第7話 鍋島の先発登板
総合鈴征大学附属出雲共和高校
新興宗教法人が作った、いわゆる宗教系の学校グループの一校である。とは言ってもその宗教自体が「日本的日常の中の自然な信仰」をモットーとしているだけに、教会や偶像のようなものも、宗教のシンボルのようなものもない。おそらく部活で来ているのであろう、すれ違う学生の着ている学生服も、蛍が丘とそん色ない普通の学生服である。
そんな学校の野球部グラウンド
大野山南や信英館ほどではないが、野球部専用グラウンドを持っているだけでも、蛍が丘高校よりも遥かに恵まれている。
「さてじゃあ、1戦目の先発オーダーを発表するぞ」
春馬は電車の中で書いたメンバー表を手にオーダー発表。しかしその前にひとつ置く。
「今日のオーダーは夏を見据えたものだから、そのつもりで戦うように」
去年の夏は日野擁する大野山南に敗北。
秋は近江との勝負を避けられ、蛍が丘打線の脆さを露呈して敗北。
それを経験してオーダーを検討するのは当然の事である。
「じゃあ、1番、センター、大崎」
「はい」
やはり切り込み隊長は彼である。
「2番、レフト、因幡」
「ん」
そして2番も固定。
「3番、ファースト、寺越」
「ヘイ」
「4番、サード、猿政」
「うむ」
「5番、セカンド、近江美優」
「は~い」
クリーンアップも固定。以前と変わった点を挙げるなら『近江優奈』の入部により、メンバー表の『近江』が『近江美』と変更になったことか。これは『新田春』『新田楓』の区別と同じである。
「6番、ショート、新田春馬」
自分の名前をコール。そして――
「7番、キャッチャー、皆月」
「うっす」
蛍が丘オーダーが動いた。
「8番、ライト、最上」
「あいよ」
「9番、ピッチャー、鍋島」
「はいっ」
「以上」
鍋島が先発。そして、楓音がついにオーダーから外れた。
「それと攻撃時のランナーコーチは、3塁に島沢、1塁に優奈。頼んだ」
「俺ですか?」「わ、私?」
「あくまでも練習試合。間違ってもいいから、思い切ってやってみろ」
「「はい」」
どうせならば公式戦を見据えて沖満・楓音に任せるのもありだが、沖満は小中での経験が、楓音は高校2年間での経験がある。それなら野球慣れの意味でも初心者2人に任せたい。
「さぁ、ウォーミングアップを始めようか」
「春馬君、今日はキャッチボールする~」
「はいはい。先にストレッチな」
「ストレッチも一緒にする~」
ここ最近ずっと沖満とペアでやらされていた近江。春馬が恋しくなったようで、沖満に言われる前に積極アピール。あそこまで言われては、これまで近江と組んでいた沖満もそちらに行くわけにいかず、やむなく近江違いで優奈と組むことに。
先発メンバーが発表され終わり皆がウォーミングアップの準備を行う中で、周りに気付かれない程度に落ち込んでいる者がひとり。
『(レ、レギュラー落ちしちゃった……)』
楓音である。
本日の試合は夏大を見据えたオーダー。そのレギュラーから外れるということは、つまりレギュラー構想外ということである。
『(楓音。すまない。僕には救いようがなかった……)』
そして最上もほんのり申し訳ない表情を浮かべていた。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
両校のオーダーが発表。その結果、両校ともになかなか奇妙なことになっていた。
「立花キャプテン曰くベストオーダーとは言っていたけど、なぁ」
「なんだろうなぁ。これ」
春馬、最上が驚愕の目を向けるのはこちら。
2番 センター 立花千代
3番 キャッチャー 立花道雪
4番 ピッチャー 立花宗茂
2~4番の立花3兄妹である。
そして、
8番 ライト 最上義光
9番 ピッチャー 鍋島直茂
「何時代だ?」
「平成だと思いたい。最上義光が言えた義理じゃないが」
字面だけ見れば戦国時代である。
しかし今は平成である。
「で、真面目な話だけどどう思う? この打線」
「う~ん」
春馬は最上の問いに悩むような声を上げる。
「1年生に2番を打たせているのと、立花弟が4番なのが気になるな」
その答えは2つであった。
まずは前者の立花妹。上位を打たせるだけの打撃センスを誇るのか。それともバント専門の打撃下手を置いているだけなのか。そして後者の立花弟。去年の夏大1回戦では、それほど高い打撃センスを誇っていたようには見えない。もっとも近江のように見た目はか弱く試合によっては全打席三振という一方、ドラ1左腕が恐れるほどの長打力を誇るスラッガーもいるため、先入観で物を語るのは危険であるが。
