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蛍が丘高校野球部の再挑戦 ~悪夢の舞台『甲子園』へ~  作者: 日下田 弘谷
第5章 春のセンバツ出場校 VS 夏の甲子園出場候補
49/122

第8話 3人目の投手

 島根県大会は大野山南高校が松江水産を2―0で下して甲子園への切符を手に入れる。という結末で幕を閉じた。


 対して悪夢の甲子園への再挑戦を図る一方で、どことなくやる気のない新田監督率いる蛍が丘高校。


 夏休みに入って最初の練習は、ランニングやストレッチ、キャッチボールなどのウォーミングアップを終えて、今はひとまずの休憩時間。春馬は今後の練習予定の決定も兼ねて木陰に全員を集める。


「さてと、それじゃあ今日からの練習だけど猿政が言っていた通り、何か大きく変えることは重要だと思う。せっかくの夏休みだし、新人戦までしばらく試合がないしな」


「合宿」


「だからそれは予算的にNG」


 近江の提案は理由も付けて2秒未満で却下。彼女の反応を先読みした、ある意味で仲がいいからこそ分かる連携である。


「あくまでも僕の主観なんだけど、この野球部は夏大みたいに連戦になると体力的に弱いんだよな」


「夕日に向かって走るっ」


「いってらっしゃい」


 1人で行ってこいと近江に手を振る。


「そりゃあ体力向上も大切なんだろうけど、根本的に人が足りないんだよな」


「勧誘する」


「名スカウト殿。いってらっしゃい」


 1人で行ってこいとまたも近江に手を振る。


 近江は大崎、因幡、寺越らを野球部に引っ張ってきた名スカウトである。彼女が勧誘をすればどうなるかやや面白みのあるところだが。


「今この時期に部員を引っ張ってくるのは難しいだろうな。去年、因幡が拾えたのはかなり幸運だったな」


「……俺も暇だった」


 マンガ以外の本が苦手な近江が珍しく図書室へ出向いた際、暇そうにしていた因幡を無理やり連行すると言う拉致まがいの行動で野球部に引き込んだ。という懐かしい話は去年の事。その因幡が偶然にも野球経験者であったというのだから、近江の目と運はよほどいいようである。


「そりゃあ、部員が増えてくれたらそれがいい。1人でも増えてくれれば、特にランナーコーチのローテの負担が激減するからな。けど、そっちではなく」


 それができれば根本的解決なのだがそう簡単なことではない。もともと5人しかいなかった野球部に、部員3人およびマネージャー1人(選手兼任化)を入部させることができたのが幸運。さらに唯一の3年生先輩が抜けた後、すぐにもう1人が見つかったことも幸運中の幸運である。そこまでギリギリのことをやってきた中、そうそう幸運とは続かないものである。


「ピッチャー増やそう。2人はカツカツだし」


「なるほど。ピッチャーか」


 春馬の提案に最上も納得して首を縦に振る。


「端的に言うと蛍が丘高校は人数も少ないしポジションの融通が利きにくいから、ピッチャーへの負担が、ピッチングだけじゃなくて野手としても馬鹿みたいに大きいところがある」


 エースの最上はあいにくそれほど体力のあるピッチャーではない。徹底的に手を抜くことができれば完投も可能だが、今年のような序盤から中堅~上位クラスのチームとぶつかる展開になるとそれも難しい。となると春馬がリリーバーとなるのだが、最上も春馬も大きな問題がある。春馬は本職がショートであり、そして最上は春馬のリリーフ後に彼のポジションを引き継ぐ交代をしていること。言わば、とにかくピッチングだけではなく守備の負担も大きいのである。かといって蛍が丘が誇る島根トップクラス守備陣を崩すわけにはいかず、ならばピッチングの方をいじる必要がある。ということだ。


「因みに、試合後に書いてもらったアレな。何人かが『ピッチャーを増やそう』って書いてあった。みんなからもそういう提案があったということで、ピッチングのテストをしたいと思うんだけど、反論は?」


