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「普通じゃない」 3 

そして、翌日、私は父親の部屋に行き昨日、図書館まで連れて行ってくれてありがとうとだけ言ってまた自室に戻った。そして、夜になり、私は何時もならスマホでYoutubeやテレビでニュース番組を見ようとするんだけどこの日は何もせずベッドに寝転がった。私はまたしても色々な考えが浮かんだけど今日はこれ以上考えるのは止めようと考えてなるべく考えないようにしていた。そして、余り眠くなかったからトイレにもう一度行く事にして、何故か今日は歯磨きを忘れていて少し慌てて電動歯ブラシで歯を磨いた。その後、また自室に戻るまた寝る事にした。そして、だんだん眠気をもようしてきて、そして、何時の間に何時もより早い時間に私は眠りについていた。


私は先週の土曜日の昼頃に借りた何時もよく行っている図書館で借りた一冊の小説を読んでいた。そして、その小説の中で男は女にセックスをしようとしていて、女が嫌がっているのに男は何だかんだ少しずつ行為を進めていて、女は嫌がっていたが結局、男は女に勝手に挿入していた。そして、セックスが終わったと、女はその事に対して男に対して怒っていた。その場面が小説に特に詳細に描写してあった。そして、私はその場面を見終わり、一旦、私はその小説を読むのを止めた。

確かに女は最初からその男とのセックスするのを嫌がっていたが絶対に嫌だ。その男とセックスするぐらいなら死んだ方がましという感じの嫌がり方ではなかったと思った。そして、挿入されるときは特にその女は嫌がっていたがそれでも私にはその小説の登場人物のその女性が絶対にその男との挿入だけは絶対に嫌だという風にはとても思えなかった。

そして、私は色々考えた後で、一旦、食事を食べてまた自室に戻って特にその小説のその場面をもう一度読んでいた。

しかし、私は冷静に考えてもレイプではない気がする。強引とはいえ、その時、その女がその男とのセックスを大して全く抵抗できないような状態だったとは思えなかった。そして、挿入された後、少しは気持ちよく思っているとしか思えない感じの文章に思えた。

どう考えてももっと悲惨な人がいる気がした。確かに苦痛だろうが耐えがたいほどの苦痛ではないとしか考えられなかった。それでも、確かに私でもその女性と同じ状況ならその男に怒りを感じるだろう。しかし、私はずっと考えていたがやはり、その女性はその男に対してどう考えても怒り過ぎだろうと感じた。

だから、私は自分が物事に対してその時の自分が出来るだけ正常に思考できる状態になれるのが特に大切で特に自分に対して起こる物事をなるべく自分なりに正しく判断できるようになれる理想的な状態の一つなのだろうなと感じた。

結局、その日のうちにその小説を最後まで読み終えたが、何故か私が感じた怒り過ぎだろうという感じがずっとその日、寝るまでずっと残っていた。

そして、図書館に借りていた本の返却期限の二日前に小説を返却する為に父親の車に乗せてもらって図書館に本を返却しに行っていた。


私が再就職を出来た二か月後ぐらいに私はまた中学時代に一番好きだった友達と再会した。友達は私の事を殆どの人達よりも明らかに良い所も悪い所も普通じゃない部分が多い事を羨ましいと言ってくれた。それは多分、本当の本音ではないかもしれないけど、率直な私の印象だと私は感じた。そして、私達は「普通」という事をずっと語っていた。初めて私はいくら話しても話尽きないなと思った。そして、児童ポルノに関する事もこの時、初めて真剣に少しだけ話し始めた。

そして、初めて私とその友達は児童ポルノそのものについて話していた時。

私は友達に話したいことを実際に声に出して伝えようとする時、私は実際に私がその事についてその友達に直接会っている時に言葉でなるべく正確に伝える事を凄く躊躇していた。でも、私は少し逡巡した後、やっと私はあの時、中学時代には言わなかった事を今、私はその友達に言おうと思った。どんな返事が返ってくるか分からないけど、そう言った後、私はその友達の目をまっすぐ見ていた。少し時間を置いて私はその友達に言った。

「あのさ……実は私……出た事があるんだよね」

「……私……高校時代におきた児童ポルノで逮捕された教師のニュースをたまたま見ていた時、そんなニュースに私は何時もならそんなに強くは興味を示さないんだけど、何故かその時はそのニュースに興味が出てきてさ。それでそのニュースを調べている内に児童ポルノについて興味が出てきたんだ。その時、暇だったから暇つぶしもかねて私は児童ポルノについて書いてあるネットのサイトを色々検索していた時、偶然、真理子がさっき初めて私に直接言ってくれた事が書いてあったネットのサイトを見たんだ。その時、私はそのサイトにその真理子が言ってくれた事について書き込まれたコメントに対してそのサイトのコメント欄に私は実際に何かを書き込みたいなと真剣に思った。そのコメントを書いたのは多分、男達だと思っている。コメントは一件だけではなく、複数件あったんだ。ネットのサイトの書き込みなんて何時もなら、いくらむかついても、せいぜい言葉で悪口を言えるだけ言って結局はネットには書かないんだけど、でも、その時はつい『このロリコン。お前、子供とやった事ねえだろうwww』という文章だったと思うけど、その時、私は初めてネットに実際に悪口を書いたんだ。

