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第4話(一応、完結)

私は今まで大学卒という事を常にプラスに思っていた。しかし、今、私は初めて私が大学卒という事実を馬鹿らしいと思った。

私以外の大学卒の人達は決して選ばない道だろう。しかも、午前中のみ二時間しか明確に社会に役立つ行為をしない。それは少なくても大学卒の人達なら自分の譲れないものが壊れてしまう気がした。それは私が別にB型作業所を馬鹿にしている訳では決してない。

人間にはどんなに努力をしても限界がある。いくら努力しても出来ない事は出来ないのだ。それは悪い事ではなく当然なのだ。全く気にする事はないのだ。自分の出来る範囲で少しでも人に役立つと思える事を全力でやる事が大切だ。それが一番、人間として大切なものの一つだという事は間違いない。それはきれいごとでも無く屁理屈でもない。正論以外何物でもない。紛れもない事実だ。

そして、私も例外なく間違いなく例え二時間でも作業する事は明確に社会に貢献をしている。しかし、私のこの社会貢献はB型作業所の職員の人達が一生懸命私をサポートしてくれる事でようやく出来る事だ。だから、私は今の作業所の職員や経営者の人、全ての関係者に感謝している。そして、今の作業所の職員、特に三人の職員には更に凄く感謝している。私が知っている限り今の作業所の職員たちは本当に私に気遣いをしてくれて私が少しでも無理なく少しでも生活の質を向上させるように努力をしてくれている。だから、今の私が少しでも作業を通して社会に貢献できている事を実感する事もありがたいけど、何よりもその私の事を少しでも幸せになれる事を考えてくれて努力してくれている気持ちが何よりもありがたい。だからだろう。私はそう自覚した瞬間から今まで以上に作業に対して少しでもミスを減らし更に熱意を持って作業をするようになった。しかし、それでも私の中でどこか葛藤がある。それは言葉にするのにはあまりにも私以外の人達に失礼すぎてとても考える事すら嫌な葛藤だったけど、しかし、どうしても私の中でその葛藤が完全には消えなかった。しかし、最終的に私は今の生活を送れる事だけで充分だと思った。そう思ってからはその葛藤は完全に消えた。少なくても私の意識的には完全に消えていた。

そして、多分、私と同じ大学卒の人達には私の選択とこの心境は理屈ではわかる人はいるかもしれないが本当に共感する人は絶対にいないだろうと思った。それでも、私はそれでいいと思った。強がりではなく強引にそう思うのではなく、心の底からそれでいいと思った。しかし、そんな状態でもそんな幸運な状態でも私の精神が徐々に少しずつ限界に時間が経つにつれて確実に近づいていた。


作業は利用者の生活の向上を主に目指す。仕事は本人が主に経済的に生きていけるようにする事や本人が所属する組織を存続させる事を主に目指す。そして、基本的には本人と時には本人よりも組織の方を更に向上させる事を主に目指す。

組織。例えばB型作業所の基本的に大事な存在目的。

B型作業所の基本的に大事な存在目的を考えて行動してその大事な存在目的を実現せられるようにまずはB型作業所自体を維持する事が大事。

そして、まずはB型作業所を維持しようとする時に起こる問題をなるべく減らすなど努力してB型作業所自体を維持しやすくするようにする事。

例えばB型作業所を維持できる努力は作業所に所属する職員たちが利用者をサポートして利用者たちが作業や生活などに関する問題を出来るだけ解決できるようにしてB型作業所の経営などB型作業所を存在しやすくする事などがある。B型作業所の場合はそうした努力をして、まずはB型作業所を維持しやすくする事が大事になる。


お前は「生きている」訳ではない「生かされているだけだ」と直接言われた。精神病院に入院している時にキャバクラが好きな中年男性入院患者に言われた。私は何故かその時、その男に反論できなかった。確かにと思ったからだ。確かに今までの私は「生きている」訳ではなかったのかもしれない。そして、私が退院後、入院中に知り合った中年女性からLINEで私はその男性患者が死んだという風の便りを知った時、私は私なりにこれからは「生きていきたい」と思った。しかし、その思いはおそらく何の価値もない思いだろう。しかし、確実に私の中でまた少し何かが変わった。それでも、まあこれからも今までと同じく何も変わらず私はずっと「生きている」のではなく、ただ「生かされているだけ」なのかもしれないけど。


