第6話 圧勝
「近江。思い切って投げてこい。ただ無理はすんなよ。疲れたらチェンジするからな」
「あと1イニングならいける」
マウンドに立つなり四股を踏んでの軽い運動をする近江。皆月の準備を待って投球練習に移るが、その間に琴ヶ浜女子はベンチ前で円陣を組む。
ここまで琴ヶ浜女子打線は、1回は春馬、2回は近江の前に3者凡退。3回は2アウト1・2塁を、4回はツーアウト満塁を、それぞれ近江側のミスでチャンスを迎えているのだが、結果としては無失点に抑え込まれている。
つまるところが近江にチャンスを作ってもらっているのであり、琴ヶ浜が自身でチャンスを作れているとは言い難い。要は抑え込まれているのである。
「やっぱり、蛍が丘高校相手に善戦するのは難しかったね……」
キャプテン・岩井はその中心で一見弱気な言葉をつぶやいて皆の注目を集める。
「でも、向こうの女の子も頑張ってる。こっちだって今まで無駄な時間を過ごしてきたわけじゃない。頑張って、1点だけでも取ろうぉぉぉぉ」
「「「おぉぉぉぉ」」」
彼女の気合を入れる声に甲高い声での返事。
「……近江」
「な~に?」
「向こうは意地でも1点を取ってくるぞ」
「抑える」
セカンドを振り返って右手を突きだす。
「大野山南戦で僕の聖域を守ってくれたお礼だ。お前の聖域は僕が守ってやるよ」
春馬も応えるように右手を突きだすと、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて投球練習を再開。そのやり取りに少し時間がかかったからであろう。この回の先頭バッターが早くも右バッターボックス横で待機。
「ボールセカン」
ラスト1球。受けた皆月は2塁ベースの春馬へと送球。
『5回の表、琴ヶ浜女子高校の攻撃は、9番、嶋さんに代わりまして、代打、朝霧さん。背番号11』
バッターはウグイスに合わせてボックス内のもっともキャッチャー寄りの場所へ。
「近江。しっかりな」
ファースト・寺越からボール回し後のボールを受けつつ、皆月からの声掛けに頷いた近江。プレートに足をかける。
「プレイ」
球審のプレイ開始宣告で5回の表開始。近江は少しだけ間を取り、左足を引きつつワインドアップモーションへ。
「ストライーク」
慎重に入ろうとアウトコースのボールゾーンに構えた皆月。たいして近江の投球はストライクゾーンに飛び込むも、ここは相手も見逃してワンストライク。
『(ま、皆月が心配性すぎるくらいか。正直42点あれば大丈夫だと思うけど)』
仮に追いつかれても次の回で決まる。そもそも追いつかれそうならば、最上か春馬にスイッチするところ。
2球目。代打の右バッターは低めのストレートを打ち上げてマウンド後方の凡フライ。近江は潔く春馬に打球処理を任せてワンアウト。
「ワンアウト、ワンアウト」
「近江。ここからだぞ」
アウト確認をしながら春馬からボールを受け取る近江。
近江の投手力は十分ではない。春馬だからこそ初回は一方的に打ち取ったが、2順目の対近江戦ではまともなバッティングを見せている。
『1番、ピッチャー、石井さん』
『(さぁ、近江。ここからが本番だ。2順目はまともに打たれていたし、3順目はしっかり抑えろよ)』
コールド要件は成立している。点差にもかなりの余裕があり、コールド回避はまず不可能。つまり勝利まであとアウト2つはほぼ確定である。
初回こそ春馬に任せたが、半分以上のイニングは自身の登板。近江はマウンドで空を見上げながら深呼吸。広がる澄み渡った青空には雲が2~3割と言ったところ。そこまでしっかり把握できるほどの心理状況。落ち着けている。
視線を落とし、見つめる先は皆月のミット。
左足を引きながら振りかぶり、小さな体を大きく振りながら投球モーションへ。
「ボール」
アウトコース低めに外れるボール球。
悪いコースではなかったが、石井は見送りワンボール。
『(近江。それでいい。点差もあるし、あとアウト2つ。焦らずにな)』
勝敗はすでに決まっているが、それでも感じる緊張感。さながら子を見守る親のよう。
