第4話 初心者の初出場
蛍が丘高校は重度の守備偏重であり、得点力に難があると言う課題はある。しかし近江のクジ運の悪さから、去年1年間、強豪校とぶつかり続けたその成果は出ている。
3回の表。
ワンアウトから大崎がデッドボールで出塁。前の回に楓音もデッドボールを食らっていることから、それほどピッチャーのコントロールはよくないようだ。
『(強攻策で行こうか)』
『(またですか。さっきゲッツーでチャンスを潰したばかりですよ)』
春馬の強攻病に、3塁コーチの沖満は呆れ顔。しかし、
「ふっ……抜けた」
因幡の打球は一二塁間を破るライト前ヒット。大崎が2塁を蹴って3塁へ滑り込み、1アウト1・3塁とチャンスに代わる。
『(よし、因幡。ナイバッチ)』
『(そんなときだってあります)』
してやったりの春馬と、それでも認めない沖満。
『(相手は地に足が付いていない感じだしな。勝負するか?)』
1・3塁ならば、因幡の単独スチール、場合によっては大崎もスタートでダブルスチールがある。他にはスクイズや、因幡のみスタートでゲッツー回避のエンドラン。
『(セーフティスクイズさせるか?)』
春馬は、ランナーは動かず、バッターはバントの意味を込めて送りバントのサイン。結果的に考えるならばセーフティスクイズと同義である。
ヘルメットのつばに指を当てて了解サインの寺越が左バッターボックスに踏み込む。
相手を心理的に崩す目的で、ここで1点が欲しいところではある。蛍が丘高校の強固な守備陣からして、既にある先制点のみでそうそう負けはしないだろう。だが可能な限り突き離し、できることなら1年生たちを試合に使いたい思いがある。そしてなにより、今後を考えるとここで最上を消耗したくない。
クイックモーションからの初球。
ピッチャーのリリース寸前で寺越がバントの構え。内野がスクイズと思って前に出てくるが、そこはバッテリーも考えていた。大きくアウトコース高めにピッチドアウト。だが蛍が丘高校の作戦はセーフティスクイズである。
「ボール」
ここはバットを引いてワンボール。
もちろん大崎はスタートを切らず、因幡も動かず。
『(相手もさすがに2点目は警戒気味か)』
春馬は内野を見渡しながら考える。1アウトで1・3塁ならば、セカンド経由のダブルプレーで無得点には抑えられる。しかしもし相手がゲッツーシフトを敷いたならば、蛍が丘はスクイズをしてくる可能性が出てくる。そう考えると2点目を防ぐには必然的に3塁ランナーを殺すか、3塁ランナーを牽制しつつ寺越・猿政・近江の内2人をアウトにする必要がある。
『(ひとまず打たすか。カウントや守備シフト次第でまた考えよう)』
ノーサインに切り替え。
「春馬君、悩んでるね」
「そりゃあ、勝負どころだしな」
打席が回る可能性があるため、ヘルメットを被った近江は春馬の横にて待機。
「ここがスクイズの仕掛けどころだと思うけど……守備体勢を考えるとなぁ」
眉間にしわを寄せながら難しい顔で考える春馬に、隣の近江が彼の手を強く握る。
「落ち着いて。監督こそ落ち着かないと」
「案ずるな。いつも通りだ」
彼女は心配しているが、だてに2年間も監督をしてはいない。顔こそ険しいものの、采配そのものはいたって冷静である。
「ストライーク」
2球目にストライクで1―1の平行カウント。
「次か? 次はどうする……」
少し悩みながらもノーサインを継続。
直後の投球はインコースに外れてツーボール。
少しの変化も見逃すまいとあたりを見回しつつ、次なる策を考えていたその時。意外なところからヒントが現れた。
「春馬君、守備が動いた」
「え?」
彼女が視線を一切外さずにつぶやいた。
「二遊間が閉じた」
「どこが?」
春馬にはあまり分からない。しかし、
「ちょっと、1歩分くらい動いたみたい」
近江は明らかに確信を得たようである。
「近江。お前に賭けるぞ」
「賭けてもいいよ」
春馬がスクイズのサインを出した。寺越・大崎・因幡の3人からの了解サイン。
「もうサイン出したけど……なんで分かった?」
「ショートがピッチャーに近づいた気がする」
「ショートがピッチャーに?」
「うん」
ショートそのものの動きを見るのは難しい。しかし彼女はピッチャーとの相対的な位置関係でそれを知ったようである。
「信じていいか。近江なら」
「信じてくれてうれしい~」
笑みを浮かべる近江の一方で、それでも緊張感を絶やさない春馬。
『(頼むぞ。近江の野球勘を信じる)』
