52話 拳と手のひら
昔からよくファゼリー伯爵家の兄弟が、喧嘩をしている場面を見ていた。大体の原因はジョナサンの傲慢さが引き起こしたもので。
ギャンギャンと騒ぎ立てては挑発し、言うことを聞かないジョナサンを、エドガーはいつも喧嘩……というよりは弟を躾けるような感覚で、拳で解決していたのだ。
だから二人がいきなり喧嘩を始めても、私は間に入って止めたことはない。エドガーに任せておけばすぐに終わると知っているから。
「……このっ!」
ジョナサンがエドガーの顔に向けて拳を打ち出した。
それを難なくヒョイッと避けたエドガーは、大きな手のひらでジョナサンの頬をバチンッ! と平手打ちした。
「二度と私のジュリーに手を出すな!」
「ううっ……!」
ふらりとよろけるジョナサン。
「ジュリーは私の妻だ! お前の婚約者ではない! 気安く私の妻を扱うな。伯爵夫人として敬意を持って接しろ!」
続けてジョナサンの反対側の頬も、エドガーは同じようにバチンッ! と平手打ちする。
「ぐぅっ……! クソッ!」
それでもジョナサンは拳を繰り出すが。エドガーは前腕部で軽く弾いて楽々と防ぐ。
次は両手を使って左右の頬を同時にバチンッ! とエドガーが打つ。まるで大人と子供の喧嘩を見ているようだ。
「大人になれ、ジョナサン!」
「ううっ!」
ジョナサンはフラフラと廊下の壁まで下がり、頬を抑えながらズルズルと座り込む。
昔のエドガーに比べると、ずいぶんと穏便な攻撃だった。
「……ああ」
(手加減してあげたのね。さすがにエドガーもグルグルと包帯を巻いた顔に、本気で拳を振るうような非情さは無いか……)
拳ではなく平手打ちで抑えたのが、手加減した証拠だ。
感情的になって無茶苦茶に暴れるジョナサンと比べて。エドガーは喧嘩になっても子供の頃から理性を手放すことは無く、いつも引き際を心得ていた。
だからどれだけ怒り狂っていても、ジョナサンに深刻なダメージを与えるような失敗もしない。
今回もエドガーは、ジョナサンが座り込むのを見て手を止めた。
「あら……もう、終わりなの?」
(こうしてエドガーの動きを見ていると、以前よりもずっと喧嘩慣れしているように見えるわ。学園で覚えたのかしら? それとも王太子殿下の側近になってから、鍛錬でもしたの?)
頭半分ほどエドガーの方が背が高いが、それ以上に身体の厚みが違うから。ヒョロヒョロしているジョナサンと比べると、がっしりとしていて一回り大きく見える。
そして繰り出したビンタの威力は、ジョナサンのパンチより数段もパワフルそうで。
「あれは痛そうだわ……」
思わず私は自分の頬を撫でた。
ジョナサンのグルグル巻いた包帯の下の頬が、真っ赤になっている。……たぶん、数時間後にはパンパンに腫れあがり。そして明日には見苦しい青痣へと変わるのだ。
顔の良さが自慢のジョナサンには、一番効果のあるお仕置きとなるだろう。
(さすがだわ、エドガー!)
廊下の端にへたり込んだジョナサンを見下ろし。威圧するように腕を組んで立ったエドガーが良い放つ。
「ジョナサン、今夜はここまでだ! 話は明日する。良いな?」
「ううっ……クソッ!」
「ジョナサン、返事は?」
「わ、わかったよ!」
「よろしい!」
クルリと振り向き私と目が合うと、エドガーはニコリと笑う。
「待たせて悪かったね。ジュリー」
「いいえ」
釣られて私も苦笑した。
エドガーは私の前まで来ると、軽々と私を抱き上げた。私は驚き慌ててエドガーの首に腕を回して掴まった。
「キャッ! ……エドガー、何⁉」
「やっぱり、新妻にはこれぐらいしないとね……」
「まぁ! ……ふふっ」
(それもそうね。嬉しいわ)
エドガーが私の唇にキスをしたから、私も素早くキスを返した。
私は抱き上げられたまま、エドガーに伯爵夫人の部屋へと送られた。