今思うと一体誰に対して悪口を書いているのか分からないけど、とにかくそのサイトのコメント欄に書いた私の悪口にどんな反応があるのか気になったけど、直ぐに私は少し強引にこのサイトから離れたんだ。

……色々、言いたいことはまだあるけど、取り敢えず、今日、初めて私はこの事を真理子にはっきりと言えてよかった。まあ、私は……そうだね。高校時代、私が真理子に送った手紙に真理子が返事の手紙を送ってくれた事が何だか嬉しくて。私からの手紙を真理子は読んでくれた時にその当時の真理子が感じた事をなるべく率直に私が送った手紙への返事の手紙に書いてくれたような気がして。その返事の手紙の文章の全文を手紙からwordに書き写して未だに保存しているんだ。多分だけど、真理子も私と同じような事をしていると思っている。もし、真理子も私と本当に同じような事をしてくれていたら真理子は私よりもかなりしつこくそのデータを保存し続けようとしているんだろうな。まあ、とにかく私はその時よりも真理子と仲良くなれた気がしている。昔よりも今は更に私達は本当の友達だと自然に思えている」

そして、そろそろ店を出ようかと友達が言った後に私は友達にまた会いたいと言った。

友達も私に私もまた会いたいなと言ってくれた。

そして、駅まで歩いてしばらく雑談をしてから電車に乗り、そこではなるべく静かな声で雑談を続けて、私の家の近くまで一緒に二人で歩いていた。

そして、私達が私の自宅前に着いた。今日、二人が別れる前にお互い高校時代に書いた手紙は出来るだけ長く保存する事を二人で約束をしてお互い「じゃあ。また会おう」という事を言ってから私は自宅の玄関の鍵を開けて自宅に戻って行った。


その日、帰宅して自宅に戻り、自室のベッドで寝ようと横になっていた時にふと私が生涯また会う事が絶対ないと確信しているあの中学時代の元同級生の私とは絶対やりたくないと言った男子生徒の事を考えていた。


私はふと中学時代の同級生で男女関係なく私が一番好きだった友達のほかにも私があのセックスの初体験を殆どの女子中学生よりは早くすましたと思っていて内心その事を自慢していた女子中学生よりも早くすましていた事に気づき、その事を「やっぱりね」「絶対そう思っていた」「私はそう思わなかった」「でも、あの子ならそういう演技をして私達にはばれていないと思っていたと思う」ではなく私が中学時代に一番好きだった友達と同じように「だろうね」と思っていた人がいたかもしれないなと思った。そう思うと私はきっと私が当時思っていたよりも遥かにうまく「まともな女子中学生」を演技できていた訳ではないことを思った。そして、それに気づいてから今まで内心のどこかにあった私の密かな快楽の優越感はもうなくなっていた。しかし、私はそれでいいと心の底から思った。もしこの先この優越感が復活しても復活しなくてもどうでもいいと私は心の底から思った。また今の結論が変わらなくても変わってももうどうでもいいと私は心の底から思った。


私は今でも本質的なものは変わった部分もあるけど、基本的には全く変わらない。私はシンブルだから絶対変わる事のない絶対ともしかしたらほんの僅かでも変わるかもしれない絶対があると思っている。今までずっと私の「絶対」は矛盾している二種類しかない。それは多分、一生変わらないという確信がある。あくまでも現時点だけの「絶対」だけど。


綺麗。可愛い。凄い。面白い。頭が良い。格好いい。良い事を言っている。良い事を考えている。そのような好意を他人からそして内心でそう思っているような自分がいる事を自覚していた。その確信は実際には言われていないかもしれないし、または思われてはいない。本当に私のただ勘違いかもしれないし本当に言われているか思われている事かもしれない。しかし、それらは自分の身の丈に合わない快楽しか得られない。そして、何時かはその快楽で自分が破滅する。しかし、ちょっと変わっているね。ちょっと普通じゃないよね。それらは私の身の丈に合っている快楽を得られる。その快楽は生涯、自分を破滅させる確率が極めて低い。だからなるべく正確に自分の身の丈を知っておくと幸せになれるかどうかは分からないけど例え不幸に陥ってもその不幸の度合いが軽くなると確信に近い感じで私は思っている。しかし、例え身の丈に合っていても少しでもコンプレックスを悪用した快楽や歪んだ優越感などの少しでも歪んだ快楽をわざと得られようとすればおそらく身の丈に合わないで得られる快楽をもしかしたら超えるぐらい自分を破壊するかもしれないなと思った。だから私はなるべく自分を正確に把握して自分の身の丈に合ったプライドを持ち、そして、自分が少しでも歪まないように自分が限界を迎えるまでは全力を尽くそうと思うようになっていた。それは今の自分だからそう思えるのだろう。しかし、その考え方はこの先、変わってしまっても今こうして本当に心の底からそう思えるのは現時点での私は自分にとって確実に幸せな事だと感じていた。

