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第67話 条文には、情がない

 見本裂は、御裁定より先に届いた。


 北のフェルダン辺境伯家から、婚礼の支度の打ち合わせに、と送られてきたものだ。桐の箱に、六種の裂が並べて留めてあった。


 どれも毛織だった。


 私は一枚を指で摘んで、光にかざした。目が詰んでいる。縦にも横にもほとんど透けない。裏を返すと、毛足が短く刈り揃えてあった。


「厚いですね」


 ポレットが横から触って言った。


「これ、冬の外套の生地じゃないですか」


「北では、これが晴れ着の地です」


「晴れ着」


「北は、婚礼の日に雪が降ります。降っても立っていられるものでないと、晴れ着になりません」


 私は六枚を台に並べて、順に重さを量った。いちばん軽いもので、王都の礼装の絹の三倍ある。


 端を少しだけ裁ってみた。鋏の入り方が絹とまるで違う。絹は刃が滑るように入るが、この毛織は刃が布を噛んでから進む。裁ち口に毛が立って、そのままでは縫い代が厚くなりすぎる。


 縫うなら、縫い代を割って、割った上から押さえる。折り伏せにすると、そこだけ厚みが三枚分になって、外から筋が浮く。


 織り目も見た。経も緯も同じ太さで、目が真四角に近い。歪みにくい織り方だ。北で四代も五代も着継がれる衣装は、たぶんこういう織でできている。


 それを知ったうえで、なお、絹の下に敷けない。


    *


 銀鼠を横に置いて、見本裂を当ててみた。


 合わなかった。


 合わないのは色ではない。色は、むしろ近い。合わないのは落ち方だった。絹は身体に沿って落ちる。毛織は落ちずに立つ。二つを重ねると、下の絹が上の毛織に引かれて、線が死ぬ。


「頭、これ、上に着るやつには使えないんですか」


「使えません。重ねると、下の一着が潰れます」


「じゃあ、どうするんですか」


「上着は絹で作って、その上に、辺境伯家の毛織の外套を別に羽織っていただきます。重ねずに、順に着ていただく形です」


 私は帳面に三段の図を描いた。銀鼠の一着、同じ地の上着、北の外套。


 外套の丈は、下の一着より二寸短く取る。長いほうを上に着ると、下の裾が隠れて、色が一つしか見えなくなる。二寸短ければ、歩くたびに下の銀鼠が覗く。


 北の毛織は、袖ぐりを深めに取らないと腕が上がらない。深く取った分、脇の下に隙ができる。隙は、内側に共布の襠を入れて塞ぐ。


 描いてから、しばらくそれを見ていた。いい形だった。北と王都が、無理をせずに一つの支度に収まっている。


    *


 御裁定は、三日目の昼に下りた。書役が持ってきた紙は一枚で、文は四行しかなかった。


 御婚礼の御衣装は新調に限る。旧衣に直しの手を入れて用ふることは、婚礼令九条により、これを許さず。御願い出の趣、了とすべき事情は認むるも、条に照らし、許すこと能はず。


 最後の一行だけが、少しだけ長かった。


 了とすべき事情は認むるも。


 ベルナール殿は、書かなくてもよかったはずのこの一行を、書いた。


    *


 西離宮へは、その日の夕方に伺った。


 呼ばれたのではない。私が申し出た。修繕方の頭として、御裁定を受けての支度の見直しを申し上げたい、という名目にした。


 小間に通されると、殿下は窓の下の椅子に座っておられた。


 銀鼠は、衣桁に掛かったままだった。私が脇を出して、裾を裁ち替えて、丈を三寸出した一着だ。あと残っているのは、上に重ねる一枚だけだった。


「読んだわ」


 殿下が仰った。


「四行しかないのね」


「はい」


「わたくし、もっと長い文が来るのだと思っていたの。断るのですもの。理由を、たくさん書いてくるのだと」


「……はい」


「四行で足りるのね」


    *


 私は、御裁定の紙をどう申し上げるか、道々ずっと考えていた。


 銀鼠は使えません、と言わなければならない。そのうえで、新しく仕立てる案を三つ用意してきた。帳面に図も描いてきた。


 口を開こうとしたとき、殿下が先に仰った。


「ねえ、お直し係」


「はい」


「わたくし、我儘だったかしら」


「いいえ」


「でも、通らなかった」


「条文には、情がございません」


 殿下は、そこで少し笑おうとして、うまくいかなかった。


「そうね」


 それから、殿下は黙られた。


 窓の外を見ておられるのでもなく、衣桁を見ておられるのでもなかった。膝の上で手を重ねて、ただ黙っておられた。


 私は、この方が人前で黙るのを、初めて見た。


 建国祭の前夜、新調の御衣装が破綻したときも、この方は黙らなかった。「わたくし、太ったのかしら」と仰って、その場の空気を先にほぐしてしまわれた。大礼の日も、拝賀の日も、いつも何かを仰った。


 仰ることで、周りの人間が困らないようにしておられたのだと、私はその日、初めて分かった。


 黙るというのは、その気遣いをやめるということだった。私は、帳面を開かなかった。


    *


 どれくらい経ったか、殿下が口を開かれた。


「支度は、進めてちょうだい」


「はい」


「新しく作るのでしょう。急がないといけないわ」


「一年ございます」


「そうね。一年あるのだったわね」


 殿下は立ち上がって、衣桁のほうへ歩いていかれた。銀鼠の袖に、手を触れられた。この前と同じ場所だった。


「これは、どうなるの」


「お直しの手は、入っております。ですが、御婚礼には用いられません」


「では、これは、何のために直したのかしら」


 私は答えられなかった。


    *


 宮へ戻ってから、私は銀鼠を仕舞わなかった。


 衣桁に掛けたまま、白布をかけて、部屋の隅に置いた。仕舞ってしまうと、次に出すときに理由が要る。理由が要るものは、だんだん出されなくなる。


 その夜、私は溜まっていた繕い物を三点片付けた。


 女官の袖口。近衛の帯革の縫い返し。厨方の前掛けの紐。どれも四半刻で済む仕事で、どれも急ぎではなかった。急ぎでない仕事を選んだのは、手を動かしたかったからだ。


 手を動かしていると、考えがまとまるときと、考えが止まるときがある。その夜は止まった。針目だけが進んで、頭が動かなかった。


 片付け終えたころ、ポレットが階段を上がってきて、白布の上から一度だけ触っていった。


「頭」


「はい」


「城下のおばあさんとこ、行きませんか」


「どうしてですか」


「あの、あたし、婚礼の直しって、城下じゃ普通にやってるもんだと思ってたんです。でも、この前ギヨムさんが変なこと言ってて」


 ポレットは、言いにくそうに続けた。


「婚礼の直しは、どこも請けてないって」


 私は針を置いた。


 置いた針が、針山の腹に落ちる音がした。

お読みいただきありがとうございます。

仰ることで、周りの人間が困らないようにしておられた——黙って初めて、それが分かりました。


次話——城下では、婚礼の直しを請けていないそうです。


「これは、何のために直したのかしら」に答えられなかった方。ブックマーク・評価で応援いただけると、励みになります。

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