第8話 イベントラッシュ
秋季大会が夏大に比べて余裕があるのは、勝戦処理の近江がいることでエース・最上、リリーバー・春馬の2人に負担がかからないからであろうか。その結果として、最上は連戦に関わらず常にいい調子を維持できている。
そして夏大にて、グロッキーな野球部員に対して体力絶倫っぷりを見せつけた春馬。彼はそれ以上にいい調子……いや、いつも通りであった。
「すぅ~、すぅ~」
大型バスの前方列通路側。そこで小さな寝息を立てて熟睡中なのは春馬。
本日は2年生にとって、それどころか高校生にとって最大のイベント。
修学旅行――がない島根県立蛍が丘高校。
その代替イベントとして行われる野外活動の日である。
「ふしゅ~、ふひゅ~」
そして隣の席。春馬が気付いていないのをいいことに、彼の足をまくらにして寝ているのは近江。出発からずっと寝ている彼と違い、彼女は騒ぎすぎてお疲れのようである。
「春馬くん、ここ最近お疲れみたいだね。なんだか珍しい」
彼らが寝ている真後ろの席に陣取りつつ、回り込むようにして彼らを見るのは楓音。このいつもらしい居眠りながら、いつもと違う居眠りにも見えるそれを心配そうに見ていると、隣であやとりをしていた最上。
「ここ最近、新田はやることが立て込んでいるからな」
東京タワーを作りながらつぶやく。
「野球部は秋大。サッカー部も試合限定とはいえ兼部。体育祭に野外活動もある挙句、その実行組織を担っているのが生徒会。それでいて模試や定期試験では常に学内1位をキープ、と」
さらに言えば、野球部については守備の要であるショート、リリーフに加えて監督、顧問が野球を知らないため、実質的な顧問も兼任。ついでに次第に難しくなりつつある数学の授業について、最上や楓音、野球バカの3人に定期的に教えていたりもするわけで、その負担は一般学生の比ではない。むしろ今の今までよくやっていると思いすらする。
「大丈夫かなぁ? 春馬くんだって、普通の高校生なんだよ。このままじゃ」
「でも、どうしようもないだろ。あえてできるとすれば、野球部で自分たちができることはしっかりやって、勉強も新田に頼らずにできるようになるくらいだな」
「う、うん……」
秘めたる恋心を持つ彼女にしてみれば、片思いの相手がそれだけ無理をしていれば心配になるのも必然。
「ま、どうせ僕らにできることは少ないんだ。できることだけしようぜ」
「そうだね」
春馬を支えきれない自分に無力さを感じる。一方で自分たちはその一角すら支えきれないのに、その全てを抱え込んでいる春馬に凄さを覚える。
「実際、新田を裏で支えている人は多いみたいだけど、僕らが果たしてその中に入れているかと言うと、なぁ」
「多いって、誰のこと?」
「蛍が丘の裏学生社会部隊」
「あぁ~、確かにねぇ」
新田春馬は生徒会副会長であり、そして野球部員。責任ある立場であり、ただでさえ世間的注目が集まりやすい野球部となると、ちょっとした不祥事がマスコミに取り上げられて大問題となりやすい。その結果、春馬はあまり強硬姿勢を取れないことがあるのだが……
「なにせ、6月くらいには1年がなぁ」
「何かあったの?」
「中学の時に地元屈指と言われた不良がウチに入ってきただよな。そいつ、新田に難癖をつけてケンカふっかけたらしいんだけど……」
「だけど?」
「翌日、体中は傷だらけ、打撲数か所で学校に来たらしい。もちろん新田は無傷」
「うわぁ……」
結論から言えば春馬自身は一切手を出さず、彼のお友達が総叩きにしたということである。
これは割といつものこと。死に霊の悪夢直後、野次馬がやってきた時にはその野次馬を一掃し、先の琴ヶ浜戦ではうるさいおっさん集団を黙らせもしたわけで。春馬の代わりに実力行使・準実力行使に移る部隊がいるのである。
「さすがに僕にそんなことはできないし、新田を支えるのは簡単じゃない」
言わば春馬ができないことをやっているのが彼ら彼女ら。言い換えればそれができない以上は、春馬を他で支えるのが難しいことを意味する。
「新田の完璧っぷりはうらやましくも思ったけど、こいつはこいつで大変なんだよな」
腕組みして外を見つめる最上は小さな声でつぶやく。
「優れた実力ゆえにいろんな人から頼られて、いろんなものを抱え込んで。そして自分が頂点ゆえに、他の誰にも頼ることができず……」