「はい」


「はい、なぜか野球に関してだけは頭のいい近江。どうぞ」


「私は春馬君の意見に賛成」


「じゃあ、なんで手を挙げた?」


 反論は? と聞いて挙手しておきながら、その答えは賛成である。野球に関してだけは頭がいいようである。野球に関して『だけは』である。


「じゃあ、新田。反論じゃないが、質問いいか?」


「なんだ、キツネ」


「思い出したようにそのネタ使うのやめてくれ。使うなと言わないから一貫してほしいな。そうじゃなくて、テストの対象は全員にするのか?」


「その予定だけど?」


楓音(これ)寺越(あれ)は?」


 ルールやプロ野球と言った知識は部内でも飛びぬけているが、野球の経験としても逆に飛びぬけている楓音。そして春先の大野山南高校練習試合において登板している、野球部唯一の左腕・寺越。


「そうだなぁ。個人的には野球経験の短い楓音。それ以外で皆月、近江は除外したい。というのも、大崎(センター)はまだしも内野センターラインとピッチャーの兼任はドギツイからな。既にやってる僕と最上は仕方ないが」


「でも現実問題、背に腹は代えられないだろう」


「まさしく。だから除外対象は野球経験の少ない楓音だけ。寺越はもしかしたらちょっといじればOKかもしれないし、そもそも今回のピッチャー選抜は第3投手候補。おそらく起用状況は大量リードしている状況や、よほどの緊急事態に限られるからな」


 無失点登板してくれればそれが一番いいが、多少は失点してでも既定のイニングを投げ切ること。言わばひとまずその場しのぎに使える程度が春馬の期待。それほど大きいものを願ってはいない。


「他に意見、質問は?」


 質問したばかりの最上も含めて8人全員に聞いてみるも、近江が大きく首を横に振るくらいでアクションはない。だとすれば意見、質問はないとみて間違いはないだろう。


「じゃあ、だいぶ休んだしピッチャーのテストを始めようか。楓音と最上はひとまずテストの手伝いをしてくれ」


「いいよ」


「で、何すればいいんだ?」


「楓音は打席に立っておいて。バットは持つだけ持って振らなくていい。最上はマウンドに行ってピッチャーにアドバイスしてくれ」


 春馬が立ち上がり始めたのを見て、他のメンバーも次々とピッチングのテストのために準備を開始。


「で、直接指導ってことか。で、新田は何すんの?」


「キャッチャー。近江、ミット借りるぞ」


 春馬は近江にカバンのところまで行って持ち上げる。


「あ、待って、今開けちゃっ――」


「案ずるな。楓音、代わりに頼む。僕が開けたら、女子の下着が出てきて『ワォ』ってなるからな」


「新田のその判断力に『ワォ』だよ」


 ラッキースケベはしっかり回避である。


「って言うか、近江ちゃん、下着見られそうになると焦るんだね」


「意外だったな」


 近江のカバンからミットを取り出しながら首をかしげる楓音。


 何せ近江は休憩時間などに平気でスカート姿でシャドーピッチングしたり、遅刻寸前だからと教室にスライディングで入ってきたりするような女子である。もちろんそれで彼女のスカートがめくりあがることも珍しくなく、楓音から「恥じらいくらいもとうよ……」と言われていたことも。


 そう考えれば彼女も女の子らしくなってきたと言う事……なのだろうか。


 ついでに楓音は春馬へとプロテクターやレガースなど、キャッチャーの防具を付けるのを手伝う。そしてその手伝いが終わるなり、一番軽いバットを手に、ヘルメットを頭にして彼と一緒にホームベース付近へ。


「うわぁ、新田。お前ってキャッチャーの恰好似合わねぇなぁ」


「分かってるよ。あんまりこういうのって似合わないって」


「私は春馬くんのキャッチャー姿、これはこれで似合っていると思うけど……」


「お世辞でもいいや。ありがと」


 近江に接する時のクセで自然と楓音の頭に手を乗せて撫でる。ヘルメットの上からであるためそれほど感触らしい感触はないが、楓音もまったく悪い気はしない。


「なんだか、キャッチャー不在のチームを救うユーティリティプレイヤーみたいな感じが少しかっこいいかも」


「要は手慣れていない感じが初々しいっていいたいんだろ。本当の事言ってもいいぞ。怒らないから」


「ほ、褒めてるのに……」


 最上にいらぬ事を言われたせいで楓音の励ましにも後ろ向き。ややネガティブになってしまったようである。


「さぁ、どうでもいいからさっさと始めようか。楓音はひとまず右バッターボックスで。最上、何球かキャッチング練習させてくれ」


「ヘイヘイ」


 春馬の要請を受けて最上は10球程度の軽めの投球。慣れないミットに最初の2球は弾いてしまったが、3球目以降は簡単にミットの芯でキャッチし始める。天性の守備センスと言うべき才能であるが、まだ近江のキャッチングに比べるとやや見劣りする程度だ。