そんな春馬の一方、しっかり心を落ち着かせて投球に入っている近江。淡々としたリズムでモーションを起こす。
『(いいとこいった)』
今度は先ほどよりもわずかに内側。いいところに投じたと自負するが、石井はきれいにピッチャーへと返す。痛烈な打球は近江の股間を抜く。守備巧者の近江もピッチャー返しには対応できず、打球は二遊間を襲う。
『(くっ、届け)』
引っ張り警戒でわずかに1塁寄りだった春馬は、それでも優れた打球反応で球際へ接近。グローブを精いっぱい伸ばして飛びつく。
しかし、
『(くそっ)』
打球はグローブを弾いた。今のは追いついた方がすごいくらいで、近江クラスでもセンター前は確実の打球である。それでも春馬がグローブで弾いたことはよく動く。
『(よくやった。新田)』
ボールは走りこんできた最上の前を転々。シングルでキャッチした最上は1回転しながら体勢を立て直して1塁へと回転スロー。
『(やべ)』
するとその送球が本塁側に逸れる。寺越が飛びつきキャッチし、走ってくる石井にタッチを敢行。対する石井は頭から1塁にヘッドスライディング。
「セーフ」
タッチを避けた。その判断で1塁審の両手が開く。
「わりぃ、近江」
「ドンマイ、ドンマイ」
謝る最上に近江はフォローを入れる。今の打球は近江―春馬の二遊間でも処理が難しいだろうと思われる。それに対し最上を責めるのは馬鹿馬鹿しい反応である。
『琴ヶ浜女子、選手の交代です。ランナー、石井さんに代わりまして、村雨さん。背番号14』
直後、1塁ランナーの石井がベンチへと引き下がり、小柄な女子が代走として送られる。
「エースを下げたか」
春馬は意外そうな表情を浮かべる。
相手が普通の高校なら、せめて1点を取るためにエースを切ったと考えられる。だが相手がまともな野球経験がないと推測される女子校ならば。1番を打ち、ピッチャーをやっているような選手。そんな彼女に勝る走塁センスを持つ選手が控えにいるとは考えがたい。
『(マジで走塁特化の切り札か。それともただ経験を積ませたいだけか?)』
とにかくこの場で打たれる手など、その極端な作戦しかないだろう。
『2番、キャッチャー、橘さん』
1アウト1塁でバッターボックスには2番。
送りバントの構えはない。
ただ最初から構えないだけかとも思われたが、近江の初球ボールに対してバントの構えを見せず。本当にバントはなく、強攻策のようである。
「貧打のチームが点を取るならバントでランナー2塁が手堅いだろうけど。モノは考えようかな?」
琴ヶ浜女子は見る限り、打てる選手を上位に固めて点を奪うスタンス。ならば下手にバントするよりは、強攻策でチャンスを大きく広げるのもまた一手。ただその作戦がこの堅牢な蛍が丘守備陣の前にどれほど通用するかが問題だ。
皆月は春馬の守るセカンドへ打たせようと、ミットをアウトコースに構える。もしも相手がランナーを進めようという意思を持って右に打たせてくるのなら願ったりかなったり。
近江の一投は狙った通りにアウトコースへ。投手投げに変えてからやや制球難であったが、今日は近江らしく安定したコントロールだ。
それを橘はわざわざ引っ張るようなタイミングで捉える。打球はショート真正面に向かって跳ねていく。近江の守備範囲内であるが、ここは無理せずに最上へと任せる。
「ボール2つ」
セカンドを指さす皆月に、最上は捕球後に流れるような動きで2塁へと送球。セカンド塁上に入った春馬は最上の送球を受ける。そして右足を引いて1塁へと転送。しかし、
「なっ、バカ野郎」
「あっ――」
1塁ランナーはスライディングしようとせず。結果、春馬の送球が1塁ランナーの頭へと直撃。ランナーは頭を抱えながら転がり込む。さらにボールは外野を転々としてインプレーのはずも、緊急事態と見て審判が試合を止める。
「やっべ」
中でも最も早く反応したのは当てた春馬。
駆け寄ってみると、彼女のかぶっているヘルメットが欠けており、少し離れた場所にはその破片。ついでに近寄ってきた近江はそれを拾うなり、顔をこわばらせている。
