第8話 春馬君と私はおんなじ
食後の片付けに立候補したのは最上と楓音。自宅ゆえに自分もと名乗り出た春馬だが、もちろんのこと「無理するな」と最上により封殺。さらに近江については、名目は「新田の話し相手になってやれ」、本心は「邪魔だから来るな」と拒否。
よって春馬の部屋には彼と近江のみが残されている。
さてそんな中、近江は何か面白いものはないかと春馬のベッドの下を探索中。いつぞや「私に隠れてエロ本を持っているのではないか?」と同じようなことをしたのだが、その時は親族にもらったというアニメ絵の数学ⅢC参考書を見つけた結果、数学アレルギーによって卒倒している。なぜ学習しないのか。
「うぅ、なにもなぁい」
いや、学習はしているのだろう。ベッドの下にあったひもで縛られた本の束。それを目にした彼女だが、『数学』『歴史』と言った文字を見るなりすぐさま視界から外している。
「そっか」
するとベッドの上であぐらをかいて座っている春馬。好き勝手部屋の中を探索している近江に対してそっけない返事。いつもなら「勝手に探るな」「ジッとしてろ」などと強い口調で言うものだが、今日は怒る様子もたしなめる様子もない。最上のように勘のいい例外はさておき、蛍が丘野球部普通の男子陣ならば見逃してしまいそうな些細な変化である。
だが、近江は女子である。女子は勘がいいものである。
「どうしたのぉ? 考え事ぉ?」
ベッドに上がって彼の前に正座すると、前に手を突き前のめりで顔を覗き込む。
「いや、別に大したことじゃ……」
「何か考えてるって目に書いてる」
「『顔』な」
一般的には『顔に書いてある』だ。
「隠し事は良くないと思う。私には分かるよ」
「まったく、近江はつくづく……」
野球では女子らしくないプレーを見せる一方で、こうした勘の良さは女子である。それとも単純に親友ゆえの気付きだろうか。
「それで、どうしたの?」
感心するような呆れるような態度の春馬に改めて問いかける。すると彼もさすがにごまかしきれないと感じたのであろう。
「近江は覚えてるか? 中国地区大会。山口工科大学附属との試合」
「あの負けた試合?」
春馬は軽く頷く。
「春馬君が負けた試合を引きずるのって珍しいね。春のセンバツでも、春大でも、夏でも新人戦でも。負けてもあまり引きずってなかったのに……」
負けた直後は悔しそうな表情もしていた。だが負けて数週間経つのにまだそれを考えているとはなかなか珍しいものである。
「いや、ただ負けたならまだいいんだよ」
春馬にしてみればこれを感じるのは初めてであったのではないか。
きっと新田春馬監督では気付けなかった。
遊撃手・新田春馬でも、リリーバー・新田春馬でも気付けなかった。
彼が6番・新田春馬であったから気付けたこと……
「近江の全打席敬遠。それだけ、それだけなのに、蛍が丘打線がほぼ封じられた……」
もちろん他のメンバーも対策は立てられていた。大崎は内野安打やポテンヒットの対策を、因幡であれば流し打ち警戒シフトを敷かれた。寺越・猿政も引っ張り警戒シフトを敷かれるなど、上位打線もしっかり対応された。しかし近江の敬遠はそれらを気にさせないほど、露骨で完璧な対策であった。
「強打者の全打席敬遠。裏を返せば全打席出塁ってことだけど……それを生かせたのはたったの1回」
厳密には春馬のタイムリー打撃妨害と、押し出し敬遠の2回。しかし前者はまだしも後者は生かせたというより、生かさせてもらったというのが適切であろう。蛍が丘サイドとして生かせたのは1回。もっとも満塁で近江に回せたという点では『生かせている』のかもしれないが。
「僕は蛍が丘の守備に自信があった。ロースコアの試合なら勝てると思ってた。点を取れないと勝てないのは知ってたけど、取れる自信はあった」
蛍が丘はかれこれ失点を許しているが、強豪校に当たっている割には失点が少ない。その春馬の言う蛍が丘の守備は誇るに値するだけのものである。