そして、また私は再就職先の会社の仕事が休みの日の昼頃に図書館に行き、以前、その映画を観て中々良いなと思った小説版の本を借りていた。最初は見ても見なくても良いなと思っていたけど返却期限がまだ余裕があったから取り敢えず少し見た。まあ、つまらなくはないなという感じでそれでもしばらくは続きを読まなかったのだけど、どうしても時間を持て余していて取り敢えずこの小説の続きを読む事にした。そして、仕事が休みの日に昼から夜までずっとこの小説を読んでいた。

大体映画の話の大筋と同じ展開で登場人物の心理描写が映画版よりも遥かに細かく描写されている。そして、だんだん小説を見ていく内に結末がどうなるのか思い出せない事に気づいた。主演の俳優が泣いているシーンを思い出した。どの場面で泣いているのか忘れたけど、そのシーンが思い浮かんだ。そして、私はこの小説を読んでいく内に明日はどうしても仕事以外で外出しなければいけない用事があってなるべく早く寝なければいけなかったのだけど、途中で読書をやめようと思っていてもつい小説を読んでいた。部屋の時計を何度か見てそろそろ読書をやめないといけないと思ったけど、後10分ぐらいならいいかと思っていく内に物語は山場を迎えていた。そして、仕方ない今日は寝なくてもいいかと覚悟して最後まで読もうと思った。そして、ふと急に私のコンプレックスについて改めて考えてその時、何時からかは分からないけど、私はコンプレックスを隠そうとするより、客観的にコンプレックスを少しでも軽くなる方法を考えていた結果、今よりもどうしてもコンプレックスを少しでも軽くするために敢えてコンプレックスを隠さないようにしていた事に気づき、不思議とぽつりと独り言を言った。だってコンプレックスを隠すより隠さない方が楽じゃない。私はそう独り言を言った後、何故か知らないけど思わず涙が流れた。小説には勿論感動していたけど、どうやら感動の涙ではなく、今までずっと自分のコンプレックスの辛さを必死に我慢していた辛さをどうしても意識せざるを得なかった。だから、私は少し泣いて部屋からハンカチを取り出して涙を拭いて、そして、また小説を読んでいった。そして、私の言葉では到底言い表せないぐらいの複雑な心理描写を見て主人公が最後どんな選択をするのだろうと思った。そして、小説を最後まで読み終わると午前4時を過ぎていた。今からは流石に寝られないと思い、取り敢えず最低でも用事が済むまでは起きていけないなと思い、帰宅したら明日は祝日で明日一日は一日中、何時でも寝られる事をありがたいなと思った。これは仕事の休日の大きな利点の一つだなと感じた。そして、取り敢えずスマホのネット動画を見て色々見て普段はどうしても見たいなと思わない動画がどうしても見たくなり集中して最初から最後まで見ていた。何時ものシンプルなつくりの動画だったけど何時ものそのような動画とは少し違う感じの感動系の動画だった。素直にこの動画を見られて良かったなと思い、一応電気を消してずっと目を瞑り一時間でも見られると良いなと思い強引に寝ようとしたけど、結局寝られなかった。仕方ないなと思いずっと起きている事を決めた。私はパソコンで取り敢えず認知症になった叔母が入所している施設に初めて行く事を決めて、その手土産でこの小説を渡そうと思った。

そして、再就職した会社をわずか2年半続けて、色々悩んだ挙句、今度は自分の意志で退職する事にして、私は退職届を上司に提出して受理されて正式に退職した一か月後の頃。私はまたしばらく無職暮らしをする事にしていた。

最初は本屋で叔母の為にお見舞い品として叔母が興味を持ちそうな小説を取り敢えず一冊買おうと思っていたけど、何か本屋に行くのが面倒だなと思い、ネットなら楽だなと思った。そして、違う事を検索した後でその本を検索した。そして、出来れば新品がいいけど中古本でもまあなるべく保存状態が非常に良いという事に拘り、なるべく安い値段のこの小説を探した。そして、送料無料の400円以下のこの小説を発見した。それを取り敢えずお気に入りに追加した。