精神病院に三度目の入院中。私は昼食を終えてしばらく経ち、風呂に入った後で夕食の時までまだ時間があり、特にやる事がなく何となくリビングでぼんやりしていた日。私が入院中、私に一番優しくしてくれた中年男性の看護師に話しかけられた。

その時、私はその看護師の男に私が記憶に残っている小学生時代の児童ポルノに出演した事以外の性体験を多少盛って話した。

そして、私がこの病院を退院する前にこの病院の職員で唯一自分の連絡先を教えた。

私がこの病院を退院してしばらく経った頃にこの看護師の男から手紙が届いた。

私はその手紙を読んだ後、特に「よく自殺しなかったね」という文章が印象に残った。

私は手紙を貰ったので私もその看護師の男に今度は当たり障りのなさそうな内容をしたためた手紙を送った。私はその看護師の男に手紙を送った後、率直に私はその看護師の男とセックスした事がなくて良かったと思った。

そして、私は間違いなくこの看護師の男も普通じゃないなと思った。


両親が死んで私はこの家で一人暮らしをせざるを得ない状態になった。家事も何も日常生活を送る必要な事は私一人の力では殆ど何もできなかった。

そんなある日。私は自室のベッドで寝転んでいた。その時、ふと私はこの部屋くさいなと実感した。しかし、私は掃除をする気にはなれなかったから臭いなと思いながら何もせずただベッドで寝転んでいた。臭いのは私の口や体だろうかと思った。そう言えば歯磨きは何とか毎日朝と夜の二回なるべくするようにはしていたけど、しかし、風呂はおろかシャワーもここ二日間浴びていない。だから、最低でも明日までにはせめてシャワーを浴びなくちゃと思った。流石に食事だけは今夜は食べたい。薬は水道水で飯も食べずに飲んでいる。来週の木曜日に病院に行かなくちゃ。そして、洗濯もしなくちゃ。日用品を補充するために色々な店で買い物もいかなくちゃ……後は……と色々やらなければいけない事を考えていて、今まで私の面倒な必要不可欠な日常生活の事の全て家族が面倒を見てくれて何とか日常生活を円滑に送れていたんだなと改めて感じた。そうか。私一人では殆ど何もできないという事を改めて実感した。そっか。私が自分で想像するよりも遥かに無力だった。改めてそう実感した。正直、大学を卒業しても私はこんな程度かと自嘲した。

この日、私は何とかシャワーを浴びて歯を磨いて母親が頼んだ精神障害者の為に家事援助をしてくれる事業者の職員が昨日洗濯して干してタンスに入れてくれた衣服に着替えて靴下をはいた。そして、机の上にある財布と家の鍵をとって、ベッドに一応充電していたスマホを充電器のコードから抜いてズボンのポケットに入れた。そして、この家から一番近くのコンビニに行った。コンビニに入り、一番安いおにぎりを買おうと思って、そう言えば母親も何時も店で食品を買う時に大金持ちのくせに最初に一番安い食品をまずは探すと言っていた事を思い出し、ああ、私達は親子だなと思った。多分、私は臭いだろうけど一応、歯を磨いたし一応シャワーを浴びたから何もしないよりはにおいは大分ましだろうなと思いながら殆ど最短時間で一番安いおにぎりを二つ買って家に帰った。そして、手を洗わずおにぎりを二つ食べて水道水で薬を飲んだ。母親が頼んだ精神障害者の為に家事援助をしてくれる事業者の職員が明日来てくれるから最低でも洗濯だけは自分でしなくても済むなと思い、取り敢えず私はまた寝る前に歯だけは磨かなくちゃと思いながら取り敢えずテレビをつけた。チャンネルを変えるのも面倒なのでチャンネルを一度も変える事なく、今放映しているニュース番組をぼんやりと見ていた時に急に私は便意をもよおして我慢していたが我慢できなくなり仕方なくトイレに入った。用を足した後、ウォシュレットで尻の穴を洗いトイレットペーパーで尻の穴を拭いてからトイレを出た

。そして、何とか手をハンドソープで洗い洗面所に設置してあるタオルで手を拭き、また自室に戻った。そう言えばトイレットペーパーが後残り二つしかない。取り敢えず今日中にネットでトイレットペーパーだけは必ず注文しようと思った。

そして、今、利用しているB型作業所の在宅の午前中のみの作業を二週間休む意思を作業所の職員にチャットで明日伝えようと思った。在宅の作業を二週間休むその一週間前には職員に在宅の作業を2週間休む事を伝えようと考えた。

