第57話 直しの位
総会の広間は二階の奥にあった。長い机が口の字に組まれ、理事が十七人。壁際に書役が二人。私は扉のそばの椅子に座らされた。議に加われる立場ではない。呼ばれた者の席だ。
議題は二つ目に読み上げられた。
『規約第一条ならびに値表の改定につき、組合長発議』
ヴァレンタンは立ったまま話した。短かった。
「規約に、直しの位を加える。値表に、直し料の刻みを置く。徒弟の手の試験を、直し一件でも受けられるようにする。……以上だ」
説明はしなかった。説明しないのがこの人のやり方なのだと、私はもう知っていた。
最初に手を挙げたのは、いちばん奥の席の男だった。五十がらみで、仕立ての良い上着を着て指が太い。
「ラウルにございます。……組合長、伺いたい」
「どうぞ」
「直しに位を作れば、我らの新調が減ります。それは、お認めになりますか」
「認めん」
ラウルは少し笑った。
「では、数でお示しいただきたい」
ヴァレンタンが私のほうを見た。
「王宮衣装室、お直しの部の頭を呼んである。……数は、あちらが持っている」
十七人の目がいっせいに扉のそばへ来た。私は立ち上がって机の端まで歩いた。持ってきたのは、帳面が三冊と紙が二枚だった。
「リディア・アシュフォードでございます。……申し上げる前に、一つ。私は、この名簿にございません」
誰も笑わなかった。
「ですから、私が申し上げるのは、意見ではありません。数だけを申し上げます」
*
「一つ目です」
私は庫側の控えを開いた。表紙の革は、三十年ぶん手垢を吸って柔らかい。
「王宮は三十年のあいだ直しにお金を払っております。物品庫番が書き継いだ控えに、日付と品名と払い先と額がすべてございます」
「ほう」
「三十年で、金貨六十枚ほどです」
広間が少しざわついて、それから、机の向こうでラウルが指を組み直した。
「三十年で、六十枚」
「はい。年に金貨二枚ほどです。……礼装の新調が御用の値表で一着金貨十二枚ですから、三十年ぶんの直しを全部足しても新調五着に届きません」
「それは……」
「私が直したせいで減った新調があるとすれば、三十年で五着ぶんです。十七軒で割れば一軒あたり三十年で三分の一着」
私は控えを閉じて、五か月ぶんの帳面を開いた。
「二つ目です。私が値表を作りましてから、お直しの部に来た依頼は九十四件です」
「九十四」
「はい。……このうち、私がお断りしたものが、六件ございます。直せない物です」
頁をめくって私は顔を上げた。
「その六件のうち、新しく一着お作りになった方は、何人だと思われますか。……一人もおられません」
誰も答えなかった。誰も答えないうちに私は先を続けた。
「婚礼衣装をお持ちになった娘さんがおられました。お母さまの一着です。絹が痩せて、針が通りませんでした。……あの方は、新しい婚礼衣装をお求めになりませんでした。生きている布だけを取って、ヴェールになさいました」
ラウルが口を開きかけた。開いて閉じた。
「喪服を持ってこられた女官の方がおられました。三十八年お召しになった一着です。お孫さんに譲るための寸法直しでした。……あの方が、お孫さんに新調をお求めになった、とは思えません」
私は最後の紙を出した。名前と、品と、傷み。四十人ぶんの、私の字が並んでいる。
「三つ目です。昨年の冬、城下で直し屋が三軒、店を畳みました」
広間の音が、ひとつぶん減った。
「もぐりの摘発です。組合の規約どおりです。……そのあと、王宮の城門に、人が並びました。四十人でした。私は一人ずつ見立てをして、七人には、当ての入れ方をお教えしました。一着も直しておりません。宮の費目で城下の物を直せば、費目の濫用になりますので」
誰かが椅子を鳴らした。私は紙を畳んで机の端に手を置いた。
