第51話 理事の上着
セラファンが来たのは除名の翌日だった。書状を届けにきたのだと思った。届けにきたのはそれだけではなかった。
その人は腕に布包みを抱えていた。
「本日は、私事にございます」
「私事」
「はい。……お直しを、お願いに参りました」
包みを解くと、灰色の上着が出てきた。最初にこの部屋へ来た日に、その人が着ていた一着だ。私は少し驚いた顔をしてしまったと思う。
「よろしいのですか」
「何がでございましょう」
「組合の理事の方が、名簿にない部屋に、お直しをお出しになるのは」
セラファンは、いつもどおり丁寧に腰を折った。
「規約に、組合員が直しを頼んではならぬとは、書いてございません」
私はその言い方に初めて少しだけ笑った。この人は規約を守る人だ。守る人は規約の隙間を正確に知っている。
*
肘が擦れていた。両肘とも、生地が薄くなって、糸が浮いている。仕立ての良い上着で、袖の裏に共布が残っていた。
「よく歩かれるのですね」
「渉外の役でございますので。……宮と会館を、日に二度」
「肘だけが薄くなるのは、机に置く癖です。書きながら、右の肘に体重をかけておられます」
セラファンは自分の右肘を見た。
「そこまで分かりますか」
「右のほうが、二割ほど薄いので」
「……なるほど」
当ては、袖の裏の共布から取る。見えない所から、見える所へ。
「三日で。お代は銀貨二枚」
「安うございます」
私は顔を上げた。
「そう仰った方は、局長のほかには、あなたが二人目です」
*
仕上がりを渡したのは三日後だった。セラファンは袖を通して、肘を曲げて、それから、ずいぶん長いあいだ黙っていた。
「……分かりません」
「何がでしょう」
「どこを直されたのか、分かりません」
「見えないところから布を取っておりますので」
「そうではなく」
その人は袖を光にかざした。
「新しくしたのではないのに、新しくなったように着られます。これは、どういう仕組みでございましょうか」
「仕組みはございません」
私は正直に言った。
「その上着が、まだ着られる状態だっただけです。私は、そこを塞いだだけで」
セラファンは袖を下ろした。それから、めずらしく、少し声を低くした。
「……組合長は、二十六年、一度も直しをお出しになりません」
「はい」
「新調もなさいません。お召し物は、いつもあの黒の一着です。同じものを何着も持っておられるのかと、若い者は言いますが」
「違うのですか」
「一着でございます。二十六年、同じ一着です」
私は、応接の間の光の中に立っていた背中を思い出した。良すぎず、悪すぎず、着ている人がいちばんよく分かる仕立て。
「ご自分で、手を入れておられます」
セラファンはそう言った。
「会館の奥の部屋で、夜に。誰にも見せません。……私は一度だけ、灯りの下で見ました。あの方は、袖の裏に手を入れておられました」
*
その夜、私は帳面を開いて何も書かずに閉じた。二十六年、同じ一着。直しは職ではないと言い切る人が二十六年も自分の一着を直し続けている。
次の日、セラファンから、もう一通書状が届いた。私事です、と最初に書いてあった。組合の中の話だった。
ドニの除名で、若い理事が三人、組合長に不服を申し立てた。ドニのやり方は乱暴だったが、言っていることは間違っていない、と。
組合長はこう答えたという。
『間違っていないことをやるのに、あのやり方を選ぶ者は、いずれ、間違っていることも同じやり方でやる』
そして、もう一言。書状の最後に、セラファンはそれを書き写していた。書き写しながら、この人も分からなかったのだろうと思う。
『直しに位を与えれば、針子は、また焼かれる』
*
また、と書いてあった。私はその一行を燭台に近づけた。また焼かれる、というのは、前に焼かれたことがある、ということだ。
誰が。答えは一つしかなかった。三十年前の春、東翼が焼けた。焼けた責を負ったのは、直しの名手と呼ばれた筆頭針子だった。名を塗られ、札を抜かれ、宮を去った。
あの人は、それを見ている。いちばん近くで、見ている。
*
「話が、少し繋がってきたな」
局長は書状を返しながら言った。
「繋がりましたが、まだ、輪になりません」
「どこが抜けている」
「動機は分かりました。直しを職から外したのは、直しの上手い針子を目立たせないためです。……ですが、それなら、なぜ名簿の最初の頁に祖母の名を入れたのでしょう」
「隠したいなら、書かねばよかった」
「はい。……名を残して、位を消しました。二つは逆を向いています」
局長はしばらく黙っていた。それから、書き付けの束の角を、指一本で揃えた。
「一つ、当たっていないものがある」
「何でしょう」
「金だ」
*
「組合を興すには、金が要る」
局長は言った。
「会館を建て、書役を雇い、名簿と値表を作る。二十六年前の話だ。宮を追われた——いや、宮を出た針子ひとりに、そんな金があるか」
「……ございません」
「では、誰が出した」
私は答えを持っていなかった。
「設立文書を検める」
局長は立ち上がった。
「組合は宮廷の御用を請けている。御用商の設立の経緯を検めるのは、式典局の権のうちだ。……大礼の御用のとき、商会の蔵を検めたのと同じ理屈でいける」
「商会」
言ってから、私は自分の声が止まったのに気づいた。二十六年前。商会の全盛期の入口だ。あの蔵から出た帳面は、いま、法務方にある。
お読みいただきありがとうございます。
「また焼かれる」——また、と言うからには、前に焼かれた人がいます。
次話——組合を興した金は、どこから出たのでしょうか。
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