「だけど、違った」
あの試合で気付いてしまったのである。
「僕は……監督としてもバッターとしても、5番を打つ近江に頼りすぎた。きっと近江なら何かミラクルを起こしてくれる。そう頼りすぎたからこそ、敬遠されて……負けた」
オーダーを組む時は監督として近江に頼った。
バッターとしては前を打つ打者である近江を頼っていた。
そしてその頼っていた打者があの試合、勝負を避けられた。
その勝負を避けた先にいたのが……春馬である。
「もし、もしも、自分が近江に頼りすぎていなかったら。少しでも自分でランナーを帰す。いや、自分でホームランを打つ。それくらいの気で練習をしていればもしかしたらあんなことには」
近江はあまり国語の得意な人間ではないが、なけなしの国語力を駆使して話を整理する。
春馬はつくづく守備偏重な選手である。それは普段の練習でも現れるくらい。打撃練習で気を抜いているわけではないにせよ、守備練習よりは気がないのは確かである。
つまり彼は自分の打撃能力の低さゆえに、自分に頼りすぎていたことを後悔しているのではないか。
そう意外にすんなりと理解した。
そして同時にもうひとつのことを理解できた。
「お、近江?」
彼女は彼の胸へと抱き着き背中へと手を回す。頭は彼の右側、耳のすぐそばに持っていきよく声が聞こえるように。
「私とおんなじだよ、春馬君」
「お、同じ?」
春馬にしてみれば予想しなかった一言だった。
「私もきっと春馬君に頼りすぎていたんだと思う。おんなじだよ」
彼女はさながら子供をあやすように背中をリズムよく叩く。
「私、さっきの春馬君と最上君の話が分からなかった。たぶん、蛍が丘のピッチャーを2人が支えていたからだよね。それに――」
彼女は軽く頭を上げて、至近距離から彼の目を見つめる。
「私も春馬君が体調を崩すまで、自分が頼りすぎていたことに気付かなかったもん。ごめんね。春馬君」
「う、うん……」
おそらくは蛍が丘高校2年生で、最も子供っぽいのは彼女である。しかし今ここで妙な母性を発揮しているのは間違いないところである。
「私もこれから、春馬君がぜんぶ背負わなくてもいいように頑張るからね」
「じゃあ、まずは赤点を無くそうか」
そして見つめ続けていた目を逸らす近江。
「が、頑張る」
「おい、今までの威勢はどうした?」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
最上は春馬の部屋の扉前でもたれかかり、中の話を聞いていた。
盗み聞きをするつもりはなかったのである。ただ替えの食器用洗剤の場所を聞こうと思って戻ってきたのだが、春馬と近江が真面目な話をしていたようで立ち往生である。
『(なんだか、近江に勝てる気しないなぁ。これは)』
基本的に理屈で語る最上は、それ以上に理屈の強い春馬には勝てない。が、理屈の弱い近江には圧勝である。では最強の春馬と最弱の近江が話をすれば春馬の圧勝かと言えばそうとも言い切れない。もちろん十中八九は春馬の理屈が勝ってしまうのだが、時折、彼女の『情』が春馬を説き伏せてしまう。三つ巴ではないが絶対的最強も、絶対的最弱もいない、いびつなジャンケンのような関係である。
『(さすが、名コンビか)』
ノックして入り要件を済ませたいところだったが、こんなところに突入するのも野暮というものだろう。回れ右して台所へと引き返す。
「お帰り。洗剤の場所は聞いてきた?」
「いいや。楓音、新田にメールで洗剤の場所を聞け」
「え? 外出してたの? いつの間に?」
「いや、部屋にはいた」
「????」
いったいどういう状況なのか理解できない楓音に、最上は彼女の肩を叩く。
「近江先生のカウンセリング中。邪魔するのも悪いだろ」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
