第十一話『グレースのほほえみ』
アレスティアを脱出してから二日が経った。オレたちは今ヒューマン族、風の領地の北端にある小さな村に来ている。名前はトーイ村で、マップ情報によると、温暖で過ごしやすい気候で牧畜が盛んらしい。
この二日間、オレらはデモリテを始めとした追っ手を警戒して足早に移動していたのだが、大半の時間を移動に費やしたというのに、レナのいるケットシー領地はともかく、ヒューマンの風の領地すら抜けていない。
この日も日が暮れてきたということで、この村の宿兼小さな食堂で夕食を摂ってから今後のことを話し合うことにした。
「この世界広すぎないか? いくらなんでもこれじゃレナのいるとこに到着するのはいつになるんだよ……」
「元々のメダリオンでも、端から端までの移動は歩きで半日掛かっていたから、山脈の外側だとこのくらい掛かっても不思議じゃないわね」
移動の合間にグレースはレナと連絡をとっていたのだが、現実世界に戻る方法の手がかりすら無かったという。
生活も少しずつ落ち着いてはいるようだが、長期間この世界で過ごしていると現実の体が心配になってくるが、そんな事を考える前にここからの脱出を考えるべきだろう。
「うーん、ここまで移動に時間が掛かるとは思わなかったが、これではケットシー領に入るまでに数週間はかかりかねないなあ」
「向こうに着く頃には多分元の世界に帰れますね……これは……」
ため息とともに肩を落とすグレースなのだが、そこには疑問点も残る。
「でも会いたい人に会いに行くまでに、脱出方法を見つけるのは大変じゃないか? 仮にここに来てから一週間、つまりは後五日くらいでその方法が分かったとしても、そこがダンジョンで、しかも高難度だったら強い人を集めないと……」
「そのときは君の出る幕は無いわね。レナちゃんにあれだけの啖呵を切っておいて、結局役立たずでした……ってのは悲しいけど、普通のMMORPG、しかもクリアしないと帰れないって点では、みんなも頑張って攻略に力を入れるだろうし、本当ならそろそろ帰れたっておかしくはないもの」
「うぐぐ……」
悔しいがその通りだ。確かにオレはみんなのために初心者でも戦いたいなんて口にしたが、現実問題は強者がすぐに帰還方法を見つけてしまうのがこういったゲームなのだろう。
「……すぐに帰れるできるっていう考えは捨てた方がいいかもしれない」
「どうして? ゲームに閉じ込められたのは全プレイヤーなのよ? しかも種族ごとのホームに飛ばされたから、攻略は均等に進むはずだし……」
「実際、現時点で君はクリスタルローズのレナさんに直接やり取りができている。これは他プレイヤーの情報が得られるということにおいては重要だけど、裏を返せば攻略が進んでいないことも分かったよね?」
正論だ。グレースもフーリエさんに言い返せないのか、拳を固めているし、オレに至っては口を出す隙すら与えてもらえなかった。
「それと忘れてはいけない。ケットシー族はこのゲームで最もプレイヤー人口が多い種族だ。もちろん大きなギルドに所属する実力者も必然的多くなる。実際レナさん以外にも名の知れた人は大勢いるし、そういった人が集まれば攻略組と同等の力も発揮できるはずだ。なのに手掛かりが無いということは……」
これ以上フーリエさんが口を開くことはなかった。今は現実世界に戻る手段を発見できていないのは事実だし、オレたちが目的地に着くまでに攻略が終わっている可能性が高いのもまた事実だ。
不安に空気が淀んでしまったこともあり、オレらは気分転換も兼ねてこの村を自由に観光してみることになった。
村の景色としてはのどかな農村って感じで周囲は開けた草原に囲まれており、所々でホルスタイン種の牛のようだが、角が随分と大きい『カーウ』という動物が放牧されてる。なんでも、野生種も人畜無害でかなり温厚で人懐っこいと説明にあった。
「わぁ……綺麗な景色ね。普通にゲームをプレイしていたら、こんなリアルな体験もそうは出来なかったわね」
緑の絨毯が夕焼け模様に染め上げられる様子にグレースは目を輝かせていた。恐らくこのような景観を目の当たりにしたことが無いのだろう、今にも駆けだしそうなほど、村を囲う柵から身を乗り出している。
