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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第8章 サッカー部&野球部連合試合
78/122

第5話 年末の駆け込み懸案事項

 近江が2学期末テストにて2つの赤点を取ってしばらくすると、終業式のち冬休みに突入する。そして12月24日。世間ではクリスマスイブと言われる日である。


 しかし蛍が丘高校のグラウンドでは……


「爆ぜろリア充」


「くたばれリア充」


「消えろリア充」


 これからデートなのであろう、女子と一緒にいる運動部の男子部員を見て、寺越、皆月、因幡がそれぞれ独り言。内容は同じようなものである。


「お前ら、女っ気ないもんなぁ」


 春馬が鼻で笑いながらつぶやくと、3人は声を合わせる。


「「「お前が言うな」」」


「いやいや、僕は女っ気あるぞ。ほら」


「やぁ~、春馬君、ぬくぬくだ~」


 後ろから軽く手をまわしてやると大喜びする近江。確かに女っ気がある。が、


「近江を女と認めてはいけない」


「なぜ男子の俺からキャッチャーの座を奪うような、超野球馬鹿を女と認めねばならん」


「近江は女じゃない」


 3人曰く彼女は女子ではないらしい。


「まぁ、あぁ言っておいてなんだが、僕もそれについては同感だな。なんでドラ1左腕のスライダーをスタンドに叩き込むヤツを女子と認めなければいかんのか」


 そして近江から離れる春馬は、最後の最後で彼女を裏切る。


「うむ。大崎殿? リア充とは『リアルが充実している者』の意味だったはず」


「そうだね」


「3人は充実しておらぬのかの?」


 猿政と大崎は首をかしげる。


「仕方ねぇだろ。あいつら、充実する要素がねぇし」


「そうかな?」


 話に入ってくる最上に大崎は首をかしげる。


「3人は野球では充実しておらぬのかの?」


「あいつら、充実してるのか?」


「どうかな?」


「どうであろうか……」


 言われてみれば、野球で充実しているかどうか難しいところである。


 近江は野球だけしていれば人生の9割は充足するような人間。最上、大崎、猿政、それに加えて楓音は彼女ほどじゃないにせよ、部活によって満たされているし、普段の学校生活で友人と騒ぐことで楽しんでいる。色恋に縁遠い一方で、リアルが充実していないか。と言えば、そうとも言い切れないのである。


 そして春馬はいろいろと楽しそうである。ただ最上として気になるところを挙げるならば、部活に関して言えば野球部にいる時よりもサッカー部にいる時の方が楽しそうなくらいか。


 彼は近江の首根っこを掴んで練習へ引っ張る。バット片手であることから、バッティング練習をするつもりであるらしい。守備を付けての練習は諸事情につきあまりできないが、解決方法はいくらでもあるものだ。なおその諸事情とは、以前、投球練習に付き合わされた近江がどうなったかでお察しである。


「さて、新田は打撃練習か。僕らは……どうする?」


「シンプルに素振りとか?」


 大崎の提案に最上は少し驚きの表情。


「練習としてやるのは久しいなぁ」


 もちろん、打席に入る前の準備の素振りはすることもある。しかし蛍が丘高校の場合、素振りをするくらいならボールを放って打ってしまうので、練習としての素振りは滅多にしないのである。


 結果、その大崎の提案が可決。春馬・近江を除く7人が円になっての素振り。ただし最上曰く『回数はさておきイメージが大事』と、相手投手、投げてくるコース、球種、さらにはアウトカウント・塁状況などをイメージしつつ、1回1回に時間をかけての素振りとなっている。


 女子2人を含む部活でありながら、曰く女っ気がない集団の練習。彼ら彼女らが薄ら積もった雪の中で久しぶりの素振りをしていると、男どもがざわつき始める。


「おっ、レディが来たぜ」


 変に鋭い皆月は、練習中の野球部の元へ遠くからやってくる女性を見つける。


「ヤッホー。新田春馬君はいるかな?」


 非常に軽い態度。20代くらいの彼女は春馬に用があるようだ。


「新田君なら……」


 大崎が目を向けた先では、


「んっ、真芯を外した」


 近江にボールを上げてもらいながらのティーバッティング。思いっきりボールを飛ばすことはできないにせよ、ネットに向かってのバッティング練習ならば十分できる。それならここぞとばかりに、春馬は自らの弱点たる打撃能力の向上に邁進する。