最終的にはメールで呼び出しを受けた春馬が台所にて立会う形で、なんとか後片付けも完了。その間に近江がなにやら不満そうな顔をしていたが、最上はあえて気付かないふり。楓音は何がなんだか分からずに不思議そうな表情。
そして今は部屋にて4人集まって雑談中。食後すぐに帰ってもいいのだが、そうしてしまうのも味気ないものである。どうせならば春馬が休んでいた期間分、いろいろ話したいものなのである。
「もう秋季大会も終わったし、次にくるのは新入生くらいかな?」
コタツの上に積み上げているみかんを1つ取り、おいしく頂いている最上。ひとまず今年度の高校野球のイベントも終わったため、次は新年度であろうと考える。しかしコタツに足を突っ込みつつ、本人曰く「春馬君の匂いがする毛布」に身を包んだ近江。
「まだセンバツがある」
「そうね」
前向きな近江はセンバツに21世紀枠で出る気らしいが、最上の意見としては「さすがにもう選ばれない」ということである。
「新入生、ねぇ」
春馬は近江が持つセンバツへの希望をスルーし、最上のものを話題として選択。
「誰かウチの野球部に来るみたいな話は聞いたか?」
「いいや、まったく。そういう新田はどうなんだよ?」
「僕も聞かないなぁ。あまり中学野球部とのかかわりはないし」
来年度こそ新入部員が欲しいところ。というのも今年度の新入部員はゼロ。春のセンバツ出場校にも関わらず新入部員がいないというのは意外である。が、センバツ出場決定時点で蛍が丘高校の一般入試が締め切られていたので、やむを得ないと言えばやむを得ない。
いわば来年度がそのセンバツ出場の結果を問う新入部員受け入れだが、言い換えれば『死に霊の悪夢』の結果も背負っており、さらに近くには夏の甲子園出場&ドラ1投手・日野の母校たる大野山南高校がある。
伝統、名声、環境なども考えると期待は難しいところだ。
「楓音は?」
最上は問いかけるが、直後に「あっ」と声を出す。
「私、野球を始めたのは高校からだから……」
彼も聞いた直後に感付いたようだが彼女は中学野球の経験がない。となると野球部との縁がないわけであり、新入部員の話を聞かないのも当然である。
「じゃあ、近江は――」
次に春馬が近江に問いかけた時だった。
「おぉ?」
突然、彼女が毛布を羽織ったままで立ち上がり、窓際へと駆けていく。
「どうした?」
振り返る春馬。すると彼女が張り付いた窓の先には……
「雪だぁぁぁぁぁ」
「ほぉ、初雪か」
今冬は初めてとなる雪が舞い降りていた。
「雪降るなんて。傘、持ってきてなんだけどなぁ」
「まさか降るなんて思ってないもんなぁ」
喜び部屋駆け回る近江の一方で、傘の心配をしながらコタツで丸くなるのは楓音と最上。
「予備の傘が何本かあるから貸すよ。今度返してくれればいいから」
ただ何も見知らぬ土地で問題に直面したわけではない。春馬の家で傘を借りれば解決である。
「外は雪が降るくらいなんだぁ。どおりで寒いわけだね」
「暖房、つけるか?」
さらに小さくなる楓音に、春馬はエアコンのスイッチに手を伸ばす。最初は暖房をつけていたが、鍋の影響で暑くなってきたため途中で停止。そして話に集中していたことで気にしていなかったが、鍋を食べ終わって以降は室温が急落していたのである。
「付けたけど、しばらくは時間がかかるかな。それまではコタツでなんとか耐えようか」
生粋の島根県民である春馬もさすがに寒いようで、コタツからまったく出ようとしない。するとその様子を見た近江が寄ってくると、春馬の横へと無理やり入り込む。
「こうすると暖かい」
そして毛布をさながら翼のように広げると、春馬の肩にかけて一緒にくるまる。もちろんのこと近江は春馬と密着。彼女的にはむしろそっちの方が目的だろう。
「新田。それって暖かいのか?」
「う~ん。寒いというとウソになるくらいだよなぁ」
「そんなもんなのか?」