この2人が意味するのは、立花一族の秘めたる力か。それとも今年の総合鈴征の貧打っぷりか。
「春馬君。そろそろ準備」
「あぁ、そうだな。ベンチ前、整列」
近江は準備万端とベンチ前へと歩み出る。その彼女の前に春馬が遅れて中腰。さらにそのあとに最上ら3年生、後半は1年生が並ぶ。そして本日については公式戦ではないため、高校4年目の武川も列に並ぶ。
「集合」
「全力でいくぞ」
「「「おぉぉぉぉぉ」」」
春馬の気合に、今までより多い13人の声が返ってくる。
「さぁ、絶対に勝とう」
「「「おぉぉぉぉぉ」」」
そしてキャプテン・立花道雪の気合でこちらのベンチ入りメンバー18人も駆け出した。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
1回の表の蛍が丘高校の攻撃は、開始早々の先制パンチを見せる。先頭の大崎がツーベースを放つと、因幡のライトフライの間に大崎が進塁。寺越がライト前へとタイムリーを放って早くも先制点を得る。
「さてと、守備に移ろうか。鍋島、準備はいいか?」
「はい」
結局は5番の近江でイニングが終了したため、ネクストに入っていた春馬はヘルメットをベンチに置いてグローブへ手にする。
新オーダーとなった蛍が丘高校。大きく変わったのは攻撃面ではなく守備面であるだけに、この1回の裏の守備こそその変革を評価するものでもある。
ランナーコーチからベンチに帰ってきた楓音は、ヘルメットを片付けてグローブを手に取ろう――と、したところで止まった。
振り返るといつもはマウンドに向かう最上がライトへ。代わりにピッチャーへは鍋島が。さらに視線をバックスクリーンに移すと、そこに自分の名前はなかった。
『(そっか。私、スタメンから外れちゃったんだよね……)』
途中交代は春大にて経験した。しかし1イニング目からいきなりベンチにいる状況は経験していない。守備に向かう皆の背中を見送る感覚は、決して春大における途中出場とは別のものである。なんだか自分とみんなの間に大きな壁があるような。
彼女はグラウンドに出たいが、もちろん出るわけにはいかない。そんな葛藤の中でベンチとグラウンドを分けるラバーを握りしめて耐える。その行き所のない感情を、
「みんなぁぁぁ。気合入れてこぉぉぉぉ」
裏返りそうな大声として吐き出した。
どこか哀愁漂う声に、グラウンド唯一の女子が応える。
「さぁ、無失点に抑えよ~」
「鍋島。バックは任せろ」
それに春馬も続き、
「直茂。キャプテンや監督も言ってる。しっかりな」
鍋島の球を受ける皆月も、ベンチから出ながら声を出す。
さながら楓音から始まった気合に、皆が呼応するかのように。
メンバーに名を連ねていない彼女にとって、できることはとにかく皆に向けて声を飛ばすことのみ。それが今までのライト守備に代わる彼女の仕事。
「ラスト。ボールバック」
規定数の投球練習を終えると、内外野からボールが返球。それをいの一番に飛び出した楓音が拾い上げる。
「セカン」
ラスト投球を受けた皆月が2塁に送球。受けた近江がランナータッチの動作。その後、ボール回しを終えて鍋島にボールが戻ってくると、皆月がホーム前に歩み出る。
「1回の裏ぁぁぁ。無失点に抑えっぞ」
「「「おぉぉぉぉ」」」
マスクを下し、しゃがみこんだ皆月。
先頭バッターが左バッターボックスへ。
「プレイ」
その一声で1回の裏の守備が始まる。
鍋島にとっては高校野球初先発。先頭を抑え込めるか否かが彼の心理的なアドバンテージを生むのではないか。
『(鍋島。しっかり腕を振っていけ)』
サイン交換を済ませてミットを大きく開く皆月。投球モーションに入った鍋島はその初球。
「ストライーク」
ど真ん中へと甘く入った失投も、ここは見逃してワンストライク。ひとまず相手の様子見に助けられたといったところか。初球から狙っていくタイプのバッターではなく、投げた鍋島も一安心。最上の場合は1番がじっくり見ていくことを見据えて、初球にど真ん中へ甘い球を放ることがよくある。それで経験しているはずなのだが、皆月もその一球は怖かったようである。
皆月からの2球目のサインは外すボール球。すぐに首を縦に振った鍋島の2球目。
『(まずっ)』
アウトコースに寄りかけた皆月がすぐさま元の位置に体を戻す。初球のど真ん中失投に続き今度は低めやや真ん中寄りへ。それを真芯で叩いて弾き返される。鍋島の足元を破った打球は二遊間へ――
『(近江、行けるか?)』