「今日はここに泊まるとしようか。もうじき暗くなってくるし、急ぎとはいえ野宿でまたグレースが駄々をこねるのも見ていられないからね」
フーリエさんのニヤリと笑みを浮かべながら発した言葉に、グレースは頬を膨らませた。
そう、これはアレスティアを脱出したその日の夜の事だった。このときのオレらはデモリテらの追っ手を警戒しながら、日中の間に一気に二十キロくらい進んでいた為に、その日の宿の事など誰も考えていなかったのだ。
辺りは深い森の中で、マップには近くの村の反応は無い。
オレとフーリエさんは仕方がなく野宿の用意をしようと、近くにあった開けた場所で夜営の為に焚き火の準備ををしようとしたとき、悲鳴にも似た声が後ろの方から響いてきた。
「ちょっ……そのまま寝る気?」
見るとグレースが青ざめた顔をして立っていた。少し震えているようにも見え、体を小さくしている。
「そりゃそうだろ、グレースどうしたんだ? 寒いのか?」
明け方までずっと大雨にさらされていた上に、午後からもまた降りだした雨の中を急いで森の小道を歩いていたことで結構体も冷えてしまったのだ。
オレは風邪を引いていないか心配して聞いてみるが、彼女から返事は無し。一応メダリオンの中では風邪のバッドステータスはあるらしいが、どうやら違うようだ。
「お腹が空いたなら、僕がある程度保存食を持ち歩いているから問題は無いよ」
フーリエさんは食糧の事を心配していると思っていたが、それでもグレースはこちらを青ざめた顔で睨むだけだ。
「私、虫が大キライなのよ! ただでさえ大きな街道を使わずにわざわざこんな森の中を進むし、挙げ句のはてには野宿? 冗談でしょ!?」
近くにいたオレの胸ぐらを掴んでいきなり怒鳴り散らしてきたのだ。ガミガミとものすごい剣幕でまくし立てるグレースに気圧されて反論など出来なかった。
そして一通り怒ったところで数秒の沈黙。ようやく我に返ったグレースは自身のしたことに赤面し、顔を隠してその場でうずくまる。
「ああっ、ごめんなさい。こんなこと言うつもりなかったのに……」
この二日間で起こった出来事にずっとストレスを溜め込んだのだろう、精神的にかなりくるものがあったはずだ。
その様子を見たフーリエさんは何やらメニューを操作すると、緑色の植物らしきものを手に取った。途端に辺りには清涼感のある香りが立ち込める。
「これは低級回復ポーションの材料になる薬草なんだけど、燃やすと虫除け効果のある煙が出るみたいなんだけど試してみようか?」
バッグから陶器製のカップを取り出して薬草を入れると、ポーチからマッチを取り出して薬草の端に火を着けた。すると一層清涼感が増し、周辺にいた虫がみるみるうちにいなくなったのだ。
「これから旅をする仲間のストレスを溜めないのも重要だからね、グレースさんも今日の所はここで我慢してくれないかな?」
苦笑いして問いかけるフーリエさん。グレースも恥ずかしさか虫への嫌悪感か、目には光るものが見えたが、慌てて立ち上がって深々と頭を下げる。
「す、すみませんでした。本当に子どもみたいに喚いちゃって、でもこれなら大丈夫だと思います……」
何とか野宿に賛同してくれて、ウインドウからオレンジ色の寝袋を取り出す。オレもフーリエさんから簡易的な寝袋を貸してもらうことになった。
その夜は三人で改めて自己紹介をして、フーリエさんが持っていた保存食で簡単に腹ごしらえをしたところですぐに寝りについたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村が夕闇に沈む最中、三十分ほどの観光を終えたオレたちは宿を探している途中である張り紙を発見した。そこにはアルバイト募集についての説明と手描きの牛の絵が描かれていた。
『アルバイトをしてみませんか? カーウのお世話や小屋のお掃除などです。報酬はカーウのミルクで作られた食品と、少しながらお金も出します。一日からで構いませんので、お手を借りれたら幸いです』
という内容だ。するとそれを読んで目をキラキラと輝かせていた人が一人いた。
「あの、私このバイトしたいです! 牛さんのお世話したいです!」
グレースが牛のお世話がしたいという下心丸出しで提案してきた。彼女のやる気に満ち溢れた顔は嫌だと言っても退きそうにない様子だ。
