最終話 恋する野球博士/2nd
お祭りが行われるのは、球場数個分というレベルの規模がある蛍が丘中央公園。そもそも蛍が丘と言うのが、島根発展計画におけるベッドタウンとして整備された大規模住宅街。新田春馬の両親や、新田楓音の祖父母のように、整備前から住んでいた人もいる。が、新たに人を呼び込むため、環境整備として作られたものの1つがここなのだ。それだけに、他の地域と区別するための規模となっている。
「おっす、最上。来たか」
「よ。早かったな」
「そりゃあ、家がまぁまぁ近いし」
集合場所は公園の正面入り口。待ち合わせの10分前になって、最上がランニングしながらやってきたのだ。
「で、女子勢はまだ?」
「いや、まだ来てないみたいだけど?」
春馬はそこそこ前から来ていたが、女子2人は来てないもよう。
「そりゃそうだよな。やっぱ、女子って準備に時間がかかるもんな。普通に私服の男子と違って」
「普通に私服ってなんだよ。近江の奴、まさかユニフォーム着てくるとか?」
「そんなわけ……いや、そっちの方がイメージ湧きやすいな」
春馬の冗談を素直に否定したかったが、思いのほか否定できなかった最上。楓音はともかくとして、近江は私服や制服よりも、ユニフォーム姿の方がしっくりくるのだ。
「ま、そういうわけじゃねぇよ」
「最上。お前、なんか知ってるだろ」
「べ~つに」
知っている顔である。
さすがに男2人では暇になってくる。暇つぶしに今年のプロ野球ペナントレースの結果を、本気で推測してみる。なんてことをやっていると、待ち合わせから2分ほど遅れて、遠くから聞き慣れた声が聞こえた。
「春馬君。ごめ~ん。待ったぁぁ?」
「すげぇ待った……って」
愚痴の1つも言ってやろうと、後ろから聞こえた声に振り返ったが、想定していなかった姿に言葉が出なかった。
「えへへぇ。どう、似合う?」
桃色を基調とした浴衣を着こんだ近江の姿がそこにあった。そんな近江への春馬の返事は。
「白黒か黄黒の虎柄じゃないんだな」
近江相手なら当然の反応である。
そして春馬はもう1つ気になることがあった。
「あの……春馬くん。遅れてごめんね?」
ライトグリーンを基調とした着物を着た楓音。制服姿や、ユニフォーム姿を見慣れていて感覚がマヒしていたが、かなり女子高生らしい雰囲気を醸し出している。少なくとも、見た目が女子らしいのに、まったく女子らしさのない野球バカとは大違いである
「気にしてないよ。このくらい別に」
「に、似合う、かなぁ?」
少し自信なさそうに目線を合わそうとする楓音。
「結構、似合ってると思うよ。うん。自信を持っていい。だろ?」
「だな。楓音。新田も言ってるが、自信を持っていいぞ」
「うん。ありがとう」
今までの自信なさそうな表情から、少し自信ありの表情へと転じる楓音。
「ねぇねぇ、早く行こう?」
「だな。最上、楓音。行こうか」
「おう」
「うん」
近江は自然な流れで春馬の手を掴み、先行して走り出す。そこには一切の奥ゆかしさが感じられない。結果として春馬と近江が前に、最上と楓音が数メートル距離を取って後ろを歩くようになる。こう見ると4人組の友人グループと言うよりは、2組のカップルの方が近く見える。
「しっかし楓音。わりと準備が早かったなぁ。浴衣を引っ張り出すって、結構時間がかかると思ったんだけど」
話しの輪としては2人となった最上は、楓音にふと問いかける。
近江と楓音に「浴衣を着て来い」と提案したのは最上。だが、提案の電話を掛けた時間に対し、浴衣の準備が早すぎるのでは? と疑問に思ったのだ。近江はさしずめ、いつか春馬とお祭りに行くために、とあえて出していたのだろうが、楓音がそれを考えていたとは考えがたかったのだ。すると、
「最上くんから電話が来る前なんだけどね? お母さんに、今日、お祭り行って来るって言ったら、春馬くんに、浴衣姿を見せてあげなさい。って提案されて……」
「なんでまたそう思ったんだろ?」
「ある意味、幼馴染みたいなものだから、成長した姿を見せてあげれば? って言ってたよ」
「なるほどな」
