第6話 最後の夏へ立ちふさがる壁
沖満はベンチに帰っても不満である。確かに先の回は結果的に無失点で抑えたかもしれない。しかしそもそもエラーがミスであることには変わらないし、それが原因で本日は春馬がいくつかの出塁を許している。にも関わらず、このチームのエラーに寛容な態度はなんなのか。そして自分のエラーのしない守備に対する評価の低さはなんなのか。
「最上先輩」
「ん?」
冷たいスポーツドリンクを飲みながらアイシング中の最上へ、沖満が声をかける。
「どうして監督の守備は評価されるんですか。私と比べてエラーが多いのに」
「その分、さっきも内野安打を許してたけどな」
「ヒットは仕方ないです。ピッチャーの責任です」
「ピッチャーに責任を押し付けてるだけだろ」
彼はドリンクのボトルを横に置いて腕組み。
「僕も高校に来るまではあんな守備がいい守備だとは思わなかった。でもマウンドを守っていて分かった。沖満、『アウトにできる打球をエラーする』のと『ヒットの打球をエラーする』のは、同じエラーでもまったく意味が違うぞ」
彼は彼女へと目を向ける。
「どうせ野球観は宗教的なところがあるし、そう簡単に歪められないよな。いつか自分で答えを出した方がいいと思う……もしもお前が近江を尊敬しているなら、きっと早く答えは出せると思う。近江も新田と同じ類の人間だからな」
それ以上に深いことは言わなかった。理由としては冒頭の一言に凝縮される。
野球観とは宗教的なのである。
人に言われたくらいで変わるほど簡単なものではないのだ。
「近江先輩と春馬先輩が一緒、ですか?」
エラーの少ない近江と多い春馬。まったく違うタイプに見えるが……
「どっちも攻めの守備って点でな。まぁ、近江はパワープレーができない分、どうしても新田に比べると堅実寄りだけど」
それが、近江が春馬を越えられない理由でもある。技術で補っていると言えば聞こえはいいが、要はパワー不足で技術に頼らざるを得ず、その限界が守備の限界に繋がっているのだ。その点、春馬は男子並みのパワーはあるため、持ちうる技術の生かす選択肢の幅が広いのだ。
そして近江の好プレーは春馬が引き出していることもある。基本的に彼女のグラブトスは早くも雑なところがあるが、多少の悪送球はダブルプレーしかり、スイッチトスしかり春馬が処理してしまっている。彼女のエラーをファインプレーにしているのは春馬の攻めの守備でもある。
「沖満。お前が思ってるほどあいつは、低評価されるような人間じゃねぇぞ。だてに信英館、天陽永禄からマークされる名手じゃねぇよ」
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7回の表に猿政のタイムリーツーベース、近江のスクイズ、春馬の併殺間の得点によって3点を奪った蛍が丘高校。その裏を鍋島がレフト・島沢のエラー絡みの1失点に抑え込み、10―1にてコールドゲーム。
「まぁ、一回戦は良好かな?」
春馬は武川の書いたスコアブックに目を通しながら、1人で試合を振り返る。
島沢 2打席ノーヒット2三振
優奈 1打席ノーヒット1三振
沖満 1打席ノーヒット1四球
鍋島 2回1失点 打席無し
フォアボールを選んだ沖満は十分評価に値するところだが、皆月にあれほどまで言わせた彼女の守備はいまいち評価しがたいところである。鍋島については硬式球にまだ慣れ切っていないこのタイミングで、これだけの成績を残せたならば十分か。6回の満塁のピンチだって、ほとんど沖満の守備難によって招いたものでもある。
ただ初心者2人はしっかりバットを振っていたし、経験者の2人もかれこれ悪くはない成績であった。
「武川。他の球場はどうなってるか分かるか?」
「あいにくその手の情報は……」
「そっか。すまんな」
甲子園大会ならまだしも、島根の春季大会の結果速報など知る方法などそれほどない。あえていうなれば、どこぞの高校野球ファンがネットで個人的に乗せている情報を当てにするぐらい。それでもさすがに試合経過までは分からない。
なお春馬が気になった他球場の主な試合結果は、