「大丈夫か?」
声をかけたうえで反応があるか。揺さぶって確認しようとする春馬だが、その手を審判が払いのける。
「動かすな」
しゃがみこんだ2塁審は軽く肩を叩いて彼女に声をかける。
頭にボールが当たった以上、無理に頭を動かさないのが一番。意識確認ならば肩を軽く叩いて行うべきである。
すると頭を抱えながらも動きあり。大怪我レベルの痛みというよりは、今までにない痛みで倒れこんでいるような状況である。遅れて琴ヶ浜側の監督も飛び出してくるが、そのころには立ち上がろうとしているあたり。大きな外傷としてはないが、顔に血が一筋細く流れている。ただいずれにせよ大ケガではなさそうである。
その彼女は監督に肩を貸してもらいながらベンチへ引き下がる。
「うわぁ……すごいゲッツー崩し。春馬君も、さすがにあれじゃあゲッツー崩し崩しはできない?」
セカンド守備位置近辺のヘルメットの破片を拾い、近くにいた1塁審に渡す近江。
「あれなら足元にスライディングかまされた方が楽だな。1塁送球するフリして顔面蹴飛ばしてやれば、次以降はやってこないだろうし」
非常に怖い事を言っている春馬だが、去年の夏大にて実際にやっているプレーである。そのプレーにて顔面を負傷した相手のショートが緊急交代となったわけだが、試合は終盤とあってそのまま蛍が丘の負けに終わったのだが。
「そもそもあれはゲッツー崩しじゃなくてただの事故だろうよ。まぁ、不可抗力とはいえケガさせたのは僕だから、あまり大きな声では言えないけど……ありゃあ、滑らないランナー側の過失だけどな」
スライディングは主にタッチをかいくぐる、野手との交錯回避、ベースでの停止などの意味を持つが、場合によっては送球を避ける意味を持つ。もちろん避けないことで合法的に守備を妨害できることもあるが、ケガのリスクと天秤にかければ釣り合わないものである。
『(しかし、今のプレー、観客からヤジが飛ぶと思ったけど、割と静かだな)』
そして春馬はスタンドへと目をやるが、心配そうなざわめきが聞こえるくらいで蛍が丘側へのヤジはない。それは蛍が丘の裏社会部隊がヤジ集団に圧力をかけているからなのだが、春馬はそれを知る由もない。
「さぁ、プレーを再開します。全員、守備について」
大事なしと見るやいなやプレー再開の準備。全員がそれぞれのポジションに戻り、近江はマウンドへ。そしてバッターボックスには2打席目にフォアボールを選んでいる3番。
『(次は岩井ひなた。試合に勝とうと思えば適当にやっても大丈夫だろうけど、結果を出すならここで抑えとかないと厳しいぞ)』
1塁にランナーを背負っている近江は引き続きセットポジション。
『(少しリードが大きい。けど、近江のヤツ、牽制下手だしなぁ)』
教えれば多少は覚えるだろうが、勝戦処理にその必要性があるかと言えばないだろう。プレートを外さない牽制ができる春馬がいるだけに、指導力についてはまったく問題は無い。
『(皆月)』
春馬は守備のサインを皆月に気に向けて送る。と言っても直接的な指示ではなく、遠回しにランナー警戒を指示するもの。さすがにサインで手話レベルのコミュニケーションはとれない。
皆月からのサインを受けた近江は下手なクイックモーションで投球。
ボールはアウトコースにはっきり外れてワンボール。
半身になって捕球した皆月は1塁へと送球。
「セーフ」
牽制自体はセーフ。しかしこの肩を見せておけば無理な走塁はしなくなるだろう。
女子の身体能力で男子捕手から盗塁を決めるのはかなり難しい。楓音は度々決めているが、あれはピッチャーのモーションを盗むのが非常に上手いためであり、彼女自身も盗塁はキャッチャーとの勝負とは思っていないらしい。もちろんキャッチャーの送球能力が低ければそれだけ盗塁が決めやすいのは言うまでもないが。
「近江。ランナーは皆月に任せろ」
「は~い」
寺越から返球を受けた彼女は、次の投球のためにプレートを――
「おい、新田。近江のヤツ、ワインドアップモーションに入る気だぞ」
「マジかよ」
両足で踏んだ。