無視や「無」は相手にするや「有」よりも楽だろう。でも、無視や「無」も相手にするも楽ではないだろう。

実力以上の実力を維持し続けるのは不可能に近い。

例えば私は同じレベルの小説で「普通」の設定の小説と「普通」じゃない設定の小説を同じ時代で同じような条件と同じような環境の読者たちに読んでもらえるとして。

その読者たちの率直な感想をなるべく正確に知る事ができたら、その読者たちの想像を遥かに超えるような小説は「普通」の設定の小説より「普通」じゃない設定の小説の方が作りやすいだろうなと感じている。私は多分、そう感じる人達がそう感じない人達と比較して何となくどちらかというと私と同じように感じる人達の方が多いのではないかと感じている。もしかしたら違うのかもしれないなと思いながらも私は何となくそう感じていた。


そして、前の会社を辞めてから三か月後。私は3社目の会社を見つけて再就職するための準備をしていた。そして、何とかその日どうしても済ませなければいけない用事を済まして帰ってきた。帰ってきて取り敢えず何故かいつもならほうじ茶を飲むけど、この日は緑茶を飲み、食事を終えてシャワーに入り歯を磨いてから最後にトイレに行き、そして、何時もよりも早く寝ようとした。私が寝るまでの間に再就職先の候補として考えていた何社かの会社の中でどこの会社の面接に最初に行こうかと考えていた。何となく色々条件を比較して結局、特に明確な理由が無いけど、色々出来る限りの力を使い全力で想像して、そして、何となく私がどうしてもこの人だけは好きには絶対なれないような人が一番少なそうなイメージのある会社に一番早く面接を受ける事を決めた。そう決めてからしばらくして私はようやく眠りについた。


私が再就職をして2か月後の休日の昼。私はスマホでYoutubeを見ていたらニートが学力の低い女子高生に勉強を教えてその女子高生を救ったという内容の動画を見た。その後、私はふと性的虐待の被害を受けた子供の事を想像した。私ではその被害を受けている子供にとって現時点はおろかこれから成長して本当の大人になれた時が来ても救いになるどころか少しでも気休めになるようなレベルの言動を何一つできないなと思った。

しかし、私のような児童ポルノに出た事のある子供の事を想像した。その子供の方が性的虐待を受けた子供よりは気休めになる言動ができる可能性があるなと思った。

そして、私はいつしか違う事を考えるようになりいつしかその事を考えなくなった。

そして、私が中学時代に一番好きだった友達とまた再会した日の夜にふと思い出した。

その事を思い出す前にネットで今、Xに何を投稿しようかなと考えていた時にふとその事についてあの時に思った事をまとめて投稿した。内容は昔、児童ポルノに出た事を後悔していたけど今になりその児童ポルノに出るかどうかは自分で選べたけど、今になりあの時の私にはあの児童ポルノに出る選択肢しか選べなかったのだろうなと思うようになったという事だ。

そして、それを投稿するかどうか迷ったけど、結局、それを投稿した。

その後、私は3社目に入社した職場でこの会社に入社してから一番嫌な事があり、もう私はこの会社を辞めようと思っていた。せめてその様な事を言った人の悪口を投稿しようとして色々考えてその相手になるべく気づかれないように注意してXに投稿した。

そして、そういえば児童ポルノに出て昔は後悔していたけど今になりその時の私にはその児童ポルノに出ざるを得なかったんだろうなと考えていた事を思い出していた。

その時、私はその児童ポルノに対して書いた投稿を消そうかなと迷っていたけど、まあ別にいいかと思いトイレに行きたくなってトイレに行った。その後、私はその事を特に思い出さず生活を送っていた。


私が会社員として4社目に入社していた会社を二か月前に辞めてまたひきこもっていた時に中学時代に一番好きだった友達が子宮頸がんになった。友達の家族や親せきや私以外の友達たちや友達の旦那さんや会社の同僚などが見舞いに来てくれたらしい。私が友達に見舞いに行ったときにも友達の母親がすごくつらそうに友達と話をしていた。私は取り合えず女性週刊誌をこの病院の売店で買ってもしこの雑誌を読めるように体調が回復するといいねと言ってこの女性週刊誌を渡した。そして、母親はもちろん、私以外の見舞客は本当に友達を心配して悲しんでいた。私はもちろん友達のことを心配しているし悲しんでいた。でも、そう思わなければという意識がどうしてもあった。だから、私は心の底から友達を心配できなくて悲しめなかった。

友達は「真理子らしいね」とだけ言ってしばらく無言で私の顔を見ていた。そして、少し経った後で「見舞いに来てくれてありがとう。うれしかったよ」と言ってそのあとは雑談をしてもうそろそろ帰ろうかなと思ったときに「ごめんね。じゃあ、また来るね」と言って「ありがとう」と友達が言って私は病室を出た。そして、家に帰り、また自室に戻り、ノートパソコンでネットニュースをチェックしていた。その後、私は何となく次に見舞いに行くときに何を渡せばいいのかなと思い、ほかの人はどんな見舞い品を持っていくのかどうか調べていた。