納得する一方で、どことなく引っかかる点もある。成長した姿を、と言っても、春馬は昔の楓音を覚えているとは思えない。また、幼馴染だから成長した姿を見せてあげる。というのも、理由としては筋道が通っているのか。
『(楓音の母さん。もしかしたら、楓音が新田に気があるってこと、気付いてんのかな?)』
むしろそう考えるのが妥当。だとすると、おそらく楓音に言ったのは、本音でもあるが、主たる本音ではないのだろう。
「それより最上くん。ありがとうね。春馬くんと私を誘ってくれて。一緒に遊びに行く機会、作ってくれたんでしょ?」
「そうだけど、このくらいは気にするなって。やっぱり、自分の恋が叶わなかった分、他の人の恋は叶えてあげたい。ただの自己満足だから」
そう答えた時、楓音の顔が暗くなる。
「どうかした?」
「変な事聞くけどいい? 最上くん、恋人は遠くに行ってしまったから。恋を続けられなかったのは不運って言ってたよね」
「そうそう。よく覚えてたな」
「その彼女が今いるのって……天国?」
「……」
最上は相変わらずのポーカーフェイス。だが、黙り込んでしまったところを見ると、間違いではない様子。最上はこの手の話だと、違うならハッキリと違うという人間だ。
「あ、ご、ごめんね。こんな時に。少し、気になっちゃって。うん。私の勘違いだったよね」
勘違いではない。それは彼の反応からは気付いた。しかし、もし彼にとって触れてほしくない領域だったら。それを考え、強引に彼の退路を作った。ところが、
「いや。勘違いじゃねぇよ。村川柚希。僕が小学校6年の時に、飲酒運転の車に撥ねられて死亡。すぐに病院に搬送していたらよかったんだろうけど、時間が夜だったのと、ひき逃げだったせいで、発見された時には、な」
声に暗さも明るさもない。気持ち程度の抑揚をつけたくらいで、ほとんど機械のように淡々とした口調でつぶやく。
「そういうこった。僕の恋は、もうどう転んだところで叶わない。自分で命を絶って、あの世で幸せになるくらいならあるいはな」
「も、最上くん?」
「バ~カ。んなことするかよ。この1日1日が、あいつの生きたかった1日だと思っているし、僕の生きるべき1日だと思ってる。あいつのためにできること。それは、必死で生きる事。それと、1度でいいから甲子園に連れて行くこと」
「甲子園なら、この前」
「あれは甲子園に入るかよ」
死に霊の悪夢は、甲子園に入れたくはない。最上の彼女にとっては、甲子園とは夢の舞台。例え勝とうが負けようが、悪夢の舞台にだけはしたくない。
「とにかく、僕の恋は叶わねぇ。だからこそ、代わりに楓音に自分の恋を叶えてほしいと思ってるんだよ。いらぬプレッシャーをかけることになったり、余計な手出しかもしれない。もっとも自分でもわかってる。所詮は自己満足だってな」
最上は軽く彼女の背を叩く。
「悪かったな。暗い話をして。ま、忘れてくれや。無理なら、記憶の片隅にでも置いといてくれ。気にする必要なんてねぇよ」
「う、うん」
状況を考え、明るい表情へと戻る最上。その顔は取り繕ったものと言うよりは、本当の笑顔であった。自分の事を分かってくれる人がいて嬉しいのか、それとも、ただ単純に振り切れているだけなのか。
ただ少なくとも言えること。今の最上に、負の感情は存在していなかった。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
「9枚抜き~」
数多く出された店の中に的当てゲームがあったのだが、ここぞとばかりに参戦した近江。一応、存在していた軟式と硬式の野球ボールから、あえて硬式を選択。しかも女子用の距離ではなく、男子用の距離から投げ始め、挙句の果てには9枚抜き、完全クリアの快挙を成し遂げる。
「あいつ、コントロールいいな」
「近江ちゃん、着物なのに、足を上げての本気モーションだったね」
それでも危険な状況にならなかったのは、おそらくは近江母がこの事を推定していたと考えられる。さすが、子を良く知るのは親である。
「あれ? そう言えば最上は?」
「最上くんならあそこにいるよ」
「あそこ?」
見ると、近江のいる場所より5メートルほど右。硬式球を手にセットポジションに入った最上は、足を高く上げ、前に踏み出し、腰を鋭く回転、肩、肘、手首をフル稼働させた、近江以上の本気モーションで壁に向けて一投。
