第7話 台帳と現物
翌日、衣装室の一室で聞き取りが開かれた。聞き取り、という名の、答えの決まった問答だった。
「見習いは、どの紛失の日にも庫に出入りしております。これは管理簿の示す、動かぬ事実です」
ロベールは管理簿を、聖典のように恭しくめくった。座を仕切るのは筆頭のマダム・ジョゼット。針子の代表が二人、壁際に控えている。私はポレットの預かり役として、末席にいた。
「発言を、よろしいでしょうか」
「……手短に」マダムが言う。
「出入りの記録は、盗みの記録ではありません。雑用係の名が多く残るのは、雑用係だからです。厨房の記録を検めれば、一番多く残るのは料理人の名前です」
壁際で、小さく息の漏れる音がした。笑いだったのかもしれない。ロベールは笑わなかった。
「……お直し係どの。あなたは、庭師が薔薇を語るのに口を挟みますか。管理簿は資材方の領分。お直し係風情が口を出す場所ではない」
「風情、で結構です。ですが、預かっている者の話ですので」
「預かっている者の話は、終わりました」
ロベールは管理簿を、音を立てて閉じた。閉じる音まで慇懃な男だった。それから筆頭に向き直る。
「マダム。宮内府の監査など入れば、衣装室ぐるみの恥です。その前に、内々に処分をお決めになるのが賢明かと」
「……次席。あなたは昨日、手順は大事だと言いませんでしたか」
マダムの声は、平らだった。ロベールは一拍遅れて、深々と頭を下げた。
「仰る通りで、ございます」
下げた頭の下で、この人は今、何を数え直しているのだろう。私はそれを、考えないことにした。考える代わりに、確かめられることを確かめる。針仕事と同じだ。
*
お直し部屋に戻って、私は自分の帳面を、最初の頁から開いた。
品目、傷みの具合、施した始末、使った糸と布、請求の額。この部屋で受けた仕事の全部がここにある。直した衣装の寸法も、布の用尺——一着を仕立てるのに要る布の量——も書き留めてある。癖のようなものだ。祖母が、そうしていたから。
「リディアさま、それ、読んでて楽しいですか」
「楽しくはありません。……ただ、帳面と現物は、揃っていないと気持ちが悪いんです」
言いながら、手が止まった。
帳面と、現物。
私は頁を繰り戻した。半月前に直した、東翼詰めの女官のお仕着せ。裾のほつれ、絎け直し、当て布に羅紗——目の詰んだ毛織物だ——の共布を物品庫から一尺。あのとき私は、払い出しの台帳を横から見ている。あの冬のお仕着せは十二着仕立てで、羅紗を三反、使い切ったと記されていた。
三反。
私は帳面のお仕着せの寸法を確かめて、爪の先で用尺を積んだ。身頃、袖、襟、裾の折り返し。目一杯に見積もっても、答えは動かない。
「ポレット。冬のお仕着せ、一着で布はどれくらい要ると思いますか」
「えっと。身頃で、幅いっぱいの丈がふたつ。袖でひとつ。襟と隠しは、端の余りで足りて……」ポレットの指が、宙で布を裁っていく。「一反あれば、六着はいけます。詰めて裁てば、七着」
「私の見積もりも六着です。では、十二着なら」
「二反……あれ?」
「ええ。——三反目は、どこへ行ったんでしょうね」
三反は、多い。まるまる一反、多い。
書き損じだろうか。そうかもしれない。けれど、絹が二反、銀糸が一箱、ボタンが三十粒。棚から品が消えるのは派手な盗みだ。「使い切った」の一筆で品を消すのは、静かな盗みだ。静かな盗みがずっと続けられる場所で、緞子の一件だけが、なぜあんなに派手だったのだろう。
……何かを、急いでいたのだろうか。
私は紙を一枚取って、写しを作りはじめた。左の列に管理簿の言い分、右の列に私の帳面と用尺の見積もり。台帳と、現物。二つの列の間に空いた隙間の分だけ、どこかで誰かの荷が重くなっている。
*
物品庫の台の上に、私は帳面を開いて置いた。お仕着せの頁だ。
ゴットフリートは白い眉の下から帳面を見て、私を見て、また帳面を見た。長い沈黙だった。
「……羅紗三反の払い出しは、わしが書いた。次席の指図書の、通りにな」
「指図書の通りに」
「庫番は、指図書と現物を合わせる。指図書と、仕立て上がりまでは——合わせられん」
合わせられないところに、差が棲む。老人はそれだけ言うと、奥へ入っていった。戻ってきた手には、鍵の束と燭台があった。
庫の一番奥。埃をかぶった棚を、ゴットフリートは無言で指した。古い綴じ帳が、年の順に並んでいる。納入記録の控え——商人から品が入ったときの、庫側の書き付けだ。表の管理簿が何と言おうと、入った物は、入った通りにここに書いてある。
「三十年ぶんだ」
老人は燭台を台に置いて、それきり口を利かなかった。けれど、退がりもしなかった。私が最初の一冊を開くあいだ、灯りの届くところに、ずっと立っていた。
今年の分から繰っていく。入った反物の一本一本に、幅と丈と値、耳の色まで書き込んである。表の管理簿よりずっと細かく、ずっと正直な字だった。
「……写しを取らせてください。終わったら、必ず元の場所へ」
老人は頷きもしなかった。ただ、燭台の芯を指の先で立てた。灯りが、ひとまわり明るくなった。
*
その日の夕方、預かっていた依頼を一件、お返しした。古い絹の肩掛け。虫に食われて、地の糸が方々で切れていた。
「かけ接ぎ——共布から糸を抜いて、織り目を編み直す繕いです——も考えました。ですが、布そのものが寿命です。針を入れれば、入れた場所から裂けます」
「……そう。祖母の物だったのだけれど」
「形を変えるなら、お力になれます。傷んでいないところを活かして、匂い袋か、櫛入れに」
依頼主の侍女は少し泣いて、では、それを、と言った。直せない物は、ある。直せませんと言うのも、この仕事のうちだ。
*
燭台に火を入れる頃、扉が控えめに叩かれた。
立っていたのは近衛の隊士——式典外套の、あの人だった。
「夜分にすまん。ギヨムだ。……いや、そういえば名乗ってなかったなと思って」
「お直し部屋のリディアです」
「知ってる」ギヨムは声を落とした。「妹が城下に嫁いでるんだが、先の休みに古着市で外套を買ったそうだ。それがどうも、新しすぎる。仕立て下ろしなんだ。古着市に、仕立て下ろしの上物が、束になって出るんだと」
「……その外套、こちらで拝見できますか。お代は、お支払いします」
「明後日、非番だ。買ってくる」
ギヨムはそこで、言葉を選ぶように顎を掻いた。
「あんたのとこの見習いの話は聞いた。うちの隊じゃ、誰も信じちゃいない。あの子は、俺が釦を落としたとき、廊下の端まで拾って追いかけてきた子だ」
扉が閉まって、私は帳面の新しい頁に、今日わかったことを書き付けた。それから、夜なべの繕いを引き寄せて、糸を継ぐ。
数字は嘘をつく。縫い目は、つかない。
結び玉を作って、余りの糸を小鋏で払う。ぱちん、と小さな音がした。
お読みいただきありがとうございます。
台帳の上の「静かな盗み」に、記録癖が引っ掛かりました。無言の老庫番がいい仕事をしています。
次話、古着市から届く「新品」を燭台の下で読みます。縫い目は、針子の筆跡です。
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