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第1話 お祭り前のひと課題


「梅雨。それは雨の季節」


 彼女は下駄箱にて雨降り注ぐグラウンドを目にしながら仁王立ち。


 そしてその近くではわざわざ靴に履きかえた楓音が、雨の中、傘を手にしてしゃがみこんでいる。


「梅雨。それは結婚の季節(ジューンブライド)


 いつも通りのやりとりを「まだ6月になってないけどな」と口にしながら建物の中で眺める春馬。楓音の視線の先にあるものを見て、目を丸くする最上。


「梅雨。それは――」


「ねぇ、ねぇ」


「楓音。ちょっと待ってて」


 楓音に話しかけられて中断。近江は仕切り直す。


「梅雨。それは――なんだっけ? まぁいいや。そして梅雨……」


 彼女は大きく息を吸い込み、その一言を告げる。


「野球の季節――」


「見て~。また見つけた。大きいカエル~」


「でゃぁぁぁぁぁぁ」


 前の前に突き出されたカエルに、悲鳴と「だ」が重なり、人生で1度言うか言わないかの珍しい声を出した近江。彼女は驚き怖がり、春馬に抱き着いて顔をうずめる。


「楓音ってホント、カエル好きだなぁ」


 近江に抱き着かれながらも、平素で楓音に呆れる春馬。


「よく触れると思うよ。まったく」


 最上も額を抑える。


 楓音は野外活動の時も大きなカエルを素手で掴んでいた。なんなら女子勢皆が怖がる中、平気で虫を素手で触ることも。教室で出現したGを相手に熱い追撃戦を仕掛けたこともあった。その手のものに滅法強い子なのである。


「で、今日の練習はどうするよ。案の定、これだぞ」


「そうだなぁ」


 文化祭の出し物も映画に決定。しかし今日から撮影というわけにもいかない。シナリオも考えていなければ、配役も決めていないし、そもそもカメラの調達すらできていない。カメラは学校の広報用ビデオカメラを用いるそうであるが、古いタイプのものなので質が保障できるか否かも問題である。もっともたかが高校の文化祭でそれほど高品質を求める必要があるのかは疑問だが。


「とりあえず、楓音。カエルを逃がしてやれ。カエルも可哀想だし、こいつも怯えてるし」


「は~い」


 彼女がカエルを地面に置くと、飛び跳ねながら雨のグラウンドへと逃げて行った。一方でおびえ続けていた近江は、半泣きで後ろを振り返る。


「カエル、いない?」


「「「いない」」」


 あまりにも怯えすぎと言えば怯えすぎなのだが、むしろ女子としての反応は近江の方が近いのかもしれない。素手で堂々と触ることのできる楓音の方が珍しいのではなかろうか。


「今日はなぁ」


 早くしないと他クラスや1年生のメンバーも授業を終えてきてしまう。早く練習内容を決めたいところである。


「廊下トレ?」


「廊下ぁ?」


 近江は春馬の制服の袖を掴んだまま問いかける。いわゆる階段の昇り降りや、筋トレと言った室内練習の事である。人通りの少ない廊下で行われることが多いことから、近江曰く『廊下トレ』らしい。


「休みでもいい気がするけどな」


「夏大も近いんだよ?」


 頬を膨らませて反論。これを見るとつくづく彼女の頬を突っついてみたくなる春馬である。しかし今回については面倒くさくそれをやらず。


「たまには頭でも使ってみるとか?」


「頭ねぇ」


 と、最上の提案。言ってしまえば夏大に向けてのチームや個人の課題や、意見提案。そうしたことについてチームで話し合おうというのである。


「どうせこの雨じゃ練習できないし、そういうのもいいとは思うけどな」


「なるほど。ありかもな」


 同意を示す春馬だが。


「頭を使うのは苦手」


「やめておこうか」


 考える頭のない近江が、こちらもない胸を張ってアピール。決して威張るようなことではないはずなのだが。


「仕方ない。今日は廊下だな」


 後頭部をかきながら決め込む春馬。


「こうなると本当に設備のない公立高校は辛いなぁ」


 室内練習場やトレーニングジムを持つ信英館・天陽永禄などとの環境の差を感じてしまう。しかし逆に言えば去年の夏はこのような環境の差をひっくり返し、信英館を破ることができたのである。その要因となったのが春馬曰く「守備力」と「短期集中力」であり、信英館曰くその2つに加えて「組織と個人の経験の差」「選手兼任監督特有の戦術眼」であるとのこと。