「出ました。133キロです」
「っしゃ。現状2位」
本気でスピードガンコンテストに出場していた。
祭り終了を持って順位確定。その後、景品が家に送られてくるコンテストのようで、本人の口調からして最上が現状2位になったようで。片や本気で的当てし、プロ選手の直筆サイン入りユニフォームをゲットしてきた近江と、片や本気でスピードガンコンテストに出場し、2位に食い込んだ最上が帰ってくる。
「春馬く~ん。もらったぁ」
「おぅ、新田。コンテストの2位だぜ」
「お前ら、明日は試合だぞ。何をガチでやってんだよ」
呆れる春馬。しかし近江と最上は顔を見合わせてからもう反論。
「じゃあ、あれはいいの?」「じゃあ、あれはいいのか?」
「どれ?」
2人が指さす先を見る。そこには、
『スピードガンコンテスト
1位 日野啓二 141㎞/h
2位 最上義光 133㎞/h 』
日本ではこれを『類は友を呼ぶ』と言う。
「何も見てない。僕は何も見てない」
見知った名前で1位、2位だったが、何も知らない。何も見ていないと自分の頭に言い聞かせる。ついでに、8位に猿政がランクインしていたのも見ていないことにする。
「私もコンテスト出ようかなぁ。1位になれるかなぁ」
「近江が? 無理だろ」
近江を挑発する最上。すると彼女は頬をふくらまし、
「無理じゃないもん。実は私、メジャーが誇るMAX170キロの超剛速球クローザー……って言う夢を、この前見たもん」
「それは大したもんだ」
馬鹿にする顔で馬鹿にした口調。それに腹を立てた近江は最上の背中を叩いてからコンテストの方へ。
「見せてやるもん。私の剛速球見せるもん」
「ははは。期待してるぜ」
近江はなおも反論を返し続ける。もっとも、彼女の発言は意味不明で支離滅裂。正しく言えば『反』ではあっても『論』ではないと言えるだろう。
「それで新田。どうせ待ち人数もそこそこいるみたいだし、暇だろ。楓音と一緒に祭りを回ってこいや」
「そうだな。近江のお守は任せた」
「あいよ。任された」
ずっと4人で回り続けると思っていた楓音にとって、非常に意外な展開に。最上の「邪魔な奴は引き受けた。新田と楽しく遊んで来い」との意味を込めた、やっぱり下手くそなウインクを読み取った彼女だが、急な事に気が動転している事この上ない。
「それとだ。2人とも、離れないようにな。手を握っておくといいかもな。はっはっは」
最後に調子に乗った言葉を言って、近江と共にコンテスト受付に逃げて行ったキツネに、「一発殴っておこうか」と遠くでつぶやいた春馬。だが、わざわざ追いかけていって殴るほど、面倒な事が好きな男ではない。
拳を降ろして楓音の方へと向き直る。
「で、楓音。行きたいところはある?」
「え、えっと……」
楓音は戸惑いながら周辺の屋台を見回す。
『(ほんと、こう見ると女子らしい女子だよな。蛍光祭の近江なんて、腹減ったってズバッと言ってきたもんな)』
普段から近江や、野球をしている時の楓音を見ているせいだろう。こうしたときのノーマルな楓音は、彼にとって特に女子らしさを感じさせる要因ともなる。
「あ、そうだ。少し腹も減ったし、何か食べようか」
昼はそこそこの量を食べたとはいえ、野球の練習を何時間かした直後。またここに来るまでに間食もしておらず、育ち盛りの男子高校生であれば、腹が減るのもやむを得なしであろう。
「うん。私はそれでもいいけど?」
楓音も少し空腹気味なのと、行きたいところと言われても特別思い浮かばなかったのもあり、春馬の案をあっさりと了承。
近江の騒ぎ声を聞きつつ、飲食系の屋台がある方向へ。なんでも7時からビンゴ大会があるとのことで、この時間にもなると、子供も含めて人が多くなってくる。いくら田舎といえど、さすが住宅街である。
「あっと、すみません。えっと、こっちかな」
人にぶつかっては謝りを繰り返し、目的の場所へと歩いていく春馬だが、彼ほど運動神経の良くない楓音は少しずつ着いて行くのが厳しくなっていく。
「あ、春馬君、待っ――」