その時に私は友達が私の事を本当の友達と思ってくれていると思えた。私はきっとお互いが生きている間は少なくてもたとえこの先、お互い絶縁したくなるくらいお互いを嫌いになってもそれでもずっと私達は友達でいられると思っていた。私は色々、友達と出会った頃から現在までの記憶に残る思い出を考えていた。なぜか私はその友達と初めて会った日からなぜかほかの数少ない友達とは違い本当に心の底から笑ったことが一度ある。いつものああ面白いという感じではなく、思わず笑ってしまうくらい面白いなと思った。その時の話題はすっかり忘れてしまっていたけど、そのことは今でも鮮明に思い出せる。それ以降も色々私はその友達と過ごした時間で印象に残る出来事や言葉を思い出していた。

そして、今、この瞬間も私は肉体的なオナニーではなく精神的なオナニーをしていると思っていた。なぜか友達のことを色々考えてこの時こうだったのかなとかこういう気持ちだったのかなと思うとなぜか気持ちよくなっていた。そして、私は今、今までおぼろげに気づいていた事実に気が付いていた。私はずっと今まで精神的なオナニーをずっと繰り返していた人生を送っていたことに。精神的なオナニーを繰り返すために何時も何かに対して常に全力で考えていた。そして、最後に私なりの結論を出して精神的な快楽はピークに達していた。そして、その後にまた色々な出来事をおかずにしてまた精神的なオナニーを始めていた。その繰り返しをずっとしてきただけ。それが私の人生だったとこれほど明確に認識できていた。そして、それがきっと本当の私だったんだとただ認識する事しかできなかった。そして、食事の用意ができたと母親が私をリビングに呼びに来た時にその事を考えるのをやめた。そして、私はその後、中学時代に一番好きだった友達の事も考えるのをいったん中止した。そして、家族で食事をして話題は友達の病状や友達のこれからの生活の事を両親と私の食事中の話題にしていた。


本当に人間として優しくなれるのに私は性格的に向いていない。何でだろう。私は両親や祖父母には間違いなく愛されて生きてきたはずなのに。もしかして、「普通」の人達よりも少ない経験かもしれないけど、確実に私に私が思う本当の優しさを抱いてくれている事を確信した事があるのに。それに私は少なくても一度、子供の頃とはいえ逃げた事がある。私は少なくても一度は自分から逃げた経験があるのに中学時代以降逃げられるのに逃げない事を自分の限界まで自らの意思で選んでしまう。私は本当の自分から逃げられる器用さが足りない。「普通」への執着を失くす事が他の人よりも向いていない。だから、私は今の所、錯乱した思考で私が「普通」じゃないから何時までも本当に人間として優しくなれないのだろうか。勿論、こんな私にも「普通」の部分はある。しかし、他の一般社会で生きていける人達と比べて「普通」の部分が圧倒的に少ない気がしていた。

結局、「普通」になれない私はやはりおかしいのだろう。やはりまともではないのだろう。そして、人として最低なのだろう。私はこんなに恵まれた環境で育ったのに。周りの人達は良くしてくれた人たちも多かったし、私の存在など無関心だった人達も多かったし、勿論、程度の差はあるにしても私を嫌う人たちも多かった。

だから、決して、私の狭い世界とはいえ本当に色々な人達と出会ってきた。

私が知り合った人たちは。少なくても私と親しく成ってくれた人たちは全員ではないが殆どの人達は私に人間として本当に優しくしてくれたことがある。

なのに、私は私を含めて一度も人に人間として本当に優しく出来た事が一度もない。

私は心身ともに多少は欠点がある事は自覚しているし精神的には欠点がかなりあると自覚している。それでも私は「普通」になれないはずはないのだ。私は私なりに努力している。何とか自分の快楽などの本能や自分の本質や自分がその時の自分の価値観や自分の美意識などの自分の意志ではあがなえないようなものに必死に抵抗して「普通」になろうと努力をしてきた。そして、その努力のおかげで私は一般社会に最初の会社に入社して退職をせざるを得ないほどの出来事が起きるまでは何とか生きてこられた。無様で滑稽で惨めで痛々しくて、苦しさを隠し切れないほどぼろぼろに、無理やりに、そして、必死に「普通」に少しでも近づく努力をして、そして、その結果、何とか一般社会で生きてこられた。しかし、今、もう私は完全に一般社会に適応できなくなってしまっていた。

完全に「普通」の大人ではなくなってしまった。そうなってしまった私はこれからどうやって生きていくのだろう。きっと、もう二度とこれからの私は会社に正社員として就職が出来なくなってきた気がしていた。

