26話 兄弟げんか3
恥ずかしげもなくジョナサンはべそべそと泣き続け。私に殴られて腫れあがった顔を、使用人に手当てをさせながら愚痴を垂れ流した。
「痛ててっ! 酷いよ兄上、もうすぐ結婚式なのに……顔を殴るなんて!」
「あれだけジュリーを傷つけて泣かしたくせに。自分だけ無傷で幸せになろうとするとは、ずいぶんとお前にばかり都合が良過ぎるとは思わないか?」
「だからって、顔を殴るなんて……アリアーヌに嫌われたらどうしてくれるんだよ、兄上!」
ソファセットの長椅子に背中を丸めて腰をおろし。鼻が折れて歯が欠けたジョナサンは、少し面白い顔になっていた。
「お前が選んだ『愛する女性』とは、その程度でお前を嫌う女性なのか? なぁジョナサン?」
(こいつは今まで顔が美形過ぎて、令嬢や貴婦人たちの心を弄んで来たからな。殴られて少しぐらい容姿が悪くなった方が、他人に迷惑をかけなくてちょうど良いのさ)
逆に言えば顔以外は、ジョナサンに魅力が無いと言うことだが。ジョナサン本人はそのことに気付いているのかは疑問だ。
「何度も言うけどジュリーは薄情だから、泣いてなんかいないさ。あいつは僕を愛していないんだから! ……でもアリアーヌは繊細なんだ。彼女が僕の顔を見て、怖がったらどうしてくれるんだよ!」
「フンッ! その程度のことで捨てられたなら。そんな女を選んだお前は、ただのマヌケと言うことになるな」
(ジュリーが泣いてないだって? 馬鹿を言え! 恥を知る誇り高いジュリーは、人前では簡単に泣けないだけだ。辛くても歯を食いしばって我慢していた、ジュリーの気持ちを考えて、今はそのことは秘密にしておくが……)
ソファセットの一人用の椅子に座った私は、フンッ! と鼻を鳴らしてジョナサンを嘲笑した。
目の前のローテーブルに、使用人が置いたティーカップを口に運びお茶を飲む。ジョナサンの愚痴を聞くうちに、お茶はぬるくなり芳しい香りが薄くなっていた。
「まったく……私の弟は大人になっても人の痛みが分からない。自分こそが身勝手な薄情者だと、本当に気付いていないのか?」
「酷いよ! 兄上こそ、どうしてそんなに薄情なんだ⁉」
「相手がたとえ弟でも、私が愛する女性を理不尽な理由で侮辱されたんだ! 私は当然の反応を示しただけだ」
(こうして『愛する女性』と口に出してみると、驚くほど口に馴染んでしっくり来る。ジュリーとの再会は、天啓かも知れない)
「……でも僕は血がつながった実の弟なのに、こんなに酷い仕打ちをするなんて!」
「黙って笑っていたら、それこそ薄情なマヌケじゃないか! ジョナサン、お前こそアリアーヌ嬢を、私が侮辱したら。私を殴りたくならないのか?」
(……ああ、思い出したらまた怒りが込みあげて来た! この愚かな弟のせいで、どれだけジュリーが傷つけられたのかと思うと。腹が立って仕方がない!)
