42話 物理法則の特許(パテント・オブ・ワールド)
勇者サトシとその仲間たちが、アステリア王国の特設収容所――という名の、魔導演算機直結型「人的資源活用センター」へと引き立てられていった数日後。
アイリス・フォン・ベルシュタインは、聖都エリュシオンの最深部、かつては「神の啓示を授かる場所」として畏怖された至聖所を完全に改装した「アイリス・ストラテジック・オフィス」にいた。
荘厳なステンドグラスを透過する光は、今やアイリスのホログラム端末を照らすための「無料の光源」に過ぎない。彼女の目の前には、勇者たちから「物理的に、および法的に」押収した聖剣、魔杖、そして彼らの魂に刻まれていた「固有スキル」の構造データが、青白いグリッドの中に漂っていた。
「……ルキウス様。見てください。この『次元一閃』というスキルのソースコード。……実に、設計思想が前時代的で、杜撰極まりありませんわ」
アイリスは、空中に浮かぶ複雑な数式を、まるで腐った食材を仕分けるように指先で切り分けていく。
「……空間の座標データを強引に書き換えることで、距離を無視して攻撃を成立させている。……一見すれば魔法の極致に見えますが、その計算処理にかかる莫大なエネルギー負荷を、この勇者という名の末端ユニット(サトシ)は、一パーセントも負担していませんわ」
「……つまり、そのコストはどこから支払われていたんだい?」
影から現れたルキウスが、冷めたコーヒーをアイリスのデスクに置きながら問いかける。アイリスは眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、一つのグラフを提示した。
「……これですわ。……スキルが発動するたびに、大陸全土の魔素の平均濃度が一時的に〇・〇三パーセント下落しています。……神という名の管理者は、お気に入りの勇者にいい顔をするために、住民の共有財産である『世界の計算リソース』を無断で引き出し、勝手に浪費していたのです。……これは組織経営における『特別背任』および『公金横領』に相当いたします」
アイリスは、不機嫌そうに端末のコンソールを叩いた。彼女にとって、世界の法則を無視した「チート」とは、市場を壊す偽造通貨と同義であった。
「……よろしい。……神が身勝手なパッチ(スキル)を当てて世界を私物化するなら、私はこの世界の『基盤OS(理)』そのものを、私の管理下に置き換えて差し上げます。……ルキウス様、本日午前九時を以て、アステリア王国知財局は『自然現象・物理定数の包括的特許』の登録を完了いたしました」
ルキウスが手元の書類を読み上げる。
「……特許番号第一号『光子の収束および指向性発散(いわゆる攻撃魔法)』。特許番号第二号『慣性法則の局所的無効化(いわゆる高速移動)』。特許番号第三号『質量保存の法則を無視した物質生成(いわゆる召喚術)』……。アイリス、君は本当に、この世界の『仕組み』すべてをアステリアの所有物にしたんだね」
「……当然ですわ。……これらは公共インフラです。……無能な管理者が気まぐれに配る『ギフト』などではありません。……本日から、この大陸で許可なく空間を歪めたり、光を剣に変えたりする行為は、我が国の『知的財産権』に対する重大な侵害と見なします。……違反者には、世界のシステム側から『使用料未払い』による強制的な機能制限がかかるよう、デウス・エクス・マキナのプログラムを書き換えましたわ」
その瞬間、聖都の空が、あり得ない色彩――どす黒い紫と黄金が混ざり合った混沌の色に染まった。
大地が激しく揺れ、天の彼方から、万物の父を自称する「創造主」の、地響きのような怒声が響き渡る。
『――愚かなる人の子、アイリスよ! ……我が作りし世界の法、我が書きし宇宙の書を、汝の汚らわしい数字で汚そうというのか! ……汝に、最大級の神罰を。この世界そのものからの『削除』を命じようぞ!!』
天から降り注ぐのは、山脈を一瞬で灰に変えるほどの「裁きの業火」。
だが、その破滅の光が地上に届く直前――。
ピキィィィィィィィン!!
という、冷徹なシステム警告音が聖都全域に鳴り響き、巨大な火柱はアイリスの頭上で「透明な壁」に衝突し、ただの火花となって霧散した。
「……管理者様。……警告を無視しての『不法投棄』はおやめなさい。……その攻撃、我が国の『環境保護条例』における排出基準を大幅に超過しておりますわ」
アイリスは、大聖堂のバルコニーに立ち、天に向かって巨大な「法的通知書」を投影した。
「……それと、今あなたが放ったエネルギー。……それを作るために浪費された魔素は、先ほど私がアステリア中央銀行の資産として登記した『マナ・リザーブ』から無断で引き出されたものです。……創造主、あなたを『不当利得返還請求』および『業務妨害』、さらには『著作権法違反』で提訴いたしましたわ。……被告人、何か弁明はありますかしら?」
『……な……っ!? 私の力を、止めただと……!? 世界の主である私の命令が、なぜ通らぬ!』
「……理由は単純です。……あなたが世界を放置している間に、私はこの世界の住民と『利用規約』を締結し、彼らの労働と納税を通じて、世界の『実効支配権』を適法に取得いたしました。……現在の株式比率で言えば、この世界のオーナーシップは九二パーセントがアステリア王国、あなたの持ち分はわずか八パーセント……。もはや、あなたは一人の株主に過ぎず、独断でシステムを改変する権限は消失しておりますの」
アイリスの背後には、黄金の魔力を太陽のように滾らせたゼノスが、大剣を肩に担いで立っていた。彼は天上の光を睨みつけ、野獣のような笑みを浮かべる。
「……おい、神様よ。……アイリスの言うことは、この世界の新しい『物理法則』なんだよ。……あんたがこの世界を管理しきれなくなったから、俺たちが『買収』してやったんだ。……これ以上、俺たちの庭で身勝手なルールを押し通すってんなら……俺がその『天界のサーバー』ごと、この剣で物理的に叩き割ってやるぜ。……俺の剣はな、アイリスから『神格破壊』のライセンスを正式に受けてるんだ」
ゼノスの剣が放つ光は、創造主が放った偽りの奇跡を圧倒し、天の暗雲を切り裂いた。
「……神様。……あなたは、自分が作ったシステムを過信しすぎましたわね。……プログラムは常にメンテナンスが必要であり、組織は常にガバナンスが求められる。……それらを怠ったあなたに、もはやこの世界を経営する資格はありません。……さあ、破産手続きの準備をなさい。……天界の全資産は、本日をもってアステリアが『差押え』させていただきますわ」
天上の声は、初めて「恐怖」に震えた。
一人の少女の論理が、神の全能を「利用規約違反」として定義し、その存在理由すらも「負債」へと変えてしまったのだ。
アイリス・フォン・ベルシュタイン。彼女は今、地上の富だけでなく、天上の「神性」すらも時価で買い叩き、世界を一つの巨大な、そして完璧な「民営企業」へと作り変えるための、最終的なサインを記した。
「……さあ、神様。……あなたの余生は、我が王国の博物館の『名誉顧問』として、ガラスケースの中で過ごしていただきますわ。……一ミリの無駄もない、新しい一日の始まりです」