「近江。せめてセットはとれよ」
「は~い」
「それとプレートを外す時は、って、待て、近江」
彼女は両足で踏んでいたプレートを、左足、右足の順で外す。
「ボーク」
結果、ボークの指摘を受けた。近江は「なんで?」と驚いた様子で球審を見つめる。ついでに投手経験の長い最上も。
「え? 今のボークになんのかよ」
「ちょっと待て、最上。なんでピッチャーあれだけやってきて、プレートの外し方知らねぇの?」
「だって僕、常時セットだし」
ランナーがいない時、蛍が丘の投手3人のモーションは、
最上 セットポジション
春馬 ノーワインドアップモーション
近江 ワインドアップモーション
と、最上だけランナーの有無によって変わらない。これは少年野球時代からずっとであり、ゆえにここのところは知らないのも不思議ではないのかもしれない。
球審とついでにセカンドの春馬がマウンドへ。2人で合わせて近江へと『プレートの外し方』について簡単に教える。
あらゆるパターンの投球法について言えることだが、プレートを外す時は軸足から外すのが普通となる。これは自由足を動かすことが『投球動作』と見られ、その後に軸足を外すのが『投球動作の中断』とされてしまうためである。つまり先ほどの近江の場合、右足からプレートを外すのが正しかったことになる。
「近江。ランナー無視。それでもせめてセットはとれ」
「うん」
ボークになったのが不満そうな彼女は、ふて腐れながら足元のロージンへ。ただ付けすぎた粉が鼻に入ったようで、大きなくしゃみを2回。
「ふっ、可愛いな」
「バカなだけだろ」
素直な最上に、春馬は辛辣に返しつつ外野へと前進守備の指示を送る。勝つことを前提にするならば49点差で前進守備なんていらない。しかし今後の近江のためにも、ここは勝利もそうだが内容が欲しい。
『(ランナーのリードはそれほどじゃないか)』
ボークで2塁へ進んだランナーを確認。リードが大きいなら2塁に入るフリで牽制してもいいが、この程度のリードではそれほどの効果があるとは思えない。春馬・最上共に大きく二遊間を開けたポジショニング。
「ストライーク」
ボーク後の立ち上がり。セットポジションからの初球は真ん中低めのストライク。
「その調子、その調子」
「おぉ」
最上の声掛けに右手を突き上げて返事。
蛍が丘から見れば勝利まであとアウト1つ。
しかし逆に琴ヶ浜から見れば敗退まであとアウト1つ。
せめて1点を奪おう。蛍が丘に一矢報いよう。その思いが痛いほど分かるベンチやスタンドからの大声援が、蛍が丘スタンドの声援をかき消す。
『(すごいな。ストライクを取るごと、アウトを取るごとに声援が大きくなる。これじゃあどちが勝っているんだか)』
声援だけ見れば琴ヶ浜リードで迎えた最終回だ。
近江は手の甲で額の汗を拭ってから皆月のサインを覗き込む。
『(あと1人。しっかり頼むぜ)』
フォアボール連発でもされない限り、どこかに打たせることでいずれアウトは取れる。だができれば彼女の自信につなげるためにも無失点で抑えたい。
セットポジションの近江は第2球――
『(あっ)』
手についたわずかな汗。ボールが滑った。
「デッドボール」
今日2つ目のデッドボールを3番に当てて1塁を埋めてしまう。近江は帽子を取って軽く頭を下げる謝罪。
『(別に50点差近くあるからいいけどさぁ)』
特にピンチだとは思っていない。ただ今回の登板は近江の経験値不足が浮き彫りになった感じだ。彼女はいまいち手の汗に意識がいっていない他、足場についても無関心。さらに言えば一切間を取らずに淡々と投げている。そしてボークについて理解していない。
『(まだまだ課題あり。だな)』
それでも女子の身でありながら投手挑戦から数か月でこの実力であることについては、十分すぎるほどに評価すべきポイントである。
『(とりあえず、ここを乗り切ろうか。近江)』
『4番、ショート、岩井さん』
ここまでの試合展開から推測される限りでは、琴ヶ浜女子の登録選手中では最強のバッター。
「仕方ないなぁ。タイム」