リードを取った大崎、因幡の2人。バッターの寺越もいつも通りを装いながら投球を待つ。
セットポジションに入ったピッチャーは長く時間を持ち――
『(今っ)』
大崎がスタートを切った。遅れて因幡もスタート。寺越はバントの構えへ。
「よしっ、完璧」
近江の読みは的中。守備の反応も遅れたことに、春馬も成功すると見た。
「くっ」
まだ左足を踏み込んだところのピッチャーは、走り出した大崎や寺越を見てなんとか外そうと無理な投球フォームに移る。彼のリリースしたボールは低めへ。それもストライクゾーンの低めではなく――
『(ワ、ワンバウンドする)』
低めに外された。寺越はなんとか食らいつこうと、体勢を崩しながら飛びつくが、
『(か、空振り)』
スクイズ失敗。大崎の好スタートが裏目にでた、ピッチャーの緊急ピッチドアウトにバントができない。ところがまだチャンスは終わらない。
『(行ける。ホーム、踏める)』
大崎がホーム突入を敢行。キャッチャーが急なワンバウンドウエストに対応できず、ボールを弾いてしまったのだ。それでも遠くに転がっていったわけではなく、近くにあるのみ。ただちにボールを素手で拾ったキャッチャーが大崎へタッチしに、対する大崎はピッチャー側に回り込みながらホームへ頭から飛び込む。豪快にオーバースライドしつつ、1回転、2回転と転がりまわり砂埃を立てる。
「セーフ」
「っしゃああぁぁぁ」
球審の手が開くと見るや、下からアッパーカットのようなガッツポーズをする春馬。
スクイズの失敗。しかしそこから転じたホームスチール成功。
「ナイラン、大崎」
「危なかったぁ。ドキッとしたよ」
ハイタッチの手を伸ばす春馬。何よりこの追加点の勲功は、間違いなく好判断でそのままホーム突入を敢行した大崎である。そのまま戻っていたならば、もしくは一瞬でも止まったならば三本間での挟殺、もしくは本塁憤死である。
さらに直後、寺越がライト前へヒットを放ち、因幡が一気にホームを駆け抜ける。大きな2点の追加を行い、蛍が丘高校へ天秤が大きく傾いた。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
5回の裏も無失点に抑え、試合は早くも6回の表。あれからさらに2点を追加して5―0と大幅リード。少し試合状況に余裕が出てくる。
「優奈。カウンター見せて」
「はい」
ベンチに帰るなり、最上の球数を数えていた優奈を見つける。彼女の持っていたカウンターを見せてもらうと、気持ち多めの球数を放っていた。相手のバッティング能力が高くないために、空振り・見逃しが多いゆえだ。
『(さて、そろそろかな)』
春馬は顔を上げて鍋島と近江を見つける。
「鍋島。そろそろリリーフあるぞ。ブルペンに行ってこい」
「はい、えっと、それじゃあ……」
誰とキャッチボールしようかとあたりを見回す。本来ならばキャッチャーの皆月とだろうが、彼はこれから打順が回る。彼にとって他に話しかけやすい先輩と言えば最上だが、彼はここまで5回を投げているだけに無理は言えず。
「近江、ブルペン」
「え? 私、キャッチャー?」
目を輝かせる近江だが、春馬は首を横に振る。
「いや。打順、遠いだろ? 付き合ってやってくれって話」
「むぅ、キャッチャーやりたい」
「ちょっと、近江」
春馬に呼ばれて駆け寄ってくる近江。彼が彼女の肩に腕をまわし、顔を近づけての耳打ち。近江は嬉しそうな様子だが、その後ろで沖満は怪訝そうな表情。
「あのな、鍋島は公式戦初登板なんだ。いや、練習試合も組めなかったから、高校野球の試合初では登板か」
「2番手捕手だと不満ってことぉ?」
頬を膨らませて反論する近江。しかし、
「いや、名手の近江がセカンドにいてくれた方が、鍋島も安心するかと」
「さぁ、ブルペン行ってこよぉ」
本当につくづく扱いやすい子である。
「それと……島沢」
「はい」
「予定通りだ。行ってこい。代打は自分で審判に告げろよ」
「えっと、サインは?」
「ストライクだと思ったら、気にせず振ってこい。結果についてはとやかく言わん」
「はい」
春馬は打席が打席を指さすと、既にヘルメットやバットを準備していた島沢が打席に向かう。彼は審判に自ら代打を告げて、投球練習中のホーム横で素振りを始める。
『6回の表。蛍が丘高校、選手の交代です。7番、新田楓音さんに代わりまして、ピンチヒッター、島沢君。背番号12』
子供会や体育の授業でソフトボールくらいはやったことあるだろうが、本格的な野球に関しては人生初打席。ただこの2週間で最低限教えるだけは教えたので、ある程度様にはなっている……ように見える。