待ってほしいと言うため、彼の服の袖を掴もうとした。が、嵐のように現れた小学生くらいの子供が彼女の背中に衝突。バランスを崩しかけ、ワラをも掴む気持ちの反射で、手元にあるものを掴んだ。
「お、おい、楓音。大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫。つまづかずに済んだ――」
掴んだ何かによって、完全に転ぶのは避けられた。いったい自分が掴んだものはなんだったのかと見てみると、それはもう穴があったら入りたい気分。
「ごめんな。ちょっと速かったか?」
「え、あ、そ、その」
春馬の手である。彼の服の袖を掴もうと手を伸ばしていたのだから、バランスを崩した果てに掴むものとしては妥当である。
「起きることできる?」
「う、うん」
春馬の手助けを得て起き上がる。
「えっと、どうする? 人が増えて来たみたいだけど」
「どうするって?」
「手」
春馬は彼女にも見えるように繋いだ手を持ち上げる。
「蛍光祭の時も近江とはぐれないようにやってたし、このバカ広い公園ではぐれると面倒だし」
彼の言葉に自分の中で、恋心と言う悪魔が「よっしゃあぁぁぁ」と声を上げる一方、自制心と言う天使が「なんで春馬くんはそんな異性に平然と手をつなげるの?」と怒りを露わに。すると、その天使を筆頭とした新田楓音脳内会議は、甘えん坊の野球バカを理由に引っ張り出す。
『(うあぁぁぁぁ、近江ちゃん? 近江ちゃんのせい? 絶対に春馬くん、近江ちゃんのせいで感覚麻痺しちゃってるよぉぉぉぉ。近江ちゃんのバカぁぁぁぁ。「けど、ありがとうぉぉぉ」……じゃない。悪魔は引っ込んでて)』
ショートコントのようなやり取りの葛藤を繰り広げる。
「えっと、楓音? どうする?」
「お願いします……」
天使軍、悪魔軍に敗北。
『(うん、落ち着いて。落ち着いて、新田楓音。大丈夫。春馬くんは近江ちゃんとも手を繋いでるから。特別な気持ちなんてないから。それに、お母さんが言うには、赤ちゃんの時も手を繋いでいたから。うん、大丈夫。最終回ツーアウトで5点差くらいの大丈夫)』
なんとか自分へと言い聞かせる楓音。なお高校野球には、最終回ツーアウトランナー無しから5点を取ったケースもあり、まったくもって大丈夫とは言えなかったりする。
『(そう。甲子園に出た時の緊張感に比べたら余裕。かなり余裕。きっと余裕)』
さらに自分へと言い聞かせる。もはや自己暗示だ。
「で、楓音はどうする?」
「へ? な、何が?」
春馬の問いかけに、意識を元に戻して聞き直す。自己暗示に集中していたため、まったくもって話しを聞いていなかったのだ。
「何食べるかって話なんだけど」
見るとあたりには、焼き鳥、焼きそばなどなど、飲食店の屋台が立ち並んでいる。いろいろと考えている間に、目的地に辿り着いていたようだ。
「私は特に希望は……好き嫌いないし」
「そっか。じゃあ、何がいいかなぁ……あっ」
「どうしたの? あっ」
適当に屋台を見回していて気付いた。焼きそば屋の店番をしている、白いタオルを頭に巻いた、かなり大柄の男。2人の勘違いでは無ければ知り合いなのだが、その屋台の脇に『猿政建設』と書かれたのぼりが掲げられているあたり、勘違いの線はまず消えたと考えてもいい。
「行くか?」
「行くの?」
このような場で知り合いに出会うのは、あまり気の進む話ではない。だが、ここで会っておくのも、後々の話のネタにはなるであろうと判断。春馬は楓音を引き連れて、猿政建設の屋台へと向かう。
「ま、これは離しとこうか」
「そ、そうだね」
手を繋いでいる所を猿政に見られるのもはばかられ、手を離しておく。
「よぉ、大将。焼きそば二人前」
「うむ。焼きそば二人前じゃの? 分かり申した。って、新田殿と楓音殿ではないか」
やはり知り合いで、間違いなかったようである。
「デートかの?」
「デ、デ――」
何やら反論したそうな楓音に対し、春馬は軽く首を横に振る。
「いいや。近江や最上も一緒にいるんだが、2人は向こうで球速を計ってるとこ」
「あぁ、あそこのことじゃの。それで暇な2人は腹を満たしに来たと、そういうことじゃの?」
ほとんど完成していた焼きそばを、注文通り2人分とりわけながら話を理解。