そして、私は在宅の作業を2週間休めれば自分は2週間、明確に社会に役立つ行動をしないという事を明確に意識した。

母親は生前、私が生きていく上で必要な税金の支払いや水道光熱費や通信費やその他もろもろ。その支払いに必要な手続きを少なくてもパソコンのネットの通信費を払うために必要な全部の変更手続きを母親のクレジットカードから私が一番多額の預金を預けている預金口座から自動引き落とししてもらえるようにしてくれていた。

母親は生前、私がこの家で一人暮らしをせざるを得ないようになる前にそれまでの生活をなるべく少しでも長く維持できるようにする行動を出来る限りしてくれていた。

そう思い、私はまたベッドの上に寝転んだ。

そして、私は同じ状況の人達は殆ど家族の遺産だけでは何時か生活費が支払えなくなるが私は余程の事が無い限り生涯生活費が足りなくなる事はなさそうだなと思った。

私はまた母親の事をしばらく考えていた。そして、また私は目を瞑った。今度は父親の事を考えて、その後、祖父母の事を考えていた。そして、私が一番中学時代に一番好きだった友達の事を考えた。そして、今までセックスをした相手の事を思い出そうとしたが誰一人はっきりと顔を思い出せなかった。

色々考えている内に歯を磨きに洗面所に行き、そして、またトイレに行き、そして自室に戻り、またベッドに寝転んだ。後はスマホを充電して取り敢えず目を閉じた。

中々眠れず、今までの人生を振り返り、精神的オナニーをしていたのではなく精神的オナニーの快楽に依存して生かされていた人生だったなとただぼんやりと思って、そしていつの間にか眠りについた。その時、何故か夢で私は私が出演した児童ポルノを撮影されていた時、私が小学五年生の時、人生で初めてペニスを挿入された時の映像が浮かんでいた。その時の映像は何故か割と鮮明に浮かんでいた。

そして、途中で急に私は目を覚ました。そして、私はこの家で一人暮らしをせざるを得ない生活を送っている事をまた実感していた。

しかし、私は今も自分の意志で自傷行為やオーバードーズや麻薬使用はしなかった。しかし、社会生活を送る上で仕方なく飲まざるを得なかった飲酒はした。その必要最低限しか飲まなかったお酒の存在を思い出し、そして、最後まで煙草を吸わなかった事を思い出した。多分、私は死ぬまで自分の意志で飲酒も含めてこれらの事を私が生きていく上で不可避な状況になるまでは少なくてもしないだろうなと考えていた。7また私の精神が壊れてもこれらの事は私の限界を超えて自分の意志が全くなくなるまでは少なくてもしないだろうなと思った。飲酒はともかく。飲酒だけはこの先、飲まざるを得ない日が来るかもしれない。しかし、私はおそらくその日はもう来ないような気がしていた。だから、後はセックスをもう一度するのかどうかを最後に考えていた。

しばらく考えていたが私はその答えは全く予想ができなかった。そして、そう考えているうちにまた私は眠りについていた。


私はこの頃、人生で初めて「本当」の私を私が思う本当に好きになってくれた彼氏ができた。付き合い始めた理由は母親が頼んだ精神障害者の為に家事援助をしてくれる事業者の職員の担当者がかわり私と同じ世代の男が私の家事援助をしてくれるようになった事だ。

しばらく私はその男に世話になっていて、最初に利用してから二年後にその男に付き合って欲しいと言われた。私は凄く驚いて正気かよと思った。その男は私の金目当てかそれか何かよっぽど特殊な事情があるのだろうと思っていたけど、物凄く迷った挙句、私はその男と付き合ってみる事にした。

私にとって多分、最後の彼氏になるだろう。付き合っていく内に今まで私が付き合ってきた彼氏の中で私の笑いのツボを一番わかってくれた。

そして、私達が付き合って2年目に初めて二人はセックスをしようとした。

しかし、この時まで私は知らなかったけど、実はこの彼氏はEDだった。

私達は何とかセックスを最後まで試みたが結局、最後まで挿入はできなかった。

そして、この時、私は今まで付き合ってきた彼氏の中で一番私の性格に合っている彼氏だと思っていたけど、別れた方がいいなと思った。

私がこの彼氏と別れた方が良いと思った一番の原因はこの彼氏がEDだったという事ではなく、私がこの彼氏がEDだったのが残念だと思ってしまった事だ。そう思ってしまったのは私がこの彼氏を心の底から好きではないからだと確信したという事がこの彼氏と私が別れた方がいいと思った一番の原因だ。

