第三話:夢を掴めぬ指先
#奈良井宿の灯火 | 希に捧げ、朽ちゆく身体。
長野の冬は常に過酷だが、今年の冷え込みは殊更骨に身に沁みた。電気を止められ、暖房器具も動かなくなった作業場の中で、江戸は埃臭い薄手の毛布にくるまって震えていた。
静まり返った奈良井宿の板壁の間に、彼の咳が虚しく響く。咳き込むたびに、胸の奥を数千本もの鋭い木屑で突き刺されるような激痛が走った。
「あと少し……あとは、車輪のところだけだ……」
暗い朝の静寂の中で、江戸は微かに呟いた。
立ち上がろうとするが、栄養失調と寒さで象のように腫れ上がった足は、皮と骨ばかりになったその体をもはや支えきれなかった。震える手で一本の小さな蝋燭に火を灯す。それが、彼に残された唯一の光だった。
江戸はノミを握ろうとした。しかし、かつては万力のように力強かったその指先は、今はただ強張り、感覚を失っていた。カラン……という、心を引き裂くような音を立てて、ノミが板の間に転げ落ちた。
「なぜ……なぜ今なんだ……」
彼は声を上げて泣き崩れた。体の痛みのためではない。孫への最後のおもちゃを完成させられないまま、命が尽きてしまうのではないかという恐怖に襲われたのだ。
彼は必死の思いで床に座り込み、激しく震える両手でノミを拾い上げた。まともな食事など、もう何日も摂っていない。台所の隅で見つけた乾いた米の残りと、水道水だけで繋いできた命だ。病で黄色く濁った瞳は、這ってでも行かねば届かない距離にある、あの小さな椅子をじっと見つめていた。
突然、視界が真っ暗になった。唇から鮮血が滴り、作りかけの檜を赤く染める。
江戸はパニックに陥った。自分の吐血に驚いたのではない。その汚れが、孫へのおもちゃを台無しにしてしまうことが怖かったのだ。ボロボロの布を手に取り、皮が剥けるほど夢中で木を擦り洗った。
「ごめんよ、おじいちゃんが……不注意で汚してしまった……」
凍てつく店内で、彼は一人すすり泣いた。「怒らないでおくれ……。もっと真っ白なのを、また作ってあげるから。おじいちゃんは待っている。お前が来るまで、絶対に寝ないから……」
外では、真っ暗な店を見た隣人が溜息をついて通り過ぎていく。彼らは江戸をただの「頑固な老人」だと思い込んでいた。その中で一人の老人が、決して叶うことのない再会のために、残りの命をすべて削り取っていることなど、誰も知る由もなかった。
江戸は作業台に頭をもたれかけ、未完成の木のおもちゃを抱きしめた。まるで、それが孫の温かな体であるかのように。消えかかった蝋燭の光の下で、彼は一瞬だけ目を閉じた。作業場の廊下を、小さな足音が走ってくる幻聴が聞こえた。
「早く来ておくれ……。おじいちゃんが、お前の名前の呼び方を忘れてしまう前に……」
「最後までお読みいただきありがとうございます。次回の更新は明日、22:00を予定しております。また明日お会いしましょう!」