「で、猿政はなにやってんの?」
「家業の手伝いじゃぞ」
「猿政建設が家業?」
「厳密には家業ではないみたいなのじゃが、高校にはバイトとして許可を取っておるぞ?」
正しくはバイトの位置づけになるのであろう。蛍が丘高校は家計の理由などがある場合を除き、バイトは禁止されている。いずれにせよ行う場合は許可申請が必要だが、そこのところはバッチリやっているようである。
「時給はいくら?」
「仕事内容にもよるが850円くらいかの? 今回は仕事外で、本当に『家業手伝い』の位置づけじゃが」
「意外といいのな」
さすが、蛍が丘地区の整備における一翼を担ったうえ、近年の公共工事増加の影響を受けている猿政建設。金払いはなかなかにいいようだ。
「無理してないか?」
「いやいや、わすの会社はブラック企業には程遠いぞい? 社長の口癖は『健康が一番の宝』じゃからな」
「社長って?」
「父親だの。祖父は引退したが、実質は祖父がトップだの」
「摂関政治みたいだな」
地理選択であるため、その例えには自信が無いのだが、中学における勉強の知識を生かした華麗な返し。
「さぁ、できたぞい。1個300円が2人前じゃが600円。けど、ここは500円でよかろうて」
「いいのかよ」
「うむ。親にも、知り合いに会ったら少しくらいの割引はしてやれと言われておるからの。健康もそうだが、友も宝だ。との」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて」
春馬は財布から500円玉を取り出して、猿政の手の上に置く。
「うむ。これはお釣り250円の要求かの? それとも?」
「2人分一括」
「ほぉ。気前がいいようだの」
楓音は「自分も出す」と言って250円を財布から取り出すが、春馬はそれを制する。
「親にも気前よく生きていけって言われているからな。友情は身を助けるって」
「なるほど。お互いに親から学んでおるのじゃの」
「だな」
問題なのがこのケース、2人とも金に関わっている点だが、彼らであれば『金の切れ目は縁の切れ目』にはなりえないだろう。そこのところはしっかり分かっている組み合わせである。
「ではの、新田殿。楓音殿。明日でいいから、焼きそばの感想を聞かせてほしいの」
「そうだな。じゃあ、明日くらいに」
「猿政くん。じゃあね」
気前のいい威圧感バッチリな大将から焼きそばを受け取り、用も済んだところで分かれようとしたが、
「猿政。ここの公園って、座れるところあったっけ?」
「あそこに飲食用のテーブルが……いっぱいみたいじゃの。それなら中央の池のほとりとかどうかの? たしかあそこにはベンチがあった気がするぞい?」
「分かった。ありがと」
「この程度、礼にはおよばぬ」
猿政に手を上げて礼を表しておいて、春馬と楓音は猿政の言っていた中央の池へ。
詳しくはないが、なんとなく場所を知っている春馬は、彼女の手を持ってその場所を目指す。徒歩2分強。並木道を抜けた先、開けた場所にあったのは、外周が500メートルを超える巨大な池。猿政の話通りそのほとりにはベンチがあり、いくつかは埋まっているものの、空きスペースも見受けられる。
適当な空きベンチを決めた2人は、そこで焼きそばを食べようと腰を掛けた。
遠くから聞こえる祭りの音や声。ただ、この周辺には屋台も出ておらず、イベントが行われているわけでもないため、かなり静か。春馬は前のめりになりながら、目の前の池を見つめる。
「昔はここも蛍がいたんだけどなぁ。最近だと見れなくなったなぁ」
「蛍?」
「うん。まだ蛍が丘に住宅街ができて浅かった頃、僕が小学校低学年の時くらいかな。このあたりは蛍が飛びまわっててね、よくお父さんに連れられて見に来てたな。それもここに人が集まり始めてからは見られなくなっちゃったけど」
やはり人が集まれば、そこにはごみ問題、騒音、排気ガスと言った環境問題が関わってくるのも仕方のない事。生まれていままで蛍が丘に住んでいた春馬としては、こうした環境の変化も少しさびしく感じる。
「蛍、かぁ。テレビでしか見たことないなぁ」
