第7話 関ヶ原決着
8回の裏の総合鈴征の攻撃。先頭の三藤が宣言通り、カウント0―2からのスライダーをレフト前に流し打ち。ノーアウト1塁とチャンスメイク。
『4番、キャッチャー、立花道雪君』
追いつきたい総合鈴征は、ここで主砲の立花道雪へ。
「さぁ、来い」
気合いを入れて右バッターボックスにて構える。
『(近江。ランナー無視で構わん。バッターが立花の状況で、1塁を空けるとは思えない。空けたで歩かせる)』
『(了解)』
春馬からランナー無視のサイン。続いてそれを元に近江がサインを送り、それに了承した春馬が投球モーションを始動させる。牽制もなく、ウエストする動きも見せない。
「ストライーク」
高めのストレートでストライク先行。あわやホームランの危ないコースではあったが、見逃してくれたのが助かった。
『(ちょっと危ないよ。今度は低めに沈ませる?)』
『(OK)』
1塁ランナーの三藤へは目もくれない。一方で三藤も、1塁は空けるわけにいかないと、プレッシャーをかけるリードこそするも、スタートを切る気配は見せない。
結局、春馬は1塁ランナーのプレッシャーを感じずに第2球。低めに落ちるジャイロボールを道雪はハーフスイング。
「スイング、スイング」
近江が1塁審へハーフスイング判定の要求をすると、審判の手が上がる。スイングを取り、カウントツーストライク。あっさりと追い込んだわけだが、だからと言って迂闊な投球はできない。
『(じゃあ次は……って、え? 春馬君からサイン?)』
『(ちょっと、これ、投げさせてくれ)』
『(い、いいけど……本当に?)』
近江はしぶしぶ納得しミットを構える。すると春馬はプレートに足を掛けず、握ったボールを前に突き出す。
「立花ぁ。よくもまぁ、さっきは犠牲フライ上げてくれたもんだ。僕の全力ストレート。打てるもんなら打ってみろや」
「君。私語はやめなさい」
「はい、すみませ~ん」
春馬らしからぬ挑発。その場にいたほぼ全員が目を丸くする中、近江だけはまったく動揺を見せなかった。彼がどのような行動を起こそうと、彼女のするべきことは、しっかりとボールを捕ることだけ。それに春馬の行動を理解しようとするのは、頭を使うようで嫌だからだ。
『(よ、予告ストレートだと。舐めやがって)』
狙いを絞り、次のボールを必ずスタンドに入れると気合を込める。
『(見知りおけい。これが僕の――)』
セットポジションから足を上げ、前に踏み出す。そして、
『(ベストピッチだってなぁぁぁ)』
右腕を振り下ろす。彼の投じた1球は、ストライゾーンど真ん中へ。
『(本当に投げやがった。これくらいなら、スタンドに)』
当たればスタンド間違いなしのフルスイング。
しかし快音は聞かれなかった。
「ストライクバッターアウト」
『(なっ、空振り?)』
振り返った道雪は、近江のミットに驚愕する。その位置は低め。それはつまり、
「春馬君。ナイスジャイロボール」
「だろ? 我ながら、いいスライダーだと思った」
予告ストレートは完全なハッタリ。挑発されて頭に血の上った道雪は判断を狂わされたが、最初からストレートと思わせてスライダーで三振を取るつもりだったのだ。
この道雪の三振で流れを断たれた総合鈴征。続く5、6を連続で抑え込まれ、この回を無得点で終える。
対する蛍が丘の9回表だが、打順は全員合わせて本日8打数ノーヒット4三振の7、8、9番。期待できるわけもなく、楓音が空振り三振。皆月がセンターフライ。最上は打つ気を見せず見逃し三振。こちらも無得点に終わる。
そして試合はラストイニング。
展開によっては、3年生にとって高校球児として最後になるであろう攻撃に向かう。
総合鈴征の1点先制で動いたこの試合。中盤に入り、4点を奪い蛍が丘高校が逆転。さらに春馬の犠牲フライで1点を追加し突き放すも、それを立花道雪の犠牲フライで1点を返す。するとさらに近江がソロで1点を奪い返す。
9回裏で6―2と4点差を追う状況。しかも打順は7番からの下位打線。
「みんな。ここまでよくやった」
「監督。そんな、ここで終わりみたいな言い方は……」
