41話 勇者の無双、アイリスの法廷(ライセンス・オア・ダイ)
北方の荒野。そこには、絶望と困惑が支配する奇妙な静寂が広がっていた。
つい数分前まで、自分が世界の中心であると信じて疑わなかった五人の「勇者一行」は、今や抜けない聖剣と発動しない魔法を前に、滑稽なほど狼狽えていた。
「……ありえない! 僕のレベルは99だぞ!? この聖剣は神様が直接くれた、物理法則すら切り裂く最強の武器なんだ! なんで、光すら出ないんだよ!」
リーダーのサトシが、必死に剣の柄を叩く。だが、その伝説の武具は、アイリスの構築した「魔素フィルタリング」によって、ただの重い鉄の棒へと成り下がっていた。
アイリス・フォン・ベルシュタインは、優雅に脚を組み替え、紅茶の香りを愉しみながら、冷徹な視線を勇者たちへ向けた。
「……サトシ様、と言いましたかしら。……あなたがた異世界転移者が陥る典型的な『認知の歪み』ですわね。……この世界の物理現象(魔法)は、空気中の魔素というリソースを計算資源として消費することで成立しています。……神様があなたに与えた『スキル』とは、その計算資源を無断で、かつ優先的に占有する『管理者権限付きの不正マクロ』に過ぎません」
アイリスは手元の魔導端末を操作し、空中に巨大な「利用規約」を表示させた。
「……ですが、この大陸の魔素管理権は、先月をもって我がアステリア中央銀行が教団から買収(M&A)いたしました。……現在、この大陸で魔素を消費するあらゆる行為は、私の承認が必要です。……あなたがたのスキルは、我々の『セキュリティソフト』によって、システムを破壊する有害な『バグ(ウイルス)』として検知され、自動的に隔離(隔離)されましたの」
「……嘘よ! 私の『無限魔力』は、神の慈悲そのもの……! 汚らわしい数字なんかで縛れるはずがないわ!」
聖女を自称する少女が、祈るように杖を掲げる。だが、彼女がどれほど祈ろうとも、空中の魔素は彼女の杖に集まることを拒絶し、アイリスの周囲で規則正しい幾何学模様を描くだけだった。
「……無限、ですか。……経済学的に見て、これほど愚かな言葉はありませんわ。……エネルギーが無限に湧き出すのであれば、この世界の熱力学は即座に崩壊し、大陸は熱死します。……あなたのスキルが実際に行っていたのは、周辺の環境、あるいは『未来の世代が使うはずだった魔素』の不当な前借り(オーバードラフト)ですわ」
アイリスの瞳が、眼鏡の奥で鋭く光る。
「……あなたが一発の広域回復魔法を撃つたびに、どこかの農村では作物を育てるための魔素が枯渇し、土地が荒れ果てていた。……他者の未来を搾取して『聖女』を気取るとは……。……恥を知りなさい、この『粉飾決済の女』」
「……ふ、粉飾……決済……っ!?」
聖女は、アイリスの放った言葉の重みに耐えかねたように、その場に膝をついた。彼女が誇っていた慈悲の正体は、他者の資産を盗んで配るだけの「盗賊行為」であったと、論理の刃で突きつけられたのだ。
武力の無力化と、ゼノスの「教育」
「……理屈はいい! 結局は力だろ! 魔法が使えなくても、俺のステータスなら貴様らなんて素手で捻り潰せるんだよ!」
巨漢の戦士が、地面を爆発させるような踏み込みでアイリスへ突進した。
だが、その巨体がアイリスに届くことはなかった。
――ガツンッ!!
一瞬の閃光。黄金の魔力を纏ったゼノスの大剣が、戦士の腹部に「峰打ち」でめり込んでいた。
「……ぐはっ……!? な、なんだ、この……重さは……っ!」
「……悪いな、坊主。……アイリスがこの周辺の『慣性定数』と『摩擦係数』を、俺に有利なように微調整してくれたんでね。……貴様がいくら高い筋力を持ってようが、俺の領域じゃ、ただの鈍重な木偶なんだよ」
ゼノスは冷たく言い放ち、大剣を軽く一振りした。それだけで発生した衝撃波が、戦士を数十メートル後方へと吹き飛ばし、地面に巨大な溝を作った。
「……アイリス。……こいつら、神様から『ズルい力』を貰ったせいで、本当の『鍛錬』ってやつを知らねぇみたいだな。……剣を振る時の重心移動も、魔力を練る時の循環効率も、全部ステータス任せのデタラメだ」
「……ええ、ゼノス。……彼らは『資本(魔力)』の使い方を知らない成金と同じです。……元手がなくなった瞬間、これほどまで脆い……。……さて、サトシ様。……お喋りは終わりにいたしましょう」
アイリスは椅子から立ち上がり、震えるサトシの前に歩み寄った。彼女の影が、地に這いつくばる「元・勇者」を冷たく覆う。
「……勇者の皆様。……現在までにあなたがたが北方領で破壊したインフラ、および不法なスキル使用による魔素の汚染……。それらを全て時価換算した結果、アステリア王国に対する負債額は、金貨一億二〇〇〇万枚に達しました」
「い、一億……!? そんなの、払えるわけないだろ!」
「……ええ。……ですので、あなたがたの身柄を『不良資産』として差し押さえ、債務整理を行いますわ。……幸い、あなたがたの『異界の魂』が持つ特異な演算能力は、我が研究所の魔導演算機の『並列プロセッサ』として、極めて高い再利用価値があります」
「……なっ……!? まさか、僕たちを電池にする気か!?」
アイリスは、慈悲深い笑み――あるいは、極上の獲物を見つけた投資家のような笑みを浮かべた。
「……電池とは失礼な。……『社会的責任(CSR)』を果たしていただく、と言って差し上げなさい。……死ぬまで計算機の一部として世界のために働き続け、自らの犯した『非効率な破壊』のツケを払う……。……これほど有意義な勇者の最期が、他にありますかしら?」
アイリスが指先を鳴らすと、影から現れたルキウスの部下たちが、魔力を遮断する特殊な枷を勇者たちにはめていく。
神の加護という名の「特権」を剥ぎ取られた勇者たちは、もはや物語の主人公ではなく、膨大な負債を抱えた「償還対象」へと成り下がった。
アイリスの戦いは、ついに「異界の創造主」という名の管理者に対し、不当な外部干渉による損害賠償を請求するための、次元を超えた「訴訟準備」へと入っていく。
「……さあ、次は……勇者を送り込んできた『神様』の資産状況を、徹底的に洗わせていただきましょうか」
「……はは、神様も今頃、震えて逃げ出そうとしてるだろうぜ、アイリス」




