56話 愛した理由
兄上にファゼリー伯爵邸を追い出され、僕がセイフォード男爵邸で暮らすようになると。当然のことだがアリアーヌと顔を合わせる機会が何度もあった。
「キャアァァァ――ッ!!」
そのたびに痣が消えない僕の顔を見たアリアーヌは、怯えて叫び声をあげた。
「ア、アリアーヌっ⁉」
(ああ……クソッ、兄上のせいだ! 心が繊細なアリアーヌはきっと、怖がると思っていたんだ! だからまだ痣が残る顔を見せたくなかったのに!)
「嫌っ! ジョナサン……あなた、何てひどい顔なの⁉」
「ごめんよ、きっとすぐに治るから!」
(かわいそうに! 優しくて繊細なアリアーヌは人の怪我を見ただけで、傷ついてしまうんだな。僕がもっと注意してあげないと!)
苦笑を浮かべて僕は何度も謝った。
――だけど僕の予想を裏切り、兄上に殴られた痣が顔から消えても……アリアーヌは僕の顔を見るたびに怯え続けた。
朝食室で食事をとるアリアーヌの後ろ姿を見つけて声をかけた。
「おはよう、アリアーヌ!」
(わぁ! いつもは昼過ぎまで寝室から出て来ないアリアーヌに、朝から会えるなんて……今日は幸運な一日になりそうだ!)
「お……おはよう、ジョナサン……」
僕が声を掛けた途端にアリアーヌは顔を強張らせて、サッと僕から視線をそらした。……そこでようやくアリアーヌは、僕の顔を見ないようにしているのだと気が付いた。
「……まだ、この顔に見慣れないんだね?」
僕は自分の鼻に触れた。
兄上に殴られて折れた鼻は完治した後も、曲がったままになってしまったからだ。そのことが繊細なアリアーヌには耐えられなかったらしい。
僕の顔を見ないようにしながら、オドオドと謝罪の言葉を口にするアリアーヌ。
「ごめんなさい、ジョナサン……私、失礼するわ」
「気、気にしてないよ……」
(だけど……僕が男爵邸へ来て男爵について回り。忙しく領地運営を学ぶようになってからは、一度もキスをさせてくれないね。寂しいけど君を待つよ)
僕がキスをしようとすると、アリアーヌは顔をそむけるようになったからだ。……それどころか鼻が曲がった僕の顔を、なるべく見ないようにしているのだとわかる。
◆ ◆ ◆ ◆
待ちに待った僕とアリアーヌの婚姻の儀がおこなわれた。
ずっと僕とアリアーヌに腹を立てて、老神官は儀式は行わないと豪語していたが。
『慈悲深いジュリー夫人に感謝しなさい!』
……とジュリーの口添えで老神官が渋々、承諾したことを明かした。
さすがにこの時ばかりは、僕も式に参列していたジュリーに感謝の言葉を伝えた。
「あ……ありがとう。神官殿を説得してくれて」
「どういたしまして。アリアーヌを幸せにしてね」
「……ああ、分かっているよ」
「どうやら少しは大人になったようだな、ジョナサン」
「……」
兄上にチクリと嫌味を言われたが、助けてくれたジュリーの前では、上手く言い返す言葉が見つからなかった。
――だが、僕とアリアーヌの結婚の問題はそのことだけでは無かった。
困ったことに女神を祀る祭壇の前でも、アリアーヌは誓いのキスを拒んだ。
「……っ!」
(もしかしてアリアーヌが僕を愛した理由は、顔だったのか⁉ 僕自身ではなくて? 僕の容姿を愛していたのか? ……まさか、そんなっ⁉)
誓いのキスを拒まれて、僕は初めてそのことに思い至り愕然とした。
――だが、僕もアリアーヌを好きになった記憶をいくつか思い起こすと。僕自身もアリアーヌの『妖精姫』と呼ばれる、無邪気で清らかな美しい容姿に惹かれたのだから同罪である。
鼻の骨が曲がり、以前とは容姿が変わってしまった僕を……アリアーヌがうっとりと見つめ、キスをねだることは無くなった。
初夜の時間となり。僕が寝室へ入ろうとすると――
扉の内側から泣きわめくアリアーヌの声が聞こえ。僕はピタリと立ち止まった。
扉をそっと少しだけ開けると。寝室にはアリアーヌだけでなく男爵夫人までいることに気付き、二人の会話を盗み聞く。
「アリアーヌ……あなたは愛するジョナサンと結婚したのでしょう? ね?」
「怖いわ…! 嫌よっ……絶対に嫌っ! お姉様は⁉ ジュリーお姉様が代わりに、初夜をすればいいのよ! 優しいお姉様ならきっと私を助けてくれるわ!」
扉の隙間から室内を覗くと……アリアーヌは身体をブルブルと震わせて、男爵夫人に縋りつき泣きじゃくっている。
「ジュリーも立派にエドガーと初夜を迎えたのよ? あなたも愛するジョナサンとなら、きっとジュリーのように素敵な初夜を迎えられるはずだわ」
男爵夫人はアリアーヌをなだめようとするが……
「嫌っ! もう彼を愛してないわ! だから初夜は出来ない、嫌よっ! あんな怖い顔の人……愛してないの! ジョナサンを…もう、愛してない!」
「アリアーヌ……困ったわね」
「……っ」
(やっぱり……!)
僕はそのまま静かに扉を閉めて、寝室を離れた。
アリアーヌの本心をはっきりと聞き。
――この時、僕の愛情も冷めてしまった。