「物理的に言うと他の人とくっつくことで、冷たい空気との接触面を減らす効果はあるのだろうと思う」
「熱伝導度かの問題だから、物理じゃなくて化学だろうなぁ」
春馬らしい解答と、最上らしい指摘である。
「でも、暖かいでしょ~?」
春馬の左手にしがみついた近江はやや低い目線から春馬の顔を見上げる。すると彼は首をかしげながら、
「せまい」
そもそも春馬の部屋のコタツは4人で入るような大きさではないのである。
ただ「邪魔」とか「暖かくない」と言わないあたり、そして「寒いというとウソになる」と言ったあたり、春馬にしてもまんざらではない様子。いくら日本海側にある島根の育ちと言っても、やっぱり彼も寒いのは嫌なのである。
春馬はなんだかんだ正直になりきらず、近江は正直になり、楓音は顔にわずかに嫉妬心を出し。三者三様の反応を見せる中で、最上が外の雪を見つめながらつぶやいた。
「もう冬なんだなぁ」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
「冬、それは白銀の季節」
彼女の見つめる先。山陰の島根とあってよく雪が降っている。
「冬、それは1年の終わりの季節」
教室内にあるカレンダーは既に12月のページである。
「そして冬……」
仁王立ちの彼女は諸手を挙げる。
「野球の季節だぁぁぁぁぁぁ」
「「「どこが?」」」
春馬、最上、楓音に加え、近くにいた生徒会長・南、サッカー部キャプテン・鈴木までもが合わせて鋭いツッコみ。春季キャンプにはまだ早く、ペナントレースはもってのほか。日本シリーズ・ドラフトも終了し、アマチュア野球も何もない。しかし、
「新人選手入団、トライアウト、契約更改、FA移籍。ストーブリーグ」
「まぁ、間違ってはないけどな」
さすがの春馬もまぁまぁ的を射た発言に否定はできず。ただ言うなれば、
「だが近江。12月はアレの時期だぞ」
「アレ?」
「期末テスト」
その聞くだけでアレルギー反応を現しそうな言葉。
いつもの彼女なら逃げ回り、春馬曰く「椅子に縛り付けておかないと勉強しない」とまで言わせるレベルである。しかし今日の彼女は意外な反応を見せる。
「昨日は勉強頑張った」
取り出した数学のノート。開いたページには、確かに勉強をした形跡。それも1ページに満たないほどではなく、5ページは楽々使っている。
「うわぁ、近江ちゃんが勉強って意外」
「どうした? 勉強に目覚めたか?」
本当に意外そうな顔をする楓音と、煽る最上。すると近江は数学の教科書を出しつつ、しっかりした態度で返答。
「もう、春馬君に負担をかけるのはやめるもん。春馬君が倒れちゃったらいやだもん。だから、今回のテストはすごく頑張る」
近江らしい反応である。ただこれまで平気で赤点を取っていた彼女がこれほど勉強に熱心になってくれると、それに振り回されていた野球部監督としての苦労も減るもの。
「そっか。ありがとうな」
本来は赤点を取らないのが普通であり感謝する必要などないのだが、春馬的にはその彼女の心変わりが嬉しかったのだろう。素直に感謝しつつ頭をなでる。
「えへへぇ。春馬君、大好きぃ~」
「はいはい。どうも」
「それで、それで、それで、昨日、勉強して分からなかったことは教えてほしい」
「よし、任せろ」
本当にうれしかったのであろう春馬は、数学について近江から聞かれて意気揚々。
「私も手伝うよ。どこが分からなかったの?」
学内模試2位、数学は学内5位の南もノートを覗き込む。
「俺に手伝えることはあるか?」
ついでに学内模試11位、数学に関しては南以上の学内3位であるサッカー部・鈴木も参加。
「よし、それじゃあ3人で近江に教えてやろう。さぁ、どこだ?」
「全部」
「って、おい」「ちょっと?」「なんでだ」
やる気が出たからと言って学力はすぐに伸びないのである。
前途多難である……
野球の季節だぁぁぁぁぁぁ(投稿:11月末)