 そこへ大崎と女性がやってくる。


「新田君、お客さんだよ」


「は~い」


 近江が放ってきたボールをネットに弾き返してから振り返る。


「ヤッホー、新田君、元気してた?」


「あっ、正岡先生。お久しぶりです」


 彼女は2年1組の担任であり、1年生の時は春馬の担任でもあった正岡。担当教科は現代文・古典で、養護教諭・三刀屋を美人とするならば、彼女は可愛いと言われる26歳。


「何か用ですか?」


「冷たいなぁ。野球部の顧問が野球部の練習に来ちゃダメかな?」


「確かに顧問ですけど……」


 彼女は非常に生徒思いの教員である。昨年度、野球部の顧問をしていた教員が異動で他校に移るにあたり、顧問を辞任することになった。さらにその代替の顧問もなかなか決まらず野球部存続の危機に立たされたわけだが、その時に彼女は「名前(を貸す)だけなら」と顧問に就任。監督の春馬も「前の顧問も放任だったし」と納得し、今のような形となる。


「まぁ、今日は野球部の顧問と言うより、別の立場としての話かな?」


 右ほおに指を当てながら語りかける正岡に対し、近江が春馬の腕にしがみつく。


「私の春馬君を取ったら怒る」


「ちょっと黙ってろ」


 近江に向けて春馬が軽く小突く。


「で、要件と言うのは?」


「ちょっと、1対1でいい?」


「えぇ。分かりました」


 近江は頬を膨らませて不満げ。


 ただ春馬は手慣れた対応。野球部の監督である上に、生徒会副会長の立場もある。こうした教員との話は何も珍しいことではないのである。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 春馬との練習を遮られた近江は、代わりに因幡にトスを上げてもらってティーバッティング。彼女のバッティングと言えば空振りorスタンドインのようなイメージだが、今回はきれいに真芯で弾き返し続ける。


 というのも彼女、別にバットコントロールがないわけではないのである。ただ全力フルスイングする代償として、バットコントロールを捨てているだけなのである。つまりやろうと思えば近江は、空振りの数を大幅に減らすことは可能である。ただしその場合、打球が内野の頭を越えるかどうかですら怪しくなってはくるが。


 それはさておきこちらは春馬。あまり人には聞かれてはまずい話であろうと、校舎の中に入っての会話。冬休みであって学生はいない。もちろん野球部のように部活に来ている学生がいるのだが、体育系はグラウンドや体育館。文化系は文化系部室棟にいたり、音楽室を用いる吹奏楽部などは別棟での活動をしたり。結局、教職員以外はいないのである。