今までも、今も、そしてこれからも。ずっと私は変わり続けているけど、変わらない部分も多くあるけど、でも、私はずっと誰かを私は本当に人を愛せるし本当に人に愛される事ができる。そして、私を本当に優しい気持ちで接してくれる人たちとこれからも少ないながら出会えるだろう。しかし、私はどんなに自分にとって大切だと思える人に出会えたとしても私の思う本当の優しさをもって人に接する事だけは不可能だと確信できていた。

私が年を重ねるたびにそう思う。それでも、私は幸運だ。こんな私でも少なからず本当に必要としてくれる人がいると確信できているのだから。例えそれが私の完全な勘違いでも。

そして、そんな事を思っていた数日後。私は昔、中学時代で一番好きだった友達が中学卒業後に私の家に送ってくれた手紙を机の引き出しから取り出してもう一度見ていた。私達が高校生だった時にその友達が私の家に送ってくれた手紙だ。その手紙をまた私は今、じっくりと最初から読んでいた。

手紙にはその友達の高校での生活を中心に書いてくれていて、色々な出来事があったと記してくれていた。そして、その友達が初めて恋人ができた事も報告してくれていた。

その友達が初めて付き合った彼氏は何処か私に似た所がある男らしい。そう手紙に書いた後で『やっぱり私も「普通」じゃないよね。真理子ほどではないとは思うけど(笑)』と手紙に書いてあった。その彼氏は美形で外見はどう見てもいい男らしい。そして、私ほどではないがかなり早い年齢で初体験をしてかなりの数の女とセックスをしてきたらしい。私と同じく身体的には致命的な欠点が一つもなく、殆ど身体的にはコンプレックスはないようだ。しかし、私と同じくこの彼氏も性格的に自分を最低だと心の底から思っていて自分の性格的な欠点だと思っている所に強いコンプレックスを感じているみたいだ。

そして、その彼氏は中学時代、私と同じように中学時代の同級生達、特に同級生の男子生徒たちの殆どは自分よりも子供だと思っていたらしい。もちろん、性体験の経験の早さや人数だけでそう感じたのではなく、全ての面でそう感じてしまったようだ。

そして、その友達の初めての彼氏は私と違い、私の場合は勉強に異常な程、努力をしてその彼氏の場合はサッカーに異常な程、努力してきたようだ。しかし、その彼氏は残念ながら特別な才能はなく、一応、その高校ではサッカー部で一年生の中で唯一のレギュラーの選手だけど、例えその彼氏がサッカー選手としてどんなに成長できても将来、プロのサッカー選手になれそうもないような感じらしい。もし幸運にもその彼氏が将来、プロのサッカー選手になれたとしても海外のトップリーグのビッグクラブでレギュラーになれるような世界的な一流サッカー選手には絶対なれないと確信できるレベルの男のようだ。

そういう所も友達は私にそっくりだと感じているらしい。だから私はその彼氏が好きな理由の一つとして感じているのだろうなと考えているようだ。

手紙の原文では『もちろん私にとって今の所、真理子は友達として好きで恋愛感情はないし、その彼氏は恋人として好きで友情という感じは殆ど感じない。単純にその彼氏を男として好きな気持ちの方が圧倒的に大きい。それでも、私は本当に何となく私が想像している真理子にその彼氏はかなり似ていると感じてしまう。勿論、真理子と今の彼氏は全く似ていない所も確かにあるし、最低でも真理子は女と彼氏は男という性別の違いは絶対的に違うけど、それでも、私は今まで私が知っている範囲の真理子とその彼氏と本質的なものはかなりかなり似ていると感じてしまう。それが正しいのか間違っているのかは現時点では確実には言い切れないんだけど。それでも、私がこの手紙を書いている時点ではこの文章を書いている間はそう感じている』

そして、私はその友達からの手紙の後半を読んでいく。

その手紙の原文のまま書くとこんな文章だった。

「結局、最初から私はその彼氏に本当は騙されているのかもしれないけど、でも、何となく中学時代に真理子と初めて本当の意味で仲良くなれた気がした瞬間の後から卒業式までの間、二人で一緒にいた時のような何とも言えない心地よさを感じているんだ。でも、その彼氏に真理子の事をあんまり詳しく話し過ぎると多分、彼氏が私よりも真理子に興味が出てきてしまう気がするから、なるべく彼氏とのデートの時は真理子の事を詳しく話さないようにしている。だから、私は真理子の本当の友達じゃないかもしれない(笑)