「そうだね、一応これはクエストみたいだし、セイリア君にも簡単なクエストの体験としては良いじゃないかな?」
「うーん、まあいいかなぁ」
フーリエさんも賛成の意見だった。オレも別に動物の世話については興味が無かったが、初めてのクエストという点では興味があったので受ける意思を示しておくことにした。
翌朝、フーリエさんは今後の旅に必要な物資の買い物と村の住民から何か情報を得られないか村を回るということで、今回のクエストは受けないという。よって今日はオレとグレースの二人で『カーウのお世話』というバイトクエストをすることになった。
昨日からテンションが上がっていたことに加えて、アレスティアから逃げてきたせいか、まだあくびの混じっていたグレースは牧場にいたカーウたちを子どものような純粋な瞳で見つめている。
「グレースって動物が好きなんだな」
オレは今までに見ないグレースの様子に対して率直な感想を述べると、
「私ね、現実世界でも色んな動物とふれあっていたんだ」
満面の笑みを咲かせるグレース。ちょっぴりクールなアーチャーが、今では動物大好きな少女になっていた。
「うぐぅ……」
とてつもない臭いがオレの鼻に突き刺さる。オレが割り当てられた担当は牛舎の掃除なのだが、排泄物の掃除にものすごく手を焼いていた。ただでさえ経験した事の無いことで戸惑っているのに、この臭いには参ったものだ。
そんな臭いと格闘するオレに対して、グレースは近くにある別の建物でミルクを搾る作業をしている。
ものすごく嬉しそうにカーウ達と歩いていく姿はいいストレス発散になるだろうとは思っていたが、牛舎の掃除の仕事をするオレにはどこか複雑な感情だった。もう少し動物ふれあい体験的なことができるのだと思っていたのだが……。
「お疲れさま! これでアルバイトは終わりよ。君たち今日もここに泊まるみたいだし、明日の朝にカーウのミルクで作ったチーズとか色々あげるから楽しみにしててね」
依頼主のカウンターのお姉さんから労いの言葉を貰うと、近くに温泉があるという事を聞き付けて、そこで作業でついた悪臭を洗い流そうと向かうことにした。
その途中の掃除を任されていなかった牛舎の前を通ると、グレースが一頭のカーウを甲斐甲斐しく世話をしている。牛は丁寧に敷き詰められた藁の上で横たわっており、他とは違った様子だ。
「グレースどうしたんだ?」
声をかけてみると、グレースはこっちを振り向くことはなかったが、返事はしてくれた。
「この子ね、妊娠しているみたいなのよ……」
後ろからよく見てみると、牛のお腹が結構膨らんでいたのだ。
「私ね、小さい頃祖父母の牧場でよく遊んでいたんだ」
「へぇ……」
自分の幼い頃を話し始めた彼女。オレはブラシ掛けをする後ろ姿をじっと見つめていた。
「こうやってよく牛さんにブラシを掛けていて、気持ち良さそうな顔を見るのが好きだったのよ」
そんな彼女の横顔は可愛らしい微笑みを浮かべていた。どうやら現実世界の事を思い出しているようだ。
ここに来たときに彼女はこんな景色を見たことが無いと思っていたが、実際は懐かしい風景に思いを馳せていたのだろう。
「だからこうしてこの村に来て牧場の風景を見ていたら、懐かしい記憶を思い出しちゃった。だからバイトの張り紙を見てから居ても立ってもいられなくてついね……」
「そっか、でもグレース嬉しそうじゃないか」
「ふふ、二日間酷い目に遭ってきておいて、ようやく落ち着いてきたとこかも」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐグレースに、オレはこれ以上の言葉を掛けることができなかった。
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ゲームの中なのに、お風呂のあの何とも言えない温かさは現実そのままで、ベッドにもぐり込むと、オレはそのまま夢の中へと落ちていった。
だが、夜中に目が醒めてしまったオレは水を飲もうとテーブルの上にあったガラスの水入れに手を伸ばしたとき、隣の部屋にいたグレースの声が聞こえてきた。
「あの子が?」
もう一つ聞こえる声は宿屋のお姉さんだ。何やら話している様子で、少しの時間の後に廊下が騒がしくなる。
――何だ?