 意外にも強豪校に加えてそれだけの強さを持つ一方で、他の学校だって何かしら強さを持っており、さらに学校によっては環境などのアドバンテージもある。蛍が丘高校にとって不利な事には変わらない。


「県立だっていいことあるよ~」


「例えば?」


 主張する近江に春馬が聞いてみる。すると、


「分かんない」


「はい?」


 一番よく分からないのは近江の思考回路である。


「まぁいいや。楓音。連絡を頼めるか? 場所は第二理科室前(いつもどおり)


「は~い。行ってきます」


 楓音は意気揚々と他クラスに連絡へ。


「こういうときに携帯電話が使えれば楽なのにね」


「屋上を解放するくらい緩いのに、変なところで厳しいよなぁ。ウチ」


 近江が制服の上から内ポケットに入った携帯電話を触る。それに最上が同調を示すが、


「携帯電話をOKにしちゃうと、授業中にいじるやつとか、カンニングの温床になるからな。屋上開けたところでそうはならないけど」


「屋上で授業をサボってるヤツがいるのはいいのか? なんでもそいつは元生徒会副会長らしいが」


「いいんじゃない? 成績が出て、第一志望の判定が良好とかなら」


 と、成績がちゃんと出ていて、第一志望国立大学の判定が良好な新田春馬は主張する。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


「で、1年生はみんな文化祭に駆り出されたと」


「うん。まだ話し合いの段階みたいだけど、ほとんどそうみたいだね」


「そっか。で、3年生は」


「みんないるよ」


 合わせる顔はここ2年間と同じものである。


 春馬は廊下の壁にもたれかかり座り込みながらふとつぶやく。


「このメンバーといるのもあと少し、か」


「そうだね。長かったように思えるけど、短かったようにも思えるよね。甲子園に出たのが1年前だもん」


 そして楓音も彼の隣にしゃがみ込む。


「最初は先輩1人だった野球部に、僕と近江、最上に皆月が入部」


「その後に私かな?」


「マネージャーとして。だったのに、近江がしれっと選手登録にして」


「それで、大崎くん、猿政くん、寺越くんを近江ちゃんが引っ張ってきたんだっけ?」


「まぁな」


 本当に懐かしい思い出だ。そうして9人ピッタリで大野山南の2軍に勝負を挑んで敗北。終盤に登板して打たれ、負け投手となった春馬は敵方である日野から変化球を授かった。それが今となっても投手・新田春馬の唯一の武器である。


「先輩が抜けて8人。どうしようって時に、また近江が本の虫をヘッドハンティングしてきてまた9人」


 その9人がここに集まったメンバーである。


「よくやったよ。この9人で」


「甲子園出場のこと?」


「あれは実力関係なしの21世紀枠出場だったしな。その後の事」


 怪我明けとはいえ、日野を擁する大野山南と善戦。総合鈴征に加え、名門・信英館を撃破。大野山南にまたしても負けるも、県大会ベスト8という好成績。そして秋は地区大会を突破して中国地方大会に進出を果たした。


 高く評価された守備力と集中力、そして新田春馬の戦術眼。

たかだか9人ピッタリの公立高校がほんとうによくやったものだと思う。何よりこうして半ば無理やりに集めたメンバーが、楓音を除いて全員野球経験者。春馬の屋上仲間にも野球・ソフトボール経験者がいることから、いずれにせよ経験者は集めようと思えば集められたのだろう。ただ大会を勝ち進めるようなレベルの選手を集められたのは幸運である。


「本当に、よくやったよ。僕ら」


 曰く信英館野球部のセレクションを受けていた春馬。しかしそれ以外の受験校は、大野山南特進に蛍が丘高校。セレクションに落ちた時点で野球は部活に割り切り、それ一本の道を捨てたと言わんばかりの受験内容である。だがそんな彼の率いる野球部は、今や地元強豪校から恐れられるダークホースである。


「なぁに湿気た顔してるんだか」


 しみじみ思う春馬の向かいの壁に最上がしゃがむ。


「そうだよぉ。なぁ~に、シャケた顔してるの?」


「「「シャケ?」」」


 そして練習着姿とはいえ、豪快にスライディングをかましてくる近江。慣れない言葉を使ったせいで、いつも通り謎の言葉を生み出しているが。


「新田。まだあと1回、チャンスはあるんだぜ。目指そうじゃないか。僕らを悪夢に叩き落としたあの舞台を」


「春じゃなくて夏だけど、まだ甲子園への夢は途切れてないよ~」


 まるで昔を懐かしく思う爺さんのようなことを口にしてしまったが、よくよく考えればまだ高校生3年生の梅雨であり、青春という道の途中なのである。その途中で後ろを振り返ることもない。


