第五話(最終話):最後の木目を消し去る雪
#奈良井宿の灯火 | さようなら、江戸さん。
江戸は、数十年にわたって守り続けてきた店の敷居を跨ぎ、外へと踏み出した。肩には古着の詰まった小さな布袋が掛けられている。その手には、自らの心臓の鼓動を宿したかのように、まだ檜の香りが鮮やかに漂う最後の傑作――木製の自動車が強く抱きしめられていた。
冷え切った奈良井宿の石畳の上を、足を引きずるようにして歩く。彼はふと立ち止まり、鞄のポケットから一通の封筒を取り出した。先ほどの差し押さえ書類の中に紛れ込んでいた、息子・真司からの手紙だ。
凍てつく夜明けの寒さで青白く震える指先で、江戸は手紙を開封した。胸が高鳴る。もしかしたら、あの子が来る日のことが書いてあるのではないか、と。
『親父、もう木のおもちゃを送ってくるのはやめてくれ。俺の息子――あんたの孫は、あんたが誰かも知らないんだ。あの子にとって、あんたは過去から来た、何の役にも立たない他人なんだよ。あの子はあんたの木屑みたいなガラクタより、高価なタブレットで遊ぶ方が好きなんだ。二度と連絡しないでくれ。あんたという過去の重荷から解放されて、静かに暮らしたいんだ』
江戸の周囲から、音が消えた。紙に並んだ文字が、鋭い刃物となって彼の瞳を切り刻む。――他人。十年間、約束を刻み続けてきた結果が、我が子にとっての「他人」という結末だった。
江戸は硬い歩道に膝をついた。溢れ出した涙が、抱きしめた檜の上に落ちて凍りつく。
突然、母親と一緒に通りかかった幼い子供が、彼の前で足を止めた。子供は江戸の手にある木の車を見つめている。江戸は残された力を振り絞り、震える手でそのおもちゃを差し出し、微笑もうとした。「これを……お前にあげよう。とても、綺麗なんだよ……」
子供は一瞬おもちゃを見つめると、それを汚い側溝の中へ蹴り飛ばした。「うわ、古臭い木の車! ママ、僕、新しいのが欲しいよ!」子供は叫びながら走り去っていった。
江戸は、自らの人生と愛の結晶が、黒く濁った溝の水に浸かっているのをただ見つめていた。もはや、それを拾い上げる力さえ残っていなかった。彼はうつろな瞳で立ち上がった。肉体が滅びる前に、魂はすでに死んでいた。
彼は宿場町の外れにある国道を渡り、果てしない長野の森の闇へと向かった。頭の中には、一度も聞いたことのない孫の笑い声だけが響いていた。
ピーーーーーーッ!
大型トラックのヘッドライトが、彼の疲れ切った瞳を射抜いた。江戸は避けようとしなかった。むしろ、微かに微笑んだ。最期の瞬間、彼は自分に向かって走ってくる一人の少年の姿を見た気がした。あの子が、いつも磨き上げていたあの小さな椅子に座り、こう呼んでいる。
「おじいちゃん……」
ドサッ!
痩せこけた体は白い雪の上へと投げ出された。温かい血が流れ出し、下の雪を溶かしていく。布袋が開き、黄色く変色した赤ん坊の写真が宙に舞った。そして、激しさを増す雪が、すべてを静かに覆い隠していった。
東京では、孫がデジタルゲームに夢中になっていた。長野の辺鄙な道で、誰かが自分の名前を囁きながら最期の息を引き取ったことなど、露ほども知らずに。
奈良井宿は今も美しいままだが、その一角に灯っていた光は、永遠に失われた。