「新田、そろそろいいか?」


「だな。始めようか。まずは皆月から背番号順にやろうか」


「俺から?」


 最上からボールを受け取った皆月は、最上から投球の意見を受けつつ、ノーワインドアップからのモーションを起こす。ピッチャーをよく見ているだけにフォームはかなりきれいで、そこだけ見れば合格点である。


「んっ」


 ど真ん中に構えていたわけだが、投球は大きく外れてミットを弾く。それに続いて何球か投球練習を行うも、ほとんどストライクゾーンには決まらない。


「回転はいいんだけど、これだけストライクが入らないとなぁ」


 春馬の内心も同意見ではあるが、最上の評価もあまりよくはない。そもそも正捕手である皆月をピッチャーとして使う理由もない。


「らしいぜ、皆月。というわけで退場」


「退場ってそんな殺生な」


「「退場」」


「はい」


 最上と春馬のダブル退場宣告によって皆月がマウンドを降りる。


 続いてマウンドに上がったのは寺越。対大野山南高校戦では左打者の日野対策として登板し、近江の守備に救われる形で抑え込んでいる。左投げであることからピッチャーの第一候補としてみていい。


 実際のところ、現有戦力の中では最も期待に値する選手ではある。


 が、いざ投げてみると皆月ほどではないにせよコントロールが悪い。そしてよく言えば素直でクセのない、悪く言えば馬鹿正直なストレート。わざわざ左だからと言って無理に使うようなレベルではないのかもしれない。


「厳しいなぁ」


「だとよ。寺越」


「いいよ、いいよ。元々、自分でピッチャー向いてないって知ってるし」


 そして本人もピッチャーをする気がないようで。


「次、近江」


 春馬が大声で彼女の名を呼ぶと、寺越からボールをもらった彼女が堂々とマウンドへ。


「ついにやってきた。私がピッチャーで、春馬君がキャッチャーの『そーしそーあい』バッテリー。この時をいったい何年待ち焦がれて――」


「早く投げろ。投げないと無条件で不合格な」


「ひゃわぁ。ごめんなさぁい」


 春馬に急かされた近江は慌てて投球準備。最上にアドバイスをもらいながら両足をプレートに掛けると、春馬に似たノーワインドアップモーションでミットめがけて投球開始。彼女の右腕から投げ出されたボールは山なり軌道で春馬の構えたミットへ。


『(おっ?)』


 まさしく構えたところにやってきた。


「ストライ~ク。やった~」


 拳を突き上げてガッツポーズする近江に、春馬は「早く次を投げろ」とミットを叩いて急がせる。それから近江は続けて十数球を放っていくが、ほとんどのボールが春馬の構えたミットにピッタリ。そのコントロールは最上以上のものをもっているように思える一方で、どうもピッチャーに適した球であるとは思えなかった。


「楓音。ちょっと打ってみようか」


「え? う、うん」


 右打席から本来の左打席に移ろうとする楓音だったが、彼女の前がミットで遮られる。


「いや。多分だけど、右でいい」


「右で? 打てなくもないけど下手だよ?」


「いいんだよ。それで」


 野球を始めてすぐの頃の楓音は右打ち。しばらくはそれで打っていたため右で打つことは不可能ではないが、あまり得意ではないため左打ちに転向したのである。なお得意な左で今の打撃ということは、右打席の実力はお察しである。


「ほら。近江、こい」


 ミットを叩いて構えた春馬に、感情的な近江はすぐに腹立たしさを表情に出す。


「きぃぃぃ。右の楓音となんて舐めてるぅぅ」


「いいから投げてこいよ」


 煽る春馬。待ち受ける楓音に対して、野球バカ近江の投じた球。


『(え? この球――)』


 楓音のスイングが一閃。すると真芯を捉えた打球は、


「ふひぃ、あ、あぶなぁぁい。ピッチャーライナーなんて危ないぃぃぃ」


「ご、ごめん……」


「近江、無茶言うなよ。てか、今のをよく捕れたよな」


「新田ならもっと鋭いのでも捕れそうだけどな」


 楓音の会心の一撃を上手く捕球した近江。文句は言うものの、さすが名手と言うべく打球反応である。結果的にはピッチャーライナーで凡打ではあるが、春馬はマスクを上げながら確信の表情。


