第76話 継ぐしかありません
朝、私は辺境伯家の毛織を台に広げた。
六種の見本裂のうち、二番目に重いものを選んである。外套の地だ。北から届いた本反は、先月のうちに宮内府の庫へ入っていた。
試し継ぎをする。外套の裾の内側に、銀鼠と同じ絹を三寸だけ入れる。歩いたときに、下の一着と上の外套のあいだで色が切れないようにするためだ。
毛織と絹は、縮み方が違う。湿れば毛織が先に縮む。縮んだほうが引っ張るから、継ぎ目が波打つ。
だから、いきなり本番には入れない。端切れで一度継いで、湿して、乾かして、どのくらい動くかを見る。
昨夜、湿して吊るしておいた。
朝、見た。
一分八厘、毛織側が縮んでいた。
*
私は帳面に数を書いた。
一分八厘。この分だけ、絹側をあらかじめ長く取る。長く取って、縫うときに送り込む。送り込んだ分は、乾いたときに毛織が縮んで、ちょうど揃う。
計算どおりにいくことは、半分もない。縮みは、布の部位でも違う。耳に近いところは縮みにくく、中ほどはよく縮む。同じ反物でも、端と真ん中で一厘変わる。
だから、もう一枚継いで、もう一度湿す。二枚の数が近ければ、その数を使う。離れていれば、三枚目を継ぐ。
祖母のノートには、毛織と絹の継ぎの頁がない。祖母の手が届く範囲に、毛織の晴れ着が無かったからだ。無い頁は、自分で書き足すしかない。
私が二枚目を裁っているあいだ、部屋は静かだった。
コリンヌが敷物を、アネットが洗い張りを、ポレットが稽古の一着を進めていた。誰も何も言わなかった。昨夜、局長が帰っていったときの階段の音を、たぶん全員が聞いていた。
*
昼前に、儀典方から書役が来た。
「頭殿。照会でございます」
照会。下命ではない。宮廷修繕方は御婚礼の支度の外にいるから、命じることができない。訊くことしかできない。
書き付けは短かった。
御婚礼の御衣装の生地、南の絹、白。工房より、発注の反数にて裁ち合わせ立たずとの申し出あり。修繕方の見立てを伺いたし。
「反数は」
「七反にございます」
「工房の見立てでは、いくつ要ると」
「八反と」
私は、数を頭の中で置いた。
王女殿下の御衣装一式。身頃、袖、衿、上着、裾の引き。南の絹は幅が狭い。王都の絹より二寸狭く織る。その二寸が、八反と七反の差だ。
「追加は、いつ入りますか」
「南へ手配すれば、三月と」
「三月」
「ただ」
書役が、言いにくそうに続けた。
「同じ釜のものは、もう無いそうでございます」
*
南の絹は、染めない。
白のまま織って、白のまま使う。染めれば色で揃えられるが、染めないものは揃えられない。糸の年と、釜の湯と、その日の天気が、そのまま白の底に出る。
並べれば分かる。一反と一反を並べて、日にかざせば、片方がわずかに青く、片方がわずかに黄色い。
一着の中でそれをやれば、必ず見える。
「別の釜の白を混ぜれば、どうなりますか」
「工房は、混ぜられぬと」
「私も、混ぜられぬと思います」
「では、どうなりますか」
書役が訊いた。私に訊くために来たのだから、当然だった。私は、答える前に、一度だけ帳面を閉じた。
「裁ち合わせを詰めれば、七反で立つかもしれません。引きの丈を五寸詰めて、袖の裏を別布にすれば。……ですが、それは御衣装の格を落とします」
「はい」
「格を落とさずに七反で立てるなら、方法は一つです」
「伺います」
「継ぐしかありません」
書役は、少し黙った。
「継ぐ、と申されますと」
「足りない分を、別の白で補います。ただし表には出しません。裾の引きの、内側の見えない面に回します。表に出る面は、すべて同じ釜の白で揃えます」
「……それは」
「継ぎです」
私は言った。
「継ぎは、直しの手です」
書役は書き付けをもう一度読んで、それから顔を上げた。
「婚礼令、九条にございますな」
「はい」
「御婚礼の御衣装に、直しの手を入れたるものを用ふべからず」
「はい」
「……頭殿。それでは、できぬということでございますか」
私は答えなかった。
答えられなかったのではない。答えると、それは私の見立てになる。私の見立てとして「できません」と返せば、支度は止まる。止まったあとに誰かが決める。決めるのは儀典方でも工房でもなく、たぶん、誰でもない。
「見立てとして、書いてお出しします」
私はそれだけ言った。
「継げば立ちます。継がなければ、格を落とすか、三月待つか、白が揃わないかのいずれかです。……そのうえで、どれを選ぶかは、私の領分ではございません」
*
書役が下りていったあと、ポレットが台の向こうから顔を出した。
「頭」
「はい」
「新しく作るのに、直さないと作れないんですか」
私は、その言い方に、しばらく黙った。
この子は、条の名も、反数の勘定も知らない。知らないまま、いま起きていることを一行にした。
「……そうなります」
「変ですね」
「はい」
「変って言っちゃ駄目ですか」
「いいえ」
私は毛織の二枚目を裁ち終えて、水に通した。
水に通した毛織は重い。絞ると形が崩れるので、絞らずに、板の上で押して水を抜く。押すのも、上から真下へ押す。横へずらすと目が歪む。
抜いたら、糸を張って吊るす。吊るすときに洗濯挟みを使うと、挟んだところだけが伸びる。端を細い糸で縫い留めて、その糸ごと吊るす。手間はかかるが、跡が残らない。
変だ、と私も思った。思ったが、それを言うのは私の領分ではない。
*
夕方、式典局の書役が通りかかった。
「局長は」
「南の庫でございます。夕刻まで」
私は、それ以上訊かなかった。
昨夜のことは、まだ何も片付いていない。片付けるつもりがないわけではない。ただ、片付け方が分からなかった。
私は正しいことを言われて、納得しなかった。納得しない、と本人に言った。言ったあとで、では自分はどうするのか、を持っていない。
持たないまま行けば、また同じ夜になる。
*
日が落ちてから、私は台を片付けた。
吊るした二枚目は、明日の朝に見る。数が近ければ、それで本番に入れる。一つずつしか進まないが、一つずつなら進む。
そのとき、階段の下からポレットが上がってきた。手に、書状を一通持っている。
「頭。お手紙です。あの、宮の外から」
「城下ですか」
「いえ。もっと遠いです。……男爵領って、書いてあります」
私は受け取った。
封蝋に、見覚えのある家の印があった。
ブライト男爵家。
濡れた毛織から、水が一滴、床に落ちる音がした。
お読みいただきありがとうございます。
新しく作るのに、直さないと作れない。条の名も反数の勘定も知らない子が、それを一行にしました。
次話——男爵領から、書状が一通。
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