「それは……」
「違うのか?」
ティーカップをカチャッと皿に下ろし。私は『お前はまだ、殴られ足りないのか?』と怒りを込めて睨むと。
ジョナサンはようやく私の気持ちが理解出来たのか、視線をそらした。
私がお茶を飲み干し空になったティーカップに。ジョナサンの手当てを終えた使用人が、気を利かせてポットのお茶を注いでから部屋から出て行った。
気持ちを落ち着かせようと、私は再びティーカップを口に運ぶ。
ずっと昔に亡くなった母上のために父上が特別にブレンドさせていた、ベルガモットやオレンジ、レモンなど。華やかな柑橘系のフレーバーティーの芳香を楽しんでから、ゆっくりとお茶を飲んだ。
(そう言えば、ジュリーはこのお茶が好きだったな……ふふっ。懐かしいなぁ)
気まずそうに視線をそらしたまま、ジョナサンは言い訳を始めた。
「……だって本気で兄上が、あのジュリーを好きだなんて思わなかったから。子供の頃から、そんな感じには見えなかったし」
「確かに私はジュリーをそういう相手として見ていなかった。だがそれはお互いが長子同士で、家を継ぐ責任と義務を良く理解していたからだ」
(ジョナサン、お前と違ってジュリーは子供の頃から、自分の役目を分かっていたんだぞ)
そういうジュリーの男爵家に対する甘えを排除した責任感が、次期セイフォード男爵となるジョナサンに対して、厳しい態度としてあらわれた。
ジョナサンはそんなジュリーの姿が、冷たくて薄情だと感じたのかもしれない。
(この愚か者は傍で見ていたはずなのに。次期男爵として自分の目の前でジュリーが背負う、重たい義務と責任を少しぐらい肩代わりしてやろうとは思わなかったのか?)
婚約者として、今までいったい何を見て生きて来たのやら。
お茶を飲みながら、私はジョナサンをジロリと睨む。
「それなら……ジュリーが長女でなければ、兄上は昔から好きだったと言いたいのか?」
「ああ、長男長女の責任と義務が無ければ、夢中になっていたかもしれない」
「兄上が? ……嘘だろう?」
(いい加減……目を覚ませ、ジョナサン! ジュリーが嫁げばこれからはお前が、責任と義務に縛られる身になるのだぞ!)
ジョナサンの顔を見つめながら、私は左眉をピンッと跳ね上げた。
「私はジュリーを愛しているが、彼女が私をどう思っているかは求婚してみないとわからないが……」
(こればかりは運を天に任せて、女神に祈るばかりだ)
「……」
ジョナサンはようやく自分の無礼を、少しは恥じる気になったのか。気まずそうに下を向く。
「それで? お前はなぜ酒浸りになっていた? それ以上顔を歪められたくないなら、くだらない言い訳はするなよ」
「それは……」
ジョナサンは重い口を開いた。
「男爵は僕に領地を任せられないと言ったんだ」
「……何だって? それはどういう意味だ」
「つまり――」
ジョナサンが語ったセイフォード男爵の言葉を聞き、私は驚愕した。
『アリアーヌとの結婚も許可する、男爵位を継承することも許可する。だが領地の運営はジュリーがおこなう! お前のような、プライドばかり高い、無能なやつに任せてはおけない』
「……つまり、セイフォード男爵はジュリーをどこにも嫁がせず、男爵家に縛り付ける気なのか?」
(父親とは思えない。娘の幸せを少しも考えていないのか? まぁ、元はと言えばこの愚弟が、浮気をして婚約解消したことが一番悪いのだが)
「うん」
ジョナサンはよほど屈辱を感じたのだろう。私とは目を合わさずうなずいた。
「ジュリーはそれを受け入れたのか?」
(どう思っているんだ? ジュリーは男爵家に誇りを持っていたし、何より男爵領を愛していたから。喜んで父親の決断を受け入れたのか?)
「……珍しく泣いていた。叔母上にすがって泣いていたよ。全部、僕が悪いと言っていた」
(泣いていたのなら、ジュリーは他家に嫁げないことを、悲しんでいたということになるのか……?)
私は不謹慎にも、少しだけホッとした。
「お前はそれでもジュリーを侮辱し、自分を憐れみ。酒浸りになっていたのか?」
「僕はただ……」
無能なジョナサンのせいで、ジュリーは結婚することも許されず。男爵家の道具として働くよう命令され、残酷な未来を突き付けられた。
「私にはお前の方がよほど薄情に見えるが?」
「……兄上それは」
(子供の頃から知る幼馴染みが、自分のせいでそんな生き方を、強要されそうになっているのに。お前は本当に平気なのか?)
「そんな態度でお前はどうして『自分を愛してない』と、ジュリーを責められるんだ?」
「……っ」
ジョナサンは黙りこみ。それ以上は何も話さなかった。




