第39話 自分の首を持って来ました
「下へ行きます」
リウトガルトが窓枠から手を離した。止めても一人で行く顔だった。私は眠るハインリヒをアッタへ預け、彼女と階段を下りた。
王の陣の外縁では、槍を持つ者たちが細い道を空けている。その先で、リウドルフとコンラートが父王の足もとに伏していた。オットーはすぐには2人を立たせなかった。
「私が兵を集めました」
リウドルフが顔を土へ向けたまま言う。夏の日に焼けた首筋が見えた。
「罰するなら、私を」
父の靴より上を見ない。頬の土も払わない。
「お前一人で城は固まらぬ」
「私の名で来た者です」
声が一度かすれた。リウドルフは唾を飲み、言い直そうとはしない。
「なら、その者たちを渡せ」
オットーはコンラートも見た。娘婿から別の答えが出るのを待っている。リウドルフの指が土をつかんだ。隣でコンラートが顔を上げる。
「陛下。私どもを頼って来た者には、害を加えないと誓いました」
コンラートは膝をついたまま背を伸ばし、リウドルフより深く頭を下げた。言葉は退かなかった。
「王に背く誓いを、王に守れと言うのか」
「私どもの罪は受けます。地位も、財も、御心のままに。ですが、あの者たちに私どもは、先に門をくぐってくれと頼んだのです。いま私だけが戻れますか」
声は乱れない。ベレンガーの安全を請け合い、父王に3日待たされたあの日から、この男はこの答えを抱えて歩いてきたのだろう。
「陰謀に加わった者本人を渡せ」
「できません」
「互いに守ると誓ったのか」
「はい」
「私に誓った言葉より上か」
コンラートが初めて詰まった。リウドルフが顔を上げる。頬に土がついている。
「父上。私たちは、自分の首を持って来ました。ほかの者の首まで、私の物ではありません」
「では、その者たちのために戦を続けるのだな」
「父上も、その者たちを得るために続けるのでしょう」
美しい、と思いかけた。陣の後ろから負傷者の呻きが届く。王子の目がそちらへ動いた。オットーも聞いた。要求も、拒絶も、変わらなかった。
「立て」
オットーが言った。赦した声ではない。リウドルフとコンラートは立ち上がり、父王に背を向けないまま数歩下がった。和平は、その距離から先へ進まなかった。
*
「コンラート」
2人が列へ戻る前に、リウトガルトが夫の名を呼んだ。赤公の顔から、交渉者の固さが崩れた。彼は一歩出て、王側の槍が動くのを見て止まる。
「なぜ、ここへ」
コンラートは妻の姿を上から下まで見た。傷がないと確かめても、安堵を見せる余裕はない。
「父にも同じことを訊かれました」
「戻ってくれ。マインツへ」
「妻を連れて戻れば、皆があなたを信じるから」
「お前を、そばに置きたい。それでは足りないか」
返事があまりに早く、リウトガルトの顔が歪んだ。怒るために固めていたものが、一瞬だけほどける。
「なら、なぜ何も言わずに兵を集めたのです」
リウトガルトは夫の頬についた土を見た。拭うには、槍一本ぶん遠い。
「お前を巻き込みたくなかった」
コンラートの目が、彼女の背後の父王へ移った。そこなら安全だと思っていた目だ。
「もう巻き込まれています。父の娘で、反乱した公の妻です。どの門でも、私の顔を見れば誰につくのか訊かれる」
コンラートは槍の列越しに手を伸ばした。リウトガルトも近づき、指先だけを重ねる。
「仲間は置いていけない」
夫の指に力がこもる。引き寄せるには、互いの腕が足りなかった。
「私なら置いていけたのに」
指が強くなる。答えはなかった。リウトガルトは自分から手を離し、その手を胸の前で握った。
「生きて、もう一度答えてください」
声だけが震えた。涙は見せなかった。
「お前も」
2人の間に槍が戻った。
*
リウドルフは馬の手綱を取る前に、私の前で足を止めた。
「あなたの使いには会っていません」
「戻ってきました。途中で止められたそうです」