円陣を組んだ選手たちにやさしく声をかける監督。それに意見する様に声を上げた道雪だが、その前に座ったままの佐伯が手を出して制する。
「相手は仮にもセンバツ出場校。もう、逆転しろなんて言わない。だから、せめて1点。1点を返して、総合鈴征学院の最後の意地。見せてくれ」
「「「はい」」」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
『9回の裏。総合鈴征学院出雲共和高校の攻撃は、7番、レフト、田原君』
「よしこぉぉぉぉぉい」
気合いの入った声。しかしそこには悲壮感も存在する。
『(総合鈴征の3年生にとっては最後の夏かもしれない。けど、容赦はしない。僕らは、悪夢を背負って戦っているんだっ)』
「ストライーク」
アウトコースいっぱいから低めに沈むスライダー。これで空振りを奪いワンストライク。
『(こいつで、追い込むっ)』
「ファール」
2球目。アウトコース高めへのストレート。少しボール球であったが、これをバッターが当ててファールボール。
『(追い込んだ。春馬君。あと1つ。あと1つで先頭を切れる。慌てないで。コースを広く使っていこう)』
『(そうだな。焦りは禁物)』
アウトコースに外すボール球。最上の嫌いそうな明らかな遊び球だが、春馬にとっては一息つく上で有用な配球。相手にも一息つかせる間を与えることにもなるが、こうした緊迫した状況では、有利な春馬の方にメリットがある。それこそバッターにしてみれば、死刑執行の時間を無意味に伸ばされた感覚であろう。
ゆったりとしたモーションを始動。近江がアウトコースに大きく寄り、そしてミットをしっかり開いて構える。その遊ぶ気満々の第3球。
『(ん、少し内側)』
はっきりとしたボール球には違いないが、要求よりストライクゾーン寄り。いずれにせよこれで1―2と思いつつ、ミットを伸ばした近江。しかし、
『(打たれた)』
「サ、サードっ」
振り切らない当てたようなバッティング。バントに近いスイングから生まれた打球は、少し強めのサードゴロ。
「間に合う。1つ」
「任せるがよい」
素手でボールを掴んだ猿政。送球の邪魔にならないように春馬の退いたマウンド上。そこを通すように1塁送球。中途半端なバウンドになるも、これを寺越がなんなく捌いてアウト。その明らかなアウトにも関わらず、バッターは1塁へとヘッドスライディング。
「ワンアウト、ワンアウトぉぉぉぉ」
テンション上がる近江の声。それにより勝利が一歩近づいた事を実感する蛍が丘守備陣はより元気に、逆に敗北が一歩近づいた事を実感する総合鈴征は、なんとかしたいという気持ちが先攻してカラ元気に。
「頼んだぁぁ。なんとか繋いでくれぇぇぇぇ」
「せめて1点、1点だ」
「とにかく塁に出ろぉぉぉ」
既に泣いている者もいる3塁側ベンチ、総合鈴征学院。
『(やるぞ。近江。あと2つ。勝利まであと2つだ)』
『(……えっと、もうここは小細工なんていらないと思うよ。変に小細工して、歩かせちゃうのもバカバカしいし)』
ど真ん中に放るというわけではないが、むやみやたらとコーナーを突くような事はしない方向性の近江。彼女の考えに同調を示した春馬。
『(さぁ、決めるぞ)』
プレートに両足をかける。そこから左足を引き、振り上げ、踏み込み、体重を移行させながら右腕を振り下ろす。
「ストライーク」
1点すらも取らせない。それだけの意気感じるストレートが、アウトコースいっぱいに決まりワンストライク。
「ナイボール。その調子、その調子」
「どうも」
このペースなら大丈夫。春馬の調子も上がってきている。確信を得た近江は、スライダーの状況を探ろうと、そして新たに意識づけをさせるためにサインを送る。
『(OK)』
2球目。アウトコースに逃げるスライダーを放るが、これをバッターはハーフスイング。近江が1塁審にハーフスイングのジャッジを要求するも、ノースイングと取られ、平行カウント。さらに続く投球。ここまで外、外と続いているだけに内を要求。完全に裏をかく形となり、追い込んだと思ったバッテリー。ところが、