オレは静かになった廊下の窓から外を見ると、寝間着姿のグレースと宿屋のお姉さんが外を走るのが見えた。グレースが世話していたカーウに何かあったようだ。
「何か騒がしいけど、どうかしたのかい?」
フーリエさんも生成りの寝間着を着て、寝ぼけ眼を擦りながらオレの二つ隣の部屋から出てきた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「グレースどうした?」
オレが先にグレースとお姉さんが入っていった建物に突入した。すると焦るグレースの声が出迎え、異変の正体が分かったのだ。
「セイリア君……昼間の子陣痛だって、赤ちゃんが産まれるみたい」
二人が見つめていた先には荒い息を吐いて横たわる牛の姿がそこにあった。手早く準備を進めるお姉さんと宿屋のオーナーらしき白髭のおじいさんが懸命に赤ちゃんを産もうとする母牛の姿を側で見守っている。
必死に力を入れて新たな命をこの世に誕生させようとする母親の姿は鬼気迫るものを感じる。そしてオレの隣にいたグレースは目を瞑り、手を組んでひたすらに祈っていた。僅かな時間の世話でも、彼女にとっては大切な思い出になる出逢いだったのだ。
「ああっ!」
グレースの声。小さな命が藁の上でこの世界の空気を吸う姿を目にしたのだ。
産まれてまだ数分もしてないのに、子牛は立ち上がろうと震える脚で必死に自らの体重を支えるも、うまくいかずにへたりこんでしまった。
「……頑張って」
グレースのか細い応援。しかしその声は徐々に大きくなる。
「頑張れ!」
「…………」
一緒にエールを送るオレの隣にいたフーリエさんも、無言で様子を見つめていた。子牛は震えながらも脚で踏ん張ると力強く立ち上がる。
震えながらも、産まれたばかりでも、新たな命の強さをその姿で示す子牛にオレも思わず感動していた。
隣を目だけで覗くと、少女の頬には朝日にきらめく雫が伝っていくのが映った。
「ちょっ……こっち見ないでよ!」
彼女がそれを手で拭うと、こちらが見ていたのに気がついたか、すぐさま顔を反らす。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「色々とありがとね。普通のアルバイトなのにここまで手伝ってもらっちゃって」
わざわざ村の門まで見送りに来てくれた宿屋のお姉さんにグレースは頭を振る。
「そんなこと無いです。私も素晴らしい瞬間に立ち会えたんですから」
あの後、早朝に産まれた子牛の名前はこの世界の太陽という意味である『ソルフィ』と名付けられた。
それとバイトのお礼ということで、たくさんの乳製品と中々の金額を貰ったオレとグレースは村の小さな道具屋でポーションなどをたっぷりと買い込むことができた。ついでにオレの野宿用の簡易寝袋もだ。
「また絶対に来ますね!」
この二日間で貴重な体験をすることができたオレたちはケットシー領を目指して歩き出した。グレースは離れ行く小さな草原の村にいつまでも手を振り続けていた。
この村はアレスティアの街道を使えば三つ目の村だし、いつかデモリテら犯罪者集団から取り返すことができればまたみんなで行きたいものだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「これって本当にゲームなのかな? あんなすごい体験できたんだぜ?」
小高い丘を登りながらそんな考えを持ってオレは悩んでいた。バイトの後のお風呂のあの心地良い感覚と温かさを、そしてあの母牛の出産の様子をふと思い出したのだ。
加えて、宿屋のお姉さんとの会話はゲームとしてプログラムされているはずの会話なのに、もはや普通に人と話すそれと変わらなかったのだ。
するとオレの頭を小気味よい音を立てて何かが叩いた。振り返ってみると、グレースが右手を振り下ろしてムスッとむくれていたのだ。
「もう……そんなことどうでもいいの。良い思い出になった、それで良いじゃない!」
そう言いながらオレの横を通りすぎていくグレースの表情は二日前と比べても、ずっと晴れやかなものだった。




