第58話 宮廷修繕方
沙汰は、翌朝、衣装室の広間で読み上げられた。針子が全員集められた。マダム・ジョゼットが端に立ち、宮内府の役人が中央で紙を開いた。
『王宮衣装室お直しの部を改め、宮廷修繕方と称す。頭、リディア・アシュフォード』
広間が、ざわついた。
『修繕方は、宮の衣装、幕、敷物、旗の修繕を掌る。費目は衣装修繕費とし、値は修繕方の値表による』
旗まで入っていた。局長が押し込んだのだろうと思った。あの人はこういうところで欲張る。
『また、宮廷衣装徒弟は、王都仕立て組合の徒弟と相互に認むるものとす』
*
私は、その一行のところで、息を吸った。相互に認む。宮の徒弟が、城の外でも通る。組合の徒弟が、宮でも通る。
建白の三の条は、宮廷衣装徒弟が組合法の潜脱である、というものだった。潜脱かどうかを争うのをやめて、両方が認め合う形にしたのだ。
争いを、なくしたのではない。争う理由を、なくした。役人が紙を畳んだあと、マダムが小さく言った。
「……この一行を通すのに、局長は何を差し出されたのでしょうね」
「伺いましたが、教えてくださいません」
「教えないでしょう。ああいうお方です」
*
午後、ポレットの札を書き替えた。
『みならい ポレット』の札を外して、新しい札を出す。
「書いてください」
「……あたし、ですか」
「あなたの名前です」
ポレットは筆を持って、しばらく息を止めていた。それから、一気に書いた。
『はりこ ポレット』
少し曲がっていた。前より、ずっと少しだけ。
「曲がってますね」
「二度目の札も、曲がるものです」
「リディアさまも、曲がりましたか」
「私の二度目の札は、この部屋に来て三日目に書きました。……手が震えて、ひどいものでした」
「見たいです」
「捨てました」
「嘘だ」
私は答えなかった。あの札は針箱のいちばん下に入っている。
*
コリンヌとアネットにも位が付いた。宮廷修繕方の針子、二名。俸給の欄も、材料の欄も、ちゃんとある。もう建白一つで止まる欄ではない。
アネットは、辞令の紙を三度読んでから、こう言った。
「あの、わたし、洗い張りの位もありますか」
「……ないですね」
「作れませんか」
私は少し笑ってしまった。
「作りましょう。値表に足します」
「本当ですか」
「あなたが二十着ぶんを一人で洗ってくださった日に、私は値を付けるべきでした。付けなかったのは、私の落ち度です」
アネットは、盥のほうを向いて、しばらくこちらを見なかった。
*
城下の報せは、その三日後にギヨムが持ってきた。
「婆さんの店、開くってさ」
「まことですか」
「組合の書役が回ってきたんだと。新しい規約で、直しの位ができたから、年季で認められるって」
「四十年ですね」
「四十年だ。読み書きは要らねえんだと。……あんたが宮の徒弟でやったのと、同じ書きぶりらしいぜ。『帳面を読み書きできること』ってやつ」
私は、その書きぶりを誰が持ち込んだのか、少し考えて、考えるのをやめた。たぶん、セラファンだ。あの人は、規約を守る人だ。守る人は、規約の書き方を知っている。
「三軒のうち、二軒が開ける。もう一軒は、爺さんが年でな。……そっちは、息子が継ぐってよ」
「三軒とも、戻るのですね」
「戻る」
ギヨムは帽子をかぶり直して、それから、ぼそりと言った。
「うちの妹がな、あんたに礼を言えって」
「私は、何もしておりません」
「数えただけか」
「数えただけです」
「そりゃあ、いちばん面倒なやつだろ」
*
ヴァレンタンが仕事着を取りに来たのは、その日の夕方だった。もう組合長ではない。黒の上着は同じだった。二十六年、同じ一着。
私は仕上げた仕事着を台に広げた。肩の袖付けを縫い直し、左の脇に当てを入れた。当ては裾の縫い代から取った。色は合っている。
そして、右の袖口の当ては、そのままにしてある。ヴァレンタンはそこを見た。長く見た。
「……残っているな」
「はい。上から縫っておりません」
「そうか」
その人は仕事着を畳んだ。畳み方が、この部屋の畳み方だった。
「三十年、値のない物として持っていた」
「はい」
「銀貨二枚になった」
「なりました」
その人は、包みを抱えて、戸口に立った。立ってから、壁の羽目板のほうを、一度だけ見た。
「あの列に、私の印はない」
「はい」
「刺す資格がなかった。……いまも、ない」
「ございます」
私は言った。
「祖母の門下の頁に、あなたの名がございます。あの頁も、列です」
ヴァレンタンは何も言わなかった。言わずに頭を下げた。深く、長く、下げた。私は、その人が顔を上げるまで、待っていた。
*
その夜、庫の灯りが消えていた。いつもは、私が寝る前に廊下を通ると、庫の隙間から細く光が漏れている。三十年、そうだったのだと思う。
私は戸を叩いた。返事があった。
「開いておる」
ゴットフリートは棚の前に立っていた。控えの帳面を、下段から順に出して、床に積んでいる。
「……何を、なさっているのですか」
老人は振り向かなかった。
「宮内府に、辞めると言うてきた」
*
「今日、ですか」
「今日だ」
「なぜ」
「七十四になった」
老人は次の一冊を出した。
「新しい方が置かれる。庫の鍵は、明日渡す。……錠の癖は、書いて渡した」
私は床の帳面の山を見た。三十年ぶんある。
「これは、どうなさいますか」
ゴットフリートは、そこで初めてこちらを見た。
「持っていけ」
「……庫の物です」
「わしの物だ。宮が買った紙ではない」
老人は、いちばん上の一冊を私の手に押しつけた。
「書く者がおるところに置く。それだけだ」
お読みいただきありがとうございます。
争いをなくしたのではありません。争う理由を、なくしただけです。
次話——三十年、庫の灯りを点けていた人が、城を出ます。そして壁の列が、もう一つ伸びます。
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