天陽永禄 28 ― 0 大田山吹 (5回コールド)
大野山南 52 ― 0 琴ヶ浜女子 (5回コールド)
と、このくらいのもの。天陽永禄はさすが名門校の貫録を見せつけたと言ったところ。そして日野・白柳の引退した大野山南であったが、さすがに貧打の蛍が丘でも勝てた琴ヶ浜相手ならまったく苦戦はしなかったようである。
「今日の試合で最上を温存できて、ついでに2番手候補の鍋島を試せたのはよかったけども。果たして次の試合がどうなるかだな」
春馬の懸念は今後の試合である。蛍が丘高校は春季大会においてまともに2試合目以降を勝ち抜いたことはない。強豪校との経験を積む目的でも、夏大にてシード権を得る目的でも、甲子園に直結するしないに関わらず勝ち進みたいところである。
「ただ課題を挙げるなら……」
春馬は少し先、帰る準備を手伝っている島沢、沖満、優奈の3人。それに加えて近江家の車の中でアイシング中の鍋島、楓音の2人に目を向ける。
「あいつらか」
蛍が丘は大きな問題である選手層の薄さから解放された。しかしだからこそ新たな問題も浮上した。ぜいたくな悩みかもしれないが、勝ち進む上ではぜいたくも必要なのである。
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春馬の懸念のひとつ。春季大会2回戦であったが……
蛍が丘高校 0 ― 2 松江水産
島根県屈指の重量打線を前に2対0での敗北。むしろ最上、鍋島、春馬の3投手はよく2失点で乗り切ったというべきだ。もっとも失点は8回に春馬が2ランを被弾したことによるものであるため、最上と鍋島の2人は無失点であるが。
そんなことでシードへの夢は断たれ、3年生にとって残す公式戦は最後の夏だけ。
「もうあと4か月か」
4月末の晴れた平日の事。春馬は校舎屋上からグラウンドに目をやる。
そこでは3年4組の男子がソフトボールをやっているところ。近江が「私もやりたい~」と言いながら楓音と南に連行されたところまでは知っているが、以降は毎度の事サボりである。
「次の監督は鍋島、キャプテンは沖満かな。副キャプテンは……どうするかなぁ」
そもそもとして部員が4人となる野球部がそのまま維持できるかどうかの課題もある。試合自体については連合チームとして参加でなんとかなるにせよ、部活動としては今までのように機能するかは不明だ。
春馬はまたグラウンドに視線を落とす。おそらくは「野球部は逆打席で」と言われて左打席に立った最上が、後退守備の外野の間を抜くランニングホームラン。むしろ本来の右打席よりも今の左打席の方がバッティングはいいように思える。
「まったく、あいつはよく分からん」
ただ打撃下手の春馬も授業のソフトボールではまぁまぁ打つため、その実力が野球部でも生かせるかどうかと言われると話は別である。
能あるキツネは犬歯でも隠しているのか。日陰の段差に腰を掛けると、持ってきていたカバンから手帳を取り出す。
「春大終わって早々だけど、どこかと練習試合を組みたいなぁ」
2回戦で負けた春大。さらに言えば1回戦では余裕すぎ、2回戦では余裕がなく、練習と考えると適当な相手であったとは言い難かった。そうなるとやはり自校と同じくらいの実力を持つ学校と試合をしたいところであるが。
「候補としては大野山南、総合鈴征あたりか。間違っても琴ヶ浜はねぇな」
優奈や島沢の相手としてはいいだろうが、蛍が丘野球部の相手として琴ヶ浜は弱すぎる。
「信英館2軍とかないのかな?」
大野山南は次期ベンチ入り候補のメンバーを集め、『2軍』として試合をすることがある。あくまでも公式戦ベンチ入りメンバーに対する言葉であり、常設の2軍があるわけではないが。
「ただまぁ、やりやすいのは総合鈴征かな? 監督との交友的な意味では大野山南、琴ヶ浜の方が試合を組みやすいけど」
大野山南と春馬の交友関係は言わずもがな。