結局、私は真理子と同じ高校に行けなかったのは残念だったけど、でも、この高校に入学できて良かったと今の段階ではそう思っている

。もし出来れば私は年齢的には少なくても大人になった真理子とまた会いたいな。その時は二人で色々話せたらいいなと思っている。中学時代、真理子が私にどうしても隠そうとしていた事も出来れば私が生きている間に真理子の口から伝えてくれたら最高だと思っている。何時かそんな日が訪れると良いな。他にも私は真理子に伝えたい事があるけど、でも、取り敢えずやめておく。出来ればまた二人で会えた時にその他の伝えたい事を伝えられたらいいなと思っている。それを手紙の締めの言葉にして一旦手紙を書くのをやめておこうと思います。それではお元気で。出来ればまた二人で会いましょう。それまでお元気で。 あなたの事を本当の友達と思っている中学時代の真理子の友達より」

私はその手紙を見て、その後、また自室の机の引き出しにA4の書類を保存するファイルに入れて戻した。そして、その手紙の文章をパソコンのwordのファイルに全文打ち込んで完全に手紙の内容を書き写して保存していた。パソコンと外付けSSDとUSBメモリー3本にコピーしていた。そして、そのUSBメモリーの一つは外出時、何時も落ちないように衣服のチャックに100円ショップで買った水にぬれないような小物入れの中にしまって持ち歩いていた。そして、家にいる時は必ず衣服の中に別の私が中学時代一番好きだった友達が送ってくれた手紙の文章を完全に書き写したwordファイルをコピーした三本の内の一本のUSBメモリーを常に入れて生活をしている。そして、最後のUSBメモリーの一本は机の中に水にぬれないような処置を施して机の鍵がついている机に鍵がついてある引き出しにしまっていた。もし、この手紙やこの手紙の文章が全部書き写したwordファイルが完全にこの世からなくなっても、その時が来る事を私は覚悟していた。でも、その時が少しでもくるのを遅くしようと私が今できる最大の努力をし続けていた。おそらく私はその最大の努力だけは生涯続けるだろうなと思っていた。

それは私がその友達への本当の友情に感謝しているという事だけではなく、多分、それ以上の気持ちで私が自分の精神的なオナニーの貴重なおかずの一つとして出来る限り鮮明に少しでも長く維持していきたいからという理由で努力をし続けていくと思っていた。

だから私はその友達の手紙を大切にしていく。

友達が大切だから。それ以上に私が大切だから。

そして、手紙を読み終えた後もしばらく私はその友達の事を考えていた。そして、私はその友達と多分、この先、もう一度は二人でまた会えるだろうなと思っていた。

その友達が何時死ぬのか分からないけど、出来ればその友達が私と会話ができる状態の間に私はその友達に会いに行きたいなと考えていた。その前に私がその友達より先に死ぬかもしれないし、例え私達が生きていたとしても、私がその友達に会いに行けなくなる状態になるかもしれないし。今、考えている以外の原因で二人はもう二度と会う事ができなくなってしまったとしても、先の事は全く予想が出来ないけど、それでも、私は率直にそう考えていた。この先、出来れば私とその友達が会ってまた話したいと素直に思っていた。


私が何時ものようにネットで色々な記事を適当に見ていてとある記事を見るまでの間、ずっと今まで私は何度も地獄を経験してきたと信じていた。しかし、私はその記事を途中までだけど読んだ後で私が今まで経験してきた苦痛など地獄などというものではなく、ただの苦しい出来事にしか過ぎない事を思い知った。

その記事は父親が実の子供たちを性的虐待だけではなく身体的虐待も加えているという記事だった。そして、女の子だけではなく男の子にも父親は強制性交をしていたという事実だった。私はただ記事を読み続けた。信じられない。私はそう思いながらずっとその記事を見ていた。私も想像上で性的虐待の事を考えた事がある。強引に父親が娘に強制性交をして喜んでいるシーンを想像していた。そして、強引に父親が娘に中出しをする。そして、その性器から流れてくる精液を見て父親が笑っている。そこまでは私にも想像が出来た。しかし、実際に起きたこの少なくてもこの父親が娘にした性的虐待、そして、この娘の弟に実際にした性的虐待の内容を知って唖然とした。

私はきっと自分の何にこんなに苦しんでいたのだろうか。私は自分が児童ポルノに出演した事がまさか私に最低でも想像できるこの少なくても性的虐待の苦痛に匹敵するほどの苦痛を与えたのだろうか。

私は今までの考え方が確実に変わっていた。この先、私にいくら本当の地獄だと感じる出来事が起きてもそれは本当の地獄ではない事は事実として確実に自分が無意識の内にほんのわずかな思いかもしれないけど、それでもそれは事実として私は生涯、思い続けるだろうと思った。自分が洗脳されるとか脳死になるとか余程の事態が起きない限り。