「聞きましょうか」
自分で言った。ハインリヒが生まれたこと。私はリウドルフの席を求めていないこと。
青年は笑わなかった。視線が、修道院の窓へ上がる。
「弟は父に似ていますか」
「口が」
「それは気の毒だ」
リウドルフは鼻から短く息を出した。私も笑いかけて、続かなかった。弟を挟んで、この人は父と戦っている最中だった。
「あなたが望んでいないことは、信じます」
「それでも、父王が幼子に王国を与えると思った」
「私も、父がそうするかもしれないと思った。それで人は動きます」
喉の奥が塩辛くなった。
「私は、あなたを追い出した証にされたくありません」
「私も、あなたの潔白を示すために降りる気はありません」
青年の袖には、土がこびりついていた。彼はそれを払わず、私の返事を待っていた。
「次に会う時も、面と向かって」
「生きていれば」
リウドルフは馬に乗った。冗談のように言ったのに、誰も笑わなかった。
*
それからの日々、道が変わった。修道院の門前を、南から来る荷と人が過ぎていく。売りに来る者は減り、逃げてきた者が増えた。私は門の内側に立って、荷の軽さと旅支度の半端さを見ていた。
「客間に寝台を2つ。湯と、子どもの食べられるものを」
「どなたが来るのです」
アッタが訊いた。
「名前はまだ。女と子どもが来るかもしれません」
「バイエルンから来る顔が、日ごとに増えております」
「ええ」
アッタは眉を上げ、それ以上は訊かずに湯を沸かした。
数日後、王弟ハインリヒの妃ユーディトが、娘と幼い息子を連れて門前に立った。供は少なく、荷車もない。男の子の上着は片袖が裂け、母の胸元から白い腕がのぞいている。
整えてあった客間に通した。アッタが沸かしておいた湯を運ぶと、娘は母の顔を見てから杯を取った。自分では飲まず、幼い弟の口に先に傾ける。ユーディトは止めなかった。
「湯が、もう沸いているのですね」
ユーディトは部屋を見回して言った。
「来ると、聞いていらしたのですか」
「いいえ。どなたが来ても、入れるようにしていました」
ユーディトはそれ以上訊かず、湯より先に告げた。声は震えていない。
「レーゲンスブルクは、リウドルフ王子の手に落ちました。夫の財宝は、王子に従う者へ配られました。私と子どもたち、夫の友は、市の外へ出されました」
椅子を勧めた。ユーディトは座らず、部屋にいたリウトガルトを見る。
「あなたの兄君は、従った仲間を父王に渡せなかったそうですね」
リウトガルトの唇から色が失せた。目は逸らさない。
「はい」
「その仲間に与えるためなら、叔父の家から妻と子を出せたのですね」
リウトガルトは答えなかった。男の子が上着の破れた所へ指を入れた。母が止めるまで、ほつれた糸を引っ張っていた。
「書いてください」
私は言った。ユーディトが振り向く。
「何をです」
「持って来られなかった物を。戻った時に、捜せるように」
「戻れるとお思いですか」
「戻ってほしいのです」
ユーディトはしばらく私を見た。それから、息子の袖のほつれを内側へ折った。
「木椀を一つ。縁に、浅い線が二本あります。この子は、いつもそれで食べていました」
板に、その1行を書いた。夜のうちに、板は両面が埋まった。ユーディトは一度も声を高くしなかった。
息子を寝かせると、娘も同じ寝台の端へ横になった。母が立ち上がるたび、目を開けた。
「王妃さま。これを、王子に読ませてくださいますか。私の口からでは、聞かれません」
「読ませます。次に会った時に」
「次が、あるとよいですね」
史実メモ:ウィドゥキントは、マインツ包囲後、王前へ伏したリウドルフと赤公コンラートが自分たちへの処罰を受ける姿勢を示す一方、相互誓約した者の引き渡しを拒んだと描きます。会談の逐語会話、アーデルハイトとリウトガルトの立会い、夫妻の別れは創作です。




