第48話 継いだ奉公着
城門の人は、翌朝には二十六人になっていた。私は門まで下りていった。門番が困った顔で人垣のほうを見ていた。
前に立っていたのは、五十がらみの女だった。風呂敷に子どもの上着を包んでいる。
「お直し係様でいらっしゃいますか」
「はい」
「うちの裏の婆さんが、店を閉めまして。……この子の上着の肘が抜けて、冬までに」
私は、風呂敷を解いてもらって、上着を見た。肘は抜けかけているだけで、まだ穴にはなっていない。当てを入れれば、二冬は持つ。
「当て布を、内側から」
言いかけて私は口を止めた。この上着を私が直すことはできない。
*
「受けるな」
前の晩に局長はそう言っていた。
「宮の費目で、城下の者の物を直せば、それこそ費目の濫用だ。……向こうが待っているのは、それだ」
「待っている」
「建白の三か条は、いま検分にかかっている。検分の最中に、宮の針子が城下の仕事を無料で請けたと分かれば、二の条の証拠になる。公定の値なき支出が、際限なく広がる、と」
「無料でも、いけないのですか」
「無料が、いちばんいかん」
局長は、そのとき、はっきりと言った。
「無料は、値のない仕事だ。そなたが五か月かけて作ったものの、まっすぐ反対側にある」
*
だから私は門で見立てだけをした。
「当て布を、内側から入れます。肘の内側の縫い代に、まだ余裕があります。そこから布を取ってください」
「あの、お直しは」
「できません。……申し訳ありません」
女はしばらく私の顔を見ていた。
「お金なら、持ってきております」
「そういうことでは、ないのです」
「では、どういうことでしょう」
答えられなかった。制度の話をしたところで、この人の子の肘は塞がらない。
「……糸を、お持ちですか」
「あります」
「では、当て布の入れ方をお教えします。ここに座ってください」
門番の詰所の前の石段に二人で座った。私は自分の針箱から針を出して、その人の手に持たせた。当て布の角を丸く切ること。周りを一気に縫わず、四辺のうち三辺だけを先に止めること。玉結びは布のあいだに沈めること。
半刻かかった。その人は自分の手で肘を塞いだ。
「……できました」
「はい」
「不細工ですけれど」
「初めての当ては、みんな不細工です。私のも不細工でした」
女は上着を畳んで風呂敷に包み直した。包んでから、深く頭を下げた。
「お直し係様。あの、これは、お代を払わなくていいのでしょうか」
「教えることには、まだ値表がありません」
私は立ち上がって埃を払った。
「ですから、いただけません。……いつか、値を付けます」
その日、私は門で十九人に見立てをして、七人に縫い方を教えた。一枚も直さなかった。
*
部屋へ戻ったのは日が落ちてからだった。燭台が一本だけ点いていて、アネットが盥の前にいた。
その日の分の洗い張りは、とうに終わっているはずだった。
「アネット」
その子は慌てて立ち上がった。立ち上がった拍子に、膝の上のものが落ちた。拾い上げて私は動きを止めた。
奉公着だった。衣装室の針子の、揃いの一着。それの肩に継ぎ目が並んでいた。三か所。どれも不揃いで糸の色が微妙に違う。
「これは」
「……すみません」
「謝ることではありません。これは、あなたが」
「はい」
アネットはうつむいた。
「奉公着は、年に一度、支度金で新しくしていただけるんです。今年の分は、来月でした」
来月。俸給と同じ費目だ。
「……止まっていますね」
「はい」
「継いだのは、いつから」
「三日前からです。肩は、いちばん先に擦れますので」
私は、その肩の継ぎ目を、指でなぞった。運針は丁寧だった。丁寧すぎるくらいだった。ただ、糸の色が合っていない。合う糸を、この子は買えなかったのだ。
部屋には糸のはしたの籠がある。私はそれを毎日見ている。見ているのに、この子は使わなかった。
「なぜ、籠の糸を使わなかったのですか」
「……部の物ですから」
*
その晩、私は帳面を開いて、自分の俸給の額を確かめた。部の頭の俸給と、宮廷衣装徒弟の手当は、別の費目から出ている。だから止まっていない。止まっているのは、材料費と、針子二名の俸給だけだ。
止まらなかった者の金で、止まった者を払う。できる、と思った。思って、翌朝、局長に言った。
「やめろ」
即答だった。
「二月ぶんなら、私の俸給で足ります」
「足りる。……だから、いかん」
局長は書き付けの束を裁ち台に置いた。角を揃えなかった。
「そなたが立て替えれば、この部は回る。回っているのを見て、宮内府はこう言う。『では、費目は要らんではないか』と」
「……」
「情で回る仕事は、制度から消される。いちばん先に消される。そなたの祖母のときと、同じだ」
私は何も言えなかった。
「耐えろ、とは言わん。言える立場ではない」
局長はそこで少し声を落とした。
「だが、耐えてくれ」
*
三日目の夜、コリンヌが私のところへ来た。言い出しにくそうにして、それでも、はっきり言った。
「あたし、広間へ戻ろうかと思います」
私はうなずいた。うなずくのに、少し時間がかかった。
「弟さんと妹さんが」
「はい。……あたしが送らないと、奉公先の払いが」
「マダムに、私から話します。窓際三番の台が空いているそうですから」
「……すみません」
「謝ることではありません」
私はそう言った。言いながら、自分の声が、思ったより平らなのに気づいた。平らにしていたのだ。平らにしないと、引き止めてしまいそうだった。
引き止める資格が、私にはなかった。この部の帳面には、この子に払う額を書く欄が、いま存在しない。
*
その夜、部屋にひとりで残っていたら、天井で音がした。埃が少し落ちて、梁の上に、灰色のものがいた。
この部屋に来た冬に、一度だけ見た猫だった。屋根裏に住んでいるらしい、と当時ポレットが言っていた。それきり、半年以上見ていない。
猫は梁の上で背を伸ばして、私を見下ろした。
「……あなたも、まだいたのですね」
猫は答えず、暗がりへ歩いていった。私は燭台の芯を切った。繕い物の棚には七件残っている。材料は籠の中のはしたで足りる。今夜のうちに四件は片づく。
片づけても、払われる欄はない。それでも、糸を通した。通した音が、いつもより大きく聞こえた。部屋に人が少なかったからだ。
*
翌朝、営繕方から書付が来た。封を切って私は文面を三度読んだ。三度読んでも、意味は変わらなかった。
『お直しの部の壁面羽目板につき、検分の上、張り替えを申し付くべく候』
お読みいただきありがとうございます。
情で回る仕事は、制度から、いちばん先に消されます。
次話——壁を剥がしに、人足が来ます。ポレットは、まだ自分の印を刺していません。
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