43話 天界への民事訴訟(リーガル・ハイ・ヘヴン)
聖都エリュシオンの空に掲げられた、巨大な魔導投影による「民事訴状」。
それは天界の住人、あるいは「創造主」を自称する高次元存在に対する、地上からの宣戦布告であった。これまでの歴史において、神は畏怖される存在であり、裁きを下す側であった。しかし、アイリス・フォン・ベルシュタインという一人の「会計士」が現れたことで、その力関係は完全に逆転した。
「……ルキウス様。執行官の配置は終わりましたかしら? ……神が物理的な干渉を試みる際の『出口』となる特異点は、すべて我が国の魔導封印部隊が包囲しております。……逃げ場はありませんわ」
アイリスは、大聖堂のバルコニーに特設されたコンソールの前で、流れるように指を動かしていた。彼女の瞳には、天界のエネルギー供給源である「エーテル伝送路」の脆弱性が、赤裸々に表示されている。
「……アイリス、天界からの『回答』が来たぜ。……といっても、言葉じゃねぇ。……あいつら、自分たちの立場が危うくなったからって、世界そのものを『初期化』しようとしてやがる!」
ゼノスが空を見上げて吠えた。
天の彼方、空間に巨大な亀裂が走り、そこから「神の兵士」と呼ばれる天使の軍勢が溢れ出そうとしていた。それらは美しい翼を持つ救済者などではない。世界のバグ(アイリス)を取り除くために生成された、無機質な消去プログラム(エミネーター)の群れだ。
「……『初期化』、ですか。……独占禁止法違反を指摘された途端に会社を解散して証拠隠滅を図る……。二流の経営者がやりそうなことですわね。……ですが、この世界のバックアップ(住民の記憶と資産)は、すでに私の『デウス・エクス・マキナ』に完全同期済みです。……勝手なシャットダウンは許しませんわ」
空から数千の天使たちが、光の槍を構えて急降下してくる。その一撃一撃が、一都市を消し飛ばすほどの魔力を秘めていた。
だが、アイリスは動じない。彼女はただ、コンソールの「実行ボタン」を静かに押し込んだ。
「……アステリア王国法、第百二十八条発動。……公有財産(魔素)の無断使用による、敵対的プロセスの『強制終了』を実行いたします」
その瞬間、急降下していた天使たちの体が、空中でピタリと停止した。
彼らが纏っていた光の衣が剥がれ落ち、翼がデジタルノイズのように崩れていく。
「……なっ!? 何が起きてるんだ!?」
収容所からモニター越しに見ていた勇者サトシが絶叫する。
アイリスは、冷徹に解説を加えた。
「……簡単なことですわ。……彼らが空を飛ぶための浮力、および光の槍を維持するためのエネルギー。……それらはすべて、この世界の『物理エンジン』を利用しています。……私は今、そのエンジンの利用規約(EULA)を更新し、天界からのアクセスを『凍結アカウント』として処理いたしました。……許可なく私の庭で力を振るおうとするなら、まずは累積された『滞納使用料』を支払ってからになさい」
天使たちは、もはやただの木屑のように地上へ墜落していった。神の奇跡は、アイリスが定義した「知財管理システム」の前では、一文の価値もない規約違反プログラムに過ぎなかった。




