第6話 野球は好き?
お互いの拒否を信じて、お互いに気を遣って了承した結果、お互いにとって回避したい状況を招いてしまったわけで。別に双方、嫌なわけではないが……
と、言った経緯で楓音によるひざまくらは現在進行形だ。
母親にしてもらった子供の頃ならまだしも、女性のひざまくらで寝たことのない男子高校生・新田春馬にしてみれば、とにかく素面とは言えない心境である。近江で女子慣れしているとはいえ、アレは普通の女子とはまた違うのだ。
そして一方の楓音もそうである。楓音にしてみれば男子にひざまくらしてあげるのは初めてであり、なによりその相手がひそかに恋心を持っている相手である。今考えると「なんてことを言ってしまったのか」と思う限りで、勢いで物事を進めるのはよくないという教訓である。
「ね、ねぇ、春馬くん?」
そこでひざまくらしてあげている状況に目を逸らすため、彼女は会話に集中することに。とはいっても、相手は春馬しかいないが。
「どうした?」
彼も同じような状況であり会話に意識を移したいのだろう。眠気がある中でもしっかり言葉を返してくる。
「野球、好き?」
「好きだぞ。そうでもなければ小中高と続けないし」
いつもならば「どうした? 急に」くらいは言ってきそうだが、彼も普通の心理状況ではないらしい。
「……」
「……」
その直後は話す手番を譲り合った結果、お互いに黙ってしまうことに。その時間わずか2秒ながら、2人にとってはそれ以上に感じたことだろう。
「以前なんだけど――」「特に小学校の時は――」
そして話を途切れさせまいと言葉を発した結果、今度は言葉が重なってしまう。相性がいいからタイミングが重なるのか、相性が悪いから相手の言葉を遮るのか。
「楓音からどうぞ」
春馬の一言に楓音は軽く頷き。
「以前ね、サッカーをしたことあったでしょ? 野球部とサッカー部で」
「あぁ、やったなぁ」
冬場の体力向上トレーニングの一環としてやったサッカーである。ちなみに野球部側としても楽しく、そして体力向上を見込めるということで、冬場はサッカー部と日程を合わせて紅白戦を続ける予定である。今のところはひとまず年明け1月3日の予定のみだ。
「あの時ね、春馬くんすごく楽しそうって、最上くんも言ってたよ」
「楽しくはあったよなぁ。僕がやってたサッカーって、基本的に助っ人で参加してる大会だし。あんなのびのびできる試合って言うと、あれと体育の授業くらいか。程よい強さって意味では紅白戦だけど」
体育の授業のサッカーは、上手いメンバーと下手なメンバーの差が大きすぎる。先の紅白戦ではサッカー部と野球部で実力差があったとはいえ、体育会系部活動の連合紅白戦とだけあり、それなりのレベル自体はあったのである。
「すごう笑ってた。野球部では見たことがないくらいに」
「そっか」
「春馬くんって、野球部にいるのが辛い?」
今までは話の流れを途切れさせないよう、割と淡々と返してきた春馬。しかしながらここで言葉が詰まる。それは決して先のように、会話を譲り合っているわけではない。
質問の解答を待ち黙りこくる楓音に対し、彼は少し間を置いて話し始めた。
「辛くはあるよな」
曰く小学校から今まで野球を続けるだけに野球好き。しかし野球部いるのは辛いとのことである。ただ彼は彼女が何か言おうとする前に先手を打つ。
「でも、その辛さは必要だと思う」
それがなくてはならないものだと。
「春のセンバツにおける試合放棄。大変だったさ。後処理もな。でもな、それを乗り越えた先にあったのが、夏では信英館を打ち破り、大野山南を苦戦させた。日野さん曰く、あの夏の苦戦らしい苦戦は蛍が丘高校戦と、小田原実業高校くらいらしいし」
蛍が丘は言うまでもなく夏の島根県大会3回戦。一方で小田原実業高校は甲子園大会において、島根代表・大野山南を打ち破った神奈川代表の高校である。蛍が丘には日野キラー・近江がいたことも日野の印象を強くしている理由もあろうが、ドラ1左腕を持ってそう言わせ、甲子園出場チームと並べて評されたのである。
「そして秋は組み合わせがよかったとはいえ、中国地区大会に進出した。1回戦で負けたけどな」
彼らが1年生の時には地区1回戦突破すらもどうなるか分からないチームであった。ただ彼らを育てたのは春のセンバツが生んだ『辛さ』だったのだろう。
「春のセンバツの影響で、全国でトップクラスに有名な男女混合チーム。その看板を監督として背負うのは辛かったけども、だからこそ多くの嬉しいことはあった。琴ヶ浜女子高校――女子校の参加。蛍が丘が高校野球界の歴史を動かした気がしてな」
本人曰く、女子相手に野球をするのは諸事情があり嫌なようである。が、それとこれとは話が別なのだろう。