「ボール」
『(え? これがボール?)』
真顔の春馬とは対照的に、審判と向き合っているわけではない近江は、明らかに不満そうな顔を浮かべつつ投げ返す。
『(今の、今までならストライクって取っていたんだけどなぁ。もう少し内、いこう)』
『(あの審判。情でも移ったんじゃねぇの。こうなると終盤は、総合鈴征というよりは、審判との勝負だな)』
被害妄想である。
お互いに心の内で審判へ文句を言いながら、投じた4球目。
『(まずい。甘すぎっ)』
『(捕れるか?)』
打球は痛烈なセンター返し。これを春馬がいつもの打球反応で処理しにかかるが、わずかにグラブの先をかすめる。飛びついた最上の横を抜け、センター前へと転々。
「ランナー、出しちゃったか」
「ドンマイ。ドンマイ。春馬君。ゲッツーで終わらせよう」
1アウト1塁。だが、まだ考えようだ。次の打者をゲッツーにすれば、ラスト1人でもあるわけだし、仮にまぐれホームランがでても2点差。それほど切羽詰まった状態ではない。
『9番、ピッチャー、立花宗茂君』
総合鈴征学院は、9番の宗茂をそのまま打席へと送る。
『(たしか、前の打席はバントだったよね。この状況で代打を出さないってことは……)』
『(実はバッティングが上手いってことだろうな。もしくは――)』
打席に入るなりバントの構え。
『(バントが超絶的に上手いか。さしずめ、勝ちを捨てたか。あとは意地で1点だけでも取る所存ってか)』
すぐさま内野に指示を飛ばす。ここはバント以外はないと考え、内野バントシフト。もしここで強行策に出る力が宗茂にあるのなら、7回のあの場面で送りバントなんて策は打たなかっただろう。
『(ま、4点差を考えると、無理にシフトを敷く必要性もないのかもしれないけど)』
点差からしてランナーを動かしはしないだろうが、本当に総合鈴征が『たった1点』を奪う事を考えているのなら、その推測すらも怪しくなってくる。
しかし、とやかく考えていても仕方がない。セットポジションに入った春馬は、得意の牽制を1塁に放る。小さめのリードを取っていたはずのランナーだが、予想に反してタイミングは間一髪。これくらいしておけば、ちょこまか動き回るようなことはないだろう。
バントの構えの宗茂に対して初球。
「ボール」
様子見のため、外のスライダーでワンボール。コースを見てバットを引いた事からして、バスターではない。残る可能性は様子見か、もしくは本当にバントか。
『(さ、次、やらせよ)』
『(分かってる。次はしっかり入れる)』
高めのストレートを要求する近江は、春馬がセットポジションに入り、モーションを始動させるなり、中腰で高めにミットを構える。
『(内野陣。任せたぜっ)』
春馬の一投は、わずかに要求するコースより外に寄って、アウトコース高め。それを宗茂は真芯でバント。打球は転々とファースト真正面へ。
「ファースト。ボール1つ」
教科書通りのいいバント。1塁ランナーは刺せないと判断した近江が1塁への送球指示。寺越は一応、1塁ランナーの位置を確認してから、振り返って送球。1塁カバーに入った大崎が捕球しツーアウト。
「ツーアウトぉぉぉぉ」
打順はこれで1番へと回る。しかし4点差でランナーが2塁ながらツーアウト。完全に追い込んだ。
『(あと1つ。あと1つだよ。しっかり)』
こうした場面でも近江が冷静にサインを送る。春馬はサインに同意を示してから2塁ランナーの動きを確認するが、先ほどの1塁牽制を警戒してか、それほど大きくないリード。これなら仮に外野へヒットを打たれても、ランナーが帰ることはないだろう。
「ストライーク」
ランナーはいてもいないがごとし。楽な気持ちの春馬は落ち着いた投球を見せる。
初球はインコース低めいっぱいへのストレートでストライク。2球目は少し荒れて低めにワンバウンドするが、これを近江が腹で止めて前に落とし、ランナーは動けず。3球目、インのストレート詰まらせてファールボール。
『(あと1球。追い込んだよ)』
『(これで、終わらせる。次の相手は信英館学院)』
試合前に見た猛打。それが彼の脳裏によぎる。
