第63話 合わない寸法
「あんた、頭になったんだろ。こういうのは、もう下の子に回すもんじゃないのか」
ギヨムが裁ち台に外套を置きながら言った。近衛の黒だ。表はまだ十分に使える。裏が、肩から袖にかけて裂けていた。
「頭は、頭の仕事しかしてはいけない決まりもありません」
「屁理屈だな」
「あなたの隊長の言葉を借りるなら、仕事に貴賤はないのだそうです」
ギヨムが、うっ、という顔をした。
私は外套をひっくり返した。裏地は薄い絹で、肩のところが横一文字に裂けている。裂け目の縁が毛羽立っていた。引っかけた裂き方ではない。
「これは、擦り切れたのではありませんね」
「分かるのか」
「引っ張られて、糸が伸びて、限界のところで一度に裂けています。……腕を、上げましたか」
ギヨムが妙な間を置いた。
「……上げた」
「よく上げましたか」
「三月ばかり、毎日な」
「腕を上げる稽古を始められたのでしたら、裏はもう一寸出しておきます。同じところが、また裂けます」
「待て。何で稽古だって分かる」
「裂け方が左右で同じだからです。片方だけなら事故です。両方が同じ形に裂けているなら、毎日、同じ動きをしています」
ギヨムは自分の外套を見下ろして、それから私を見た。
「……あんた、そういうとこ、変わらないな」
「変わらないほうが、都合がよろしいかと」
「そりゃそうだ。変わられたら、俺が困る」
ギヨムは外套を置いて、戸口で一度振り返った。
「妹がな、城下で店を開け直した婆さんのとこに、手伝いに行ってる。直しの位ってのが付いてから、仕事が戻ってきたんだと」
「そうですか」
「あんたがやったことだって、言ってたぞ」
「組合が決めたことです」
「そう言うと思った」
ギヨムは笑って、階段を下りていった。
*
裏の直しは、表よりも手間がかかる。
まず外套を裏返して、袖から裏地を外す。縫い目を一本ずつほどいて、外した裏地を一枚の平らな形に戻す。裂けたところに当てを入れるのではなく、肩の縫い代を出し直して、動く幅そのものを増やす。
当てを入れるのは、一番簡単で、一番すぐにまた裂ける直し方だ。
「頭、これ、二日かかりませんか」
コリンヌが横で言った。
「かかります。でも、次の裂け目が来なくなります」
「近衛の方は、待ってくださるでしょうか」
「待たなければ、また持ってこられるだけです」
私はほどきにかかった。裏地の縫い目は表より細かい。表は人が見るから丁寧に縫うが、裏は動くから丈夫に縫う。丈夫に縫ったものをほどくのは、丁寧に縫ったものをほどくより、ずっと時間がかかる。
目打ちの先を一目に入れて、糸だけを掬って切る。生地を傷つけると、そこが次の裂け目になる。切った糸は台の端の小皿にためていった。皿が半分埋まったころ、袖が胴から外れた。
外した裏地を台に伸ばして、肩の縫い代を測った。五分しかない。これを三分まで削って、削った分だけ袖付けの位置を外へ出す。出せるのは二分。
二分では足りない。足りない分は、袖の下に小さな襠を入れて補う。三角の布を一枚、脇の下へ差し込む形だ。見えない場所だから、色が多少違っても構わない。
私は端切れの籠から、近い黒を一枚選んだ。
*
畳紙は、部屋の隅の棚に置いてあった。
十日、そこに置いたままだった。開けていなかったわけではない。毎晩、燭台を消す前に、一度だけ開けて、また閉じていた。
この十日、局長は式典局に詰めている。夏の拝賀の割り振りが終わるまでは、夜もあちらに灯りがある。日取りの話をしたきり、婚礼衣装の話は、どちらからも出していない。
その夜は、外套の肩を出し終えたあとだった。手が空いた。針箱を片付けて、灯りを一つ残して、私は棚から畳紙を下ろした。
台の上に広げた。身頃の前身が二枚。後ろ身が一枚。袖が二枚。衿。どれも三十年前のままだ。
私は前身を一枚、手に取った。
肩に当てた。
*
合わなかった。
肩が、余った。
私は一度布を下ろして、台の上で平らにして、もう一度当てた。同じだった。肩の線が、私の肩先より外へ出る。二寸近い。
丈は、逆に足りない。
私は床に立ったまま、身頃を胸の前に垂らした。裾が膝の少し上で終わった。婚礼の丈にはならない。足りないのは三寸か、四寸か。
背が低くて、肩幅が広い人の寸法だった。
当てただけでは当てにならない。私は紐尺を取ってきて、身頃を台に平らに伸ばし、肩の一点から一点までを測った。次に自分の肩を測った。人の寸法を測るのは一年半やってきたが、自分の肩を測ったのは初めてだった。
紐の目を二度読み直した。二度とも同じところで止まった。
私は背が高いほうで、肩は狭い。父にも祖母にも似ていない、と昔から言われた。
*
しばらく、私は何もしなかった。布を台に戻して、両手をその上に置いていた。燭台の火が、身頃の白を薄く染めていた。
祖母は、私のためにこれを裁ったのではなかった。
考えてみれば、当たり前だった。裁ったのは三十年前だ。三十年前、私はまだいない。祖母が宮を出たのは、母が嫁ぐよりも前のことだった。
私は、この十日、それを分かっていて、分からないふりをしていた。
分かっていたから、当てなかったのだ。
*
私は椅子に座って、もう一度、裁ち端を順に見ていった。
肩の線。衿ぐりの深さ。前身の打ち合わせ。打ち合わせが、日常の着物にしては深い。深く合わせて、上から留める形だ。
裾には、余りが取ってある。裁ち落としていない。着る人の丈が決まってから詰めるための余りだ。
縫い代も広い。普通の一着なら五分あれば足りるところに、一寸近く取ってある。広く取るのは、あとで出すためだ。着る人が変わっても、太っても、痩せても、出したり詰めたりできるように。
裁った人は、この一着が長く着られることを前提にしていた。一度きりの晴れの日のためではなく、その日のあとも残るものとして裁っている。
この裁ち方を、私は知っている。
知っているが、その名を口に出すのは、まだ早い気がした。誰の物かも分からないうちから、これは何の衣装だと決めてしまうのは、綻びを見る前に理由を決めるのと同じだ。
祖母は、それをいちばん嫌った。
*
翌朝、ポレットが階段を駆け上がってきた。
「頭、頭。西離宮から、お使いです」
「王太后様ですか」
「いえ、あの、王女様のほうです。オーレリア様」
ポレットが、手に持った札を差し出した。修繕方あての召しの札だ。私は受け取って、日付を見た。明後日の昼。
「なんか、急ぎみたいでした」
「急ぎと仰いましたか」
「『あの銀鼠を、見てほしいの』って」
私は札を帳面に挟んだ。銀鼠は二年目だ。大礼で一度、拝賀で二度着ている。傷んでいないはずがない。
糸切り鋏を、私は針箱に戻した。刃が鞘に入る音が、小さく鳴った。
誰かの婚礼のために裁たれた絹は、まだ台の上にあった。
お読みいただきありがとうございます。
綻びを見る前に理由を決めてはいけない——祖母がいちばん嫌ったことを、十日かけて、私がやっていました。
次話——西離宮から、召しが来ます。
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