「ただ、今ので楓音は分かったろ?」


「う、うん」


「近江はピッチャー向きじゃない」


「えぇぇぇ。なんでぇぇ? 抑えたよ?」


 打ち取られた手前、あまり大きな態度の取れない楓音であったが、春馬の問いかけに肯定。それには近江も大反論。しかしさらに春馬が反撃に出る。


「右の楓音は貧打の蛍が丘打線でも一番の貧打。言うなれば高校野球においては下の下レベルだからな。言ってしまえば、そんなバッター相手にきれいに返されるようじゃまだまだだろうよ」


「むきぃぃぃ。そんなこと言うなら、春馬君も楓音とやってみて」


 結果こそが最高の証明と言わんばかりに挑発する近江に春馬はため息。


「楓音。やるか?」


「無理、無理、無理。絶対打てないって」


「だとよ」


 最上や春馬は高校野球レベルではそれほどずば抜けて高いレベルではないが、それでも少年野球から続けてきた本格的な投手である。左打席の楓音が対応できているのが異常ではあるが、普通であれば素人が打てるような球ではないのである。


「なんで、なんで、なんでぇぇぇぇぇ」


 大暴れしそうなまでに騒いでいる近江であったが、春馬よりも先に最上が答える。


「野手投げ」


「ま、そういうことだな」


 近江の野球を始めてから今までに守ったことある守備位置は、外野と二遊間、そしてキャッチャー。言わばすべて野手である。


「野手は投手と投げ方が違う。回転の掛け方とか、投球フォームとか。だから僕や新田みたいに投手を知っている人間と、近江みたいに投手を知らない人間だと球質に影響が出る。寺越もコントロールで弾いたけど、近江と同じく手投げだったな」


「言っても最上も野手投げだけどな」


「ま、僕はあえて満足(・・・・・)に打たせている(・・・・・・・)からなぁ」


 最上はその投球スタイル上、バッターには真芯で打ち返せるように見えてほしい。つまりバッターの打ちやすい条件を自ら作ってあげているのだ。そして芯を外してやって打たせてとるのである。そういう意味では最上の球は非常に打ちやすいものだが、ヒットにはしにくい性質を持つのである。


 最上の野手投げに関してはこうした面があるため、一概にも悪いとは言い切れないのだ。


「ま、近江も除外だな。次、猿政」


 春馬は近江にも失格宣告。皆月、寺越に続いて3人目。楓音は元から除外のため、残りは猿政、因幡、大崎の3人。


『(これは、あまり期待はできないかな。そもそもが僕も野手専任からの投手兼任。2人目の投手を作れただけでも幸運だし、これは無理か?)』


 この春馬の嫌な予感は的中。


 猿政は巨漢がたたって投球が辛いらしい。強肩で期待の募る因幡も、マウンドで投げると大したことがない。大崎については可もなく、気持ち不可気味。


 結果、あまり期待はできないしょっぱいものとなった。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 投手問題について切り込んだ翌日。ウォーミングアップを終えたあたりで前日に引き続いて春馬は部室棟の陰に皆を集める。


「で、今日のミーティングの議題なんだけど、これな?」


 春馬がカバンから取り出したのは束になっている紙で、そこにはぎっしりと文字が書き込まれている。


「それは……大野山南戦の後のヤツか」


 その春馬の手にある紙を覗き込みながら問う最上に春馬は首を縦に振った。


「そう。一応、僕の方で全員のものをパソコンにスキャンして取りこんだから、それぞれのメンバーに返却しようと思ってな」


「ふ~ん。そういえば、なんであの試合の時にこれを持っていたんだ? まさかと思うけど、大野山南で負けると思っていた。なんて言わないよな」


「んなわけないだろ。ふと大野山南戦の前に気付いてな。勝っても負けてもやる予定だっただけ」


 答えながら全員に紙を配る。今度は書かれた名前の通りである。


「ひとまず、これが自分に対して皆が思っている課題。だと思っていいかな」


 もちろん、春馬の手元にも自身のものがある。さらに裏にはチーム自体に対する課題が書かれている。


「はぅ。春馬君、厳しい」


「そうか? 僕のはそうでもないぞ」


「私のも的確な指摘かな?」


 近江は春馬からのコメントを『厳しい』と感想を述べるが、最上・楓音を筆頭に他のメンバーは『的確な指摘』との印象を持つ。


「そうだね。自分のを見てみると、最上君と新田君は特に的確な気がするよ」


「……春馬、よく周り、見てる」


 大崎、因幡も春馬をフォローするスタンス。


「別にお世辞はいらねぇよ。それより、一応全部に目を通しておけよ。これが自分に見えず、他人に見える自身の課題だっていうことにもなりうるからな。けど……まぁ、その課題を克服するかどうかはよく考えてな」


