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最終話 それぞれのフラストレーション

 楓音はその日の夜、不完全燃焼感を拭えなかった。


 彼女は島沢や優奈はもちろんのこと、沖満や鍋島からライトのポジションを守る気でいた。しかし彼女の相手はそれだけではなかったのである。鍋島が投手になることで、最上が外野へと回る。そうなると彼女は最上ともポジション争いをしなければならなかったのだ。


 それに気付かなかった。


 いや、気付いていたのかもしれない。しかしまさか自分がその争いに巻き込まれるとは思わなかったのかもしれない。


「……」


 彼女はボーっとしながらプロ野球の試合に目を向ける。


 鳥取・米子市民球場にて行われている試合。先発投手はルーキーにてローテ4番手を任された日野啓二。この試合においては自らのバットで先制の2点を叩き出し、5回を終わって1失点の好投中。そんな彼も前の試合では2回途中6失点のKOを食らっていることから、本当にプロ野球は厳しい世界なのだと思わされる。


 ルーキーにして先発ローテに食い込んでいるが、彼だって春季キャンプ・オープン戦、そしてシーズン開幕以降と、過激なレギュラー争いをしていたに違いない。投打に凄まじい実力を誇る彼ですら、それほどの争いを繰り広げてきたのである。野球を始めて2年しかたっていない自分が、こんな甘い覚悟でいいのだろうか。


「ダメ。こんなんじゃ」


 彼女は意を決して立ち上がると、寝巻を脱いでジャージへと着替える。そして自らのバットとバッティング用手袋を手にする。


『(まだ8時にもなってない。時間はある)』


 急いで部屋を飛び出し玄関に向かうと、ちょうどお風呂から出たばかりの母親と廊下で出会う。


「楓音。どこか行くの?」


「お庭」


 そうとだけ言って猛スピードで出ていく彼女だったが、母親はなんとなく状況を察した。今日は練習試合だったそうであり、その日の夜に楓音がバットを手に庭へ出て行った。きっと野球が好きな者として、今日の試合に何か思うところがあったのだろうと。


『(それじゃあ、お風呂の追い炊きと……お夜食くらい作ってあげようかな?)』


 母は小さく「頑張って」とつぶやいた後、台所へと足を進めた。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 さすがに近江家のように投球練習スペースを確保できたり、バッティングケージを置けたりするほどの広大なスペースはない。しかし彼女の家には素振りするには、短い距離ならキャッチボールもできる程度には十分な広さはある。彼女は雑草の生えた地面の上に足を置き、しっかりとバットを構える。そしてスイングを始めた。