「小学校の先生が言うには、蛍が丘って言うのは、『蛍がたくさんいる丘』って意味で付けられたみたいなんだけど」
単純明快、ストレートな命名理由だ。
ただ蛍が丘に限らず、地名と言うのは得てしてそう言うもの。例えば野球部にもいる『近江』は滋賀県の旧国名だが、これは琵琶湖を意味する淡水の海、『あわうみ』が『おうみ』と訛って呼ばれたことに由来すると言われる。
「本当はまだ蛍がいる場所もあるんだけど、あそこは保護区に指定されて立ち入りできないからなぁ」
遠目をする春馬に、楓音がふと気付く。
「春馬くん。焼きそば、食べちゃお。冷めちゃうよ」
「そうだなぁ。なんか昔を思い出すって、僕も結構、歳とったよな。そりゃあ、父さんや母さんと比べたらそうでもないけど、それでももう16だもんな」
考えてみれば、高校生活もそろそろ折り返し。高校球児としての人生も、とっくに折り返し地点を回っている。歳を取れば時の流れが早くなるとは言うが、あの厳しかった死に霊の悪夢も、今となっては遠い過去の事だ。
「なんか、おじさんっぽいよ?」
「反論する気はないな。髭だって生えてるし」
「本当?」
「毎日剃ってるし、さほど伸びるペースが早くないから、周りは分からないだろうけど。きっと、みんなも髭生えてると思うよ。日野さんはこの前『ワイは髭のたくましい男になるで』とか良く分からん宣言をメールでしてきたし」
「ひ、日野さんが髭のたくましいって、明らかにあの人っぽくなっちゃうね」
日野のバッティングフォームはピッチャーから見れば、腕を時計の短針、バットを長針とすれば、9時5分を指しているように見える構え。それで左打ちなのだから、髭を生やせばそれは北海道あたりにいそうなスラッガーだ。
「しかもバットコントロール良好、長打力抜群って言うね。もうあの人だな。完全に意識してるだろ」
明日が試合だと言うのに、できれば対戦したくないという思いが湧き上がってくる。
「とは言っても、本当かどうかは分からないけど。世の中には三日坊主って言葉もあるし」
「そうだね。髭がたくましくなってないと祈るだけだね」
髭があれば打てるわけではないが、髭があると怖いのだ。そこは対戦する人間のメンタル的な要素である。
そろそろ食べようか。と春馬は焼きそばに手を出し始め、またそれに合わせて楓音も焼きそばを食べ始める。
「あ、美味い」
「だね。これは明日、猿政くんに伝えておかないと」
感想を聞かせてほしいと言われた手前、美味しかったのならそうと伝えておかないと大変である。なにせ猿政は意外と怖い男である。
「明日……試合、か」
「ほんとうに気が抜けないよね」
「次の試合は大野山南。その次は組み合わせからして天陽永禄が上がってくるし、その次は松江水産で確定的。なんで今年の夏は1回戦から激戦なんだろうな。誰だ、くじ引いた奴」
「近江ちゃん」
「なんだよなぁ。誰だよ。そいつに引かせたのは」
「それは春馬くんじゃない?」
春馬、頭を抱える。
「どこぞの誰かが『右腕は和を中心に運がある』とかくだらない事を言ってたけど、右投げの近江にはどう考えても運が無いだろ」
「強者を早い段階で潰せるのは運があるんじゃない?」
「むしろ潰されそうなんだけど」
ギリギリの戦いを演じた数日後には、甲子園出場候補との激突。これは地区予選と言っていいのだろうか。
「大丈夫じゃない?」
「その根拠は?」
「だって、みんなだって甲子園を目指して頑張ってきたもん。そりゃあ、練習時間は短いかもだけど、その代り、人一倍集中して、効率重視を目指して。だから、きっと大丈夫。やることはすべてやった。人事を尽くして天命を寝て待つ。だよ」
「いい事を言っている所悪いが、『人事を尽くして天命を待つ』と『果報は寝て待て』が一緒になってるぞ」
「あうぅぅ」
かっこつけた分、その反動でかっこ悪さが跳ね上がる。
「まぁまぁ」
彼女の頭に手を置き、軽く2度3度と撫でてやる。
「言いたいことは分かるし、その通りだよな」
言葉の間違いはあれど、内容としては何も間違ってはいない。むしろ正しい事を言ってはいるのだ。
「そうだよな。やることはしっかりやってたんだ。後は自分たちの力を信じるのみ。だよな、楓音」
「う、うん」