運動もできて勉強もできて、生徒会の仕事まで完全にこなし、立ち振る舞いは大人そのもの。それは常人にしてみれば欲しいほどの才能である。しかしその才能ゆえの苦悩だってある。
「もし日野さん並みの、新田を上回る超人がいたなら、新田の苦労も減っただろうにな」
「春馬くん……」
楓音は軽く前の席に身を乗り出すと、静かに眠る春馬の前髪に軽く触れる。
『(そう。日野さんがいたら、きっと春馬くんはこんなに大変な思いはしてない。でも、私にも、私にだってきっとできることがあるはず)』
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
あれほど疲れたように寝ていた春馬であるが、いざ目的地たる野外活動センターに来てみると元気そうな様子。子供のようにはしゃぐ近江に手を引かれ、標高400メートル弱の山を駆け上ったり、配られた弁当をその山頂にてみんなで楽しそうに会話しながら食べたり。そして就寝用の男子グループ数名で夜に備え、テントや寝床の準備をしたり。こうしてみると青春時代を謳歌する男子高校生である。
「ふぇぇ、目がシブシブするぅ」
「だから風下に立つなと」
夕食はいくつかあるメニューから班ごとに決めていた。春馬・最上・近江・楓音の野球部4人衆で構成される班は肉じゃが。
なお玉ねぎを切る春馬の横に近江がいた結果、案の定と言うべきであろうか。目が痛くなったようで泣き出し、目を手の甲でこすり続ける。
「仕方ないなぁ。お米担当、最上と代わってこい」
指さす先には米がいつ炊けるのかと火の番をしている最上。
さすがの近江も目の痛みには耐えられなかったようで、彼の元へと駆けていく。そして一言二言交わすと、最上は大笑いしながら春馬・楓音のいる調理場の方へ。
「近江らしいな。まったく」
「あれだけ僕の周りにいない方がいい。って言ったのになぁ」
まったく人の話を聞かない子である。
「で、僕は何かした方がいいか?」
「そうだなぁ。包丁は2本しかないし……」
その2本を使っているのは春馬と楓音である。
最上はその状況を見て提案。
「じゃあ、鍋と水でも用意しとこうか? そうすればあとは具材を入れるだけだし」
「なるほどなぁ。じゃあ、頼む。ついでにすでに切ったのも先にゆでといて」
「了解」
主婦ならば肉じゃがの具材などお湯が沸く前に簡単に切ってしまうだろうが、料理経験の少ない高校生は時間のかかるものである。それならばその切る間にお湯の用意をしておくのも一手である。
春馬としても楓音としても、最上の非常に気の利く頭のいい提案に感心するばかりである。しかしその直後、最上が軽く楓音の背中を叩いて行ったところからして、別の意味で気を利かせているのだと思わされる。
なにせ今回の調理は4人班。そのうち近江がライス係、最上がお湯を沸かしに行った段階で、調理場に残るのは春馬と楓音のみである。もちろん周りには他班のメンバーがいるが。
「え、えっと、じゃあ次は~」
ただ最上が気を利かせて作り出したその場について、楓音は耐えきれなくなったのだろう。あえて無意味な声を出してごまかしながら料理を続ける。そしてとりたてて楓音と話をすることもない春馬も、近くで調理をしているサッカー部の新キャプテン・鈴木と「世界史教員がヅラ」だの「国語教員がメタボ」だの、とてつもなく高校生らしい教員の悪口をネタに会話。最終的には同じくサッカー部の2年生部員が、保健室の先生こと養護教諭の三刀屋絵美(鈴木曰く20代後半)に告白して粉砕した話までし始める。
この様子だと春馬と楓音が話をする機会がないかとも思われたが、鈴木の仕事が終わったことで突然にその機が現れる。
「楓音って切り方上手いよなぁ」
「え? そ、そう?」
春馬の視線は彼女の切った食材へ。確かに春馬のものはレシピに忠実なものだが、実力が伴っていない感じである。一方で楓音のものはレシピに忠実で、実力が伴っており、そしてなにより早い。
「僕の料理スキルなんてせいぜい家庭科レベルだし」
「えぇ、でも春馬くんも上手だよ? 近江ちゃんや最上くんよりも遥かに」
「最上はまだしも、近江と比べられてもなぁ」