私は図書館に借りていた本を返すために父親が運転する車に乗っていた時、ふと今まで思いつかなかった事を思いついた。

勿論、確実に私を筆頭にそして両親と祖父母も私が中学時代に一番好きだった友達さえも私は無論、両親や祖父母ほどではないがやはり普通じゃない。

今思えば両親と祖父母は私が小学生時代から夜遊びしても何時も物凄く叱るけど最後は許してくれた。私が児童ポルノに出演してもがいている時にも児童ポルノに出演している事は気づかなかったけど以前よりは確実に何となくはおかしい、苦しんでいると気づいているのに本当の優しさを抱いて接してくれない。私が最初に入社した会社を退社して苦しんでいる時に私が一番傷つく言動を分かっていてもしてしまう。友達はともかく両親と祖父母は私と全く同じ感覚ではないが大きく共通しているのは少なくても私と同じく両親と祖父母は普通ではない事だ。私はそれが今、初めて今まで私が苦しんでいた事を根本的に軽減できなかった一番大きな原因かもしれないと気が付いた。


しかし、私は小学生の頃から少なくても殆どの特に同級生の女子達にだけは児童ポルノに出演した事がある事以外はおそらく少なくても私の本質は殆どばれていたんだなと思った。でも、その頃の私はその事を全て上手く隠せていると勘違いをしていた。

少なくても私は小学校時代から大学時代までは特に女子達にいじめられていた時に唯一、児童ポルノに関する事だけは虐めのネタに特にされなかった事がそれまでの私の人生で一番幸運だったと思った。

そして、私はかなり高いレベルの「かまってちゃん」だと今、はっきりと気が付いた。私が子供の頃から今までずっと。そして、私が死ぬまでずっと。


ある日、私は父親とは母親と夜のニュース番組を一緒にリビングで見ていた。

そして、大企業に関する事件について詳細に放映していた。その事件は社会の反響が大きく、その事件が起きた直後は特にその事件に関するニュースをよくニュース番組では報道される事が多かった。その事件に対して私も興味があったので今の私なりに色々その事件の情報を知ろうとしていて、真偽はともかく私のその事件の情報量が増えていき、私はその度にその事件に対して色々と考え方や感想が変わりながらも少しずつその事件の「一番の原因」に近づいている気がしていた。

その日も、そのニュース番組でその事件の事が放送している時にずっと私はその事件が起きた「一番の原因」を考え続けていた時、一緒にテレビを見ていた父親は何の気なしに割と直ぐにぽつりとその事件の感想を言った。

「この問題はこの企業に人が多すぎる事が一番の原因だろう」

私はその父親の感想を聞いて自然とつい「そうだね」と言ってしまっていた。

そして、私は色々、父親の感想について考えていたが最終的にはそれが一番自然だなと思った。そして、そう思った私はだんだんその事件の事を考えられなくなっていた。

結局、その内、私はその事件の事を意識しない時間が増えていっていた。


私は会社員を辞めてからB型作業所を知る間際にセックスをした男に強引に中出しをされた。私はその男を殺しに行く間際に母親が必死になって私を停めてくれた。

その後、入院をする事になった。とある精神科病院のA棟へ。

そして、退院をして映画の脚本を書く子いた。

『月光』というタイトルで某若手有名女優が統合失調症になり、自らが脚本、主演で映画を撮るというストーリーだ。それを小説サイトに投稿するも全体で55位くらいだった。

まあ、私にしては上手く行っていた。そう考えて結局、私には特別な才能がないと明らかに理解できた。「「普通」なんだな。

これが現在の実力なんだと思い、中学時代のように何時かトップクラスになりたいと改めて思い、今日も散歩をしながら人物を観察していた。


私は結局、就職を諦めて今の私ができると思える事を探していた。色々、選択肢があったが色々、悩んだ末、私はもう既に精神障害者の年金を貰っていて障害者手帳もあるから精神障害者として何か利用できる制度を活かして何とか生きていこうと考えていた。

何かないかなと色々ネットを調べているうちにB型作業所の事を知った。取り敢えずB型作業所の事を色々、調べていた。あるサイトを見て知った。B型作業所での行動は労働ではなく作業だそうだ。それは明確な事実だと知った。仕事ではない。仕事に限りなく近く感じたけど、それでも正式には仕事ではない作業なのだ。その事についてやはりどうしても割り切れない思いを感じてしまったが、それでも私は取り敢えずやってみようと思った。辞めたければ「仕事」よりは簡単に辞められるようらしいからまあその方が私に合っているなと思い、色々、私が住んでいる場所から近いB型事務所を探し、何社か公式サイトを見て悩んだ挙句、最終的に私は隣の市のB型作業所に行く事にした。

そして、そのサイトを見ていた時、どうやら作業所に直接行かないで自宅でも作業が出来る事を知った。私は思わず良いなと思った。そして、私は通所ではなく在宅でそのB型作業所のサービスを利用しようと決めた。



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