 ところで春馬と正岡教諭の話の内容はと言うと……


「新入部員の受け入れ?」


「そう」


 何の話かと思えば非常に意外な話であった。この時期にというのもそうだが、今まで部活には不干渉だった先生が、まさか新入部員を連れてくるとは思わなかったのである。


「と、言っても曰くつきなんだけどね」


「その心は?」


「復学」


「学年は?」


「3年1組に復帰予定。来年度で19歳」


 彼女が担任を受け持つ文系クラスで、野球部員では大崎が所属している。つまるところが休学していた学生が3年生に復帰するというのである。


「と言うことは、おそらく選手登録は無理ですね」


「そうなの?」


「えぇ。確か高校所属年数が3年以下かつ、18歳以下のみだったかと」


「じゃあ、無理なのねぇ」


「ただ休学の場合の措置は知らないですね。一応、島根高野連に確認を取ってみます。もう年末なので、来月中下旬くらいになるでしょうけど」


 高校浪人などで高校所属経験がなかった場合、19歳以上でも大会出場が可能な場合もあるのである。さすがの春馬もそんなレアケースまで規則を把握はしていないのである。


「それと選手登録は難しいかもしれませんが、部活としては受け入れますよ」


「できるの?」


「はい。例えば女子の高校野球参加を認める前は、大会には出れないけど、野球部に所属している女子高生。なんて言うのもありましたから」


 あくまでも選手登録=大会出場登録なのである。部活への所属自体の制限は緩いところがある。


「彼、野球が大好きみたいで。できることならば野球をやらせてあげて、最後の1年間を楽しんでほしいと思って」


「それは分かります。ただ先生。ちょっと気になることが」


「気になること?」


「休学理由は?」


 その問いに彼女が目線を逸らす。


「暴力、ですか?」


「あ、あまり詳しいことは、個人的なことだから言えないかな?」


「そうですか」


 春馬は「それなら仕方ない」と視線を落とす。が、


『(態度からして図星か)』


 なんとなく理由を察する。


『(選手登録もできず、暴力沙汰で休学。難しいな)』


 春馬が近江を引っ叩くのは仲良き間柄のじゃれ合いで済むが、休学クラスとなるとちょっとした事件である。そのレベルの暴力を野球部員として起こされれば、来季の蛍が丘高校野球部は出場停止間違いなしである。


 彼も善人ではない。社会復帰を助ける教師でもない。青春真っ盛りの高校生であり、なんてことはない野球部員でもある。自分の青春を賭けてまで、暴力学生を救う義理なんてないのだ。


『(先輩にあったら聞いてみるか)』


 蛇の道は蛇ともいう。この手の話を聞くならば、春馬と仲がいいサボりの先輩達に聞くのがいいだろう。ただ悩ましいのが、彼ら彼女らは受験シーズン。蛍が丘のサボり学生のいくらかは、不真面目によるものよりも『学力優秀すぎて授業が退屈』という理由が挙げられる。言ってしまえばサボりだろうがなんだろうが、真面目に大学進学を狙う優秀な学生たちなのである。なぜこうなってしまったかと言えば、特に大野山南あたり、進学校の受験をちょっと失敗したためであるが。


「ダメ?」


「先生。もう30近いのに、女子高生みたいなつぶらな瞳で見つめてくるのはやめてください。歳を考えてください」


「26!!」


 彼女的に26は30近くないのである。まだ若いのである。


「まぁ、検討だけはしてみます。野球部は僕の持ち物ではないですけど、問題を抱えた曰く付きなら受け入れを拒否するのも監督の責任です」


「そ、そう……」


 彼女は歯切れの悪い反応。


 春馬の主張は間違ってはいない。だがこれから自らの生徒になろうと言う人を『問題を抱えた曰く付き』と言われたことに、どことなく反感も覚えたのである。


「以上なら練習に戻ります」


「うん。ごめんね」


「はい」


 話としてはそれだけ。春馬はグラウンドに向けて踵を返す。


『(しかし元暴力学生ねぇ。なんでウチの野球部は問題を抱え続けるかなぁ?)』


 事件や悪い意味での問題ではないが、死に霊の悪夢も立派な懸案事項であった。これは春馬、悩みすぎて17、18にして老けてしまいそうである。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 1組の正岡教諭から預かった案件については、年末であり高野連も忙しかろうということで来年に持ち越し。何より新入部員候補と同学年であるはずの現・3年生にも相談したかったのである。ならば彼らが戻ってくる来月から考えるべき問題であろう。


 というわけで12月25日ことクリスマス。その日は近江がサンタからもらったらしい、マフラー・手袋等の防寒用具をアピール。それ以外はそれらしいこともなく、淡々と練習を続けて迎えた。


 12月31日 午後10時


 今年も残り2時間。


 そんな中での新田春馬家。


「ふわぁぁぁ。眠い」


 部屋の主たる春馬はベッドに腰掛けながら大あくび。


 なにせ大晦日たる本日も、寒い冬の中で練習をしてきたのである。


「春馬君、寝るの早い。まだまだ夜は長い」


 そして去年もそうだったが、わざわざ春馬の家で新年カウントダウンをしたがる近江。今年度については妹が高校受験生であり、年末年始と言えどもあまり大騒ぎできないことも理由にある。


「やっぱり大晦日ははしゃぐべき。ちゃんと徹夜するためにDVDも借りてきた」


 彼女がカバンから取り出してきたDVDには『亀のセンター返し』の文字。


「なんだよ、それ」


「ふっふっふ。知る人ぞ知る名映画だよ」


 近江が自慢げに説明を始める。要約すると以下のとおりである。



 昔、あるところに住んでいたおじいさんが、罠にかかった亀を助けたそうな。


 その後しばらくしたある日。たくましい体つきの男性が現れ、おじいさんの保有する会社の弱小野球部に入部。しかし彼は試合前になると忽然と更衣室に現れ、試合後に忽然と消えてしまう不思議な男だった。しかも消える前には「決して更衣室をのぞかないで欲しい」と言って。


