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第31話 名簿にございません

 大礼から十日が過ぎて、お直し部屋は、お直しの部になった。


 変わったのは戸口の木札だけだ。中は相変わらず、燭台と裁ち台と布の山でいっぱいで、人が四人入ると肩が触れる。


「リディアさま、今朝の分、書けました」


 ポレットが帳面を差し出す。日付と、品と、お代。字はまだ曲がっているが、数は合っている。


「十日で三十一件。銀貨二十二枚と、銅貨十枚です」


「よく数えましたね」


「数えるのは得意です。針の数を数えて、字を覚えたので」


 窓際でコリンヌが笑った。その隣で、アネットが洗い張りの手を止めずに肩を揺らす。大礼の修復で昼の手に入ってくれた子で、水と布の扱いに筋がいい。


 三週間で十七件——それが、この部屋に来て初めて申し上げた数だった。いまは十日で三十一件。一件あたりのお代は、あのころより下がっている。


 値を下げたのではない。銅貨で足りる細かい繕いを、持ってきてくれる人が増えたのだ。


 その日の午前の一着は近衛の礼装だった。大礼の列に立った肩章の飾り紐が、ほどけかけている。持ち主はギヨムの同輩で、戸口で帽子を脱いだ。


「あの日、隊列でいちばん見栄えがしたのは俺だと、ギヨムの奴が言い張るんです。ここで直してもらったからだと」


「肩の継ぎは、ギヨムさんが先です。この冬の外套から」


「知ってます。あいつ、そればっかり自慢するんで」


 飾り紐は芯だけ替えれば持つ。撚りを解いて新しい芯を通し、元の撚りに戻してやる。糸の道筋はもとの手が決めてくれている。


 お代は銀貨一枚と申し上げた。隊士は銅貨を五枚足して置いていった。


 こういう朝が続くのだと、私は思っていた。


    *


 宮内府の使いが来たのは、昼を過ぎてすぐだった。


 通達の写しは一枚きりで文は短かった。


 『宮廷の御用を請くる者は、王都仕立て組合の登録工房に限る』


 組合。王都仕立て組合。


 名は知っている。王都の織物町に会館を構える、仕立て屋の寄り合いだ。城の仕事とは縁が薄いと思っていた。御用商人が握っていたからだ。


 局長が来たのは夕方だった。書き付けの束が、いつもより厚い。


「先に言っておく。今朝の通達は、そなたの部を潰すためのものではない」


「はい」


「だが、結果としてはそう働く。……単刀直入に言う。商会の御用を差し止めた。椅子が一つ空いた。そこへ、組合が座った。規約ごとだ」


 局長は束の上の一枚を抜いて、裁ち台に置いた。


「宮廷の御用は登録工房に限る。この一行が、通達になった」


「お直しの部は、宮の内の部署です。御用を請ける側ではありません」


「そうだ。だから直ちに潰れはせん。……問題は外だ。糸も、裏絹も、洗い張りの手間仕事も、そなたたちは城下へ出している。その相手が、登録工房だ」


 私は、朝に置いていかれた銅貨五枚のことを思った。


「規約に触れる、ということですか」


「触れるのは向こうだ。だから、向こうが断る」


    *


 断りは、思っていたより早く、そして丁寧な形で来た。


 その日の、日が落ちきる前だった。


 戸口に立ったのは、仕立ての良い灰色の上着を着た四十がらみの男だった。腰から丁寧に折れる。


「王都仕立て組合、理事のセラファンと申します。宮廷渉外の役を預かっております」


 名乗りに淀みがない。人に名乗り慣れた声だった。


「お直し係の、リディア・アシュフォードでございます」


「存じ上げております。大礼の御衣装の。……見事なお手並みと、会館でも評判にございました」


 褒め言葉が、水のようにまっすぐ入ってきた。含みがない。含みがないのが、少し怖い。


「本日はご挨拶と、それから一つだけ、お願いに」


 セラファンは懐から紙を出した。名簿だった。細かい字で、工房の名がずらりと並んでいる。


「王都の登録工房、十七軒にございます。宮廷の御用は、この名簿の中で回すことと相なりました」


「はい」


「つきましては、お直しの部が城下へお出しになる手間仕事も、この名簿の外へは出せませぬ。——と、申し上げたいのですが」


 彼はそこでほんの少し困った顔をした。困って見せたのではなく、本当に困っている顔だった。


「お直しの部は、この名簿にございません」


 私は名簿をもう一度見た。十七軒。どれにも「仕立」の字がある。


「では、私どもを名簿に加えていただくことは」


「加えるには、位が要ります。位を決めるのは、値表にございます」


 セラファンは名簿を畳んで、また丁寧に腰を折った。


「値表を、ご覧になったことは」


「ございません」


「では、写しをお届けいたします。……ご覧になれば、お分かりいただけるかと存じます」


 悪意はなかった。声にも、目にも。だからこそ、帰っていく背中を見送りながら、私は指先が冷えているのに気づいた。


    *


 その晩、局長は帰り際に、封蝋の書状をもう一度裁ち台に置いた。深い緑の蝋。東の国の国璽。


「宮内府預かりの件だが。……そなた、返事を書け」


「私が、ですか」


「名指しの招きだ。したためるのは宮内府の文だが、中身はそなたが決めろ。行くか、行かぬか。行かぬなら、行かぬ理由を」


「行かない理由でしたら、いま目の前にあります」


「聞こう」


「この国の繕い物の棚が、空いておりません」


 局長は少し笑って、外套の袖口——私が三日で直したところ——を軽く引いた。


「明日、組合の規約と値表の写しが届く。二人で読もう」


 戸口の音が遠ざかって、私は燭台の芯を切った。


 名簿にない、というのは、そこにいない、ということではない。


 いるのに、書かれていない、ということだ。


 鋏の音が、ひとつ。私は明日の分の糸を、あらかじめ切っておいた。

お読みいただきありがとうございます。

名簿にない者は、いないことになっています。——いるのに、書かれていないだけなのに。


次話——組合の値表を開きます。そこに「直し」の項目は、ありません。


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