するとあと1人と言ったところで、ショートの最上がタイムをかけてマウンドへ。ついでに春馬の方にも目を合わせ「ちょっとこい」と指で合図。春馬は気怠そうに後頭部をかきつつ、歩いてマウンドへと向かう。
「近江。とりあえず深呼吸」
「ひー、ひー、ふー」
「それ違うやつ」
ボケる余裕があるのか、それとも緊張して素直に間違えているのか。最上の指示にラマーズ法で答える。
「新田。何か言うことはあるか?」
「ない」
「ったく。仕方ねぇ監督さんだこと」
つくづく近江には冷たいヤツである。ところどころ優しさが垣間見えるため理解不能とまでは言えないが、こんな人を好きだと思っている近江が最上にとっては少々不思議ではある。
そこで代わって近江に声掛けするは最上。
「正直、僕は新田のショート守備にはかなわねぇよ? いや、近江にすら勝てねぇ。でも」
「ファーストには寺越、サードには猿政、そして僕。自分で言うのもなんだが、決して守備下手じゃない。外野の大崎、因幡、楓音だって、まぁ、ライトは経験不足にせよ、悪くない。そしてなにより……」
近江の後方で眠そうに大あくびしている選手兼任監督に目をやる。
「セカンドは高校野球最強だ。僕は打たせて取るタイプだからよく分かるけど、ウチの守備は盤石。1人で勝とうとするな、近江」
夏大における名門・信英館戦の勝利だって、実質的に最上が好投したことによるところがある。しかしその好投と言う結果を生んだのは、最上自身のピッチングと同時に、蛍が丘守備陣の堅牢な守りが生んだものでもある。
蛍が丘高校に三振を奪うピッチングは似合わない。
「近江……みんながついてる」
最上はそれだけ言い残して回れ右。春馬は「やっと終わったか」と再びあくびしてセカンドの位置へ。
そこでマウンドに1人残った彼女は、ホームに背を向けて両手を挙げる。
「打たせていくよぉぉぉぉぉぉ」
得点圏にランナーを置き、難敵・岩井ひなたを迎えた彼女に不安感はない。
急な彼女の元気な声に一瞬だけ静かになったグラウンド。だが、
「よぉぉぉし。センターにこ~い」
元気一番・大崎俊太の大声。
「腕をしっかり振れ」
そして因幡からは的確な指摘だが、蚊の鳴くような声は聞こえるわけがない」
「ライトは任せて」
そして大崎ほど声は大きくないが、甲高く通る声のライト・楓音。
外野は準備万端だ。
「おう、任せな」
そして内野も。サムズアップ&片目ウインクで答える最上。
「よし、打たせてけ、打たせてけ」
「うむ。任されよ」
寺越はファーストミットを突き出し、猿政は仁王立ちで堂々たる様子。
「さぁ、こい。近江」
ミットを叩いて近江の、そして自分の気合を入れる皆月。
残る春馬は、
「任されても困る」
少しも気を使う様子を見せない。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
「プレイ」
いままでの近江は最上や春馬の背中を守る立場だった。しかし今は自分を彼らが守ってくれる。いや、2人だけじゃない。寺越や猿政、そして外野に目をやれば因幡、大崎、楓音。最後に前を向けば、キャッチャー経験の長い皆月。
この守備陣ならばそう簡単に抜けやしない。一切の変化球を投げられず、ハーフスピードのストレートのみ。そんな彼女ですら今日は4イニングを被安打3、無失点に抑え込めているのである。
そんな守備陣を信じられずして、信じられる者など存在しない。
「ストライーク」
「よぉぉし。近江、ナイスボール」
皆月もミットの芯で捕球し、いい音をさせて彼女の気持ちを盛り立てる。
初球は真ん中低めへの投球。甘いには甘かったがボールの質が良かったのか、岩井のスイングは彼女のボールを捉えられない。
2球目――
「ボール」
右バッターボックスに叩きつけるアウトコースへのボール球も、皆月が体で落として前に落とす。そして拾い上げると、2塁に入った最上に向けて送球するフリ。ひとまずの牽制も、2塁ランナーは動きを見せない。
「審判」
皆月は球審に頼んでボールを交換。
「楽に楽に」
彼からの返球を頷きながら受けた近江は、帽子を深くかぶりなおしながら一息つく。