「行こうか」


 そう、まだ後ろを振り返らない。


 前だけ見つめる。


「あの舞台――甲子園に」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 文化祭までの間はそれぞれ準備によって部活を休む人が多くなる。特にスポーツに力を入れているわけではない公立高校ゆえか。もっともお隣の大野山南高校は、特進のみならずスポーツ科もテスト前には部活が完全休みになるような超学問特化。その他イベントでも部活動が停止になることも多いそうだが、少なくともあれとは一緒にしてはいけない。


「今日はまぁまぁ来てるか」


「でも10人来てる」


 春馬のつぶやきに隣でサムズアップの因幡。


 3年生は春馬のクラス4人と因幡、武川のみ。1年生は皆勢ぞろい。


 春馬クラスは映画においてまだシナリオ班による作話段階。因幡、武川も今日は仕事がない日らしい。


「この人数で何をする? 因幡、やりたいことは?」


「ない。近江はどう思う?」


「野球がしたい」


「近江に聞いた因幡が悪い」「近江に聞いた俺が悪かった」


 基本的に彼女はアホなのである。


「副キャプ」


「ん?」


 振り返ったところにいたのは、暇つぶしに硬球お手玉をしている最上。


「何かやりたいことは?」


「特には。あっても人数がネックだろうよ」


「それは言うな。昔からじゃないか」


 本当によくこの人数で信英館に勝てたものである。


「春にぃ、春にぃ」


「は~い」


 と、そこへ飛び込んできたのは近江優奈。彼女もひとまず本日は文化祭の準備は休みらしい。


「何やるか悩んでるの?」


「うん。優奈は何かやりたいことは?」


「私、まだ野球の事あまりよく分からないから……」


「だよなぁ」


 こっちの近江に聞くのも誤った判断だろう。こちらの近江はあちらの近江よりも頭がいいのだが、野球についてはさすがに知識不足のようである。


「でも、春にぃ。逆に私って何が足らないかな?」


「何がって……な?」


「打撃」


「守備」


「走塁」


「ルール」


「全部」


 春馬の問いに因幡、近江、武川、楓音、3年生4人が意見を述べ、最後に最上が総括。分かっていはしたものの、これほどまでにストレートに言われてほんのり落ち込む優奈。春馬も本音半分冗談半分のやり取りもほどほどに真面目に考える。


「打撃練習でもするか? 1人が打って1人が投げるって考えると守備は6人。まぁまぁしんどいけどできなくはないだろうよ。守備練習も同時にできるし」


「いいんでない? 近江あたりに投げさせてさ」


「もしくはネットに向かってティーバッティングか」


「それが一番いいかもなぁ。いっそ、打撃の甘い1年生あたりにマンツーマンで指導しつつ」


 最上の案に春馬は指を鳴らす。


「それでいこう」


 というわけで本日の練習内容が決定。


 自らも含めて3年生6名、1年生4名を集めた春馬が場を仕切る。


「今日は2人1組に分かれてバッティング練習。基本的に1年生の練習を3年生がチェックする感じで」


「じゃあ、近江先輩。私とやりましょ」


「う、うん」


 このように言えばここぞとばかりに近江に近寄る沖満。近江は春馬の方へ残念そうに目を向けるも、

「3年、1年で一組」と、事実上の諦めろ発言。


「じゃあ、あとの1年は島沢、鍋島、優奈、か」


「教えるのは誰だ?」


「楓音と優奈は? 女子同士だし」


「いや、教えられないだろ」


 野球経験2年間の彼女に技術論を語るのは難しいだろう。そして武川は上手い方とはいえ、かなりのブランクがある。と、なると。


「僕、最上、因幡の3人で1年対応?」


「う~ん。じゃあ、僕が鍋島やるから、因幡は優奈、新田が島沢でどうよ」


「任せろ」


「それでいいけど?」


 正直なところ、春馬は決してバッティングがいい選手ではない。初心者に教えるくらいならまだしも、その技術の正確性には疑問符がつくところである。ただ教える人間がいないのだから、それもやむを得ないところではある。


「というわけで、島沢、よろしくな」


「はい。お願いします」


 蛍が丘高校自体の印象も相まって、いかにもガキ大将感の否めない風貌。しかしふたを開けてみれば挨拶のしっかりできる。つくづく絵に描いたような好青年である。


「じゃあ、ボールとバットを頼めるか。ネットを準備しておくから」


「はい。では行ってきます」


 しっかり返事して部室に駆けていく島沢。彼は部室に着くなり、他のグループの分までボールケースを外に出す。気遣いのできる子なのである。ただ沖満と顔を合わせるなり態度が変わったのは玉に傷か。