「それに監督の立場だからこそできた楽しさもあったよな」
「監督だからって、どんなこと?」
楓音が問いかけると、ここまで緊張の面持ちだった彼がようやく笑みをこぼす。
「野球を始めて1年足らず。打席に立てば三振の連続だったド素人が、公式戦でヒットを打った瞬間かな。僕が育てたわけじゃないけど、監督目線だからこそ自分のことのようにうれしかったな」
「う、うん」
照れて顔を背ける楓音。
あの時の春馬は1塁で小さくガッツポーズする彼女を見て、ベンチで涙を流していたくらいである。むしろ楓音より嬉しがっていたのではないだろうか。
「サッカー部の紅白戦は楽しかった。けど、あれは辛さがない純粋な楽しさだったと思う。対して野球部にいるのは辛い。けど、それは辛さの先に楽しさが待っているものだと思う。だから、僕は野球部にいる。たとえ辛くてもな。まぁ、長々と言ったけど結局は――」
そして今度はあの時のような笑顔を浮かべる。
「僕も野球好きなんだろうな。近江に負けず劣らず」
楓音はそれを聞いて一安心。
あの野球部では見たことのない笑顔の裏が見えたのである。
ただまだどこかに自分の中に拭いきれないものも存在したのである。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
「ただいま~」
出前代を節約するため、少し距離のある蕎麦屋まで徒歩で出かけていた最上が帰宅。彼の手には4人分のざるそばが入った袋。そこそこ大きな声で帰宅のあいさつをしながら部屋に入ってくるが、その返事は楓音のもののみ。しかも、
「シー」
口元に人差し指を当てて「静かに」の合図。
「おっと。睡眠中だったか」
あれからしばらく話はしていたものの、すぐに春馬があくびをし始めたことで言葉数を減らしていった。その結果、わずか2分ほどで静かな寝息を立て始めたのである。なんだかんだ言っても、春馬と楓音の両名は波長が合うのだろうか。布団が冷たくて眠れないと言っていた彼がこの状況である。
「仮眠中、ね。どうせ、近江ちゃんがお風呂から出たら起こしちゃうし、お蕎麦も食べないと」
最上は袋を机の上に置きながらコタツへと足を入れる。
「ふひぃ、寒かった」
「やっぱり?」
「そりゃあ、外は雪が積もってるからなぁ」
降っているわけではないが、積もっているだけでも足元が寒いのだ。
「その一方で、新田は暖かそうだなぁ。楓音のひざまくらで」
最上はコタツに頬杖をついて2人を眺める。
「しかし楓音が新田にひざまくらか。普段とは逆だなぁ」
「普段やってもらってるし、恩返しかな?」
「本当に?」
果たして本当にただの恩返しなのか? と笑顔で語りかける最上に、楓音は軽く頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。やっぱりただの恩返しではないのである。
『(うん。恩返しのつもり。恩返しのつもりなんだけど……)』
恩返しだと思っている。だがそれだけじゃない。もちろんそこに存在しているのは彼に向けた恋心の存在。しかしそれだけでもない。
彼女の中に確かにある、言葉にできそうでできない。いったいそれがなんなのか分かりそうで分からないもの。それが彼女を駆り立てる。
きっとそれは罪滅ぼしなのだろう。
彼女は決して罪を犯したわけじゃない。だが後悔があり、それが彼女にとっての罪なのだろう。
春馬は生徒会副会長に、学業・部活を加えて大忙しだった結果、すべてがひと段落ついた瞬間に緊張の糸が切れて倒れてしまった。
そのことを知った近江はせめて赤点はとるまいと必死で勉強し、いつもならば4教科くらいはもらってくる赤点を、2学期末は2教科のみに抑え込んだ。そして部活ではキャプテンとして春馬の負担を減らそうとこちらも頑張っている。
そして副キャプテン・最上。監督業務の肩代わりなどできないバカな近江に代わって、彼が不在時は監督を代行、多すぎる仕事は彼から引き受けている。
それに加えてその他の野球部の部員一同。春馬の重荷の背負いすぎには非常に気を使うようになったし、大明神こと大崎は普段の学校生活でも何かにかけて声をかけてくれ、怪力・猿政は「力仕事なら任せよ」といろいろなことを快く引き受けてくれる。
では楓音はいったい何かできたのだろうか。
毎月のように来る例の絶不調期は彼に甘え、テストは赤点こそ取っていないものの、勉強は彼に頼っている。そして蛍が丘高校野球部監督として抱えていた負担の多くは、高校野球初となる女子の存在によるところが大きい。その女子の1人が楓音である。
野球でも学問でも、そして普段の生活でも。彼を支えることができず、むしろ支えられるのみ。