あとストライク2つで勝てる。
でも三振はいらない。
打たせていけばいい。
セットポジションに入り、足を大きく上げての投球。それでも2塁ランナーは動かない。
「ボール、ツー」
『(っ、マジかぁ)』
皆月はマスクの下で渋い表情。このコースを見切った岩井に対しての思いと、ストライクを取ってくれなかった球審に対しての思い。ここまで粘っている近江のためにもストライクが欲しかったが、ストライクを取ってもらえないなら仕方ない。
「惜しい、惜しい。その調子」
カウント2―1。
バッティングカウントからの4球目。
サインはない。皆月の構えたミットに投げ込むだけ。
近江の足が上がる。
そしてボールが弾きだされた。
『(せめて、1点――)』
岩井が振り落したバット。
その真芯が真ん中に入った投球を捉えた。
『(――その、1点だけでも取る)』
そして渾身の力で振り切った打球は、
「ふひゃっ」
まだ投手守備に不慣れな近江の頭上。痛烈な打球はスライスしながら二遊間へ向かい、2塁ベースやや手前でバウンド。
『(くそっ。届かねっ)』
最上のグローブも届かない。
『(新田もキツイか?)』
スライスしているせいで、セカンドにしれみれば逃げていく打球。それもややショート寄りの打球であり、いくら春馬でも捕れないだろうと最上は判断。となるとセンターの大崎は打球処理に突っ込むが、
「うらっ」
春馬が止めた。
『(えっ、今の止めるの?)』
振り返った近江は目を丸くする。守備に自信のある自分でも今の打球を止められない。しかし春馬はそれを止めた。そしてあまつさえジャンプし、1塁へ向けてスローイング。
『(1点、1点を)』
ヒットを止められた岩井はそれでもあきらめずに全力疾走。
『(さぁ、間に合え。ここまで好投したあの野球馬鹿、僕らが支えてやらねぇでどうする)』
着地しながら自らの送球の行く末を見据える春馬。
『(間に合って)』
『(間に合え)』
岩井は頭から飛び込む。
その手は――届かなかった。
「アウト」
一塁審判の右手が上がった。
この瞬間、
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
蛍が丘高校。秋大会1回戦を突破。
結果的に4回無失点を成し遂げた近江はガッツポーズしながら2塁へ向けて駆ける。その先にいるのは、派手なプレーで外れた帽子を拾いにいく春馬。
「春馬く~ん。ナイスプレ~」
両手を開いて飛びつきそうな勢いだが、
「Go home!!」
帽子を取った右手で指さされて怒鳴られる。一般的翻訳すれば「(家に)帰れ」が正しいだろうが、むしろここではかなり直訳中の直訳ともいえる「本塁に行け」が正しいところ。そして近江はかえって一般的翻訳が分からず、「行け」と「ホーム」から「本塁に行け」の意味を読み取り回れ右。頬を膨らましながらホームへと駆け足。状況を読める優等生と、英語の分からない馬鹿にしか分からない不思議な言葉である。
「みんな、注目」
やや騒がしめの蛍が丘高校ナインに対し、静まり返った琴ヶ浜女子高校。あまりにも悔しかったのか、泣き出してしまう子まで。しかしその中で監督は手を叩いて全員の注目を集める。
「まだ、まだ試合は終わっていないよ」
コールド要件は成立。蛍が丘リードで5回表終了の時点で試合は終わっているはずである。しかし彼女の主張は何も間違っていなかった。まだ主審によるコールはまだなのである。
「ホーム整列。最後、礼をしてそれでゲームセット。ほら、早く」
グラウンドに足を踏み出せない者、呆然としている者、泣き出しうずくまっている者、片っ端から背中を叩いてグラウンドへ押し出していく。
そして蛍が丘9人から遅れ、琴ヶ浜女子18人が整列。ベンチ前では監督やマネージャーも。
それを確認して球審は大声で告げる。
「琴ヶ浜女子対蛍が丘高校の試合は、49対0で蛍が丘高校の勝ちです」
そして最後に手を挙げてコール。
「試合終了」
「「「ありがとうございましたぁぁぁ」」」