「で、優奈」
「は、はい」
「最上のところで代打な」
「頑張れよ~」
楓音にアイシングしてもらいながら手を振る最上。優奈は最上にカウンターを託してヘルメットをかぶり、軽めの楓音のバットを借りてベンチのネクスト寄りで待機。
「優奈。島沢にも言ったが、ストライクだと思った球は、結果的にボール球だろうがなんだろうが、構わず思い切って振ってこい。結果はとやかく言わないから」
「が、頑張ります」
こう見ると打席に入る前はウキウキで、結果は問わないと言うと「ホームラン打ってくる」と言いだした挙句、場合によっては本当に打ってくる姉とは大違いである。華の女子高生としてはそちらの方が異端なのだろうが、野球人としては正常なのかもしれない。
「ストライーク」
ちょっと高めのボール球に手を出してしまう。
「よしよし。その調子だぞ、島沢。思い切って振っていけ」
手を叩いて盛り上げる。
いくらスポーツ経験のある男子学生と言っても、いきなり高校野球の打席は厳しいらしい。それでもまだ初年度の楓音よりはまともなのかもしれないが……
「スイング。ストライク、ツー」
次はインコース高めのボール球。彼はスイングに出ながら回避しようとした結果、ボール球にバットが回ってしまいスイングコール。中途半端なスイングで空振りを取られる。
「う~ん。さすがに野球経験1か月足らずでインハイはツラいかぁ」
何せ石のように硬い硬式球が120キロ程度で飛んでくるのである。春馬ら野球経験が長いメンバーでも怖いのだから、ルーキーが恐怖心を抱くのも当然である。ただ一方で、デッドボールになりそうなスライダーをレフトポール上空まで運んだ、トンデモ女子高生がいる点では世界は広いと思わせる。
「ストライクバッターアウト」
結局、先頭の島沢は三球三振。
特に最後の球については2球目の残像が頭を過ぎったのだろうか。少し腰を引かせてのアウトコース空振りであった。
「まぁ、ナイススイング。あれは仕方ない」
2回ほど手を叩いて島沢を励ます春馬。
「じゃ、優奈、ネクスト。皆月の次だからな」
「はい。えっと、審判さんにはなんて言えばいいんでしたっけ?」
「代打、近江優奈とでも言っとけ」
「分かりました」
優奈は緊張の面持ちでネクストバッターサークルにしゃがみ込んで打順を待つ。するとカウント1―1からの3球目。皆月が三遊間を真っ二つに破る一打を放ち、珍しくヒットでの出塁を果たす。
「よし、優奈。行ってこい」
「はい」
優奈に言ってこいと指示を出すついでに、皆月へとサインを送る。
『(公式戦で手を抜くのは愚行だけども、ここは優奈に集中させてやってくれ)』
『(動くな? 了解)』
そもそも皆月は積極的な走塁を仕掛けるタイプじゃない。それでも一応は野球初心者が打席へ集中できるよう、ランナーは動かないようにサインを出す。
「えっと、代打、近江優奈です」
彼女は球審に選手の交代を通達。
『9番、最上君に代わりまして、ピンチヒッター、近江優奈さん。背番号13』
「よ、よろしくお願いします」
彼女はヘルメットをわざわざ脱いで打席前で深々と一礼。少し被り直すのに手間取ってから右バッターボックスへ。なおその結果。
「ボー、いや、ストライーク」
初球、高めのボール球を空振り。
「ストライク、ツー」
2球目、低めのワンバウンドを空振り。
「ストライクスリー、バッターアウト」
3球目、アウトコース高めのボール球を空振り。
すべてミットに収まってからのスイングであり、初球についてはあまりの振り遅れに審判も一瞬「ボール」のコールをしかけたくらいである。
「まぁ、こんなもんだよな」
こう考えると同じ空振り三振とはいえ、ミットにボールが入る前に振っていた島沢はさすが少し違うと思わせる。
春馬はそれでも島沢の時のように優奈を拍手で出迎える。
「だ、ダメでした……」
「よし、ナイススイング。ナイススイング。よく頑張った」
落ち込む優奈の背中を叩いて励ます。が、
「ゆ~な~、全部ボール球だよぉ。ちゃんとボールを見ないと~」
春馬に構ってもらっている優奈に嫉妬したか、煽ってくる近江。しかしそこでベンチにいた3年生3人+ネクストの因幡が心をひとつにした。
「お前が言うな」「近江が言うなって」「人のこと、言えない」「ふっ」
春馬と寺越、因幡は同じようなツッコみを、最上は鼻で笑う。
彼女はフリースインガーの三振王である。