『(私には、猿政くんや近江ちゃんみたいな長打力はない)』


 大柄な猿政はもとより、自分よりも小柄なはずの近江にも、長打力で勝てはしないだろう。


『(寺越くんや因幡くんみたいなバットコントロールも、大崎くんみたいな足の速さも)』


 彼女はさらにバットを振り続ける。


『(最上くんや皆月くんみたいに、ピッチャーやキャッチャーっていう、特別なポジションができるよう

な実力もない。そして――)』


 いつもならば恋の相手として思い浮かぶ姿が、今では野球人として追いかける背中として浮かび上がる。


『(春馬くんほどの守備センスもない)』


 バットが風を切る音、足を踏み込む音だけが静かな夜にこだまする。


『(だから、今の私ができるのは――)』


 歯を食いしばりながらバットを振り抜く。


『(とにかく、バットを振ること。できることをすること。絶対にポジションは渡さない)』


 思い直してみればこれほど気合を入れてバットを振ったのは、初ヒットを目標に練習を重ねていた1年生の頃。それ以来である。いや、気合の入り方はその時以上かもしれない。


 鬼気迫る勢いで鋭くスイング。


 少なくともその表情は華の女子高生がするようなものではない。


『(もっと、もっと相手をイメージして)』


 バットを振らなければならない。しかし闇雲に振ってはいけない。


『(この回の先頭バッター。ピッチャーは……今日の、総合鈴征の先発投手)』


 イメージが重要だ。柵の向こう側にある電柱を適当にピッチャーのいる位置と見立てる。


『(インコース真ん中の球を――ライト前)』


 腰を回転させて、インコースを引っ張るイメージで振り抜く。


『(真ん中の抜け球を――センター前)』


 ド真ん中の緩い球をセンター返し。


『(野球経験は2年間だけしかないけど、3年生のみんなに比べれば――ううん、鍋島くんや沖満ちゃんに比べても、一番下手だけども)』


 鋭いスイングでまたバットを振り抜く。


『(野球への思いは、絶対に、絶対に負けない。レギュラーを渡すもんか)』


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


『(アウトコースっ)』


 平日の打撃練習。春馬は相変わらずの打撃を改善すべく、守備以上に熱心に取り組んでいた。そこで最上のストレートを、バットの芯で捉えることを意識しつつバッティングに励む。


『(次は――これも、アウトコースっ)』


 やや振り遅れ気味のタイミングでアウトローを叩いた春馬。打球はセカンド・近江の頭上やや一塁寄りを襲うライナー性。


「ひにゃあ」


 春馬に次ぐ守備センスを持つ近江だが、身長の低さが災いしてグローブが届かない。


「おっ、ナイバッチ」


 振り返って打球の行く末を見つめながら春馬に称賛を送る。春馬も『(これは右中間を抜ける、ツーベース……いや、スリーベースかな)』と心に思う。ところが、


『(届く。きっと届く)』


 定位置から彼女なりに全力で駆けてきた楓音。一時は目を切りながらも、寸前で打球の位置を再確認。


『(届くっ)』


 飛び込んだ。


 一切の躊躇がなく、一切勢いを殺すことのないダイビング。着地と同時に急ブレーキがかかったことで、柔らかい体も相まって驚愕のエビぞり。停止と同時に足が地面に落ちる。


「うおぉぉ」


「マジで。あれ捕んの?」


「捕ってるぅぅぅ」


 最上は自らの目が間違っていたかと、もう一度目線を向けて驚き。春馬は自らの長打をもぎ取られたことに目を丸くし、近江は諸手を上げて大はしゃぎ。


「へへ、捕れちゃった」


 ゆっくり起き上ると、砂まみれの練習着はさておき中継の近江に返球。その上でようやくポジションに戻りながら砂を払いはじめる。


「今のを捕ったか。やるぜ、楓音も」


 マスクをかぶる皆月はそう口にするが、打席に入り直す春馬は舌打ちひとつ。


「チッ。守備位置、少しセンター寄りに移ったように見えたけど……その微妙な差でやられたか」


 あれは楓音の思い切った飛び込みによるファインプレーだ。しかし春馬の打球を読んだ彼女ゆえの強みを生かしたワンプレーでもある。確かに彼女は守備範囲自体が広いわけではないが、予め守備位置を変えることで捕れない打球を捕ることができる。それは考えようで春馬の打球反応、大崎の足の速さを生かした広大な守備範囲と並ぶことができる要素である。


『(これはレギュラー争いが騒がしくなりそうだ。ライトのポジションを巡ってのな)』


 続きを始めようと打席にはいる春馬と、投球姿勢に入る最上。すると突如、セカンドあたりから声が出る。


「タイム、タイム。楓音が怪我したぁぁ。大怪我したぁぁぁ」


「近江ちゃん、騒ぎすぎっ。ちょっと頬を切っただけだから。血が出ただけだから」


「救急車ぁぁ。救急車ぁぁ」


「だから慌てすぎっ」


『(騒がしくなりそうだなぁ)』


 その後、大怪我(近江談)をした楓音は保健室にて手当してもらったそうである。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 4月末の日曜日。


 なんでも本日はサッカー部が蛍が丘校高校グラウンドにて練習試合とのことである。こうなると野球部は練習場所が無くなるわけで、近江発案の元で懇親会である。近くのグラウンドを借りる手段も無くもないが、手間がかかるというわけで却下である。


 場所は川幅数メートル程度の小川のほとり。蛍が丘はニュータウン計画により住宅街やインフラ整備が急速に進んでいる地域だが、こうした自然もしっかりと残されている。『蛍の住む丘』は伊達ではないのである。