『(やっぱり女子と一緒ってのは慣れないんだろうなぁ。中学卒業したばかりじゃ、そんなものか)』


 ネットを準備しながら、その様子に微笑ましさを感じる春馬。


 今の野球部3年生の入学直後、今のように異性相手に気兼ねなく接することができる男子がいたかと言われると、せいぜい最上くらいのものだろう。春馬はひと肌を恋しがる近江のせいで急速に慣れていったが、彼だって最初は女子との間に壁を感じていたのである。


 バックネット裏から防球ネットを引っ張ってきていると、早くもボールケースを手に戻ってくる島沢。割と重いはずであるが、あれを軽々持つあたりそのパワーは猿政級か。


 防球ネットも準備よし。その右側にボールケースも置いた。


「先輩。準備終わりました」


「よし、じゃあ、トス上げるから最初に打っていいぞ」


「いいんですか? 先に打って」


「そのために3年と1年を分けたわけだしな」


 春馬はボールケースにまたがって座ると、中から汚れたボールを取りだす。


「ほら。早く構えて」


「はい」


 彼はバットをいっぱいまで短く持って構える。


「構えはどうでしょう?」


「打ちにくくなければそれでいいんじゃない? ウチは個性的なのが多いし、基本なんて言える立場じゃねぇし」


 前後に頭が動きまくりの一本足ホームラン王。


 正面での捕球なんざ知るかとばかりの、フリーダムな守備を展開する名遊撃手。


 球の出所が見えやすい野手投げで、バッタバッタと相手を打ち取る頭脳派投手。


 これでいて島根県の名門にマークされるトンデモ高校である。基本がしっかりしているからこそ、個性的な応用に繋がったのかもしれないが、ここまで来ると基本とはいったいなんなのかがよく分からなくなってくる。


 初心者にとってはいまいちアドバイスにならないアドバイスをもらいながら構えた島沢。彼に向けて春馬が軽くトスを上げる。いいコースに上げられたボールを、島沢がタイミングを合わせて一閃。しっかり捉えられた鋭い打球はネットへと突き刺さる。


『(さすが素の身体能力が高いだけある。まったくの素人からここまで伸びるとは)』


 体格がよく筋力もある。加えて動体視力や反射神経も優れている。


 彼の持ちうるパワーを考えるとまだ物足りない打球速度だが、野球経験数か月と考えれば十分だ。これがしっかり技術を付ければ、猿政のようにパワーを有効活用できるようになるし、さらに進化すれば近江のように技術だけでホームランを打ち始めるようになる。ただ彼女についてはまた別の要因もある超特殊パターンだが。


 淡々と投げ出されるボールに対し、そのほとんどをしっかり芯に当てて弾き返す。


 そうしているとテンポよくいったおかげで早くもケースの中のボールが無くなってしまった。


「割といいんじゃない?」


 いいながら立ち上がった春馬はボールケースをネットの前に。再びケースに戻してもう一度である。その作業を島沢がやっている間、春馬は周りへと目を向ける。


 楓音&武川コンビは放っておいても問題なし。


 最上&鍋島コンビについては、根は真面目な2人である。野球経験もしっかりしているだけに、様になっていると言えるだろう。ただあとは鍋島が硬式球に慣れるのみ。こちらも放っておいて問題なしであろうか。


 あとは……


「ふにゃあ」


 沖満に軽く上げられたトスを豪快に空振りし続けている近江姉。彼女の右後方には空振りしたのであろうボールが多数転がっている。まぁ予想通りである。ただどうせならばしっかり1年生の沖満を指導してほしかったのだが、どうも彼女にそれは伝わらず。沖満も近江姉に引っ張られてそうしてもらうことはしなかったもよう。いったい何のために1年生と3年生を組ませたのか。


 そして、


「因幡先輩。これでどうです?」


「……」


「?」


 抑え気味の声とボディランゲージで優奈に指導する因幡。それに慣れない優奈はいまいちしっくりきていない模様。彼自身、文語による表現力は抜群。打撃センスも2番を打つだけに十分なのだが、口語による説明力が死滅しているだけに指導には向かないようである。