一緒にいるというだけで抑え込むのが難しい秘められた感情。それも、彼に撫でられ続けていると、もっと抑え込むのが難しくなってくる。どうしても耐えることができなかった。しかし彼女の自制心が、強引にそれを抑えにかかる。
「ねぇ、春馬くん……」
「なに?」
自分にもたれかかってくる楓音へ目を向ける。すると彼女は近江の様な上目づかい見上げてきていた。
「お母さんの話、覚えてる?」
「信英館戦の帰りにした話こと?」
「うん。春馬君は、私との記憶ってある?」
「ないなぁ。たしか、実家に住んでいたのって幼稚園に入る前だろ。さすがに物心付いてないなぁ」
春馬はひとまず焼きそばのパックを閉じて輪ゴムを掛け、自分の横に置いておく。
「そっかぁ。だよね」
「まさか、楓音はある。って言わないよな。さすがに物心付くの早すぎだろ」
「さすがに覚えてないよ。私も。けど……」
楓音は自然な流れで春馬のひざの上に寝転がる。
「覚えてる気がするんだぁ」
覚えてはいない。しかし『覚えている気』はする。
「まったく記憶が無いはずなのに、凄く懐かしいんだぁ」
「楓音のお母さんが言ってたように、本当に体が覚えているってとこか?」
「そうかも~」
猫のように頬を擦り付けながら、下から片目を開けて彼の顔を見上げる。
「ねぇ、ゆんま~」
「なぁに、のんのん」
ためしに呼び合ってみた2人。しかしすぐに首をかしげる。
「なんか、違和感しかないね」
「普段の呼び方と違うのはさすがにな」
やはり呼び方に関しては、懐かしさは感じないようである。
春馬はいつもの癖で、寝転がった楓音の頭を撫で始める。
このまま朝まで寝てしまいたい。そう思い始めた楓音であるが、フランスの作家・シャルル=ボードレール曰く、『女と猫は呼ばない時にやって来る』そうである。つまるところが、猫のような女は呼ばない時には特にやって来るのであろう。
「か~の~ん。私の春馬君を横取りするなぁぁぁぁ」
「待てぇぇぇ、近江ぃぃぃ」
どこで2人がここにいるのか嗅ぎつけたのか、的当ての賞品を片手に駆けてくる近江。その後ろには最上。浴衣姿で足の速い最上を置いていくとは、近江の潜在能力はまったく未知数である。
「お、帰ってきたか。意外に早かったな。最上、どうだった?」
「わざわざ聞くのか?」
「ダメだったか」
いうら野球バカとは言っても、弱肩の近江にスピードガンコンテストで上位に食い込む力はなかったようである。
「春馬君、春馬君、私も撫でて。ひざまくらして~」
「悪いな。焼きそば食わないと」
楓音を撫でるのをやめて、焼きそばを再び食べ始める。
「それなら私が食べてあげるから撫でて~」
「僕に利がないんだけど?」
近江があっさりと所用を終えて戻ってきたため、最上の気遣い空しく、わずかな時間しか2人きりになれなかった楓音。と、なると、やはり彼女の中には葛藤が起きる。
『(近江ちゃん。よくも邪魔してくれたね。本当にもう毎回毎回、どうしてそんなに……)』
と、主張するのは心の中の悪魔。
『(よかったんじゃないの? あまり行き過ぎちゃうと、自制心が本当に利かないし)』
先ほどの敗退から復活を果たした天使。
『(でも最上くんも言ってたよ。やっぱり後悔無いように――)』
『(ダメダメダメ。どっかで線引きはしないと)』
悪魔と天使が大論争。だが、今回の件で平和なのは、先ほどと違って決断が促されるわけではないこと。あくまでも自分の中で落ち着くか、落ち着かないかの問題だけだ。
そう思い悩む楓音と、春馬にじゃれつく近江。
そしてさりげなく春馬の焼きそばを奪い取り、食べながらほほえましそうに眺めるのは最上。
『(ほんと、試合前だって言うのに元気な事。これだけの元気があれば明日の試合は大丈夫そうだなぁ。最初は楓音のために連れてきただけだったけど、精神的な休息って意味でも連れてきてよかったぜ)』
最上は彼らを見つめながらも、しっかりと明日を見据える。
『(準備万端。なんとか明日は日野さんを抑え込まないと。今日以上に明日は、僕の右肩が重要になるな)』
これにて第4話終了です
うん、野球以外のネタが足りない!!
てか、練習シーンが足りない!!
次話は頑張ります