「この四十人のうち、その後、登録工房に新調をお求めになった方が何人おられるか。……私には、数えられません。ですが四十人のうち三十二人は、当て布と糸のお代を銅貨で払おうとなさいました。銅貨で払う方が、金貨十二枚の礼装をお求めになるとは、私には思えません」
言い方が、思ったより低い声になった。
「直しを断られた方は、新調なさいません。使い続けるか、捨てるかです。……そして、その方々の名前は、あなた方の帳面に、一度も載りません」
ラウルがゆっくりと言った。
「……それは、我らの客ではない、ということか」
「はい」
「ならば、なぜ我らが、位を作ってやる必要がある」
私はその問いをたぶんずっと待っていた。
「作らなければ、また同じことが起こるからです」
「同じこと」
「城下の婆さんは、書付が読めなくて、店を閉めました」
私はラウルの顔を見た。太い指の、爪の先まで手入れの行き届いた手が、机の上で止まっている。
「四十年、針一本で、ご主人を亡くしたあと、お子さんを三人お育てになった方です。……あの方は、あなた方の敵ではありませんでした」
誰も何も言わなかった。
「位のない仕事は、規約の外に置かれます。外に置かれた者は、名簿にも載りません。名簿に載らない者は、書付を渡されても、意味が分かりません」
私は一礼した。
「数は、以上でございます」
ヴァレンタンが立って、机の上に両手をついた。
「二十六年前、直しを規約から外したのは、私だ。……理由を、いま言うつもりはない。言えば、言い訳になる」
広間が動いた。動いた空気の上に、その人の声が低く乗った。
「一つだけ言う。私は、数えなかった。減ると思って、外した。数えずに外して、二十六年、誰も数え直さなかった。……私が、間違えた」
*
議決は挙手だった。
賛成、十一。
反対、六。
ラウルは最後まで手を挙げなかった。挙げなかったが、反対の数が読み上げられたとき、机の木目を見ていた。
書役が規約書を広げ、新しい墨を磨って、第一条のあとに一条を書き加えた。
『第二条 直しを職とす。位を置き、値を定め、徒弟を取る』
私は扉のそばの椅子から、その一行が書かれるのを見ていた。筆が紙の上を進む音が、広間の高い天井に細く上がっていった。
書き終わったところで、ヴァレンタンが言った。
「もう一つ、議がある」
「組合長」
「私は、今日をもって退く」
誰も驚かなかった。驚かれないことが、この人の二十六年なのだろうと思った。
「後任は、理事の互選で決めるがいい。……渉外のセラファンが妥当だと、私は思っている」
その人は席を立ち、扉のほうへ歩いた。扉のそばには私が座っている。通り過ぎるとき、その人は足を止めなかった。止めずに低い声で言った。
「三日後に、仕事着を取りに伺う」
「はい」
「銀貨二枚は、もう払った」
「頂戴しております」
扉が閉まった。
*
城へ戻ったのは夕方だった。部屋では、ポレットとコリンヌとアネットが、そろって戸口を見ていた。私が何も言わないうちから、ポレットが泣きそうな顔をしていた。
「……どうでした」
「通りました」
「え」
「規約に、直しの位が入りました。賛成十一、反対六です」
ポレットが飛び上がって、コリンヌが手で口を押さえて、アネットが盥を引っくり返しかけた。
私は椅子に座ってしばらく動けなかった。勝った気はしなかった。あの広間で私が言ったのは、全部、誰かがずっと前に数えておけばよかったことだ。庫番が三十年書き、値表を作り、城門で四十人に会って、ようやく足りた。
二十六年、誰も数えなかった。数えるのは、たぶん、いちばん地味な仕事だ。
その夜、宮内府から書付が届いた。封を切って私は文面を三度読んだ。三度読んでも、意味は変わらなかった。
お読みいただきありがとうございます。
数えるのは、たぶん、いちばん地味な仕事です。
次話——宮内府からの沙汰。ポレットの仕立て札が、書き替わります。
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