『(アウトコース。外のジャイロで空振り三振。狙おう)』
『(分かった)』
迷いも雑念もない。狙うは2回戦のみ。今日一番の気合いを込めて放った、1番バッターへの4球目。
『(ナイス――え、ま、曲がらない)』
『(やべっ、力が入りすぎたっ)』
甘く入ったどころか、曲がらない。棒球をバッターは見逃すまいとスイング。確実にボールを捉えるが、打球は3塁線を転々とする。
「打ち取ったぁぁ」
「ゲームセットじゃの」
キャッチャー・近江とサード・猿政の確信。一方で春馬は、
「これはマズイ」
ピッチャー・キャッチャー・サードの三角地帯。誰が処理するか迷う最悪な打球。
『(これは――)』
振り返った。その先での動きに春馬は反応した。
「近江っ。ボール3つ」
鈍足の猿政は間に合わない。自身は角度的に処理が難しい。ならば任せるのは近江。そして、
『(2塁ランナー、スタートが悪い。1塁は間に合わないし、そっちを殺せっ)』
跳ねるボールを素手でキャッチ。流れるような動作で、3塁ベースカバーに入った最上へと送球。飛びつくような捕球と、殴りつけるようなタッチ。微妙なタイミングから生まれた雑なプレーの結果。
「セーフ、セーフ」
3塁審判の手が開く。
「や、やっちゃった……」
「うわっ。判断まずったか?」
落胆するバッテリー。
「いや、御両人。仕方ないであろう。バックスクリーンを見るがよい。ヒットと表示されておるぞ」
「ヒット、か。それはそれで厳しいな。向こうに流れが行ってる」
2番が右バッターボックスへ。ネクストには3番の三藤が、そしてベンチでは打撃準備中の立花道雪。
「う~ん。これは意外と、3点差でツーアウト満塁になるパターン?」
「どこの野球漫画だよ。つーか、近江。不吉な事を言うな」
審判に止められない程度の会話を交わして元の位置に戻る。
しかし近江とは不運を引き付ける力でもあるのだろうか。
「ボールフォアボール」
カウント2―1から、自信を持って投げた2球を両方ともボールと取られて、フォアボール。本当に審判が敵なのではないかと感じてしまうほどのジャッジで、ついにツーアウトランナー満塁。
『(おいおい、近江の奴、3点差でツーアウト満塁とか言ってたけど、このタイミングからして、明らかにその時のバッターは立花兄貴じゃねぇか)』
最後の最後で大ピンチ。1点だけでも取ってこい。そんな気持ちでラストイニングを始めた総合鈴征としては、1点どころか、同点および逆転サヨナラの可能性も広がる大チャンス。
『3番、セカンド、三藤君』
『(悪いけど新田君。蛍が丘にはここで沈んでもらう。次に繋げば、何かが起こる)』
嫌なバッターが続く打順。
『(春馬君。どうする?)』
『(ここで丸投げ? しゃあねぇな。じゃあ、初球はスライダーを入れよう。ボールじゃなくてストライク。押し出しは避けたい)』
『(了解)』
いかんせんここは勝負所。経験の少ない近江に代わり、リードの主導権は春馬へ。
プレートを踏んでのセットポジション。すべてのランナーが大なり小なり、各々のリードを取る。さらにバッターの三藤は春馬の顔を鋭い目で見続ける。
『(先輩。繋いでください。主砲の意地。見せてやります)』
さらにネクストの立花道雪も集中力を高める。
そんな中、投じた1球。
「ファ、ファール」
まさかの初球打ちは、サードのわずか左を抜くファールボール。
『(あっぶねぇ。三藤さん。流し打ち上手いなぁ。むしろインを攻めた方がいいか?)』
そもそも三藤は猿政や近江のようなスラッガーではなく、むしろ大崎や寺越タイプのリーディングヒッター。それも因幡のようにテクニックも持ち合わせている。裏を返せば、三藤に一発はない。
『(インコースのスライダー。あわよくば詰まらせてゲームセットにする)』
狙うは足元に落として空振り、もしくは内野ゴロ。ワンバウンドしても、そこはキャッチングの上手い近江。信用して投げ込むことができる。
『(三藤さん。すみません。先輩の夏は――)』
左足を踏み出す。
『(ここで終わりですっ)』
