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第28話 ——なりました

 玉座の間に入るのはあの夜以来だった。


 半年前、私はこの広間の真ん中で婚約を破棄され、針子にでもなれば、と笑われた。今日は末席に、王宮衣装室の者として立っている。召し物は官給のお仕着せ。針箱は、持ち込めないので部屋に置いてきた。それでも右手の指は、癖で、ありもしない針を探していた。


 あの夜と同じ場所に同じ吊り燭台の灯り。違うのは、立ち位置と——隣の顔ぶれだった。衣装室の列にはマダムがいて、その袖が私の袖と触れる近さにある。斜め前には、式典局長の背中。誰も私を一人で立たせていなかった。


 玉座には、国王陛下。脇に王太后様。宮内府卿が、沙汰の書き付けを開いた。


 呼び出されたのは、セドリック殿下と、ステラ様だった。


    *


 沙汰の読み上げは長くはなかった。


 バルトルド商会の三十年の罪状。付け火、盗み、冤罪。そして蔵帳から明らかになった、貸し方筆頭の名。


「殿下御用立て、五年、都合金貨三千枚余。——殿下。この帳の数字に、覚えはおありか」


 宮内府卿の問いに殿下は笑ってみせた。あの夜と同じ、育ちのいい笑い方だった。


「商人の帳簿ひとつで、王子を詮議するのか」


「帳簿ひとつではない」


 陛下が、初めて口を開かれた。低く、静かな声だった。


「納入の台帳、庫の控え、目録の正本、そして商人の自白。……そなたの装いと祝宴の費えが、盗みと付け火で肥えた店の金で立っていた。それを五年、誰も検めなかったことも含めて、王家の恥だ」


「私は、知らなかった。金の出所など——」


「知らなかったことが、罪だ」


 陛下はそれ以上声を大きくされなかった。


「王位の継承は、物の値打ちの分かる者に譲るべきであろう。セドリック。継承の順を三位に下げ、当分の謹慎を命じる。ブライト男爵令嬢との婚約は、白紙とする」


 殿下の顔から、笑いが剥がれていくのを、私は末席から見ていた。留飲が下がる、というのとは、少し違った。半年前のあの夜からずっと歪んでいた縫い目が、ようやく正しい針目にほどき直された。そういう静かさだった。


 ステラ様への沙汰はさらに短かった。婚約の白紙。王都からの退去。男爵領へ帰されること。


 読み上げの中で、あの方の来歴も明かされた。男爵家は商会の借財に呑まれ、そのかたに、娘を差し出していた。装いも、所作の師も、夜会の招きも、すべて商会の仕込み。王子に近づけ、浪費を促し、受注を太らせるための——駒。


 ステラ様は一度も言い返さなかった。ただ立っていた。あの藤色のドレスの袖口だけが、灯りの下で、きれいに直っていた。


 退出の間際、あの方は袖口に一度だけ指先で触れて、それから、まっすぐに顔を上げて歩いて行った。借り物でない歩き方に見えたのは、私の願望かもしれない。


    *


「待て」


 退出の段になって殿下が声を上げた。振り向いた先に私がいた。


「お前が……お前が仕組んだのか。針子風情が、玉座の間に紛れ込んで」


 広間の空気が張り詰めた。私は、一歩だけ前に出て、頭を下げた。


「畏れながら、殿下。仕組んだのは帳面と縫い目で、私ではございません」


 顔を上げる。あの夜、数え続けた針目のことを、思い出していた。


「半年前、この広間で、針子にでもなれば、と仰いましたね」


 殿下の目をまっすぐに見た。


「——なりました。王宮衣装室、お直し係でございます」


 それだけ言って、私はもう一度、深く頭を下げた。殿下は何か言いかけて、言葉にならず、衛士に促されて広間を出て行った。


 靴音が遠ざかる。それが、あの方について私が覚えている、最後の音になった。


    *


 沙汰には続きがあった。


「三十年前の、東翼失火の沙汰を改む」


 宮内府卿の声が、広間に通った。


「先の筆頭針子エディス、咎なきこと明白につき、失火の責をすべて取り消す。宮の台帳に、筆頭針子の名を戻すものとする」


 王太后様が、玉座の脇から私をご覧になった。


 その日の夕刻、宮内府の書庫で、書記が古い台帳を開いた。三十年前、黒く塗り潰された行の隣に、新しい墨で、一行が加えられた。


 『筆頭針子エディス。沙汰改めにより、名をここに戻す』


 私はその手元を見届けた。泣くまいと思っていたのに、書記が「エディス」の四文字を書き終えたところで、視界が滲んだ。名前というのは、こんなに短いのか。三十年消えていたものは、こんなに、短いのか。


 書記が墨を乾かす間、私は塗り潰された古い行を見ていた。黒の下に同じ四文字が眠っている。塗った手の上から、戻す手が書いた。帳面は、あとから書いた者の側を覚えている——あの男の蔵帳が、あの男の罪を覚えていたように。


「遅くなりました」


 隣で王太后様が仰った。誰に、とは仰らなかった。


    *


 夜、お直し部屋に戻ると、王女殿下からの使いが待っていた。銀鼠の一着と、文。


 『この一着にも、作り手の名を戻してくださいな』


 私は針箱を開けて、新しい仕立て札に、小さく記した。


 『三十年前 仕立て 筆頭針子エディス』


 その下に一行足した。


 『三十年後 直し お直し係リディア・アシュフォード』


 銀鼠の襟裏に札を縫い付ける。祖母の縫い目の隣に私の針目が並ぶ。手が、似ている。けれど、同じではない。それでいいのだと、今は思う。


 糸を切る鋏の音が、夜のお直し部屋に、ひとつだけ鳴った。

お読みいただきありがとうございます。

返事まで、半年かかりました。


次話——三日後、大礼。直された礼服が、三十年ぶりに玉座の間へ帰ります。


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