 彼の活躍により大会を勝ち進む野球部。だがそれと同時に募る彼への疑問。


 そして気になったおじいさんが準決勝後、更衣室をのぞいてみると……助けた亀がいた。


 彼は「ばれてしまった以上、ここを去らなければ」と言い残し、次の決勝戦には現れなかった。だが決勝まで勝ち進んで自信を得た弱小野球部は、そのまま優勝を果たしたのであった……



「名作」


「それって、鶴の恩返しのパクリ……」


「Noooooo!!!!!」


 大声で否定する近江。


「鶴じゃなくて亀だし、恩返しじゃなくてセンター返し」


「いや、だから鶴の恩返しのパク――」


「Noooooo!!!!!」


 話が進まない。


 ちなみに春馬の指摘である『鶴の恩返しのパクリ説』については、ネット上で糾弾されていることであり、なんなら制作スタッフが「オマージュ」と主張しているのである。


「お風呂、いただきました。ところでどうしたの? なんかすごい声が聞こえたけど……」


「あぁ、楓音か。お帰り」


 さてそんなタイミングで、寝巻姿の楓音がお風呂からお帰り。彼女はさっそくコタツの中へと滑り込む。


「なんでも近江が『亀のセンター返し』なるパクリDVDを――」


「Noooooo!!!!!」


 またである。


「あの映画? 確かにパクリと言われればパク――」


「Noooooo!!!!!」


「もうさすがにうるせぇよ。お前、そろそろ風呂に行ってこいよ。最上が帰ってくんぞ」


 この場にいるのは春馬・近江・楓音のみ。最上はと言うと、ジャンケンに負けて近くのお店までひとっ走りしてきているところである。その間に春馬と楓音は風呂をさっさと済ませて、残るは近江のみである。


 彼女は寝巻と下着を準備して、


「春馬君、一緒には~いろ?」


「1人で入ってこい」


 辛辣である。


「私と入りたくないの?」


「うん」


「ひどい」


「だいたい僕はもう入ったし」


 至極当然の答えである。


 彼女はほんのり肩を落としながら部屋から出ていく。


 が、すぐに戻ってきて入り口から顔をのぞかせ、


「覗いちゃダメだからね」


「お前、言ってること滅茶苦茶だな」


 一緒に入ろう。と言った直後に、覗いちゃダメと言いだした。


 彼女は数十秒前に言ったことすら覚えてないらしい。


 そしてそう言って風呂場に向か――おうとした近江が戻ってきて、


「楓音。私の春馬くんといちゃいちゃしちゃダメだからね」


「い、いちゃいちゃ?」


 風呂上りでほんのり赤くなっている顔がさらに赤くなる楓音。


「早く行け。ぶっ飛ばすぞ」


 そして春馬が拳を握ると、近江は風呂場にすっ飛んでいった。


「まったく、あいつは毎度、毎度。まぁ、慣れたからいいけどさぁ」


「いいの?」


「いや、よくない。面倒」


 自然な流れで「まぁいいけど」と言ったわけだが、楓音に改めて問われればまったくよくないのである。慣れても面倒なものは面倒なのである。


 春馬は近江が床に放り投げていたレンタルDVDを机の上に置いておき、再びベッドに腰掛ける。


「まったく。大晦日までガッツリ練習して、しかも年明けまで大はしゃぎって、あいつ体力絶倫かよ」


 生徒会・野球部・サッカー部を兼任した挙句、文武両道を果たし続けて今秋になってようやく体を壊すに至った、体力超絶倫な春馬に言われたくないであろうが。もっともそれはちゃんと夜に寝て、授業をサボって昼寝してという、しっかり休みを取っているからこそ成り立ったものかもしれない。そうなると絶え間なくフル回転している近江とは性質が違うのだろう。