ボールの右側を切るように投げ出された、らせん回転の投球。そのボールは当初狙った通りのインコースいっぱいに向かい――
『(あっ……)』
『(や、やっちまったぁぁぁぁ)』
鋭く切れ込んだのち、三藤のひざへと直撃。それはつまり、
「デッドボール。テークワンベース」
「ふ、ははは。1点、1点取りましたよ。監督」
押し出しのデッドボール。それぞれランナーが次の塁へと進み、なすすべなく呆然とする蛍が丘守備陣の前で、3塁ランナーがゆっくりとホームベースを踏む。
『4番、キャッチャー、立花道雪君』
一発が出ればサヨナラの場面。迎えるは主砲の立花道雪。
「タイム、タイム」
近江がタイムを掛けてマウンドへ、内野陣もここはターニングポイントと集まってくる。
「春馬君。大丈夫?」
「大丈夫。今のはぶっちゃけ、三藤さんのせい」
「今の、避けるフリして避けてねぇもんな」
春馬の言い訳に同意を示す最上。
先ほどのデッドボール。紛れもなく当たるコースに投げたのは春馬だが、避けようと思えば避けられたコースなのは間違いない。むしろ避ける動作にかこつけて、当たりに行ったようにも見える。もちろん、彼らの被害妄想という余地もあるわけだが。
「そうだと思うけど、どうするの? ツーアウト満塁。3点差で4番。野球漫画だったら逆転サヨナラ満塁ホームラン間違いなし」
「不吉な事を言うな」
「ふにゃっ」
近江に拳骨を落とそうとしたが、ヘルメットを被っているのを思い出し、代わりにグローブで引っ叩く。
「ふにゅぅ。じゃあ、歩かせる?」
「歩かせれば2点差でツーアウト満塁。ワンヒット同点で、同点のランナーは三藤さん。リスクが高すぎる」
「勝負……か」
最上の不安そうな声が6人の間に伝わった。
余裕な試合展開が一転、天下分け目の関ヶ原と化した。
「春馬君。勝負、でしょ」
「そうなる」
「そっか。じゃあ、思い切っていこう。一度勝負って決めたら、あとは勝てると信じて投げ込むのみだよ。自信を持って、全力で投げてきて」
彼女は自分の胸を右手の拳で2度ほど叩く。
「どんな悪球でも体で止める。絶対にパスボールはしないから」
「そっか。じゃあ任せたぜ。近江」
むしろパスボールすれば、潔く敬遠できるとは言わない。せっかく彼女が作ったこの空気を、壊すわけにはいかないのだ。
「そうじゃの。せっかく新田殿が奮闘しておるのじゃ。じゃったら、ワスも体を張ってでもボールを止めねばならぬな」
「新田ぁぁ。正直、おめぇほどのショート守備はできん。だが、おめぇの守備を目指してやってやるよ」
「そうそう。僕も近江さんのセカンド守備には敵わないけど、なんとか止めるよ」
「よっしゃ。俺にも任せろ。みんな、自信を持って投げて来いよ。そうしたら俺がどんな悪送球でも止め――」
「よし。みんな。任せたぞぉぉぉ」
「「「任せろぉぉぉぉぉ」」」
「……最後まで言わせてほしかったなぁ」
不憫な寺越はさておき、集まっていた全員がグラウンドに散っていく。
近江がしゃがみこみ、審判へと振り返る。
「ありがとうございます。プレイ再開、お願いします」
「プレイ」
ツーアウト満塁からプレイ再開。
しゃがみこんだ近江を横目で確認した道雪は、視線をマウンドへと戻す。
『(蛍が丘なら満塁敬遠もあるかと思ったけど、ここは勝負見たい。なら――)』
バットを強く握りしめる。
『(一振りで決める)』
勝負。その雰囲気が球場に蔓延する。
「打てぇぇぇぇ、立花ぁぁぁぁ」
「兄貴ぃぃぃ。なんとか、なんとか頼んだぁぁぁ」
「俺たちの夏を、終わらせないでくれぇぇぇ」
3塁側ベンチ、そしてベンチ入りできなかったスタンドの選手たちからも声援が飛ぶ。さらにその上で、
「春馬ぁぁ。抑えこめぇぇぇ」
「美優。ちゃんと新田君を引っ張ってあげなさぁぁい」
無人のベンチに代わり、スタンドから声援を送る春馬の父、近江母。さらに試合前には会わなかったが、『必勝 蛍が丘高校』と書かれた旗を振っているのは、猿政の祖父。その横で声援を送る、ナインの保護者達。
「新田ぁぁぁ。せっかく俺らが応援に来てんだぁぁ。ぜってぇ、抑えろぉぉぉ」
「抑えたら、晩飯くらいはおごってやんぞぉぉぉ」
