の外へと出る。
温かい鍋を口にしたおかげで体はぽかぽかとしており、寒気の中でも体が震えだすことはない。
だが体の奥底、心だけはブルブルと震えてしまっているようだ。
おばあさんに連れられて歩くこと数分。
私は小さな広場にたどり着き、そこの中心に置かれている物に視線を奪われた。
頭に雪を被った、子どもの像。
村がある方向とは無関係の場所に視線を向けている、不思議な像だ。
「私たちホワイトドラゴンには、旅に出た者たちの話はしないという文化があることをご存知でしょうか?」
おばあさんからの質問に対し、ゆっくりとうなずく。
力が強く、知識にも秀でた子どもが旅に出たものの、帰ってくることがなかった。
帰って来れなくなってしまった理由に、村の人々が毎日のように子どものことを話題にしていたからではないか、という自責の念から生まれた文化だと聞いている。
文化の発祥はこの村であり、その子どもと言うのが私ではないかと言う話も。
「何を想って、去ってしまった子どもの像を作ったのかは、いまとなっては分かりませんが……。あなたと会話をしていて、少し気付いたことがあります。この像を作ろうと発案した人物は、像のモチーフとなった子どもを愛していたのではないか――と」
その言葉を聞いた途端、苦しいと思うほどに心臓が強く鼓動を打つ。
当時、共に遊ぶほどに仲が良い友人がいた。
もしかしたらその人物が、私という存在がこの村で暮らしていたという事実を残すため、石像を作ったのではないかとソラ君が考察してくれたが、愛されていたかもしれないという話まで出てくるとは。
当然、子どもの時に愛しているなどと言われたことはなく、長い時が経った後に会いに行っても、老化が進行していたこともあり、会話を交わすことができなかった。
そのため、石像という形で私に愛を伝えようとしたのだろうか。
「この石像を作った方も、この石像のモチーフになった方も、恐らくは不器用な方だったのでしょう。言葉ではなく形として、愛の成就を願ったのですから」
寒風で赤く染まる私の頬を、温かい何かが伝っていく。
本当に、本当に私は大バカ者だ。
愛してくれていたことに気付かず、世界を改変するという形で、私は目の前にある大きくて温かな愛を粉砕しようとしていた。
長き年月が経っているため、あの時の友人はもういない。
私から、その友人に愛を届けることはもう不可能だけれども。
「私も、この像に関わった人たちに負けないくらいの愛を、伝えていこうと思います。言葉でも、行動でも、形でも……」
「ふふ、このお話をここまで真剣に聞いてくれたのは、とても久しぶりですよ。さあ、これからますます寒くなりますから、家に戻りましょう。再び旅に出るために、しっかりと休んでくださいね」
右手で頬の温かみに触れつつ、おばあさんの家へ戻る。
他愛もない会話、温かな湯船を堪能した後、敷かれた布団に潜り込んで瞼を下ろす。
「この世界を、更に先の時代へと送り出そう。それが、私にできる愛の伝え方、かな」
何度も心に抱いた決意ではあるが、そのどれよりも、今日抱いた決意は強い。
この想いは、天災を振り払うまで――いや、振り払った後も抱いて行こう。
いつの日にか必ず訪れる、終わりの日まで。