琴ヶ浜はまだ県下でもイロモノ野球部として見られている。実力は度外視したとして他の野球部と同等に扱うのは、女子球児有する蛍が丘高校・大田山吹高校、さらに立花兄弟の妹が入ったと言われる総合鈴征。加えて近江に苦汁を飲まされた大野山南や信英館くらいのものか。そうした意味では琴ヶ浜としては試合を組んでくれる相手に飢えているのである。
「ま、総合鈴征にでも頼んでみるか」
春馬は手帳の中から、総合鈴征野球部用メールアドレスを見つける。そしてそこへと向けて練習試合の要請メールを送信する。
「組めたらいいけど、向こうの用事もあるからな。大野山南も視野に入れておくか」
なおその14分後。総合鈴征の監督からメールが届く。
『喜んでお受けいたします。日時、場所等、詳細については後ほど電話にて打ち合わせするといたしましょう』
総合鈴征との練習試合、決定である。
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半ば春馬のひらめきによって組まれた練習試合。急な予定とあって、道具運搬のために猿政家の軽トラが確保できただけでも幸運であった。本日の試合は珍しくも電車による移動である。
猿政を除く3年生8名、新入3年生1名、そして新入部員の1年生4名が集まるプラットホーム。そこへ3両編成の電車が入ってくる。
「ねぇねぇ、春馬君」
「ん?」
「おんつー。って何?」
「おんつー?」
何やら考えていた春馬に近江が問いかける。彼女が指さした先は、電車の行先表示。
『普通』
「……おんつう。ねぇ」
気持ちは分からなくもない。しかし高校生ともなれば『ふつう』と読んで欲しいものである。
呆れ顔の春馬は説明を因幡に任せて、先に電車に乗り込む。そして適当なボックスシートを見つけると、窓際の位置へと腰かける。
「じゃあ、私は春馬君のとなり~」
「近江はどっか行ってろ。ここは最上。で、向かいには鍋島と皆月」
「ヘ~イ」
指名を受けた最上は「悪いな」とアイコンタクトしながら春馬の隣へ。そして鍋島と皆月も春馬の指定通りの場所へ。4人掛けのボックスシートではこれで定員いっぱい。近江は明らかに、楓音はさりげなく不満そうな表情を浮かべるが、2人の女子は沖満、近江妹に連れられて別の場所を確保する。
結果、蛍が丘3投手&キャッチャー・皆月、女子組、その他は3:2に分かれて席を確保すると、そのあたりで電車が発進する。
「さてと、新田。なんでこのメンバーを呼んだよ? 近江なんて不満げだったぜ?」
「もちろん、今日のオーダーに関することだからな」
「この前、十分話をしたと思うけど?」
「まっ、再確認だと思ってくれればいい」
春馬は武川から預かっていたプラスチックケースから、既に書いておいた本日の先発メンバー表を取り出し、最上へと手渡した。
「しかしまぁ、本気でやんのか。これ?」
「当たり前だろ。それともこれ以外にベストオーダーあんの?」
「いや、ないけどさ」
最上は頭をかきながら釈然としない反応。
「それとも、打順や守備位置が不満か?」
「そうでもないな。妥当だと思うよ。自分の分も含めて」
最上はどうみ見たそうにしつつも「見たい」とは言わない鍋島へ、手にしていたメンバー表を手渡す。
「ただ、なぁ」
「ただ?」
「あいつのこれまで2年間の努力を考えると、なんだか残酷な気がしてなぁ」
「鍋島や沖満の努力の年数は2年どころじゃないけどな」
「そりゃあ、なぁ」
「言っとくが、真っ新な状態からの数年の努力で経験者を上回れるのは、よっぽど才能があるヤツだけだぞ。あいつにそんな才能あるか?」
「知識はあるがな」
「知識だけはな」
春馬は最上と言い合っていたが、今度は皆月へと目線を向ける。
「皆月はどう思うよ。このオーダー」
「俺は組む相手がいつもと違うだけ。それでも上手い事リードしてやるさ」
「そっか」
鍋島もこのオーダーに仮に自信がないことはあっても、不満はないであろうと思われる。と、なるとこれに不満、もとい釈然としない感情があるのは最上だけか。
「最上。これはあいつにとって越えなければならない壁だと思う。長い野球人生できっと皆が越えてきていながら、あいつはまだ越えたことのない壁。ポジション争いをな」