「しかしここに来るのも、小学校の遠足以来か」


 広げたブルーシートの上に座り込む春馬はあたりを見回す。河川敷というほどに広くはないにせよ、川のそばに残された草むら地帯。その中央を突っ切る小川・蛍川はそのまま飲めそうなくらいな清流である。もっとも実際に飲めるのはもっと上流の方だが。


「ポカポカ陽気だぁ~」


 暖かい日差しに手を広げつつ、春馬にくっつく近江。もう面倒くさい春馬は反応すらせず。


「どうするんだ? さっそく、食べるのか?」


「うむ。そうだの」


 猿政は持ってきた大きなバックパックから大きな弁当箱を取り出す。さらに最上や大崎もスーパーのレジ袋を中央に置く。用意しておいた弁当や、近くのスーパーで買ったお惣菜や飲み物の類である。なお購入資金は全員の自腹となっている。これについてはさすがに部費で出すわけにはいかなかったのだ。


 全員が弁当を囲むように歪んだ四角形で腰かける。


「みんな、何がいい?」


「あ、楓音先輩。いいですよ。私たち1年生が――」


「いいの。いいの」


 沖満を制しつつ、楓音が全員に何の飲み物がいいか問いかける。なお楓音の右頬には少し大きめの絆創膏。まだ以前の練習で作った傷が治っていないらしい。


「コーラがいい人~」


 そして最上は自らコーラを注ぎつつ、こちらも各々に問う。


「コーラは骨が溶ける」


「あれは嘘だぞ。別に骨を炭酸に浸けてるわけじゃないし」


 胸を張って主張する近江に対して春馬が麦茶を入れながらツッコミ。なんにせよコーラは飲まないらしい近江はアップルジュースを所望。全14人の飲み物を入れ終えると、皆が今か今かと待ちわびる。そんな中できっかけを作ったのは最上。


「新田。何か監督から一言どうだ?」


「キャプテン。任せる」


「任せられる」


 ジュースを片手に立ち上がったのは、春馬の隣に座っていた近江。咳払いをひとつして、


「えぇ、では、えんもたけなわでございますが」


「お前、『宴もたけなわ』の意味、分かってないだろ」


 堂々とした態度でスピーチを始めるも、おかしな始まりに再び春馬からのツッコミ。


「そろそろお開きといたします」


「終わっちゃったじゃねぇか」


 近江的に『お開き』とは『開幕』という意味らしい。絶えずツッコミを入れる春馬の横では、最上が腹を抱えて大笑い。


「それじゃあ、乾杯の一本締めで」


「何言ってんだ? お前」


「じゃあ、かんぱ~い」


「「「か、かんぱ~い」」」「無茶苦茶じゃねぇか」


 近江に任せたのが間違いだった。春馬は乾杯コールをするに至らず、終始ツッコミに振り回されることとなった。


「ったく」


 呆れ半分、後悔半分でため息を漏らしながらドリンクを飲もうとするが、その前に紙コップが差し出される。


「かんぱ~い」


「はいはい」


 宴もたけなわということでお開きにしようと、乾杯の一本締めを行った近江とコップを合わせる。


「どうせだ、新田」


「へ~い」


 ついでに隣の最上、彼の横から手を伸ばしてきた楓音とも乾杯。


「しかしグラウンドはサッカー部が試合なんだし、今日、練習試合をやればよかったな」


 春馬としては練習か試合の方がよかったのではないか。ということで、つぶやきながら飲み物を口にする。ただそこに最上がおにぎりを手に取りつつ言い返し。


「でもどことすんだよ。総合鈴征はこの土日は用があるんだろ?」


「大野山南だとか、まぁ、適当なところ」


 春馬自身はまだ監督を始めて2年足らず。人脈が偏っているのはツラいところである。


「たまにはこういうのもいいと思うよ。春馬くんだって、せっかくお仕事から解放されたわけだし」


「お仕事?」


 何のことだ? と楓音の方へ顔を向けると、


「生徒会副会長さん。1年間、お疲れ様でした」


「そういえば、仕事が終わったんだっけか?」


 丁寧にねぎらい、最上も指を鳴らしつつ思い出す。


「そうだな。選挙活動自体は選挙管理委員会に任せてたし、生徒会選挙でやったのは次期生徒会役員への

引き継ぎくらいか」


 今となれば懐かしい話である。生徒会長に就任した南が、空席の副会長に春馬を指名。嫌がる彼だったがなんやかんやで就任すると、そのカリスマ性で南政権を春馬の傀儡政権とした。その生徒会役員就任から1年間である。