「ふわぁ。眠い。楓音。年明けまであとどれくらい?」


「あと2時間弱?」


 時計の針は10時10分を示している。


「せめて最上が年越しそばを持ってくるまでは待つけど、さすがに眠いぞ」


「起こしてあげようか?」


「寝てたらアレが騒がしそうなんだよなぁ」


 大方、「夜は長い」と言ってたたき起こしてくることだろう。もしくは春馬が寝ているところに潜り込んでくるか。


「でも、やっぱり眠いのを我慢するのもツラいよね……」


「顔でも洗ってくるかな?」


 冷水で顔でも洗えば目も覚めるだろうとは思ったが、一方で眠りの世界への誘いがかなり強引であるのも確かである。果たしてその程度で目が冴えるのだろうか。


「少しだけ寝ちゃう? 多分だけど近江ちゃん、長風呂だし」


「それは知らないな」


「春のセンバツの時も、野外活動の時もそうだったよ」


 楓音の場合は女子らしい長風呂である。しかし近江の場合は風呂で遊んでの長風呂という、子供らしい理由である。ただなんにせよ、長風呂には違いないのである。ならばその間に一睡してしまうのも一手。何時間も寝入ってしまうと起きるのがつらいが、十数分程度の仮眠であれば寝起きもすっきりするものである。


「そうか。じゃあ、20分くらい寝させてもらおうかな」


 基本的に彼は早寝早起きの人であり、この時間はそろそろ厳しい頃なのだろう。すんなりと決めて布団の中へと潜り込む。


「冷てぇ」


 暖房が付いているとはいえ冬である。そもそも本日は1~2時間ほど前まで外で夕食を取っており、もちろんのことそれまで暖房は付いていない。帰って付けた暖房は1時間もあれば部屋こそ暖めるも、布団の中まで温めてはくれないのである。


「眠れそう?」


「温まるまでは眠れないかもなぁ」


「それじゃあ、近江ちゃんが出てきちゃうよ?」


 それが眠気覚ましになる冷たさならまだしも、眠気覚ましにはならない程度に温く、かといって眠気を遮らないにしては冷たい。帯に短し、たすきに長し。中途半端な温度である。


「やっぱり顔を洗ってくる」


 その結果、無理に眠ることを諦めた春馬。身体を起こして顔を洗いに行こうとするが、


「ねぇ、春馬くん」


 そこで楓音がふと考える。


 春馬は今、眠れずに困っているところである。


 そして自分には同じような経験がある。というより、月1程度にくる『女の子の日』により絶賛経験中である。その時、眠れるように取ってもらった方法と言えば……


「私のひざ、貸してあげようか?」


 と、自分のももを叩く。厳密には『ひざ』ではないのだが、それが『ひざまくら』を意味するのであるならば、間違った使い方ではないのかもしれない。


「いや、え、いやぁ」


 ただ春馬にしてみればそのようなことを急に言われておどおどするのみである。しかしそのような反応をしているのは彼だけじゃない。


『(うわぁ、言っちゃったよぉ)』


 雰囲気と話の流れ、勢いで言ってしまったが、改めて考え直すと内心であるが彼女もおどおどである。流れで発言してしまうと取り返しのつかないものである。こうなると割り切ってしまうしかない。


「ふ、普段から私はやってもらってるし、まずいかなぁって」


 何がまずいのだろうか?


「やっぱり大事かなって」


 何が大事なのだろうか?


 適当な理由を後付けしたため仕方ないが、これはもう滅茶苦茶である。


「それにその、私は春馬くんにやってもらうと寝易いし、もしかしたら逆もそうかもしれないし」


 方向性も訳が分からず、理屈としても崩壊気味である。


 そこで春馬はふと考える。


『(うわぁ。どうすりゃいいんだこれ。でもなぁ。これで真正面から断ったら、せっかく気を遣ってくれている楓音を傷つけるかもなぁ)』


 そして楓音も考える。


『(ど、どうしよう。これ、どうしよう)』


 春馬の結論は、


「じゃ、じゃあお願いします」


『(よし。これで楓音が「冗談だよ」とか言ってくれれば……)』


 受け入れた。


「う、うん。じゃあ、どうぞ」


『(うわぁ。受け入れられちゃったぁ)』


 楓音もどうぞと足を空けて待つも、楓音は内心で慌てる。


「失礼します」


『(うわぁ。すんなり話が進んじまったぁ)』


 春馬も内心では慌てる。


 お互いにお互いが拒否してくれると思って気を遣った結果、お互いに拒否せずこの結末である。やはり本音は大事である。


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