曰く『辛さの先に楽しさがある』そうだが、そう思わせるまでに同じ学年、同じ年齢の男子高校生に、すべてを任せていた。
それを思い返すと、自分が何気なくやってきたこと、そしていざ何かしようとしたときに何もできなかったのが、非常に大きな『罪』に思えたのであった。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
コタツに入ってテレビを見ていた最上。すると彼の体がわずかにビクつく。
「んっ、殺気?」
「歴戦の戦国武将か何かなの?」
「多分、近江が風呂から出たか?」
楓音のツッコミをスルーして彼は耳を澄ませる。楓音には何も感じなかったが、改めて聞き耳を立ててみると、下のフロアから騒がしい音が聞こえる。春馬の両親の音である可能性も少なからずあるが、この類の音を出すのはおそらく子供である。
「春馬くん、起きて。多分、近江ちゃんが出てきた」
「ん、んん?」
彼女に体を揺さぶられて体を起こす春馬。
「よぉ、新田。よく眠れたか」
「最上か。帰ってきたか。あくまでも仮眠だけど、よく眠れた気がする」
「さすが2人。子供の時に一緒に寝てただけに、その感覚は残ってるか。三つ子の魂、百までってか?」
「あれ? 写真、見せたっけ?」
「新田のアルバムだろ? 1歳の新田と、楓音が同じ布団で寝てる写真なら見たことあるぞ」
頭をかき、目元をこすりながらコタツに入る春馬。恥ずかしくはないけれども、春馬との過去を掘り起こされて顔を赤くする楓音もコタツへ。
「楓音が初めてハイハイしたのも、歩き出したのも、新田のところに行くため。初めて発した言葉は『しゅんま』だったか?」
「よく知ってるヤツだ。ただ厳密には初めて発したのは『ゆんま』だ」
おそらくは『しゅ』が上手く発音できなかったのだろう。
「もぅ、そんな昔話しないでよぉ」
顔を赤くしながらコタツ布団に顔をうずめる楓音。
他にも同じ部屋で別の布団に寝かせていたら、目を離した隙に楓音が春馬の布団に潜り込んでいた話。ついでに手を繋いで寝ていた話。泣き出した時に春馬と出会ったら泣き止んだ話などなど。親しかしらないであろう話を次々とし始める春馬と最上。
春馬方の新田家は楓音方の新田家と出産日・病院が同じで、春馬の自宅と楓音の実家も近かった。それゆえに出産以降の親交も深く、その手の話を知っていても仕方がない。ただ最上については蚊帳の外の割によく知っているものである。
男子2人の楽しい話と、楓音の恥ずかしそうな声がする中、階段を駆け上がってくる大きな足音が聞こえる。
「春馬く~ん。ただいまぁ~」
扉を開ける近江に最上が手を挙げる。
「おぅ、近江か。お帰り」
「おぉぉ、そば、お帰りぃぃぃ」
「えぇぇぇ~」
おかえり。の向かう先が自分ではなくそばであったことに、ツッコミきれないツッコミを入れる最上。
「あっ、てめっ。髪の毛を乾かしてねぇじゃねぇか」
部屋に入ってきた近江に寝起きの春馬が気付く。
「自然に乾く」
「バカ野郎。水が滴ってきてるんだよ。床が濡れるだろ。楓音、そこからタオル取れ」
彼は無理やり近江を座らせると、ドライヤーとタオルを手に彼女の髪を乾かし始める。ただドライヤーの扱いはまだしも、タオルの扱いがかなり雑である。
「うにゃあ。もっと優しくぅぅぅ」
「黙れ。髪くらい自分で乾かしやがれ」
「勝手にドライヤーを使うのは悪いと思った」
「人の家の廊下を水浸しにすんのは悪いと思わねぇのか」
頑固な油汚れを落とすがごとく、力を入れて近江の頭をタオルで拭き続ける。彼女は痛そうにしながらも、春馬に構ってもらえて嬉しいのか。どっちとも取れる表情を浮かべている。
「お~い。早くしないと、そばを先に食っちゃうぞ」
「待ってぇ。私も食べた――」
「だから待て。もう」
逃げ出す彼女の髪を無理やり乾かすのもなんとかひと段落。スポーツ少女とだけあって短髪なのは、乾くのが早くて助かるところである。あまり髪のメンテを気にしていないのも理由にあるが。
「そば、早く食べる」
春馬のはす向かいポジションに着席した近江は、自分の分の年越しそばを確保。ちなみに中途半端に、そして強引に乾かした彼女の頭は絶賛大爆発中である。
「まったく。ようやく一息つけるな」
「お疲れ様です」
「ありがと」
そして定位置に座る春馬の前へ、彼の分のそばや箸を用意するのは楓音。こうしたおしとやかさを、近江に少しでも分けてほしいところである。
「よし、それじゃあ」
静かに手を合わせる春馬の横で、音を立てて手を合わせる近江。
「「「いただきます」」」「いただきま~す」
近江は今宵も元気である。