「やっと終わったってところだな。これで最後の夏に力を注げる」


「忙しかったもんねぇ。ことあるごとに会議で」


「ウチ、生徒会が無駄に強かったし」


 楓音が我がことのように感嘆するのに、春馬がまさしく我がこととして振り返る。


「あぁ、新田にたてついたら退学になるレベルの?」


「さすがにそれはない。発言権で言えば教員以下だぞ」


 あくまでも蛍が丘高校生徒会は、春馬の言うとおり教員より下の権限しかない。仮に大きなことの決定に関わるとしても、教員内で判断が迷った時や、一応生徒の意見も聞いておくかみたいな時、そのくらいしか介入権限はないのである。


 ではその程度の生徒会が無駄に強かった原因はと言うと『新田春馬』である。彼は初の春のセンバツ出場を果たし、死に霊の悪夢という大事件を引き起こした野球部の選手兼任監督&実質的な顧問である。そのため一般学生よりも校長や教頭を始め主要教員と仲がいいのである。つまり生徒会そのものの強さというより、副会長・春馬の人脈が為した強さだったと言える。そんな背景があったからこそさらに生徒会が無駄に強くなったが、春馬の任期満了に伴い生徒会の権力がまた例年並みに戻ったとのこと。むしろそれが正常なのである。


「なんにせよ、お疲れ」


「どうも」


 最上からジュースを注いでもらう春馬は、さながら部長あたりからお酌してもらってる取締役である。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 別にお酒が入っているわけではないのだが、時が進むにつれてどんちゃん騒ぎの様相を呈してくる。鍋島は最上・皆月の2人に「好きな子はいるの?」と言い寄らせて気まずい感じに。島沢は猿政となぜか「今後の国際情勢について」の議題で盛り上がっている。内容はせいぜい中学生レベルだが。


 そんな全員の輪を外れたのは数名。無言で釣り糸を川に垂らす因幡に、その横では大崎が座ってそれを眺める。先ほどまでは近江姉もいたが、1分くらい反応がなかったあたりで飽きてしまったらしい。今では春馬の胡坐の上に座っている。


 そしてその上流で誰と話すわけでも、何かするわけでもなく、座ってただただ上の空なのは沖満。何かを考えているような、何も考えていないような……


「沖満ちゃん、どうしたの?」


「楓音先輩。なんでもないですよ。ただこんなところがあったんだなぁって思っただけで」


「そっかぁ。沖満ちゃん、このあたりの人じゃないもんね」


 中学校とは異なり、高校では下手すると片道1時間近くかけて通学してきている人もいる。蛍が丘レベルの高校にわざわざ長い通学時間覚悟で入学する必要性などないように思えるが、学力的にここにしか入学できなかった人や、近江の背を追ってきた沖満などの例外もいるのである。もっともほとんどは近辺の住宅街からの通学であるが。


 楓音は沖満の隣に腰かける。


「ちょっと沖満ちゃんに聞きたいことがあるんだけどね」


「はい。なんですか?」


「春馬くんのこと……嫌い?」


「な、なんですか? 急に」


「う~んと、なんだか沖満ちゃんが、春馬くんを毛嫌いしているように見えたから。かな?」


「そう……ですか」


 彼女にしてみればそれを表に出している気はなかったのかもしれない。しかし楓音に限らず、分かる人は分かるレベルで表には出ていたのである。もちろん春馬も含めて。


「何か理由があるの?」


 特に怒る様子も、無理やり聞き出すような感じでもない。それは感情的な近江や、性格そのものが硬い春馬、中途半端に理路整然としている最上。そんなメンバーにはない、自然で穏やかなものである。その雰囲気につい彼女も口を開いてしまう。