自分は間に合わないと見てスイッチトスを受ける位置へ向かう春馬。対して近江は二遊間を破りそうな打球に飛び込むが、
『(捕れ――ないっ)』
20センチほど届かず。打球はセンターへと抜けていく。
「う~ん。無理だったか」
センターへ抜けていく打球をやや追いかけると、2塁ベースややセンター寄りで大崎からの返球を受ける。
できることならば先頭バッターを抑えてほしかったがこれは仕方ないところか。
『2番、センター、立花千代さん』
ウグイスと共に右打席へと向かう立花妹。小柄な近江やややふっくら体型の楓音と違い、彼女はやせ形で同世代の女子に比べれば高身長。
「千代。しっかり」
「うん」
ネクストに入る兄・道雪の声援を受けた彼女は、打席に踏み込むなりバントの構え。
『(バントさせる気か? それともただの様子見か?)』
一応スタンスは投球と平行。ここからバットを引いてのバスターもないわけではないだろう。春馬はそうしたところを注意深く見ながら相手の動きを予想する。
『(春馬。まずはアウト1つ欲しい。やってくるようならやらせる)』
『(バントシフトか。分かった)』
春馬から指示が出る前に皆月からのフラッシュサイン。春馬もここは彼に任せてバント警戒に移る。
『(バント――させた)』
2塁に駆けながら動きをバッターの動きを見ていた春馬。
打者の立花妹は2球目の高めストレートをバント。しかし真芯で捉えただけに打球の勢いが強くなってしまう。
「ファースト、ボール2つ」
寺越の真正面への強いゴロ。皆月の送球指示を受けた寺越は迷わず2塁へと送球。
そこへ飛び込んできた春馬が捕球。2塁の角に右足をわずかにかすらせながら1塁送球モーションに入りアウトひとつ。小さな動きで1塁カバーに入った近江へと転送。練習でもそう上手くはいかない理想的なバント処理に、ダブルプレーを奪えたと確信する。ところが近江が彼から送球を受けた時、1塁審判の両腕は横に開いた。
「セーフ」
「え?」
近江が振り返ると、そこにはバント失敗して悔しそうに天を仰ぐ立花妹。
「はえぇ」
その一部始終を見ていた春馬は苦笑い。さすがに男子内でもかなりの速さを誇る大崎・最上ほど速いわけではないにせよ、女子レベルなら相当速い足である。バント専門として2番に置いたかと思われたが、この足があってのことらしい。さすが恐怖の立花兄弟の末っ子だ。
『3番、キャッチャー、立花道雪くん』
そしてバッターボックスへは立花家の長男。ネクストには次男が入る。
『(ランナーにあの足。バッターに立花の兄ちゃんは嫌だなぁ)』
ストレート一本で抑え込めるバッターじゃない。しかし球速の遅い変化球を用いれば、ランナーに走る隙を与えてしまう。
だが、ランナーを気にして打たれてしまっては元も子もない。皆月はそこのところを割り切り、初球は低めの変化球を要求する。あわよくば内野ゴロゲッツーに打ち取ろうという算段である。
左ピッチャーということもあり、1塁ランナーと正対する鍋島。目の前にいるのは女子高生。女子を相手にするのは、少年野球、中学野球でも女子の増え始めた昨今にしてみても珍しいことは間違いない。そんな彼女との対戦が終わって彼にとっては一安心なのか、ランナーとしてとの対戦が始まって安心できないのか。
足を上げた鍋島は1塁側に踏み込んで牽制。まだそれほど大きいリードでなかったこともあり、滑り込むほどでもなく悠々の帰塁。
『(落ち着け、鍋島)』
気持ちは分かりながらも心中で諭すくらいしかやることのない春馬は、ただただ彼を静かに見守る。なによりこの試合は練習試合なだけに、目先の結果を出すことよりも、結果は出ずとも成長してほしいのが正直なところだ。
「セーフ」
2球連続の牽制。今度はしっかりリードをした立花妹に対するものである。
春馬相手にするとどうもカリカリするバッター・立花兄も、こうしたじらし戦術には強い様子。一度、構えを解いて軽く深呼吸し、構え直す。
鍋島はようやく気持ちを落ち着けて、初球。
サイン通りに低めへ投じられた変化球を、道雪は果敢に初球打ち。ところがわずかにボールの頭を叩いたか。打球はサード方面のゴロ。
「しめた。サード。ボール2つ」
3塁線上を襲うゴロを受けた猿政は、皆月に言われるまでもなく体をひねりながら2塁に送球。2塁に入った近江が送球を受け、ただちにゲッツーを取ろうと1塁に転送を計るが、
「ファール、ファール」
審判のジャッジはわずかに3塁線を割っていたとのこと。ファール判定でゲッツーにはならず。2塁付近まで到達していた千代は1塁に戻り、あわばゲッツーの道雪も安堵のため息をもらしながらバットを拾い上げる。