「いけぇぇぇ、新田ぁぁぁぁ」
そしてガラの悪そうな兄ちゃん、姉ちゃんたちも。
『(今まで気付かなかったけど、先輩たちなにやってんの? そりゃあ、今日は休日だけども)』
近江にサインを送ってプレートに両足を掛けた春馬。この場面、ランナーがスタートすることはない。ならばと、動きの大きなノーワインドアップモーション。
『(うらぁぁぁ、くたばれ。立花ぁぁぁぁぁ)』
「ストライーク」
ど真ん中よりやや低めに決まるストレート。球速は124キロと、なかなかにいい球がいっている。
『(近江。信じるぜっ)』
2球目。低く低く構えた近江のミット。そこをめがけてボールを放る。
『(さっきと同じ球。もらったぁぁぁぁ)』
会心打を確信してスイングする道雪。しかしバットにボールが当たることはなかった。
「ス、スライダー……あっ」
低めのスライダー。つまり暴投となったのではないか。そう思い振り返るが、
「ナイボー、ナイボー」
多いが腹をさすりながら、足元に転がるボールを、これ以上転がって行かないようにミットで抑え込んでいた。キャッチャーはプロテクターを付けているが、本当に腹でボールを受け止めたのだ。
「あと1球。あと1球だよ。春馬君」
「あぁ、あと1球だ」
近江からの返球を受け取る春馬。再びプレートに足を掛ける。
「頼む。俺たちの夏を、繋いでくれ。立花」
怪我で引いた佐伯。今まで座ったままで手を合わせ、神に祈るようにしていたが、足の痛みに耐えて立ち上がろうとする。
「せ、先輩」
倒れ込みそうになったところを宗茂に手を出されるが、その手を借りずに壁にもたれかかりながら立ち上がる。
「打てぇぇぇぇぇ。立花ぁぁぁぁぁ」
そして涙の混じる目を擦り、大きな声で叫んだ。
『(立花道雪。よくやった。だが、この関ヶ原の戦い――)』
逆襲を願う蛍が丘の春馬、先輩たちの夢を繋ごうと願う総合鈴征の道雪。
2人の思いが激突する。
『(蛍が丘の勝ちだぁぁぁぁ)』
右腕からはじき出されたボールは高めへ。
『(ストレート。入っている。ホームランコースっ)』
道雪もバットを振り下ろす。
そして……
「ストライクスリー、バッターアウト、ゲームセットっ」
空を切った。
『(ス、スライダー……)』
最後の最後で読み違え。高めから真ん中へと落ちるスライダー。それを空振りし、近江がしっかりと捕球。この瞬間を以て、勝負は決した。
「よっしゃあぁぁぁぁぁぁ。見たか。これが日野さん直伝、ジャイロボールだぁぁぁぁ」
「要はただのスライダーだけどな」
「いいんじゃん。勝てたんだし~」
普段は近江が言いそうなことを春馬が言い、春馬が言いそうな事を最上が言い、最上が言いそうなことを近江が言う。おかしな光景であるかどうかはともかく、マウンドに優勝したかのように選手が集まる。
一方で総合鈴征の3年生達はその場で泣き崩れる者、選手整列まではなんとか耐えようとしている者、先輩の威厳を最後まで見せようと明るくふるまうフリをする者。様々。
「みんな。整列するぞ」
勝利の余韻に浸る蛍が丘高校は、春馬の指示にいち早く選手整列へ。
「おい。何をしているんだ。最後くらい、最後くらいビシッと決めて来い」
総合鈴征も涙をこらえる監督の指示に、足を怪我した佐伯を除いて選手整列へ向かう。ところが、すぐには礼が行われなかった。
「審判。少し待ってください」
道雪が審判に時間をもらい、ベンチに戻る。そして、佐伯に肩を貸して選手整列へと出てくる。
「兄貴ぃ。こういうときくらい、弟を使ってくれって」
「ごめん。それじゃあ、左を任せていい?」
「はいはい」
立花兄弟に抱えられ、選手整列に加わる。これで蛍が丘高校9人、総合鈴征学院18人が揃う。
「では、蛍が丘高校対、総合鈴征学院大学附属出雲共和高校の試合は、6対3で蛍が丘高校の勝ちです。選手、礼」
「「「ありがとうございましたぁぁぁぁぁぁ」」」
蛍が丘高校1回戦突破。それと同時に、1試合目の石見高校に続き、総合鈴征学院の夏が幕を閉じた。
夏が終わらぬ者がいれば、夏が終わる者もいる。それが高校野球である。




