第42話 見ているだけの仕事
その朝、お直しの部では、別の検分があった。ポレットの、手の検分である。
『宮廷衣装徒弟』の帳には、位を得るための定めが二つ書いてある。宮の帳面を読み書きできること。そして、直し一件をもって技倆の検分を受けること。
立ち会いは、お直しの部の頭と、筆頭衣装係。つまり、私とマダム・ジョゼットだ。
「品を」
マダムが言った。広間の筆頭の声だった。私は台の上に、女官から預かった肩掛けを広げた。焦茶の毛織で、両肩に一つずつ、虫食いがある。
「見立てから、どうぞ」
ポレットは布巾で手を三回拭いて、それから台に近づいた。
「……穴が二つ。右のは、糸一本ぶん。左のは、少し大きいです。米粒くらい」
「直し方は」
「かけつぎで埋めます。糸は、この布から取ります」
「どこから取りますか」
ポレットは肩掛けをひっくり返し、裾の縫い代を開いた。
「ここです。裾は三寸折り返してあるので、内側から糸を抜いても、表に響きません」
マダムの眉が、わずかに動いた。良いほうへ動いたのだと、私には分かった。
「なぜ、新しい糸を使わないのですか」
「色が合わないからです。……いえ、合わせられますけど、合わせた色は、五年経つと合わなくなります。同じ布から取った糸なら、同じだけ褪せます」
私はその答えを教えた覚えがなかった。教えたのは、たぶん祖母が私に教えたのと同じやり方でだ。作業を横で見せて何も言わない。
*
ポレットは半刻で二つの穴を埋めた。埋め終わった肩掛けを、マダムは窓際まで持っていって、光にかざした。表から見て、裏から見て、斜めから見た。
それから台に戻して短く言った。
「合格です」
「……はい!」
「大きな声を出さない。ここは広間ではありません」
「はい」
ポレットは口を押さえて、それでも肩が跳ねていた。マダムは帳面に立会人の名を書いた。書きながら、こちらを見ずに言った。
「わたくしが十五で入りましたときには、こういう検分はありませんでした」
「はい」
「ありませんでしたから、あの当時、わたくしの手が本当はどれくらいだったのか、誰も知らないままです」
筆を置いてマダムは帳面を閉じた。
「この子は、知っています。今日、知りました。……それは、大きな違いです」
*
組合の作業場は、東の翼の広間に設けられた。御衣装を城の外へ出すわけにはいかないので、城の中に場を作ったのだ。人と道具は組合から入る。出入りは宮内府の役人が改める。
お直しの部の者は中へ入れない。私は二階の回廊の窓から、下の中庭ごしにその広間を見た。窓が開け放してあるので、中の様子は見える。
ポレットが背伸びして隣に並んだ。
「見えますか」
「見えます。……人が多いですね」
多かった。十人以上いる。台が三つ並んで藍の布が広げられている。男たちは手際がよかった。無駄口を叩かず、道具の置き場所が決まっていて、動きに迷いがない。腕のいい工房だ。それはひと目で分かった。
その端にゼイナが立っていた。立っているだけだった。台には近づかず、腕を組んで、じっと見ている。ときどき何か言おうとして、口を開きかけて、やめる。
やめるたびに通詞のほうを見る。通詞は困った顔で首を横に振っている。言えないのだ、と私は思った。
御衣装は東の国のもので、修復を請けたのはこの国の組合だ。客人が仕事に口を出せば、宮の面目に障る。ハディル侯もそれを分かっておられるから、ゼイナに「見ているだけにせよ」と言っておられるのだろう。
見ているだけの仕事。それは、いま私がやっていることでもあった。
「リディアさま」
ポレットが小さな声で言った。
「あの、湯気が出てます」
*
三日目のことだった。広間の隅に大きな盥が二つ運び込まれた。湯が張られている。湯気が窓から立ち上るのが、回廊からよく見えた。
私は、窓枠に手を置いたまま、しばらく動けなかった。
「洗うのでしょうか」
「……分かりません」
塩は、水で抜ける。それはそのとおりだ。潮気を含んだ布を放っておけば、塩が糸を切る。抜かねばならない。
抜かねばならないが。私は、指先に残っている感触を思い出していた。面で光る布。糊が張りそのものである布。
糊は、水に溶ける。溶けたらどうなるのか、私は知らない。知らないから、危ないとも言い切れない。
言い切れないことを、名簿にない者が口にしていいのか。私はその日、局長にだけ話した。局長は黙って聞いてそれから言った。
「私から宮内府に伝える。……ただし、伝えるだけだ。仕事の中身に式典局長が口を出せば、それは職権になる」
「はい」
「そなたは、伝えたことを覚えておけ。……何かあったときに、誰が何を言ったかは、必ず要る」
*
四日目、盥の湯気は一日中上がっていた。私は回廊へ行くのをやめた。見ていても、できることがない。できないことを見続けているのは、手が荒れるだけだ。
その代わり、庫へ行った。ゴットフリートに、東の国の布の端切れがないかと訊くためだ。老人はしばらく黙っていて、それから、庫のいちばん奥の棚を顎で示した。
「東の荷は、昔から庫に入る」
「ございますか」
「ある。……使う手が来るまで置いておくのが、庫番の仕事だ」
*
五日目の朝だった。私が端切れを盥に沈めて、糊の落ち方を確かめていたところへ、廊下を走る足音が聞こえた。
城の中で走る者はそういない。走るのは、走らねばならない用があるときだけだ。戸口に飛び込んできたのは、宮内府の若い役人だった。息が上がっていた。
「お直しの部の、リディア殿は」
「私です」
役人は、言葉を選ぼうとして、選べずに言った。
「東翼へ。……御衣装が、縮みました」
お読みいただきありがとうございます。
見ているだけの仕事は、手が荒れます。
次話——縮んだ御衣装の前で、組合長は「東の織が脆い」と言います。
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