第47話 もぐり
ギヨムが来たのは、差し止めの二日目だった。戸口で帽子を脱いで、いつもより低い声で言った。
「城下で、しょっ引かれてる」
「どなたが」
「直し屋だよ。看板出してねえ、裏通りの婆さんとか、爺さんとか」
ギヨムは裁ち台の端に手をついた。
「組合に入ってねえ者が針で銭を取るのは、もぐりなんだとよ。……そんな決まり、去年まで誰も言わなかった」
「決まりは、以前からあります」
「あったのかよ」
「規約の第二十二条です。……以前は、使われていなかっただけです」
規約は、書かれた日から効いている。効かせるかどうかを決めるのは、人だ。
「三軒、畳んだ」
ギヨムは、そこで一度、口を閉じた。
「そのうちの一軒が、妹の縁のとこだ」
*
古着市の裏通り。ギヨムの妹が晴れ着の袖を頼んだ店。城下で糸の伝手を探したとき、真っ先に紹介してもらった店だ。
「婆さん、四十年やってたんだと。針一本で、亭主が死んだあと子ども三人育てて」
「……はい」
「摘発ったって、縄をかけるわけじゃねえ。役人が来て、書付を置いてくだけだ。『組合の登録なきものは、針を業とすべからず』。それだけ」
「それで、畳まれるのですね」
「読めねえんだよ、婆さん」
ギヨムは帽子を握り直した。
「書付が読めねえから、何を言われたのか分からねえ。分からねえから、怖くなって、店を閉めた。……ほかの二軒も、似たようなもんだ」
私は規約の第十七条を思い出していた。読み書きを能くし。あの一行は、針を持つ資格の話だと思っていた。違った。あれは、規約そのものを読めない者を、規約の外へ置くための一行でもある。
「糸のはしたの店は」
「あそこは残った。『うちは仕立てねえもの』って、役人に言ったらしい。屁理屈だけど、通ったってさ」
私は、綿ぼこりの中で笑った主人の顔を思い出した。あの人が残ったのは、屁理屈が上手いからではない。四十年、看板を出さずにやってきたからだ。
ギヨムが帰ったあとで、ポレットが小さな声で訊いてきた。
「もぐりって、なんですか」
「隠れて仕事をする人、という意味です」
「あの婆さんは、隠れてたんですか」
私は答えを探した。四十年、裏通りで店を開けて、近所じゅうの繕い物を引き受けてきた人を、隠れていたと呼べるだろうか。
「隠れてはいません。……名簿に載っていなかっただけです」
「じゃあ、あたしたちと同じですね」
ポレットは深い意味で言ったわけではなかったと思う。ただ思ったことをそのまま口に出しただけだ。
それでも私は、その一言を裁ち台の上に置いたまま、しばらく片づけられなかった。
*
その日の午後、コリンヌが私のところへ来た。言いにくそうに手を前で組んでいた。
「あの……お直しの部の棚に、まだ、置いてありますでしょうか」
「何を」
「胴着です。……焦茶の」
私は埃よけの布を掛けた棚を振り返った。半年、そこにある。
「ございます」
布を外して畳んだ胴着を出した。解きかけの糸は抜いていない。畳み皺がついてしまっているのを、私は少し申し訳なく思った。
コリンヌは、それを見て、下を向いた。
「……あたしのです」
「はい」
私は驚かなかった。驚かなかったのは、たぶん、どこかで思っていたからだ。
「引き取りたいと文を寄越したのは、あなたでしたか」
「はい」
コリンヌは両手で顔を覆わなかった。覆う代わりにまっすぐ立っていた。
「あのころ、あたし、次席様に縫わされてました。横流しの品を。……リディアさまが疑われ始めたとき、あたしは何も言えませんでした」
「はい」
「言えないくせに、繕い物だけ預けてるのが、ずるいと思って。それで文を書きました。……取りに来ようとして、廊下まで来て、帰りました。三回」
「三回」
「三回です」
私は胴着を台の上に広げた。脇の下が薄くなっていて、そこを解きかけている。当て布を入れて、縫い直す途中で止まっている。半年前の私の針目が、そのまま残っていた。
「弟さんと妹さんに」
「はい。……上の子が、そろそろ着られる寸法です」
*
「続きを、やってしまいましょう」
「え」
「解きかけの糸を抜かなかったのは、続きを頼まれる日のためです」
コリンヌは少し慌てた。
「あの、でも、いま、お代が」
「銀貨一枚です」
「……俸給が、止まってます」
「知っています」
私は当て布を選びながら言った。
「あなたの俸給を止めたのは、この部です。この部の頭は、私です。……ですから、お代は、私がこの部から取ります」
「そんな計算」
「帳面には、そう書きます」
ポレットが横から覗き込んで、真面目な顔で言った。
「あたし、書けます。『胴着一件、銀貨一枚、部内より』」
「……それは、局長に叱られる書き方です」
「叱られるまで、書いておきます」
コリンヌが、そこでやっと笑った。笑って、それから、少し泣いた。
*
胴着は夕方までに直った。脇の当て布は裾の縫い代から取った。同じ布から取った糸なら、同じだけ褪せる。ポレットが検分に来て、裏から見て、表から見て、うなずいた。
「合格です」
「あなたが言う立場ですか」
「立場です。あたし、宮廷衣装徒弟ですから」
コリンヌは胴着を胸に抱えて、何度も頭を下げて帰っていった。その後ろ姿を見送りながら、ギヨムがぼそりと言った。
「……なあ。仕事に貴賤なし、縫い目に貴賤なし、ってさ」
「隊長さんの受け売りですね」
「三度目だからな、これ言うの。そろそろ俺の言葉ってことにしていいだろ」
「どうぞ」
ギヨムは笑ってそれから真顔になった。
「城門にな、人が来てる」
「城門に」
「城下の連中だよ。直し屋が畳んじまったもんだから、繕いを頼むとこがねえ。……で、『王宮にお直し係がいるらしい』って噂が回った」
私は窓のほうを見た。秋の日が短くなっている。もう暮れかけていた。
「何人ほど」
「今朝は六人。昼は十一人。……いま見てきたら、十九人いた」
お読みいただきありがとうございます。
規約は、書かれた日から効いています。効かせるかどうかを決めるのは、人です。
次話——俸給が止まって、部屋から人が減り始めます。アネットの奉公着の肩に、見覚えのない継ぎ目があります。
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