「私、近江先輩にあこがれてこの学校に来たんです」


「そういえばそんなことも言ってたよね」


 学力に関しては蛍が丘の1年生では上位に入るほど。上のレベルの学校を狙おうと思えば習えない子ではないはずである。


「この学校に入ったらいろんな話ができるかなって思ったのに、近江先輩、いつも春馬先輩と一緒

で……」


「あぁ~なるほど」


 分かってしまった。


 つまるところがこれはあれである。


「嫉妬?」


 沖満は目を逸らす。思い切って肯定はしないものの、否定もしないあたりあながち間違いではないようだ。


 まさか春馬嫌いの原因が、近江への尊敬から来る嫉妬であるとは思わなかった楓音。しかし彼女は沖満のそれが他人事のようには思えなかった。


「なんだか分かる気がするなぁ。私も同じような境遇と言えば境遇だし」


「え? 楓音先輩も近江先輩に――」


「そっちじゃないんだけど」


 同じ境遇だけどそっちじゃない。


 そう言われて今度は沖満が察する。


「楓音先輩、もしかして」


「うん」


 恋する乙女と言うやつである。


「だから、私はむしろ近江ちゃんに嫉妬することが多いかな。あんな簡単にべたべたしてるのを見ると、ちょっと、ね?」


 意外と嫉妬深い楓音。これでも野球バカの一面を除けば割と普通の女子高生なのである。


「でもどことなく近江ちゃんの気持ちも分かるんだよね。春馬くんと一緒にいる理由」


「そういえば、なんで近江先輩はあんなに春馬先輩と? 付き合っているわけじゃないんですよね?」


「もしかすると近江ちゃんが『恋心』に気付いていないだけかもしれないけど、付き合ってるわけじゃないと思うよ」


 彼女はやんわりと沖満の予感を否定。


「近江ちゃんが高校に入ったのって、女子の高校野球参加が認められたファーストイヤーだって知ってる?」


「はい。それで1年目に甲子園に行ったって」


 その結果が、最上・春馬両投手が打ち込まれての1回戦試合放棄である。


「だからあの年って今みたいに女子の野球参加って普通じゃなかったんだよね。今でこそ琴ヶ浜女子には野球部があるし、前に戦った総合鈴征だって立花兄弟の妹さんがいたし。だから近江ちゃんって、実質的に1人で男子高校野球界に飛び込んだんだよ」


 厳密には同時期に楓音も入部しているが、彼女はマネージャー志望だったところを、先に入部した近江に無理やり選手登録されただけ。その前時点で言えば近江は1人でその世界に飛び込んだと言えるだろう。


「でもやっぱり大変だったみたい。私は入部が1週間くらい遅かったから聞いた話だけど、当時の3年生の先輩にも少し拒絶みたいにされて、なんなら皆月くんも認めていなかったみたいだし。最上くんは認めないではないにせよ、受け入れがたいって感じだったかな」


「そう、ですか。近江先輩も大変だったんですね……」


「そんなときに、近江ちゃんの唯一の理解者が春馬くんだったみたいなんだよね。野球一本のせいで女子とも打ち解けられず、男子とも接点ができづらくで孤立しかけてたから、最初の親友の春馬くんに懐いちゃったみたい」


「そんな経緯が……でも、なんで春馬先輩は理解してくれたんでしょう?」


「春馬くんが言うには、少年野球時代、最後の試合でサヨナラホームランを打たれたのが女子なんだって。だから女子でもすごい人はすごいって知ってるみたい」


「男子からホームランですか。近江先輩みたいですね」


「まぁ、その女子って言うのは近江ちゃんらしいけど」


 春馬の覚えていた情報としては少年野球チームの名前と、5番バッター、外野手、一本足打法、背が低いくらいであったが、高校入学以降に彼女に聞いてみたところ見事に情報が一致したとのことである。


 楓音は少し姿勢を変えて沖満と向き直る。


「春馬くんも近江ちゃんも、別に恋愛感情で繋がっているわけじゃないし、下心があるわけじゃないから安心していいと思うよ。近江ちゃんが『好き』って言うのも、ほとんど『like』の方の意味だと思うし」


 伴う行動はむしろ『love』の方だが。そこの感覚に慣れるのは時間が必要である。


『(ほんと、loveじゃなくてlikeだと嬉しいなぁ)』


 その点に確信を得られない楓音はただただ信じるのみである。


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