あるとき、春馬が「料理が上手な子が好き」と言った際に「私は得意」と言い放った近江。何が得意かと聞くと「カップラーメンを、タイマーを使ってキッチリ3分計って作る」と返したあたり、近江は頭と同時に料理スキルも壊滅的なのだと実感したくらいである。
「あいつ、僕の家で爆発させたことあるし」
「爆発? 料理で爆発ってあるの?」
「密閉容器をそのままレンジでチンさせやがった」
膨張した空気でフタがはじけ飛んだらしい。
「へぇ。私も昔はやったなぁ。最近はやらないけど」
「やっぱり、料理の上手い子っていいよなぁ」
何気ない会話の中でふとでた春馬の一言。しかしその一言が自分に向けて言われているような気がした彼女は、ほんのり頬を赤くし、ついでに耳も熱く感じ始める。
『(そ、そういえば春馬くん、料理の上手な子が好きって言ってたし)』
楓音はその一言で近江のカップラーメン発言を誘発した一言を思い出し、さらに心臓の鼓動を早める。
「しゅ、春馬くんは、お嫁さんには家にいて欲しいタイプかな?」
「そうだなぁ」
相変わらず下手ながら生真面目な手つきで食材を切る春馬は、少し考え込むように間をおいて答える。
「あまりこだわらないかなぁ。でも僕自身、料理はからっきしだし、家に早く帰りたくなる料理にはあこがれるよなぁ。でもそれはそれで共働きだと難しいのかな?」
「女は家庭に入るべき。なんて言わないんだね」
「そりゃあ、甲子園のグラウンドに女子が立つ時代だし」
その女子がいるチームの監督さんが言うのだから、これは実感のこもった発言である。
「以前、女子と一緒に野球をしたくない。みたいな事言ってたから、実は男女の事について曲がった考え持ってるんじゃないかと思っちゃった」
「んな馬鹿な事はない。むしろ近江を見ていると、別の意味で考え方が曲がりそうなくらいだ」
春馬に次ぐレベルで守備が天才的に上手く、ドラ1左腕・日野に恐れられるレベルの豪打を誇るバッター。それが高校2年生の女子だというのだから、それはもう考え方が曲がってしまうだろう。
「あくまで『女子と野球をしたくない』って言うのは世間がうるさいからであって、世間が静かなら別に男女関係ないと思うぞ」
「本当に?」
「本当に。あれだけ楽しそうで真摯に野球に向き合う近江や、1年半で危なげなくプレーできるほどになった楓音を見ていると、そこらの野球部よりも野球部してるぞ。ウチの女子」
「ありがと」
褒められた楓音は満面の笑みでの返し。
知識こそ部内トップクラスであれ、野球経験ゼロの状態で近江によって強制入部させられた野球部。それもいきなりの硬式であったにも関わらず、十分に戦力として計算できるレベルになったのだから、これはもうよほど才能があったのか、それとも努力が凄まじかったのか。
「でも、言ってしまえばもうそれだけ高校生活も終わったんだよね」
高校に入って1年半で楓音は劇的な成長を遂げた。裏を返せば既に入部から1年半も経っているわけで、あと野球部にいられるのも1年間。高校生活を満喫できるのも、大学入試があることを考えれば同じくらいであろうか。
「そうなんだよなぁ。あとは春のセンバツを賭けた秋の中国地方大会、そして出れたなら春のセンバツ。そして最後の夏、か」
春馬としても分かっている。春のセンバツ出場は並大抵のレベルではない。中国地区としては最強クラスの広島を相手にする必要あるのもそうだが、死に霊の悪夢からたった1年間。再び蛍が丘が21世紀枠で出場できるとは考えがたかった。
「ここからはより力をいれてやらないとな」
「しゅ、春馬く――」
決意を新たにする春馬に楓音が話しかけようとした時だった。
「うわっ。近江、どこ行ってたんだよ」
「おトイレ~」
「焦げてるじゃないか。おい」
最上が燃やす薪や新聞紙を調達している間に火の番を任されたのであろう近江。しかし彼女はそれを放りだして用を足してきたようで……
「新田。やべぇ。超やべぇ」
「マジかよ。どれくらい?」
春馬は包丁をその場において2人の元へ向かう。
「最終回で2アウト3ストライクくらいヤバい」
「それ、ゲームセットじゃないか」
「まだ逆転できる」
逆転の夢を捨てない一方で、逆転は春馬と最上に任せる近江。
なお食べられなくもなかったため、この真っ黒おこげはポンコツが責任を持って処理することとなった。