ランナーの動く気配はなかった。これは単に初球は様子見と決めていたからだろうか。
2投目。セットポジションの鍋島は再びランナーと正対。次は走ってくるかもしれないという思いから牽制球を投じるも、ここも殺せずセーフ。ゲッツーを取れなかった事実があるだけに、1番バッターよりも足を警戒しているようである。足そのものは最上ほどではないはずなのだが。
次に鍋島の足が上がる。彼の右肩がわずかにセンター方向に入り――
『(動いた)』
ランナーが走った。近江はわずかに2塁方向へと体重を移す。彼女の反応ならばすぐに2塁へと動けるが、あまりに早く動くとエンドランに対応できなくなるからだ。
「ボール」
アウトコースに外れるボール球。盗塁を読み切ったわけではないが、サイン通りの投球である。
少し腰を上げて捕球した皆月は、バッターが振ってこないと見るやいなや左足を踏み込み送球モーション。2塁カバーには近江が、そのカバーには春馬が入ろうとしており、鍋島もその場にしゃがんで待ち受ける。
『(いけるかな?)』
よほどランナーのスタートするタイミングが良かったようで、思いのほか際どいタイミングになりそうである。
2塁に向けてリリースするが、あろうことか送球は低めに逸れる。鍋島の頭を狙うような早急に彼はあわてて倒れこんで回避。しかしその後、急なハーフバウンドに近江は対応できず。彼女はタッチを急いだこともあり、グローブを掠めて後逸。さらにカバーに入った春馬も、近江が死角になっていたことで対応が遅れる。こちらはさすがの守備反応でグローブにこそ当てるも弾いてしまう。あまり遠くに転がらず、無駄な進塁を許さずに済んだのは幸いである。
「っぶねぇ」
ボールを拾った春馬は、逸れたのを見て3塁への動きを見せる立花妹を目で牽制。
「下手くそぉ~」
近江に挑発される皆月は舌打ちしながらも、右手を挙げて謝罪の意を示す。近江はともかくとして、危険な目にあいかけた鍋島には悪いと思っているらしい。
いい送球であれば刺せたかはさておき、皆月の悪送球があったことは間違いない。1アウト2塁のピンチを招いて、結局はバントで送られたような形となってしまう。その悪い流れが鍋島の投球にも作用してしまったのか。
「しまっ――」
『(ライト方向へ)』
抜けたアウトコースへのストレート。これをきれいに流し打ちされる。道雪の一打はライナーで寺越・近江の守る二遊間を抜けていく。3塁コーチは道雪対策の外野シフト、そしてランナー・千代の足の速さを考慮してホーム突入を指示。
「近江、セカンに行け。僕がカットに入る」
本来ならば寺越や近江がライトからの中継に入るべき。しかしここは肩の強い春馬がライトからの中継に飛び込む。ショートからライト方面の中継に入ることのできる守備反応。彼のとんでもない強みである。
「最上、ボールバック」
中継線に入りながらホームを示す春馬に、いつもと違ってライトを守る最上は、
「させっか」
左腕を思いっきり引いてその反動を用いての送球。さながら因幡のそれを髣髴とさせるそれは、彼自身の地肩の強さも相まって低い球道での速い送球。
「春馬、ノーカット」
送球が逸れた時の対策かつ、バッターランナー牽制目的でギリギリまで中継準備していた春馬だったが、皆月の声にすぐさま送球線上から避ける。
立花妹はもう後戻りはできないと、迷うことなくホーム突入を敢行。皆月が送球を受けるのを目にしながら彼の背後へと回り込む。そしてもちろん背後を空けていた為、そちらに回り込むと当然予想していた彼も彼女へのタッチに移る。
頭から飛び込みながら左手でのホームタッチを狙う立花妹。
彼女の背中をミットで叩く皆月。
「アウトっ」
わずかに皆月のタッチが早かった。球審の手が上がるなり、皆月はすぐさま立ち上がって1塁ランナーを牽制。さすがに立花兄は2塁を狙えないか。
「よし。ナイスプレー。ツーアウトだ。ツーアウト」
「ツーアウト、ツーアウトぉ」
「っしゃあ」
人差し指と小指を立てた右手を突き上げる春馬に、それに呼応して同じくアウトカウント確認をする近江。そしてホームを狙った千代に「甘く見るな」と言わんばかりにグローブを突き出す最上。
マウンド上ではなんとかピンチをしのぎ、ようやく心の安らぎを得た鍋島。
意気上がり、リズムに乗る蛍が丘高校の中で、楓音だけは心中穏やかではなかった。
『(い、今の送球。私には無理。あんなの、わたしには絶対無理。あんなに速いランナーなんて殺せないよぉ……)』