その翌日に私は今すぐではないけど、いずれ出来れば私の方から今の彼氏に別れを告げようと決心した。

だから、結局、私達が別れた一番大きな理由はこの彼氏は私の事を本当に好きになってくれたけど、私はどうしてもこの彼氏の事を本当に心の底から好きになれなかった事だ。

そして、私達が付き合って三年目になる前の日に私の方からこの彼氏に別れを告げた。私はこの彼氏が私と別れる事に対して少しはためらうのではないかと予想したけど、しかし、私がこの彼氏に別れを告げた時、すぐに「分かった」と言って二人はこの瞬間に恋人同士ではなくなった。そして、この男は今の仕事をやめる事になり、この男が仕事を転職してからもう二度と私はこの男と会う事はなくなった。

その後、私はこの男がどうしているのかは分からないし、特別知ろうとは思わなかった。そして、しばらくして私はこの家で一人暮らしをせざるを得ないような生活になった最初の頃のような感じで毎日の生活を送るようになっていた。

しかし、この男は私が初めて今まで付き合ってきた彼氏の中で私が別れようと思った一番の本当の理由を唯一はっきりと伝えた彼氏になった事は私が生きてきた人生の中で事実の一つとして確実に残ったと私はこの時、そう改めて思った。

しずかにいっちゃった……そう感じた。


私が中学時代に一番好きだった友達が私よりも早く死んだ。私はこの先もう私に心の底から優しさを抱いてくれる人は現れない。

私の事を少しでも意識してくれる人は現れるだろう。永遠ではなく限られた時間の間だけど。でも、私は確かに私に私が思う本当の優しさを抱いてくれた人と時間を過ごした。直接会っていた時間の方が遥かに少ないけど。ただ確かにそんな人はいた。

私にとって三社目のB型作業所の在宅作業を強制的に精神病院に入院させられて強制的に続けられなくなってから3か月後にようやく病院を退院できて退院から半年後。

私はその友達の墓参りの後に両親が残してくれた遺産を使って今度は私が本当に嫌いな人達に少しでもストレスを与えるという考えは全くなくただ自分が少しでも楽になりたくてタクシーを行き帰り使い、その帰り道に乗ったタクシーで帰宅中の途中で私はもう末期がんでもうすぐ死ぬ事を意識した。私の両親と祖父母はもういない。

そして、私が本当に愛した唯一の友達であるその友達ももういない。私が死んだら私の遺体を多分誰かが火葬をしてくれるだろう。その後、私がどうなるのか分からない。

でも、私は幸せだと思った。タクシーに乗った。その帰り道の途中にそう思った。

私も既に末期がんになっていてもうすぐ死ぬだろう。私の生きている世界に私と直接かかわる明らかに普通じゃない人はもういない。しかし、私の遺体を多分誰かが費用を出して火葬してくれるだろう。それは多分、福祉関係で勤めている人だろう。

その後、私がどうなるのか分からない。

しかし、私は幸せだと思った。タクシーから両親の遺産から運賃を現金で支払い家に帰った。最終的に私は私を私が思う本当の愛情を抱いてくれた人と私が思う本当の愛情を抱いた人とは出会えた。しかし、最後まで私は私が思う本当の優しさを結局、自分を含む誰にも抱けなかった。でも、それでも、私はこう思った。私は幸せだったと。


そして,死の間際に病院の天井を見ながら考えていた。


どうしても。


普通じゃないのは普通かな。

私って何なのかな。

絶対って。その時点で…

無意味って…

シンプルにならざるを得ない。

私は執着が強いだけではない。

色々、考えられるけど。

死後は「無」だと思っていた。


「有」って「無」に近いかもしれない…


「無」って何なんだろう。


「有」って?

「無」って


私は死に近づいているのかな……

死に近づいているのかな。

死にに近づいているけど、死んではいない状態か(現状では)


まあ、どうでもいいかな。



多分



私は最後までリスカをしなかったぞ。

ドラッグも使わなかったぞ。


お母さん本当にごめんね。

あいしてくれてありがと お父さんも。

気にかけてくれた人たち本当にありがとう。


そろそろ、もう逝くね。

「普通じゃない」子供でごめんね。

普通になれなくて本当にごめんなさい。


またあおうね。

じゃあまたね。


私を……

あいしてくれてありがとう。

お母さん、お父さん、みんな

本当にありがとう


【完了】



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