 これならばまだ武川や楓音を沖満・優奈と組ませて、近江・因幡コンビでやらせた方がよかった気もする。


「なんか、まともにできてる1年生は、最上のとことここだけみたいだなぁ」


「ですか?」


 島沢も顔を上げて周りを見回す。


「うん。ほんとに」


 初心者とはいえ、つくづくこんな好青年の1年生がいてくれて楽だと思う。


「身体能力は高いし、スポーツ慣れしてるし。スポーツ経験者とはいえ、まさか野球初心者でここまで伸びるとは思わなかった」


「本当ですか? ホームラン、打てますか?」


「それはまだ無理だろ。ヒットもどうかなぁ? まぐれあたりが内野を抜けたり、内野を抜けずとも内野安打とかなら。クリーンヒットはないだろうな」


「そんな。女子にできて男子に出来ないことはないですよ」


 その一言にふと反応する春馬。


「近江や楓音のこと?」


「はい」


 確かにあんなちっこい子や、いかにもな女子高生がヒットを打てる。そう考えれば自分にもできると思うのも当然だが。


「なぁ、島沢。お前、ルーキーとはいえプロの球、打てる?」


「さすがに無理ですって。いくらルーキーでも、自分は野球の初心者(ルーキー)ですから」


 ばかげた質問に笑い飛ばす島沢。しかし春馬は至って真面目な表情で答える。


「広島の先発ローテ・日野啓二。島根県大野山南高校出身。彼が高校時代に最も怖かったバッターであり、可能ならばまた対戦してみたいと言ったのは――」


 振り返った先にいたのは、トスすらも空振りする一人の女子。


「蛍が丘高校・近江美優」


「え?」


「プロ大注目の超高校生級左腕が、信英館や天陽永禄、さらには超重量打線の松江水産、さらには甲子園出場校を含めても、それでも怖いと言ったのは近江だからな」


 日野の高校現役時には信英館に東山・ジェンキンス、総合鈴征に立花兄など強打者が多数存在していた。それでいてその中で近江の名を挙げたのである。


「でも、楓音先輩は――」


「あいつが怖くないと? 確かにバッティングは大したことないよな。純粋な率で言えば、チーム屈指の打撃下手な僕とどっこいどっこい。打撃が死んでいる皆月よりちょい上くらいか」


 そこで春馬が彼へと振り返る。


「少年野球や中学野球で上位打線を打っていたこともある、僕や皆月と同じくらいにはな。過去にすがるわけじゃないけど、10年近い努力の差を、打撃面だけとはいえたった2年間で追いつかれた。女子だからってなめると痛い目見るぞ。もっとも僕も皆月も、さすがに守備ではあいつに負けんけどな」


 まくしたてるような応酬に島沢はつい封殺されてしまう。


 春馬は言わずもがな。皆月は地味だが、パスボールなど守備のミスが非常に少ない特徴がある。それぞれ極端な守備偏重の選手である。しかしながらそれでも彼ら野球経験者に追いつけ追い越せとばかりに2年間走り続け、ついにその背中に追いつき並んだ。あくまでも今回は「技術」があっても「技術論」がないと言う点で1年生の相手から外したが、その実力は並々ならないものである。


「あいつらの『好きこそものの得意なれ』精神は尋常じゃない。女子にできる野球なら男子にだってできる。野球をその程度と甘く見てると、一生勝てねぇよ。あいつらには」


 つい女子を馬鹿にしたような発言に強く言ってしまった春馬。


 しかしきっと現在プロの日野だって同じことを言っただろう。いや、彼だけじゃない。彼のいた大野山南の監督・選手。さらに信英館や総合鈴征。2年連続で蛍が丘の春季大会の快進撃を阻んだ天陽永禄。加えて近江を前に全打席敬遠の策しか打てなかった山口工科大付属。彼女たちと戦った人たちだからこそ分かる。


 そして蛍が丘高校は近江や楓音と戦っていないとはいえ、共に肩を並べて戦い、さらには琴ヶ浜女子戦では4番の岩井ひなたにその野球センスを見せつけられた。だからこそ分かる。


 世間を含めて関係のない人たちは女子と男子を分ける。


 しかし野球のグラウンドに男子と女子はない。


 ただただあるのは実力のみである。


『(しかし島沢が妙に女子と距離を置いているのは、ただの壁と言うよりも軽蔑みたいな意味だったか。好青年かと思ったが、思いのほかプライドが高い子だったかな?)』


 結局、蛍が丘の新入部員は一癖二癖あるメンバーのようである。


お待たせいたしました

久しぶりの投稿です

今週は土曜日だけですけど、

ゆっくりペースを上げていきます

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