「えっと、それってどういうこと?」


 課題は直した方がいいんじゃないの? と楓音は疑問を浮かべる。すると春馬、


「仮に近江がミート打法に徹したらどうなる?」


「「「クズ」」」


「ふぇ?」


「ま、そうだよな」


 奇跡のほぼ全員一致で、ミート打法に徹した近江は『クズ』との判決。


 近江のバッティングセンスと努力量を考えれば、ミート打法に徹することで三振を格段に減らせることができるだろう。しかし彼女の現在の長打力は一発狙いのフルスイングから生まれるものであり、もしミート打法に徹すれば長打力を大きく落としてしまう。それどころか彼女の元の筋力が弱い事もあり内野を抜けるかどうかも危うくなる。よって近江のミート打法は三振の多さを克服する代わりに、ホームランだけではなくヒットそのものを放つ能力すらも大きく落とすことに繋がりかねないのである。


 と、言う話を例に説明する。すると、


「たしかにな。新田はチーム内ダントツでエラーが多いが、これを克服しようと堅実守備に切り替えると、かえって守備力が低下するからな」


「エラーはアウトにできるからエラーなんだよ。エラーが多いのは僕が下手だから」


「いや、謙虚すぎだろ、お前。てか、お前が下手なら高校野球はゴミしかいねぇぞ」


 なにせ信英館や天陽永禄と言った島根県内の強豪・名門校から『恐怖の守備力』と恐れられている名ショートが春馬である。謙虚なのは悪い事ではないが、明確に優れたものが謙虚になると、ひいては他のメンバーを暗に否定することにもつながるので注意が必要である。


「とにかく言いたのは、直す課題か、直さない課題か。そして長所を伸ばすかどうするかとか、この夏のすべきことを明確にしろってことだな。できれば今日からその目的を持った練習に入りたいから、ここで目的を決めてほしいかな。無理なら明日以降でもいいけど早めに」


「なるほどなぁ。しかし自分で自分の事を分かっていたつもりだったけど、意外な指摘があって面白いシートだな」


 納得しながらシートを読んでいた最上は、春馬や皆月からの欠点の指摘に面白みを感じる。


「これ、なんか名前があったよな。なんとかのドアだっけ?」


「ジョハリの窓だったかな。自己流の変則型ではあるけどな」


 自己の『知っている自分』『知らない自分』、他者の『知っている自分』『知らない自分』と2×2の組み合わせで表現される4つの領域。自分や他人のいずれかに知らない領域があると、そこで誤解が生まれて信頼関係を損なう可能性がある。そこで『自分の知っている自分』×『他人の知っている自分』の領域を広げることで、自分の知らない自分を知り、相手に自分を知ってもらい、信頼関係の構築に役立てる。と言う、コミュニケーションに関する話がジョハリの窓である。


 そしてそれを春馬がいかしたものが今回の課題シートである。


「はい」


 すると先ほど8人から馬鹿にされてショックを受けていた近江が、5分も経たずして復活していた。精神が弱いのか強いのか。


「春馬君。私、ピッチャーやりたい」


「ピッチャー……ねぇ?」


 春馬も非常に悩みどころであり、最上に救援を求めると彼もやや悩む素振り。


 昨日行ったピッチャー試験。結果はと言うと、


 皆月……超制球難

 寺越……全体的に能力不足

 近江……制球力は野球漫画並み なお球の質が最悪

 猿政……制球難 および 体力難

 因幡……超制球難 および それほど速くない

 大崎……球速以外はまぁまぁ 


 野球経験が浅く、本人からも辞退があった楓音を除いた6人。ひとまず最有力候補は大崎である。しかし大崎をピッチャーにした場合、ポジション自体は問題ないが、彼自身の俊足を持て余してしまうと言う問題が浮上する。そのため最上・春馬両投手共に大崎の3番手化には慎重に議論を重ねる予定だったのである。

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